映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

『007は二度死ぬ』『ロシアより愛をこめて』『女王陛下の007』


日本公開から60周年を記念して007シリーズが4Kレストア版でスクリーンに復活。「BOND60 007 10作品 4Kレストア版」ということで、全25作品の中から10作品が劇場公開。BOND is BACK in 4K!

ラインナップは──

9/22(金)~

・007 / 私を愛したスパイ

・007 /ロシアより愛をこめて

・007 /ゴールデンアイ

女王陛下の007

007は二度死ぬ

11/17(金)~

・007/リビング・デイライツ

・007 /サンダーボール作戦

・007/ノー・タイム・トゥ・ダイ

・007 /スカイフォール

・007 /ドクター・ノオ

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007シリーズは、結構前にショーン・コネリー主演作品をDVDで観て、それ以外の作品もこれまたずいぶん前ですがBSでダニエル・クレイグ主演版の最新作の前だったかに過去作品を連続で放送していて、そこで観ました。

ただ、全部で20何本もあるわけだし、DVDやTV放送だとなかなか集中して観られないこともあって自分でも呆然とするほど内容を覚えていないんですよね。

ほんとにところどころ断片的に記憶している程度で。

だからその中でもごく限られた本数ではあるものの、あらためて劇場でじっくり観られるのは嬉しい。

鑑賞料金は一律2000円ということで、ただ、そうすると全作品観たら合計2万円かかっちゃうわけで^_^;さすがにキツいのとスケジュール的なこともあって、ひとまず第1弾の中から『007は二度死ぬ』『007/ロシアより愛をこめて』『女王陛下の007』を鑑賞。

3本で6000円でも充分フトコロが痛いんですが、DVDやTV放送でしか観たことがなかった作品を劇場で観られるのは貴重な機会だから奮発しました。

第2弾は11月なので、まぁ、余裕があればまた何本か観ようと思います。

では、今回観た順番に軽~く感想を。


007は二度死ぬ』(1966年作品。日本公開67年)
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アメリカとソ連の宇宙カプセルが次々と姿を消す事件が発生。米ソが互いに相手の仕業だと疑い緊張が高まる中、イギリス諜報部は日本から妨害ロケットが発射されていることを突き止め、ジェームズ・ボンドを現地へ送り込む。ボンドは日本の諜報機関に所属するタイガー田中と手を組んで捜査を進めていくが、事件の裏にはまたもやスペクターの陰謀が隠されていた。(映画.comより転載)

監督:ルイス・ギルバート
出演:ショーン・コネリードナルド・プレザンス(ブロフェルド)、若林映子(アキ)、浜美枝(キッシー鈴木)、丹波哲郎(タイガー田中)、カリン・ドール(ブロフェルドの部下ヘルガ)、ロイス・マクスウェル(マネーペニー)、デスモンド・リュウェリン(Q)、チャールズ・グレイヘンダーソン)、バーナード・リー(M)ほか。

日本を舞台にした“珍作”っぽく語られることもあって、僕も以前は観る前から「トンデモ日本」連発の国辱映画みたいなのを想像していたんですが、そして確かに珍妙な場面もないことはないんだけれど、でも実際に観てみたら意外と楽しめたんですよね。

実は007シリーズの中でもわりと好きな方だったりするし。

ナンシー・シナトラが唄う主題歌“You Only Live Twice”もイントロのメロディとか、とても耳に残る。

この映画が作られたのは1966年で、50年代頃に作られた日本を舞台にしたハリウッド映画(『東京ジョー』『東京暗黒街・竹の家』『サヨナラ』etc.)からいろいろイメージを引き継いでいるんだろうし、その後の「なんちゃってニッポン」を描いたハリウッドのアクション映画の元ネタにもなっているような作品だから(マイク・マイヤーズ主演の『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』はモロこの映画のパロディだし)、最初にやった者として、見ていてそんなに不快にはならなかった。

