映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』


※以下は、2011年のBSプレミアムでの放映時に書いた感想に一部加筆したものです。


スティーヴン・スピルバーグ監督、ハリソン・フォード主演の『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』。1989年作品。

インディ・ジョーンズ」シリーズ第3弾。

第62回アカデミー賞音響効果賞受賞。

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ゴルゴダの丘でキリストの血を受けたという伝説の聖杯をめぐって、インディとナチスとの戦いがふたたびはじまる。


ネタバレは特になし。

僕が劇場ではじめて観たインディ映画。

クラスメイトと観に行きました。

併映は『スタートレックV 新たなる未知へ』。

スタートレックV』は主人公カーク船長役のウィリアム・シャトナーが監督した作品だけど、なんか「神さまモドキ」みたいなのが出てきたり、ミスター・スポックの兄が出てきたりしてた。

エンタープライズ号のクルーが焚き火でマシュマロ焼いてたっけ。

なんかあまり面白くなかったよーな記憶が^_^;*1

あの当時って、まだ2本立て興行が普通だったんだよね。

いま考えると贅沢だけど、でもあの頃はお目当ての映画をもう1回観るために、そうじゃない映画を1本余分に観なきゃいけないのがけっこうわずらわしくてあまりありがたみを感じなかった。

まぁ、いまみたいに入替制じゃなくて一度映画館に入ったらその日のうちに何回観たってよかったんだから、恵まれた時代ではあったのかも(その代わりほとんどの劇場が立ち見オッケーだったので、人気作品は映画館の前に長蛇の列ができて席取り合戦も熾烈だった)。

『最後の聖戦』の公開時にNHKILMの特集番組もやってて、ヴィデオに録ってくりかえし観た。

そんな、僕にとっては少年時代の思い出が詰まったとても懐かしい作品。


1912年、ボーイスカウトのインディは遺跡で“コロナドの十字架”を盗もうとしていた盗掘団から秘宝をうばうが、十字架は白服の男の手に渡ってしまう。月日は経ち、奮闘の末ようやく十字架は博物館にもどった。

冒頭で若き日のインディを演じたリヴァー・フェニックスは、そのわずか4年後に死去。

いまでも彼の死を惜しむ人は多い。


そういう意味でもあの時代を象徴するような作品。

ところで、『レイダース』の日本語吹替版ではインディは「蛇は“生まれつき”大嫌いなんだ!!」と叫んでるけど、『最後の聖戦』ではこのボーイスカウト時代に蛇の大群のなかに落ちたのがトラウマになったことになっている。

まぁ、細かいツッコミですけどね。

TV地上波初放映はフジテレビで、そのときのインディの声は玄田哲章

シュワちゃんの声のインディにはちょっと違和感があったけど、インディの父親ヘンリーを演じるショーン・コネリーの声は007からのフィックスの若山弦蔵(※追記:ご冥福をお祈りいたします。21.5.18)で、シブくて素晴らしかった(VHSやDVD版は別の声優さん)。

当初は3部作の完結篇として、これでシリーズは終了する予定だった。

けっきょくこの19年後にさらに続篇が作られたわけだけど。


1938年。博物館のスポンサーである実業家ドノヴァンからアーサー王伝説で有名な「キリストの聖杯」の探索をもちかけられたインディ。

それには彼の父親がかかわっていた。

インディの父ちゃんヘンリーが初登場。


演じるショーン・コネリーはいわずと知れた初代ジェームズ・ボンドで有名だが、インディ・ジョーンズのキャラクター自体がもともとボンドをもとにしていて、かつてはスピルバーグも007映画の監督を熱望していた(イギリス人でなければ監督できないというプロデューサー側の方針で断念)。

そのコネリーを主人公の父親役にむかえるというのは、まさにインディがボンドの後継者的なキャラクターであることを証明することにもなった。

ちなみに『最後の聖戦』の劇中で父ヘンリーとインディが「親子丼」していた、という大変下世話な展開はコネリーのアイディアなんだそうな。

自分の役をただの好々爺で終わらせるのではなく、プレイボーイ的な側面ももたせたかったんだろうか。“血”は争えない、というわけですな。

親子役だが、実際にはショーン・コネリーハリソン・フォードの年齢は12歳しか違わない。

ショーン・コネリーは2006年に俳優業の引退宣言をしており、続篇の出演も辞退したため、4作目の舞台である1957年の時点でヘンリーはすでに他界していることになった。

1作目にも出ていたインディの上司マーカス・ブロディは、『レイダース』ではインディの父親的存在でダンディなたたずまいだったが、この映画で本物の父親が登場するので彼のキャラクターは変えられてしまって、コミカルな役柄になっている。

演じるデンホルム・エリオットは1992年に亡くなってしまったので、4作目では劇中でもすでに故人ということになっていて大学の銅像として登場する(そして遊ばれる)。


この『最後の聖戦』で「インディアナ」というのはじつはインディがかつて飼っていた犬の名前だったことがわかるが、このインディアナはプロデューサーであるジョージ・ルーカスの飼い犬の名前。また『スター・ウォーズ』のチューバッカのモデルでもある。

聖杯がおさめられていたペトラ遺跡は、古くは『シンドバッド虎の目大冒険』で、最近でも『トランスフォーマー/リベンジ』(感想はこちら)の撮影で使われている。

映画でこの遺跡を観るたびに『最後の聖戦』を思い出す。

4作目に登場するマット役のシャイア・ラブーフは『トランスフォーマー』の主演もつとめていて、“ジョーンズ一家”にはなかなか縁のある場所でもある。

以上、比較的有名なトリビアでした。


敵が1作目とおなじナチスということで、映画のスタイルも1作目のようにインディが世界各地を回るものにもどっている。

ついに総統閣下アドルフ・ヒトラーその人も登場。

「今回のヒロインのあつかいが残念」という意見もあるけど、このシリーズは3作ともインディとからむヒロインのタイプがそれぞれ違っていて(4作目は過去のヒロインが登場するので除外)、僕はそこがユニークで面白いと思うので、これもアリなんじゃないかな、と。


