朝ドラ「虎に翼」が9月27日(金) に最終回を迎えました。
米津玄師さんの主題歌「さよーならまたいつか!」のOPフルヴァージョンが公開されていますね。
半年間聴き続けたおなじみのオープニング曲のフルVer.と新撮の部分も追加したロトスコープによるアニメーションをずっと観ていたら、このドラマを通して何十年という間の主人公・寅子(モデルは三淵嘉子さん)と大勢の人々の闘いの歴史が蘇ってきて、涙ぐんでしまった。
これまでの朝ドラ作品もそうだったように、この作品でも印象深い登場人物がたくさんいたし、彼らを演じた俳優さんたちがあらためて脚光を浴びたりもしました。皆さんの今後のさらなるご活躍を応援しています。
沙羅さんの花江ちゃんのモノマネが最高(^o^)
www.youtube.com
「おちょやん」で主人公の少女時代を演じていた毎田暖乃さんが寅子の娘・優未役(成長後は川床明日香さん。低学年時は竹澤咲子さん)で出演されてました。
例のごとく、32時間半にも及ぶ長大なドラマのエピソードを1つ1つ取り上げて語ることはできませんが、このドラマが朝ドラや日本のTVドラマに新たな1ページを加えたことは間違いないと思います。非常に挑戦的で意欲的な作品でした。
「原爆裁判」「尊属殺」、同性婚について、若者から出された「なぜ人を殺してはいけないのか」という疑問など、これまで現実に行なわれたいくつもの裁判をもとにしたり、「今」と重なるたくさんの現在進行形の諸問題、課題を次々とお茶の間に提示してみせたその姿勢は、一部からは「思想が強い」的なバッシング、そして人間ドラマに不満を持った人々からの「特に後半失速」という酷評も浴びています。
「後半失速」と強調する人たち(でも、すでに前半あたりで「脚本がヘタクソ」などと叩いてる人もいた)は、これまで朝ドラで名作とされてきた数々の作品を例に挙げて、扱われるエピソードが多過ぎること、主人公であるはずの寅子に共感できなかったり、彼女の描写にあまり力が入れられていないのではないか、人間ドラマとして記号的でリアリティや醍醐味に欠ける、といったような不満があったようで。
で、そこんとこは理解できなくもないのだけれど(それは後述するアンコール放送作品「カーネーション」などと観比べるとよくわかる)、僕はこのドラマを観終わって、これは「寅子」という女性を主人公にしながら、彼女も含めて登場人物たちを「法律」というものについて語るための「たとえ話」のような形で作劇した舞台劇みたいなものだった、と感じたのです。
杉咲花さん主演の「おちょやん」(感想はこちら)はまさしく「舞台劇」のような体裁で表現された作品でしたが、あのドラマよりもさらに抽象化された演劇を観ているようだった(寅子の母・はる役の石田ゆり子さんが犬のかぶり物をして登場する寸劇もありましたねw)。
もちろん、主演の伊藤沙莉さんをはじめ出演者の皆さんは生身の俳優で思わず見入ってしまう熱演もされていましたが、一方で人の死を直接描かなかったり、最初から決めたドラマのルール=「お約束」を最後まで律儀なまでに守り貫く、という姿勢が特徴的で、それもいわゆるリアルな人間の芝居というよりも多くの人々を一度全員まっさらな“人形”にしたうえで各自の色をつけていったような、そんな感触があったのです。生身の人間の俳優を使った「人形劇」みたいな。
人形劇の人形たちを、観客は自分たちの想像力を駆使して生きた登場人物として見ようとするでしょう。ある人物を演じた俳優が、さらにその娘を演じるような「お約束」も意識的に取り込んで、1931年から始まったドラマは最終回では1999年になっていて、しかも物語はそこで完結していない。僕たちが生きている2024年に続いている。女の一代記でもなければ主人公の身近な世界を描くハートウォーミングなお話でもなくて、100年近い、さらに続いていく壮大な「私たちの話」。
「今、私の話をしています」から「あなたの話をしています」まで。
朝ドラはこれまでもそうだったけど、 #虎に翼 で現実と同時進行のライヴ感を大いに味わった。半分“生”の舞台劇を観ているような。それは“ドラマ”だったから可能だったんだと思うよ。演説ではできないことだった。 #虎に翼
— ei-gataro (@chubow_deppoo) September 27, 2024
このドラマは「人の死」を直接描かない、ということを徹底していて、すべてナレ死かその死を間接的に暗示する方法をとっている。例外はない。それは人の命を平等に扱うということでもある。作り手のなかに確固たるポリシーがあるんだな。 #虎に翼
— ei-gataro (@chubow_deppoo) September 12, 2024
↑あ、塚地武雅さんが演じた雲野弁護士は倒れてそのまま亡くなってたかも^_^;
最終話で、寅子の娘・優未は「法律がお母さん」と語る。
法律がお母さん。これは「法律」を擬人化して“寅子”という女性として描いた物語だったと思えば、人間ドラマがリアルじゃない、みたいな不満も少しは解消されるんじゃないでしょうか。法律は人を守るもの、ということを第1話から伝えていた。だから彼女は私たちを今も見守っている。 #虎に翼
— ei-gataro (@chubow_deppoo) September 28, 2024
ただのこじつけだと思われるでしょうが、このドラマが「憲法第14条」から始まること、そしてそれで終わることを考えると、結局のところ「憲法」「法律」の重要性こそを訴えかけていたわけだし、それによって人生に大きな影響を受けたり、そのために人生をかけた人々など、数多くのエピソードの中心にあったものはずっと変わっていない。取り上げられたたくさんのエピソードは、すべて「人権」に集約されている。