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世の中には海外の映画の中で描かれる「ヘンなニッポン」がお好きなかたがたもいらっしゃるようだけど、僕はむしろそういうの「大嫌い」で、あえて観ようとは思わないんですよね。

ただし、たとえばリドリー・スコットの『ブレードランナー』(感想はこちら)や『ブラック・レイン』(感想はこちら)は好きだし、ここで僕が問題にしているのは「日本の正確な姿を映し出しているかどうか」などということではなくて、「かっこいいかどうか」「日本文化にちゃんと敬意を払っているかどうか」なんですよ。

ブレードランナー』や『ブラック・レイン』はかっこよかったから好きだけど、『ウルヴァリン:SAMURAI』(感想はこちら)は日本人男性への敬意を欠いていたから嫌い。

47RONIN』(感想はこちら)はアクション映画として普通につまらなかったから嫌い。

最近ブラピが主演した『ブレット・トレイン』(感想はこちら)は日本でも評判がよかったけど、ブラピが日本人の車掌をバカにしていたりして、映画の作り手が最初から日本文化をイジる気マンマンで撮ってるのがわかったから嫌い。キッチュなものを笑ってやろう、という、特定の国とそこに住む人たちを見下す態度ね。

60年ぐらい前のハリウッド映画の日本のイメージや、あるいはアニメなど90年代ぐらいにアメリカに入ってきた日本のサブカルチャーをなんのヒネりもないまま取り込んでいて(逆にいえば、自称“クールジャパン”の大失敗以来、もはや日本のサブカルチャーはクールでもなんでもないということだが)、タランティーノの『キル・ビル』のつまんないパクリでしかないのが腹立たしい。

この『007は二度死ぬ』では、少なくともショーン・コネリー演じるジェームズ・ボンドはつまんないジョークで日本人をコケにしたりはしないし、日本に来ても意外と真面目に仕事に取り組んでいるんですよね。*1偽装結婚して日本人に変装するとかスットコな展開もあるけど、映画自体に「不思議の国ニッポン」を笑ってやろうという薄ら寒い魂胆はなくて、純粋にエキゾティックな世界として描いている。そこに好感が持てる。

ちなみに、ボンドと格闘する用心棒役のピーター・メイヴィアはサモア出身のプロレスラーで、ドウェイン・ジョンソンの祖父。

007シリーズ自体が荒唐無稽な世界のアクション物なんだから、丹波哲郎演じる“タイガー田中”が地下鉄を「公用車」と称して使っていたり(車内は和風仕様)、忍者部隊が出てきて手裏剣と日本刀で戦うのも別に構わない。それをダサいものとして撮ってないし。

時々ヘンなやりとりもあるけど。

丹波「日本人は胸毛が生えない」

クールポコ。「な~にぃ?やっちまったなぁ!」

髭男爵「生えとるやないかーい!ボナペティ(召し上がれ)!」


火山の火口の下が犯罪組織スペクターの秘密基地になっていて、米ソの宇宙船を回収する巨大な飛行物体の発射台が作られているという、壮大な(笑)SFアドヴェンチャー


いや、あの実物大セットの大きさはスゴいし、めちゃくちゃ金かけてるのがわかる。全然ショボくないんですよ。

何よりも、ちゃんと日本でロケしてるのがいい。ところどころあの当時の日本が映像の中に写し込まれている。まぁ、当時の日本の風景が見たければ60年代頃の「日本映画」を観ればいいんだけど、それでも貴重な記録ですよね。


現在、ハリウッドで日本を舞台にしたアクション映画を作ろうとしても都市部での大掛かりなロケ撮影はほとんど無理だろうし、おそらく別の場所にセット作ったりCG使って撮るでしょう。でもそれでは2023年現在の本物の日本の風景もそこに住む人々もまったく映像としては残らないし、もはや「Japan」という単なる記号的な地名でしかないんだよね。