TVドラマ『インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険』はどうだったか知らないけど、映画版でインディの敵側に回る女性は彼女がはじめてである。

あいかわらずこのシリーズでのスピルバーグは「相手はナチだから」とばかりに敵を容赦なく殺しまくる。

ここでは「人の死」がギャグになる。

ナチスの兵士が死ぬとインディもヘンリーも嬉しそうだ。

この「人の死のエンターテインメント化」もまた007シリーズから受け継がれたものだ。

爆死する直前の戦闘機のパイロットのマヌケ面。戦車とともに崖から落ちる親衛隊将校の顔面の大写し。切断されて転がるトルコ兵の首。

そして黒幕の最期。

こころなしか4作目『クリスタル・スカルの王国』では、この「人の死のギャグ化」や残酷描写がユルくなってたような気がした。

こんなところにも締めつけがあるのか、それともスピルバーグが老いたのか(2006年の『ミュンヘン』ではあいかわらず『プライベート・ライアン』以降の残酷描写をやってたが)。


この映画をひさしぶりに観てみて、その見事なまでの空虚さ、なにもなさにちょっと愕然とした。

たとえば「親子の絆」なんてものも、この映画では形としてあるだけで(だって親子で“穴兄弟”なんて悪い冗談以外のなにものでもないだろう)、徹頭徹尾、中身がカラッポなのだ。

もちろんこれは褒め言葉なんですが。

だってカラッポなものでこれだけ観客を夢中にさせてるんだもの。

正しい「エンターテインメント作品」といえよう。

しかし、つづく4作目にはまったくノれなかった僕としては、その差が気になるのだ。

この『最後の聖戦』と『クリスタル・スカルの王国』の違いってなんなのだろう。

ひとつはジョン・ウィリアムズの音楽。

この『最後〜』の音楽はスピルバーグもシリーズ中で一番好きだといってるけど、「聖杯のテーマ」または「父ヘンリーのテーマ」ともいえるあの旋律はおごそかで勇壮で「これぞ冒険映画のBGM」と呼びたくなる。

これこそインディの「最後の」曲にふさわしいと思う。

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そういう曲が4作目にはなかった。

これは思いのほか大きい。

そして1作目は蜘蛛、2作目は虫、今回はネズミといったお約束の気持ち悪い生き物描写が4作目ではほぼCGで描かれていたこと。

すべてをコントロールされたCG製の人食い蟻の描写には、生身の生き物の生理的嫌悪感はなかった。

この『最後の聖戦』は80年代最後の年に作られ、「インディ」シリーズで最後にアナログ特撮が使われた作品である。

合成のバレが目立つのは、いまだCGではなくオプチカルプリンター(複数の映像を合成する際に使用されていた)を使った昔ながらの手法によるものだったから。

やがてすべてパソコンのなかで行なわれるデジタル合成の普及によって、撮影所で長らく活躍してきたオプチカルプリンターは無用の長物となった。

時代は移り変わったのだ。

この映画のなかでインディはヘンリーに「I told you...DON'T call me Junior!! (ジュニアと呼ぶなといったろ!)」と怒鳴ってマシンガンで敵を撃ちまくる。

つづく4作目では、今度はインディが息子から「ジュニアってゆーな!」といわれる番だ。

くりかえされる世代交代。

インディ・ジョーンズ」というキャラクター自体がもはや前世紀の遺物なのだともいえる。

インディ・ジョーンズはアメコミのキャラクターのように不死身のヒーローだが、演じる俳優はアニメやコミックヒーローのような不死の存在ではなくて、普通に年をとりやがてこの世を去っていく。

スーパーマンバットマンスパイダーマンも、そして007も、あらたなシリーズが作られさまざまな俳優が演じているけれど、『男はつらいよ』の寅さんのごとくインディには代わりの俳優がいない。

これはなかなかめずらしいことだ。

じつは現在のハリソン・フォードは、すでに『最後の聖戦』の頃のショーン・コネリーデンホルム・エリオットの年齢を越えている。

これまでならば、脇にまわって若い主人公をサポートするようなお年なのだ。

そんな彼がまだインディを演じ続けるかもしれないというのは、考えてみればかなりスゴいことだ。

いずれは、60代でジェームズ・ボンドを演じたロジャー・ムーアの記録を塗り替える日がくるかもしれない。

スター・ウォーズ』の人気キャラクター、ハン・ソロハリソン・フォード以外の俳優では考えられないように、インディもまたひとりの俳優によって作られ、やがて銀幕から去ってゆくのだろう。*2

シリーズをとおして出演してきた俳優たちも何人もが亡くなり、あるいは年老いた。

いつの日にか、インディがかつて少年時代に盗掘団の男から譲られたあの帽子を次の世代に託すときは来るのだろうか。


ショーン・コネリーさんのご冥福をお祈りいたします。20.10.31


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*1:自称“神”に向かってカーク船長が「質問があります」と疑問を呈するところなど、いかにもスタートレック的なテーマを扱っていたとは思うが。

*2:ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(感想はこちら)と『ジュラシック・ワールド』(感想はこちら)のクリス・プラットが2代目インディの候補に挙がっているそうだが、はたしてどうなりますことやら。※追記:その後、若き日のハン・ソロ役はオールデン・エアエンライク に決定。