だから、ドラマの中に埋め込まれ散りばめられたたくさんのピースをパズルのように組み合わせたり、自分に引き寄せたりして楽しみ、刺激を受けた人たち(僕もその一人ですが)がいる一方で、朝ドラに求めていたものと違うと感じて心が離れた人たちもいたということ。
でも、脚本を担当された吉田恵里香さんはそれも想定済みで、だから意見を異にする人々とも寅子がなんとか対話を続けていこうとする姿を描いたのでしょう。わからないことはわからないと言えばいい、と。それでも諦めない、と。吉田さんには、それだけ主張したいことがあったのだし、それは僕を含め多くの人たちに伝わっている。
「スンッ」と黙ってしまうのではなくて、反発に遭う可能性があっても語ることを選ぶ、と。疑問に対しては、「はて?」とどこまでも問うていこう。
各登場人物の細かい描写を削ってでも訴えたいことがあった。視聴者が補完する必要があるが、ピースはしっかり散りばめられている。観ながら考え、意見を交わし、新たに知る。こんなエキサイティングな朝ドラこれまでになかったもの。 #虎に翼
— ei-gataro (@chubow_deppoo) September 27, 2024
言葉に出さなくても伝わる、という阿吽の呼吸、以心伝心みたいなことを尊ぶ文化のなかで、言葉で伝え合いましょう、とメッセージを送り続ける。最後までそれを貫いたドラマだった。 #虎に翼
— ei-gataro (@chubow_deppoo) September 28, 2024
一人の人間に世界のすべてを見渡すことはできないけれど、言葉を介して私たちはつながれる。言葉の力を信じたドラマだった。 #虎に翼
— ei-gataro (@chubow_deppoo) September 27, 2024
また、観ながら同時に語る、ということに相応しい、ドラマと視聴者の垣根が低い、それは「ドラマ」というものを使ったメッセージでもあったし、でも演説とは違って物語の形をとっているから入りやすい。受け入れやすい。
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
これらの条文を今一度「国民」である僕たちが強く意識すること。そして、その大切さ、かけがえのなさ(だからこそ変えたり失くしたりしてはならないものであること)を実感するのを、このドラマは求めている。
私たち「個人」を守るために尽力した人々がいたことを覚え、そして私たちもまたただ無力なわけではなくて、声を上げて物事を良き方へ変えていくことができる存在だということ。
このドラマは、佐田寅子という一人の女性を主人公にして、彼女と同期の女性たち(&玉ちゃん)6人の仲間たちの「シスターフッド」を描きながら、彼女たち以外の無数の人々、すなわち「私たち」が誰一人として透明化されない、いないことにされない社会の実現を目指そう、と言っている。嘲笑する者たちの「股間の蹴り上げ方」をレクチャーしてもくれたし(笑)
「シスターフッド」に入れなかった、もう少しだったのに、と寅子が悔いを残すことになった美佐江のことも忘れないし、でも、美佐江の娘と寅子の娘が母親たちの死後に出会い、どこかで結びつくこと、「法律」がそんな彼女たちを守るのだ、ということを信じよう、とも言っている。
「らんまん」「ブギウギ」、そして「虎に翼」と時代が下がってきて、橋本環奈さん主演の新作「おむすび」は90年代ぐらいから描かれるようなので(※追記:実際には物語は2004年から始まりました)、「らんまん」の前の「舞いあがれ!」と重なりますね。ちょうど近現代史が一巡したような感じで、まさしくバトンを受け継ぎながらのリレーを見ているようでもある。
賛否ありますが、僕は「虎に翼」は「らんまん」から多くのクリエイターたちの手を経て積み上げられてきたものが最高の形で残された、特別な作品になったと思います。
ちなみに、BSでアンコール放送されていた「オードリー」(僕はちゃんと観られませんでしたが、こちらも現在放送中の大河ドラマ「光る君へ」の脚本家・大石静さん繋がりでしたね)が終わって、9月の最終週から新しく始まったのは「カーネーション」(2011~12)で、主演の尾野真千子さんは「虎に翼」ではナレーターを務められていました。しっかり繋がってますね。「カーネーション」で尾野さんの父親を演じていたのは「トラつば」で寅子の恩師・穂高先生役だった小林薫さんですし。リレーされてるなぁ(^o^)
でも、寅子的な視点もまた当時だってあったんだよ。そういう人々が劇中でも社会運動家として描かれていたし。いろんな世界で努力している人たちがいて、今もいる。そのことを知るのが大事。 #カーネーション #虎に翼
— ei-gataro (@chubow_deppoo) September 27, 2024
このドラマに励まされたり「私のことだ」と泣いた人々を「いないこと」にされてたまるか、と思う。そういうドラマだったからね。 #虎に翼
— ei-gataro (@chubow_deppoo) September 28, 2024
生まれた日から私でいたんだ 知らなかっただろ さよーならまたいつか!
「虎に翼」のスタッフ・キャスト、関係者の皆さん、本当におつかれまでした。宝物のような素晴らしいドラマをありがとう。