なので、『007は二度死ぬ』は当時もそうだっただろうけど、それ以上に今となってはとても贅沢な作品だし二度と作れない。大阪や神戸でロケした『ブラック・レイン』のような撮影だって、今では不可能だから。

のちに別の作品ではブロフェルドを演じるチャールズ・グレイがワンシーンだけ、日本通みたいな役で出てくるんだけど(コネリーものちに『ライジング・サン』で怪しげな日本通を演じていた)、彼が演じたヘンダーソンは日本との戦争で足を失っている。まだそういう時代だったんですね。「ようやく日本という国がわかってきた」とか言ってたのに、あまりにあっけなく殺されちゃうんで肩すかしだったけど。

ボンドガールを演じる若林映子浜美枝がほんとに綺麗なんだよなぁ。


若林映子さんはゴジラ映画『三大怪獣 地球最大の決戦』のサルノ王女でもおなじみだけど(作られた時代が近いからってのもあるけど、この『007は二度死ぬ』自体が往年の東宝怪獣映画に近い雰囲気があったなぁ)、丹波哲郎さんも浜美枝さんも英語の台詞をネイティヴのあちらの人に吹き替えられちゃってるのに(英語圏以外の出身であるボンドガール役の女優たちが別人に吹き替えられるのは恒例だったらしいが)、若林さんはしっかり本人の声が使われてるのもいい。

こう言っちゃなんだけど、ハリウッド映画に登場する日本人女性の顔って僕は微妙に感じてしまうことが多いんですが(誰が、とは言いませんが^_^;)、若林映子さんははっきり美人だと感じるし、現在でも通用する美貌ですよね。むしろ、今の女優さんたちよりももっと素敵なぐらい。

そして浜美枝さんがほんとにキュートで。


英語の台詞に苦戦して役を若林さんと交代させられちゃったそうだけど、若林さん演じる“アキ”*2は途中で「屋根裏の散歩者」みたいな方法で殺されちゃって(なんであんなまどろっこしい殺し方したんだか)、後半になって登場する浜さんはボンドと一緒に敵と戦って最後まで生き残ってラストは彼とキス、ってことだから、結果的にはおいしかったかもしれないですね。

ボンドの宿敵ブロフェルドが初めて素顔を見せた作品でもあるし、先ほどの「オースティン・パワーズ」シリーズでマイク・マイヤーズが演じた悪役Dr.イーヴルはまんまドナルド・プレザンス版ブロフェルドのパロディ。

抑揚がなくて感情がこもらないプレザンスのブロフェルドの喋り方を完コピしていて、僕は『オースティン・パワーズ』を先に観たので、ドナルド・プレザンスのブロフェルドを見るたびにパロディの方を思い出して笑ってしまう。


案外マイク・マイヤーズ以外でブロフェルドのモノマネをやってる人ってほとんどいないんだけど、『ゴールドメンバー』では冒頭でケヴィン・スペイシーもDr.イーヴルを演じていた。

スペイシーは問題起こして干されちゃったので(なんか最近復活するような気配もあるが)、おかげで再上映ができないかも。「オースティン・パワーズ」シリーズ、また映画館で観たいんだけどなぁ。

最後のスペクターの基地の爆発とか、かなり牧歌的な画(本物の溶岩が流れる映像に爆発を合成しただけ)だったけど、火口に水が溜まってるように見えていたのは鉄製の開閉シャッターで、そこから飛行物体を打ち上げるという発想がサンダーバードみたいだし、実際、宇宙空間の特撮なんかはちょっとそれっぽくもある。

細かいことだけど、映画の初めの方でヒューストンと交信するハワイのレーダー通信士を演じていた俳優さんって、『スーパーマンII 冒険篇』(感想はこちら)でNASA管制官の役だった人ですよね(彼はスーパーマンの1作目と3作目にもそれぞれ別の役で出演している)。シェーン・リマーさんと仰るようで。『サンダーバード』にも声の出演をしていたんだな。


