クロード・ルルーシュ監督、ジャン=ルイ・トランティニャン、アヌーク・エーメ、ピエール・バルー(アンヌの夫)、ヴァレリー・ラグランジュ(ジャン=ルイの妻)、アントワーヌ・シレ(アントワーヌ)、スアド・アミドゥ(フランソワーズ)、シモーヌ・パリ(寄宿学校の校長)ほか出演の『男と女』。1966年作品。
第19回カンヌ国際映画祭、グランプリ。
第39回アカデミー賞、外国語映画賞、脚本賞受賞。
スタントマンの夫ピエール(ピエール・バルー)を事故で亡くした映画のスクリプター(監督の助手)のアンヌ(アヌーク・エーメ)は、娘フランソワーズ(スアド・アミドゥ)を寄宿学校に預け、パリで一人暮らしをしていた。ある日、娘に会うために寄宿学校に行った帰り、パリ行きの列車を逃してしまう。そんなアンヌにジャン=ルイ(ジャン=ルイ・トランティニャン)という男性が車で送ると申し出た。ジャン=ルイも同じ寄宿学校に息子アントワーヌ(アントワーヌ・シレ)を預けており、また、妻ヴァレリー(ヴァレリー・ラグランジュ)を自殺で亡くしていた。(Wikipediaより転載)
「午前十時の映画祭13」で鑑賞。
1960年代のフランスの恋愛映画という、自分にとってはかなり苦手な部類の作品だろうことは予想できたんですが、以前、アヌーク・エーメが出演していた『8 1/2』と『モンパルナスの灯』を観て、どちらにもピンとこなかったのが悔しくて、今回の映画祭のラインナップの中に彼女が主演しているこの映画があったので、挑戦してみようと。
アヌーク・エーメさんの魅力をぜひとも感じたかった。
是枝裕和監督の『真実』(感想はこちら)の劇中でカトリーヌ・ドヌーヴ演じる大ヴェテラン女優が「名女優」として彼女の名前を挙げていたので、ずっと気にはなっていたのです。
主演のジャン=ルイ・トランティニャンについては、マカロニウエスタンに出演したことがあるということを知っていたぐらいでこれまで出演作品を観たこともなかった。
去年亡くなられて、この映画祭では「さらばJ.L.トランティニャン」と題して、彼が主演したこの『男と女』とベルトルッチ監督の『暗殺の森』が上映されています。
『暗殺の森』もぜひ観たいと思っていますが、ジャン=ルイ・トランティニャンさんって端正な男前である一方で、失礼ながら特徴がないというか強い個性も感じさせない顔だなぁ、と。今ならちょうどパトリック・ウィルソンみたいな(ダブルで失礼)。
劇中でレーシングカーを運転しているけど、彼は実際にレーサーでもあるんですね。きっとそうだろうと思った。
観る前はさぞやお洒落で甘くてジュテームな映画なんだろうと思っていたんですが、男性の方はレーサーという設定ということもあって予想してたようなキラキラでキャッキャウフフみたいな映画ではなかった。いやまぁ、フランス映画にそんな軽いノリの恋愛作品がそもそもあるのかどうか知りませんが。
よーするに、互いに伴侶を亡くした男女が出会ってからついに、ってところまでをずっと描いてるわけで、メロドラマといえばメロドラマといえなくもない。
それも男はレーサーで、女性の方は映画界の裏方として働いていて、スタントマンの夫を撮影中の事故で亡くしている。
また、レーサーの方は、これもかつてレース中の事故で大怪我を負った際に病院に担ぎ込まれた彼を見てショックで錯乱した妻が自殺した、という衝撃的な過去を持つ。
そういうことが現実にあるのかどうか知りませんが、夫が事故死したと思い込んであとを追う妻とか、悪いけどちょっとどうなんだろ。
設定自体がかなり突飛な感じで、日常の中でリアルに起こりうる恋愛ドラマという感じじゃなくて、もう端から主人公たちが劇的な背景を負っている。
当時の観客たちは、こういう映画を観ながらスクリーンの向こうの恋にうっとりと酔っていたんだろうか。
彼らのドラマティックな過去に対して、ふたりの恋模様として描かれるのは実に地味な展開で、同じ寄宿学校に互いの子どもたちを預けているために出会い、車で送っているうちに…という、まぁそういうことはあるかもね、な小さなお話。
お喋りなアントワーヌと仲良しになるフランソワーズがカワイイ。
校長先生もジャン=ルイとアンヌの恋路を応援しているような雰囲気。
でも、ジャン=ルイは3000キロだったかのとんでもない長距離を車で移動してアンヌのもとへ駆けつけるんだよね。
そのためのレーサーという設定か?w
ふたりが一緒に過ごすバックに歌が流れる場面が三度ぐらいあって、この映画が好きな皆さんにはほんとに申し訳ありませんが、ダサいなぁ、と^_^:
ふたりの場面以外でも歌は流れていたけれど、その間登場人物たちの台詞が消えていて、音楽や歌だけがしばらく鳴っている。
この前観た007映画『女王陛下の007』はこの映画の3年後の作品だけど、やっぱりジェームズ・ボンドとボンドガールがデートしてる場面にラウンジ・ミュージックみたいな曲が流れていたなぁ。ああいう演出が流行ってたんだろうか。
たとえば1940年代とか50年代ぐらいの映画(って、そんなに観てないけど)って、今観ると古典としてカチッとした型の中で作られていることが多くて(フランス映画はどうなのかよく知りませんが)別に今さらダサいとか古いとか思わないんですが、60~70年代ぐらいの映画ってなんか演出が変わってて、ちょっとアヴァンギャルドだったり「なんでこんな演出にしたんだろう」と不思議な映像効果を使っていたり、実験的なものもあって、逆に時代を感じさせることがあるんですよね。
時々レンズが妙に汚れていてすごく気になった。ちゃんと拭きなさいよ、って。
とても鮮明に映っているところと、かなり画質が荒い場面との差が結構あって、昔の映画によくあるけれど、やはり撮影で映像を全ショット綺麗に保つのは難しかったんだろうか。
画面が場面ごとにカラーだったりモノクロになったり、青味がかったモノクロになったりするのも奇妙だった。法則性がよくわからなかった。
ジャン=ルイがポン引きみたいに娼婦らしき女性たちから金を回収する場面があったけど、ああいう表現もよくわからないんだよね。
あれはアンヌに冗談を言ってたのかな?
ジャン=ルイはアンヌ以外にも付き合っている女性がいるようでモテる男性だから、そのことを言っていたんだろうか。
フランシス・レイのあの「ラ~ラ~ラ~、ダバダバダ、ダバダバダ♪」って主題歌はめちゃくちゃ有名だし、もはやパロディにされてるほどだから、ネタ元としては、なるほど、こういう映画でこのような使われ方をしていたのね、と勉強にはなったけど、やっぱり「ダサさ」を何周もしてそのダサさをあえて愛でるような感覚で観ないと、60年代の半ばに当時のお客さんたちが観ていたように素直に憧れのまなざしでスクリーンの中のふたりを見つめることは難しい。
いや、フランシス・レイのあの主題歌は聴き惚れるほど美しいしとってもお洒落ですが、たとえば劇中で主題歌以外にも同じ曲を何度も何度も流すセンスが、やっぱり現在の映画とはかなり違うと思うんですね。
以前のレース場面でもかかった妙にサスペンスフルというか勇ましい曲が手術中のジャン=ルイの場面にもかかったりして、すっごく大仰で笑いそうになってしまった。
そういえば、アンヌの夫を演じていたピエール・バルーは音楽家でもあるんですね。だから劇中でも唄っていたんだな。ちょっとヴィンセント・ドノフリオに似てるなぁ、なんて思いながら観てましたが。しかし、あのスタントマンの事故死も、やっぱりちょっと笑いそうになってしまうんだよなぁ…。
犬を連れながら歩く老人からジャコメッティの彫刻を連想したり、時々ちょっと知的な会話もあったりするけれど、普段ジャン=ルイとアンヌはどんな会話をしているんだろう。フランス映画といえば会話劇、みたいな印象があったりもしたんだけど、この映画では彼らふたりの会話をあまり細かくは拾わない。
あの時代の雰囲気に浸る、ということでは楽しい体験だったし、顔のつくりは結構大きめなアヌーク・エーメが、それでも可愛らしく見えて、ジャン=ルイと一緒のベッドの中でも夫のことが忘れられずに気まずくなったまま朝を迎えて列車で去っていく彼女を見送りながら、「何がいけなかったんだろう。僕はどうすればいいのだろう」と自問自答するジャン=ルイもなんだか微笑ましくて、彼が最後にとる行動が車で先回りして乗り換えの駅で待っている、というのも(笑) そういうものなのかもしれない、と思わせる。
けっして難しい映画ではなかったし、変に理屈っぽくもなかったから観てよかったですが、そうか、こういう映画がカンヌでグランプリ獲ったりしていたんだな、と興味深かったです。いや、カンヌはいつだって僕の趣味とは異なる映画が受賞してますが。是枝監督の映画は好きですけどね。
フランス映画って、僕は依然ある分野──特に恋愛モノはあまり観る気が起こらないし、観ても満足感を得られることも少ないですが、たまにはこういう映画にも触れないと大事な感覚を忘れてしまう気もするし(;^_^A
再来週末から上映される『暗殺の森』はまた全然タイプの違う映画でしょうが(こちらも初めてだから内容については何も知りませんが)、楽しみにしています。
※アヌーク・エーメさんのご冥福をお祈りいたします。24.6.18