映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

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「午前十時の映画祭」で『ブラック・レイン』


リドリー・スコット監督、マイケル・ダグラス高倉健アンディ・ガルシア松田優作ケイト・キャプショー小野みゆき若山富三郎神山繁ほか出演の『ブラック・レイン』。1989年作品。PG12。

字幕翻訳は戸田奈津子

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ニューヨーク市警の刑事ニック(マイケル・ダグラス)とチャーリー(アンディ・ガルシア)はヤクザの佐藤(松田優作)を逮捕し、日本に連行する。しかし目的地の大阪に到着するなり、佐藤が仲間の手によって逃亡。言葉も通じない国で困惑しながらも、ニックとチャーリーは佐藤の追跡に乗り出す。(映画.comより転載)


「午前十時の映画祭13」で鑑賞。

今年の「午前十時の映画祭」の上映作品の中にタイトルを発見して、まず「おっ」となった1本。必ず観たいと思っていました。

劇場初公開時には僕は観ていなくて、友だちがサントラCDを持っていたのでそれを借りて聴いて、のちにTVの地上波で放送された時に(民放の地上波では大変珍しく吹替版ではなくて字幕版だった)初めて観ました。

その後、DVDも購入したけれど、人に借りパクされてもう手許にない。

大好きな映画だから、いつか映画館のスクリーンで観たいと思っていましたが、ようやく願いがかなった。

ちょうど今、僕の住んでるところでは松田優作さんが主演した鈴木清順監督の『陽炎座』(1981) もリヴァイヴァル上映されてますが、時間がカブるうえに2本の映画でどちらを選ぶかといえば言うまでもなく僕はこちらなので、『陽炎座』の方は(11/30までの上映)またいつか機会があったらチャレンジしようと思います。

以前この『ブラック・レイン』の感想は書いていますが…いやぁ、やはり感激でしたね。ついに劇場で観ることができたから。

ei-gataro.hatenablog.jp


12月1日(金) からホアキン・フェニックス主演のリドリー・スコット監督の最新作『ナポレオン』が公開されるけど、このタイミングは計算していたんだろうか。それとも偶然?

今年の「午前十時の映画祭」の上映作品が発表された時点でリドリー・スコットの最新作の日本での公開日は果たして決まっていたんだろうか。

でも、最新作の前にこの作品でアガることができて嬉しい。

リドリー・スコットの過去作は『ブレードランナー』(感想はこちら)をはじめとして「午前十時の映画祭」でちょくちょく上映されるので大変ありがたいんですが、こうして好きな作品をあらためて、あるいは初めてスクリーンで観ることができる喜びは毎度うまく言葉にできないほどで。

観終わったあとに、ごま塩頭の(って、僕もそうだが)おじさん二人組が「登場人物のキャラが全員立ってる」「松田優作、あの人は永遠だね」と盛り上がってました。

若い人も観にきていたし女性もいて、客席はわりと埋まってたから作品の人気がうかがえました。

まぁ、実際カッコイイもんな、優作さんも、それからもちろん健さんも。

“佐藤”役の松田優作さんはもちろんのこと、前の感想にも書いたけど、松本警部補のあの役は高倉健さんにしか務まらないでしょう。相手がめちゃくちゃ脂が乗りきってた頃のマイケル・ダグラスアンディ・ガルシアだもの。他の日本の俳優なら圧倒されてキャラ負けしてしまう。


引きの演技で存在感を出す健さんは唯一無二の存在だよね。

当時の高倉さんは50代の終わりだったけど(それだって、今そのぐらいの年齢でああいう貫禄を出せる俳優がいるかといったら、ちょっと思い浮かばない)、撮影時、松田優作さんは30代の終わり。そしてこの映画を撮り終えて、同じ年に40歳で亡くなった。


今、長男の松田龍平さん(1983年生まれ)がお父さんと同じ年齢になっている。あらためて、そんなに経ったんだ、と思いますが。

さすがにあの迫力や不敵な面構えは誰にも真似ができないし、優作さんのいろんな逸話も伴う役者バカぶりは今となってはちょっと社会的に通用しないものがある。だから父のあとを継ぐように同じ俳優業をやっている息子さんたちはそれぞれがまた別の個性と魅力を放っていますが、でも今回、久しぶりに観た『ブラック・レイン』の中で優作さんが見せた表情の中に、長男・龍平さんと重なるものがあったから、やはり親子だなぁ、と(俳優としてのキャリアはすでに龍平さんの方が長い)。