ロジャー・ムーアが主演した『死ぬのは奴らだ』など、『007は二度死ぬ』以外の007映画にも出てる。『スター・ウォーズ』のエピソード4感想なこちら)にも、惑星ヤヴィンの場面でXウイングのエンジニア役で!伝説の脇役だな(^o^)

ボンド映画はイギリスのイオン・プロが制作してるから、イギリスのスタジオで撮影していた「スーパーマン」シリーズともスタッフやキャストなどカブってるところがあるのかな。なんとなく特撮の雰囲気が似てるんですよね。

『スーパーマンII 』の監督のリチャード・レスタービートルズの映画撮ったり、イギリスで活動していた人だし。

007映画第5作目の本作品でショーン・コネリージェームズ・ボンド役の引退を表明して、次作の『女王陛下の007』は主演をジョージ・レイゼンビーが務めることに。

ある意味、ここで「007映画」の要素が出揃った感はありますよね。

海外の珍奇な風俗や文化を観光気分で気軽に楽しめて、スパイアクションにSF的な要素も加わって。

50年以上前の映画だからこそ楽しめるってのもある。さっき述べたように、今、最新映画で同じことをやられてもムカつくだけだから。

初期の007映画を観てると、タイムスリップしている感覚を味わえるんです。

だから、女性を食べ物に例えて「味わう」と表現したり、何かとボンドガールのお尻をペチンッ!と叩くショーン・コネリーも、あくまでも映画の「彩り」のように描かれ扱われるボンドガールたちも、そういう時代だったのだよなぁ、と思って古いアルバムをめくるようにして観ていればいい。

レトロな美術も衣裳も男女観も、どこか懐かしさとともに銀幕の彼方へ消えていく。

007映画は真剣に観るようなタイプの映画じゃないし、観終わって「あー、面白かった」って言ってさっさと忘れて全然構わないだろうけれど、そういう映画に参加していた今はなき人々のことを想いながら、自分が生まれる前に作られた映画をこうやって映画館の大きなスクリーンでクリアな画面(そもそもの映像が必ずしもクリアじゃないので、ショットによってはかなり画質が粗いのだが)で観ている。その不思議さを噛みしめる。

新作は新作で楽しいし、僕もよく映画館に観にいってますが、最近は4K化だとかデジタルリマスター版だとか、昔の映画が綺麗な映像になって劇場で観られるようになったのでそちらの方もやっぱり気になるんですよね。

観にきているのはほとんどがご年配のかたや僕のような中年の人たちばかりだけれど、そういう客層だって楽しめる映画があっていいはずだもんね。


007/ロシアより愛をこめて』(1963年作品。日本公開64年)
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英国情報部長Mのもとに、トルコ支局長のケリムから電報が届く。それによれば、イスタンブールソ連情報部に勤めるタチアナ・ロマノヴァという女が、ソ連の暗号解読機「レクター」を引き渡すことを条件に、イギリスに亡命を望んでいるという。しかし、その背後には世界的な犯罪組織「スペクター」の恐るべき陰謀があった。ボンドはこれが罠だと知りつつも、タチアナと接触するためイスタンブールへと向かう。(映画.comより転載)

監督:テレンス・ヤング
出演:ダニエラ・ビアンキ(タチアナ)、ロバート・ショウ(グラント)、ペドロ・アルメンダリス(ケリム・ベイ)、ロッテ・レーニャ(ローザ・クレッブ大佐)、アンソニー・ドーソン(ブロフェルド)ほか。

シリーズ中でも特に評判がいい作品ですが、列車の中でボンドとロバート・ショウ演じるスペクターの殺し屋グラントが闘ってる場面ぐらいしか覚えてなくて、「ロシアより愛をこめて」というタイトルだから舞台はロシアなのかと思ってたら、そうじゃないんですね。

考えてみれば米ソの冷戦真っ只中の時代だし、ロシアやソヴィエト連邦の領土内で撮影が許可されるわけもなくて、当然ながらハリウッド映画などで登場するロシア人を演じているのは別の国の人。

