※以下は、2010年に書いた感想です。
キャスリン・ビグロー監督、ジェレミー・レナー主演の『ハート・ロッカー』。
第82回アカデミー賞作品賞、監督賞、脚本賞、編集賞、音響効果賞、録音賞受賞。PG12。
タイトルはアメリカ軍の隠語で「苦痛の極限地帯」「棺桶」を意味するんだそうな(ウィキペディアより)。
「戦争は麻薬である」。
観る前は冒頭のこのテロップから連想するような、主人公が戦争でハイになっていく様を映し出したもっとアクション寄りの映画かと思ってたんだけど、その後いろんな人たちの感想を読んでリアリスティックな作品だということやけっこう賛否両論あることを知った。
アカデミー賞受賞が相応しかったかどうかという議論もあるけど、それについて僕個人の考えは後述します。
以下、ネタバレあり。
一部で言われてるような単純な「アメリカ万歳映画」とは思いませんでした。
じゃあ、よかったのかと聞かれると…なんだかねぇ。
いや、映画の出来不出来の問題以前に、観てて「なんちゅう不毛な行為の繰り返しなんだろうか」といささかウンザリしてしまいまして。
もちろんそう感じさせるのも作り手の狙いの一つなんだろうけど。
第二次世界大戦後、アメリカの進駐軍に対して目立ったテロ行為を行なうこともなく、比較的従順に国を明け渡した日本人から見ると、イラクの人々の抵抗のしかたって理解をはるかに超えてる。
リドリー・スコットの『ブラックホーク・ダウン』がソマリアの現地人を人格がないエイリアンかゾンビみたいに描いてたのに比べると、この『ハート・ロッカー』では“ベッカム”少年や主人公が押し入る家の“教授”のような普通の人も登場するものの、それでもアメリカ兵の視点で描写される多くのイラク人たちは、一体何を考えてるのか、何をしでかすのかわからない不気味な存在であることに変わりはない。
どんなに親しげに話しかけてきても、いつ時限爆弾のスイッチを押すかわからない片時も油断ならない奴ら。
爆発物処理の現場を遠巻きに眺めている人たちの中にもテロリストは紛れ込んでいる。
大爆発直後に現場の周辺を平然と歩いてる者もいる。
敵と味方の区別がつかない。
偏執狂的なまでにしつこく仕掛けられた数えきれないぐらいのトラップ、頭がおかしいとしか思えない「人間爆弾」。
そこまでして守るものってなんなのか。
テロリストたちの非人道性、残虐さをこれでもかと見せつける。
観る者の怒りを駆り立てるということではたしかにとても巧妙に作られていると思います。
だから逆に「そもそもアメリカが勝手に始めた戦争でイラク人を不気味なテロリスト集団として描いて、アメリカに都合のよい映画に仕立ててある」といったような批判にも頷いてしまいそうになる。
また、この映画の自爆テロの描写はかならずしも事実通りではない、という指摘もある(たとえば、自爆テロを行なう者は洗脳されてみずから望んで死を選ぶので、映画のなかでの爆弾を仕掛けられて助けを請う男のような描写はおかしい、といったように)。
かつて、これもアカデミー賞を獲ったマイケル・チミノ監督の戦争映画『ディア・ハンター』の中で描かれた“ロシアン・ルーレット”のシーンに対して「そんな事実はない」と抗議があった。
もっともあえて断言してしまうけれど、映画はそれが劇映画だろうとドキュメンタリーだろうと関係なく基本的には「嘘」、もしくは「作り事」である(作り手の“主観”がかならず入っているという意味で)。「嘘」だから作品の価値が下がるということではない。
でも題材が題材だけに道義的な問題は残る。
まるで史実のようにリアルに描かれる戦争映画にはそういう危うさがある。
そんなわけで、一本の「映画」としては僕はおなじ年にオスカーを逃したニール・ブロンカンプ監督の『第9地区』の方を高く評価します。
あの映画はSFだから事実かどうかなんて次元の話は最初から問題ではないし、架空の世界を描きながら差別や他者との関係などについて考えさせられる寓話、しかも基本的にはエンターテインメントというところでも個人的にはこの『ハート・ロッカー』よりも出来は上だと思う。
う〜ん、でもなぁ、難しいなぁ。なんか簡単に切って捨てられないというか。
見ごたえある作品なのもたしかだから。
観た人たちがいろいろと議論することにはおおいに意義があると思うし。
さっきから奥歯にものが挟まったよーな書き方してますが、とにかくアメリカとイラクの関係、戦場の実態については知らないこと、わからないことが多すぎて。
こう描けば正解、というものがあるわけじゃないんで。
ただ、作品のテーマ云々はちょっとおいといて撮影技法についていうと、あの「24」調の手持ちキャメラで小刻みに繰り返されるズームは観てて非常に煩わしかった(観てるうちにだんだん慣れてはきたけど)。
“ズーム”ってのは「今、ここを強調したい」ってとこにパッと使うから効果があるんであって、ああやたらと無意味に繰り返されると、むしろ単調な印象を持ってしまって映像を見つめてるのが苦痛になってくる。
『プライベート・ライアン』以降、戦場の臨場感を出すために神経症的なキャメラの動きを利用する、っていうのはもうルーティンになってしまってて正直ちょっとイライラする。
いわゆる“ドキュメンタリー・タッチ”なヴィジュアルが『第9地区』とカブる場面も多い。
戦争映画は記録キャメラ風に手持ちじゃなきゃダメ、っていう決まりはないんだから、そろそろフィックスの長廻しで撮ってみるとか、別の手法を使ってみてもいいんじゃないでしょうか。
主人公を演じるジェレミー・レナーはこの作品で初めて見たけど、新007のダニエル・クレイグをさらにワイルドにしたような顔つきでいかにも体育会系の工兵っぽい雰囲気を醸し出してて適役でした。
酒呑みながら腹にパンチを食らわし合うマッチョたちのじゃれ合いは、なんだか飲み会で仲間同士で根性入れ合う格闘家とかスポーツ選手を見てるようで、筋肉男たちってどこでも変わらんな、と。
クライマックスのあとに仲間の一人の涙を見て主人公が言う「俺は何も考えてない」という台詞。
しかし、そんな彼がおそらく考えに考えた末に下した決断。
それは愚かな行為なのか、それとも気高い行為なのか。
判断はつきかねるのだった。