僕自身は恥ずかしながら、実は松田優作さんの出演作を映画館で観るのはこれが初めてです。

80年代に彼が田中裕子さんと出演した吉田喜重監督(ご冥福をお祈りいたします。22.12.8)の『嵐が丘』(1988) のことは知っていたし、もちろん『ブラック・レイン』以前から俳優として存じ上げてはいましたが、その出演作を観たことはなかった。

再放送でやってたドラマ「探偵物語」や、とんねるずやキムタクによるそのパロディを観たのは優作さんが亡くなられたあとだし、森田芳光監督の『家族ゲーム』(1983) もTV放送での視聴のみ、「遊戯シリーズ」(78~79年)も『蘇える金狼』(1979) も『野獣死すべし』(1980) も、それから唯一の監督作で主演もした『ア・ホーマンス』(1986) もタイトルは知っててもちゃんと観てはいない。

松田優作」という夭折したスター、「昭和の男」的な武骨だったり可愛かったり、ちょっと怖い昔の“役者”のイメージ、そういうものだけがあってきちんとその出演作を追ってはいないんですよね。僕が意識して映画を観だすようになった頃には、もう彼はこの世にはいなかったので。

だから松田優作さんについて知ったようなことを語れはしないけれど、それでも彼はTVのドキュメント番組などで時折特集されたりもするし、ご存命だった頃のエピソードを耳にしたり映像を目にすることがしばしばあるために、30年以上も前に亡くなったという気がしなくて。

奇しくも昭和の最後の年で平成元年である1989年に亡くなっていることからも、手塚治虫美空ひばり(いずれも同年死去)同様、「昭和の人」だったのだなぁ、と。

手塚さんもひばりさんも、やはりそんなに昔に亡くなったのだ、というのを意識するとあらためて驚かされるんですが、それにしては松田優作さんは亡くなるのがあまりに若過ぎた(手塚治虫さんは60歳、美空ひばりさんは52歳だったから、お二人とも早過ぎましたが)。

現実に松田優作さんのような“激しい人”が身近にいたら僕はきっと耐えられないだろうけれど、あくまでもスクリーンの向こう側の人だからこそイチ観客として憧れられる。

だから、同じことの繰り返しになっちゃいますが、自分がずっと好きだったこの映画を劇場で観られたこと、スクリーンに映し出された松田優作さんのあの雄姿を目に焼き付けられたことはほんとに感激です。

日本での撮影が思うように進まなくてリドリー・スコットが激おこで、その後、日本でのハリウッド映画の撮影がほとんど行なわれなくなってしまった、というエピソードなど、いろいろお察しはしますが、個人的には別に日本で撮影なんかしてくれなくて結構、とも思いますけどね。勝手にイメージした「ニッポン」を押しつけられたんじゃたまんないし、あちらの撮影隊はこれまでに現場でやりたい放題して住民の人たちに迷惑かけまくってもきてるんだから。撮影すんならきちんと現地にそれ相応の大金を落としなさいって。その後のケアも含めて責任を持てよ。

ハリウッド映画がこれまで世界中でやってきたことって、アメリカが海外でやってきた蛮行とダブるんだよね。自分たちの主張が通って当たり前だと思っている。傲慢だ。

それって、『ブラック・レイン』で主人公・ニックがぶつかった問題や来日当初の彼の態度などと見事に重なる。

僕たち日本人の立場で見れば、憎まれ役の大橋警視(神山繁)が言ってることはどれもがごもっともなことではある。ニックみたいなことをやっていては、この国で生きていくのは難しいだろう。

それでも、だからこそ、この映画で映し出される「ニッポン」は貴重でもある。

撮影は、その後、映画監督になって『スピード』(1994) や『ツイスター』(1996) などを撮るヤン・デ・ボン(最近、名前を見ないが、何やってるんだろう)。

グレッグ・オールマンが唄う主題歌「I'll be Holding On」は、今ハリウッドでこんなこぶしの効いた主題歌が流れるアクション映画なんてないんじゃないだろうか。

ハンス・ジマーによる劇伴とシームレスに繋がっていて、だから思わず聴き入ってしまうんだよね。

彼の歌が流れる冒頭でマイケル・ダグラス演じるニックが行なうバイクでの賭けレースは、クライマックスでの佐藤との死闘シーンに繋がっている。

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主題歌の間奏と同じメロディが要所要所で使われていて、僕たち観客もニックやアンディ・ガルシア演じるチャーリーとともに不思議の国ニッポンにいざなわれる。