劇中でロシア語使ったり、ロシア語訛りの英語で喋ったりしてるけど、この映画のボンドガール、タチアナ・ロマノヴァ役のダニエラ・ビアンキはイタリア出身だし、クレッブ大佐役のロッテ・レーニャはオーストリア出身。ロバート・ショウはイギリス出身。


ロシアより愛をこめて」というのは、ボンドが上司のMの秘書マネーペニーに贈った言葉だった。

劇中でボンドとタチアナが乗る列車はオリエント急行で、ショーン・コネリーはのちに『オリエント急行殺人事件』(感想はこちら)に出演している。

また、トルコでのネズミが大量にいる古い地下水道の描写は『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』(感想はこちら)を思わせる。


ロッテ・レーニャ演じるクレッブ大佐も、「オースティン・パワーズ」でパロられてたなぁ(^o^)

途中で出てくるロマの女性たちのキャットファイト(原因は男の獲り合い)とか、ほんとに見世物的だし、だからこのシリーズで描かれるさまざまな国々の風俗描写は「リアル」とかどうとか言う以前の問題なのだろうし、でも映画の作り手も観客の方もそんなこと気にしてなかったんだろうなぁ。そういうところはおおらかというかアバウトというか、イイカゲンな時代だったのだな、と。今だってその辺の意識がどれほど進歩しているかわかりませんが。

ワイルド・スピード」シリーズや「ミッション:インポッシブル」シリーズなどは、007映画が作り出した「観光アクション」の伝統を踏襲してますよね。

10月13日(金) に公開されるジェイソン・ステイサム主演の『オペレーション・フォーチュン』(感想はこちら)なんて、主人公はジェームズ・ボンドと同じMI6の諜報員だし、危険な兵器を回収するために世界各地を回って任務を遂行、ってほとんど現代版007(^o^)

ただ、今じゃ007映画といえば迫力あるアクション描写、というイメージがあるけれど、特にショーン・コネリーがボンドを演じていた初期の頃ってただアクションを見せるだけじゃなくて、お色気だとか観光地巡りだとか、1本の映画の中にそういういろんな要素を含んでいたんですよね。

だからところどころ結構ユルかったりもしたんだけど、ただド派手なカーチェイスや格闘、爆発だけじゃない豊かさがあって、2時間ない上映時間でも観終わると満足感がある。

ジェームズ・ボンド(とボンドガール)と一緒に海外旅行してきたような気分を味わえる。

今回、劇場で初めてコネリー主演のボンド映画を観て、ショーン・コネリーの顔を見てるだけでも楽しかったんですよね。実に味わい深い顔の人だなぁ、と。


そして、有名な「ジェームズ・ボンドのテーマ」(作曲:モンティ・ノーマン 編曲:ジョン・バリー)はショーン・コネリージェームズ・ボンドにこそ相応しい、とあらためて感じました。

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いや、同曲はコネリーがボンド役を卒業したあともずっと使われ続けてますが、このクラシカルなメロディはやはりレトロな雰囲気満載の初期の007の世界に合うんですよ。

現代的ではないんですね。

スター・ウォーズのオープニング曲が最初の三部作にこそ相応しい(いろんなご意見があるでしょうが、僕はそう思ってます)のに似ている。作品そのものが古典的だから。

東西冷戦が背景にあって、それをスペクターが利用して世界を危機に陥れようとしたりするんだけど、物語自体はノーテンキなまでに勧善懲悪で単純明快な世界観。

そういう作品を無邪気に観ていられた観客たち。

映画ぐらい気楽に見せろよ、ってことだったのかもね。

初期作品はジョン・バリーが音楽を担当しているけれど、オープニングの曲は必ずいつもの「ジェームズ・ボンドのテーマ」にメロディが繋がるんですよね。だから聴いてて自然とアガる。

ショーン・コネリーさんが2020年に亡くなって、ジェームズ・ボンドは一度この世を去った。そして「ジェームズ・ボンド」や「007」はルパン三世ゴルゴ13のようにけっして死なない、永遠に続くシリーズの名前になった。

僕もリアルタイムではピアース・ブロスナンが主演した作品を観ていて、ダニエル・クレイグ主演版も途中からは最終作まで劇場で観たし、さらなる新シリーズが作られればきっとまた映画館に足を運ぶだろうと思います。

それでも、ショーン・コネリーさんが残した6本(と番外篇1本の計7本)は、何か特別な作品という感じがします。


女王陛下の007』(1969年作品)
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姿を消した犯罪組織スペクターの黒幕ブロフェルドの探索の任が、再びボンドに与えられる。そんな彼の前に、トレーシーという名の美女が現れる。彼女は欧州各地のマフィアが恐れるフランスの犯罪組織ユニオン・コルスの首領ドラコの娘だった。ドラコからブロフェルドの本拠地がスイスにあることを知ったボンドは、アルプスの秘密基地に単身潜入。そこで、細菌兵器を使い世界を破滅に導こうとするスペクターの恐るべき計画を知ったボンドは、その陰謀を阻止すべく奇襲作戦を仕掛ける。(映画.comより転載)

監督:ピーター・ハント
出演:ジョージ・レイゼンビージェームズ・ボンド)、ダイアナ・リグ(トレーシー/テレサ)、テリー・サヴァラス(ブロフェルド)、ガブリエル・フェルゼッティ(ドラコ)、イルゼ・ステパット(イルマ・ブント)ほか。

以前は1本きりで降板したボンド俳優、ということでジョージ・レイゼンビーは少々不名誉なイメージがあったし、なんとなくマイナーな作品、という偏見もあったのだけれど、イアン・フレミングによる原作小説のファンにはこの『女王陛下の007』は評判がいいのだそうで、また現在は世間一般でも再評価されつつあるんだとか。

クリストファー・ノーランが『インセプション』(感想はこちら)でこの映画をオマージュしたり、この映画を好きだと公言する人も増えているようで。


ジェームズ・ボンドといえばショーン・コネリー、という強い固定観念は長らくあったけど、でもすでにボンドを演じた俳優はこれまでに6人いるし、本数でいえばロジャー・ムーアは正式なシリーズの出演作品はコネリーよりも1本多いわけで、だから今となってはジョージ・レイゼンビーのボンドにも強い拒否感とか違和感みたいなものはなかった。

この作品でのレイゼンビーはフリルのついた服を着ていて、それはコネリーだったら絶対着ないだろう服装だったから、ちょっと新鮮でした。

野性味溢れるコネリー・ボンドに対してレイゼンビーのボンドはもうちょっと甘さがあって、ボンドが結婚する(偽装ではなくてほんとに)、という展開もこれまでにないものだし、その妻を無残に殺される、という衝撃のラストも、たとえばもっと年を取って枯れてからのコネリーだったら彼の悲しみの表情だけで泣けただろうけど、少なくともこの時期のショーン・コネリーの男汁滴る雰囲気にこの作品は合わなかったんじゃないかと思う。


大勢の女の子たちに囲まれて、こっそり彼女たちの部屋を訪問、というのも、ショーン・コネリーはそろそろそういうコミックキャラ的な人物を演じることに抵抗を感じるようになったのかもしれないし、だからこの作品に関して言えば、僕はジョージ・レイゼンビーでよかったんじゃないかな、と思います。


007は二度死ぬ』のエンドクレジットでこの作品のタイトルが挙げられていて「ジェームズ・ボンドは帰ってくる」と書かれていたけれど(ある時期までエンドクレジットに次回作のタイトルが出るのが楽しかったですよね)、主演も、それから悪役のブロフェルド役も前作とは別の俳優だから、不思議な感覚がある。