そこはヤクザ同士が抗争を繰り広げ、海外から銃の持ち込みが容易でアメリカ人の刑事がヤクザに首チョンパされたり、相棒がその復讐のために日本の警官とともにヤクザたちを撃ち殺しまくる野蛮な世界。

若山富三郎演じるヤクザの組長・菅井は、子どもの頃にアメリカによる空襲で町が焼き尽くされて黒い雨が降った光景をニックに話す。我々はその復讐をしている、と。

彼は若い日本人たちは佐藤と同じく、日本人としての誇りを忘れてアメリカ人のように堕落した、と怒りを露わにする。

また、松本も、日本人は努力して平和を築いた、昔のアメリカのGIたちは賢かったが、今のアメリカ人は…と、ほとんど菅井と同じ内容のことを語る。

80年代のバブル期にイケイケだった日本を、アメリカ人たちはこのように分析していたんだな、と(リドリー・スコットは英国人ですが)。

そして、日本人自身もまた、菅井や松本のように考えていたのかもしれない。

彼らなりの日本人像にのっとって、誇りを持ったり、アメリカ人たちを軽蔑したりしていた。俺たちはアメリカを追い越したぞ、と。

…でも、あれから30年以上経って、同じことを言ってる人間がいたら笑い者でしょう。

確かに僕らの国はこの80年近くどこの国とも戦争をしていない。それは誇っていいことだ。どんな勇ましい言葉なんかよりも、誰がなんと煽ろうと「絶対に戦争をしない」という信念を貫き通すことは、僕たちがこれからも続けていくべき使命だ。

だけど、それはアメリカを追い越したとかアメリカに勝ったとか、そんなことではないし、菅井が語るような古ぼけた仁義だのなんだのといったことでもない。

むしろ僕たちは、ニックが松本に食ってかかったように──この国では飛び出すことを恐れて誰もがまわりに合わせて自分を抑えつけている。チームが大事、チームの一員だから、と──その指摘、外部からの批判の方にこそ目を向けるべきだろう。

僕たちはバブル期とその崩壊から30年間で一体何を学んだのだろう、と。

叩き上げの刑事であるニックは、優秀だが離婚や裁判が重なって経済的に苦しく、そのために麻薬の売人から押収した大金の中から一部を仲間の刑事とともに横領してしまう。

彼が事あるごとに「背広ヤロー」=キャリア組を目の敵にするのは、どんなに頑張って働いても報われない現状への怒りがあり、楽して儲けているように見える奴らが許せないから。

ニックの怒りには共感できるものがある。声をあげなければ、と。

アメリカ人が偉そうに説教しやがって、と感じる人もいるかもしれないけれど、図星なんだから「あいたっ」と胸を押さえて僕らは自分を省みる必要がある。

「日本スゴい」「日本エラい」と自画自賛して、外国の人たちはこの映画を、松田優作の演技をこんなに褒めている!などと悦に入ってる場合じゃない。スゴいのはこの映画と健さんや優作さんであって、俺たちじゃない。

松田優作さんも、高倉健さんも空の彼方へと旅立ち、それ以外にもこの映画に出演した何人もの日本の俳優たちが今はもういない。

マイケル・ダグラスさんやアンディ・ガルシアさん(『キャッシュトラック』→感想はこちら 運び屋』→感想はこちら)はご健在で今も映画に出演されてますね。

安岡力也さんが生前、ヴァラエティ番組でこの映画に出演したことを誇らしげに語られていたっけ。特別なことでしょうね、ハリウッド映画、それもリドリー・スコット監督の映画に出るなんてことは。

この映画はエンターテインメントのアクション物だし、だから難しいことなど考えずに俳優陣の演技、アメリカ人たちの見た「バブルの国」、その今はもう失われてしまった景気の良さ、アメリカ人が脅威を感じ敵対心すら持っていた時代にノスタルジーを感じたり、迫力ある銃撃戦や指詰めシーンに目を凝らして楽しめばいいんだけど、それだけで終わらない余韻があるんですよね。

こんなに哀愁を感じさせるハリウッドのアクション映画なんて、僕は他に思い浮かばないなぁ。

初めての劇場での鑑賞を堪能しました。

またいつか再び映画館で観られるのを楽しみにしています。

リドリー・スコット監督の最新作も観にいきますよ(^o^)


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