前作でドナルド・プレザンスが演じたブロフェルドは、彼自身が闘うことはなくてただ命令するだけ、そして失敗した部下を始末するだけの冷酷なキャラクターだったのが、この『女王陛下の007』ではテリー・サヴァラスが演じているので武闘派になってて、自らスキーでボンドと追っかけっこするし、ボブスレーに乗ってボンドとボコり合ったりもする。


頭がツルッパゲという特徴以外は前作の彼とはほぼ別キャラになってる。ボンドガールを口説いて自分の女にしようとしたり、好色そうだし。

この次の『ダイヤモンドは永遠に』ではブロフェルドはチャールズ・グレイが演じたから、これまた見た目も全然違ってるし、敵の首領のこのキャラの統一感のなさはスゴいですよね。正体不明過ぎ。

今回ボンドガールを演じたダイアナ・リグは、遺作となった『ラストナイト・イン・ソーホー』(感想はこちら)で、かつて映画の中で殺され続けた金髪の美女たちを象徴するような人物を演じてましたが、『女王陛下の007』での役柄もまさにそうで、だからそのことを意識してこの2本の映画を観るとそれぞれがより楽しめる。

ダイアナ・リグ演じるトレーシーは、犯罪組織のボスの娘でワガママに育てられたので父親にもボンドにも歯に衣着せぬ物言いをするんだけど、この時代の「強気な女性」像って「強い男」に抱きすくめられてコロッといっちゃうような描き方ばかりされてますよね。

ボンドも彼女の父親から、男の魅力で娘をモノにしてくれ、みたいなこと頼まれるし。

そういうのが「男の夢」だったんかしらね。

トレーシーはボンドと付き合い始めてイイ感じになるんだけど、ボンドがスイスのブロフェルドの研究所に行ってからはしばらく出てこなくなって、終盤にいきなり再登場する。もっと全篇に渡って活躍するのかと思ってたら、そうじゃなかった。

そのあたりも、あぁ、時代だなぁ、と。

で、最後はブロフェルドに殺されちゃう。

『ラストナイト・イン・ソーホー』を観ると、そうやって男たちに都合のいい女を演じさせられてきた女性たちの恨み節みたいなものを感じて、時代の変化を痛感するし、ダニエル・クレイグ版007の最終作『ノー・タイム・トゥ・ダイ』(感想はこちら)での女性キャラクターとの描かれ方の違いもとても面白い。『ノー・タイム・トゥ・ダイ』は従来のボンドガールの描き方へのツッコミのような作りになっていた。これまでのボンドガール像の逆をあえてやっていた。

ボンドが木に引っかかって中吊りになったままのブロフェルドを殺さずにそのまま立ち去ったせいで妻が殺されたわけで、詰めが甘いにもほどがある諜報員だけど、それにしてもこの救いのないラストはなんなんだろうか。悪者は倒されずに逃亡、妻の亡骸を抱きしめて警官に「疲れて眠ってるだけだ」と話すボンド。そして「THE END」。

今ではそのあとにもシリーズが続いてることを知っているから(一応『ダイヤモンドは永遠に』でも前作についてフォローはされていたと記憶している)、まぁ、異色の1作として楽しめはするんだけれど、でも初公開当時に観た人たちはどう感じたんだろうなぁ。…こんな終わり方ある?って思わなかったんだろうか。

しかも、今回の上映では『ダイヤモンドは永遠に』はやらないので、尻切れトンボのまま劇場をあとにすることに。

まるで『アメイジングスパイダーマン2』(感想はこちら)みたいなラストでした。


3本観終わって、007映画をもっと観続けていたい、と思いましたよ。中毒になるな、これは。ちょっとくたびれたけど^_^;

かなり駆け足でしたが、以上でひとまず007映画の感想はおしまいです。では、また11月に♪


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*1:撮影隊は現場で狼藉三昧だったそうだが。

*2:そういえば、海女さんたちも出てくるし、偶然「あまちゃん」とカブってますねw