ジュルジュ・パン・コスマトス監督、リチャード・ハリス、ソフィア・ローレン、マーティン・シーン、O・J・シンプソン、リー・ストラスバーグ、エヴァ・ガードナー、ファウスタ・アヴェリ(カテリーナ)、ジョン・フィリップ・ロー(スタック少佐)、アン・ターケル(若い女性客)、レイ・ラブロック(若い男性客)、ルー・カステル(テロリスト)、ライオネル・スタンダー、アリダ・ヴァリ、イングリッド・チューリン(ストラドナー博士)、バート・ランカスターほか出演の『カサンドラ・クロス』。1976年作品。
音楽はジェリー・ゴールドスミス。
原作なのかノヴェライズなのかよくわかりませんが、ロバート・カッツによる小説「カサンドラ・クロス-大陸縦断列車抹殺計画」があります。
ジュネーブにある国際保健機構に侵入した過激派ゲリラが研究中の伝染性病原菌を浴びたまま逃亡。追跡調査を開始したアメリカ陸軍情報部のマッケンジー大佐(バート・ランカスター)はゲリラが大陸横断列車に乗り込んだことを掴む。客を乗せたまま密閉された列車はコース変更し、カサンドラ・クロスと呼ばれる鉄橋へ向かうことに。大佐は細菌の処理と事件の隠蔽をたくらんでいたのだ。チェンバレン博士(リチャード・ハリス)を始めとする乗客たちは抵抗を試みる。(映画.comより転載)
「午前十時の映画祭13」で鑑賞。
今年観る最後の「午前十時の映画祭」上映作品。
今年はパニック映画『タワーリング・インフェルノ』(感想はこちら)やオカルト映画『エクソシスト』(感想はこちら)(そういえば、来年はデ・パルマ監督の『悪魔のシスター』も劇場公開されるんだっけ。観たい!)など、70年代の娯楽映画を劇場で観る機会があって、この『カサンドラ・クロス』も同時代の有名パニック作品ということで、今年の「午前十時の映画祭」を締めくくるのにぴったりの映画でした。
僕は70年代の映画はリアルタイムでは観てないので90年代に雑誌「映画秘宝」のムック本でその存在を初めて知ったと思うんだけど、『カサンドラ・クロス』はその後もずっと観る機会がなかった。
まぁ、「映画秘宝」はご無沙汰だし、最近いろいろあって復刊するとかしないとか言ってるけどおそらく僕は今後も手に取ることはないと思いますが、ともかく90年代にはお世話になったし大いに影響も受けたので、その事実だけは記しておきます。
『タワーリング~』や『エクソシスト』同様、とても面白かった。
僕は70年代当時のトレンドを知らないから、主演がリチャード・ハリス、というだけでいかついなぁ、と思いますが。ヒロインはソフィア・ローレンだし。
だって、思いっきり悪役ヅラじゃん、若い頃(っても当時40代半ばだが、とてもそうは見えない枯れ方)のリチャード・ハリスって^_^;
僕は『グラディエーター』(感想はこちら)や「ハリポタ」の初代ダンブルドア校長など、おじいちゃんになってからの彼しか知らないし、リチャード・ハリスさんの主演映画を観るのはこれが初めて。イーストウッドの『許されざる者』(1992年作品。日本公開93年)にも出てて、ジーン・ハックマンにシバかれてたなぁ。
でも、ソフィア・ローレンさんはもちろんだけど、あの頃はリチャード・ハリスさんも売れっ子だったんでしょうね。出演作いっぱいあるようだし。
しかし、オールスターキャスト、と呼ぶにはなんとも言えず渋い面子が揃っている。
マーティン・シーン演じる若いツバメと一緒に旅行している武器商人の妻役がエヴァ・ガードナーだったこともあとで知ったし、アリダ・ヴァリなんて、眼鏡をかけて「カテリーナ!」と自分の娘の名前を呼んでるだけの乗客のおばさん役なので、彼女が眼鏡をはずすまで『第三の男』のあの女優さんだということに気づかなかったほど。
マーティン・シーンは同じ年にジョディ・フォスター主演の『白い家の少女』にも出ていて、今回とほとんど同じような(髪型も)イヤな感じの男を演じてた。
そんで、両方の映画で○ぬ。今回は、イケメンだけど気が小さくて(背も低い)、エヴァ・ガードナーには鼻であしらわれてるし、リチャード・ハリスに怒鳴りつけられたらあっけなく子犬のように彼の言う通りにする。
そんで誰よりも危険な役目を担わされて、でも案の定、列車から落下。哀しい男^_^;
だけど、『タワーリング~』もそうだったように、イイ顔した中年や年配の俳優たちが普通に出てるパニック映画ってリアリティがいや増すよね。
そして、『タワーリング~』に続いて、ここでもO・J・シンプソンが。この人、ほんとにイイ味出してるんだけど、現実の世界ではクズ野郎だったのがなんとも残念。
若い男女のカップルで途中で感染してしまう女性・スーザンを演じているアン・ターケルって、当時はリチャード・ハリスと結婚していたんですね。年の差婚か(のちに離婚)。
バート・ランカスター演じるマッケンジー大佐の部下のようでありながら、実は…というスタック少佐を演じていたジョン・フィリップ・ローって、『バーバレラ』(1968年作品) の天使・パイガーや『シンドバッド黄金の航海』(1973年作品。日本公開74年)のシンドバッド役の人だったんだな。これは男前だわ(^o^)
国連のストラドナー博士役のイングリッド・チューリンは、これまで彼女が出演した映画を観たことがなかったけれど、イングマール・ベルイマン監督作品の出演者として名前だけ知っていた。ベルイマン作品も僕はまったくといっていいほど観ていないんで、いつか機会があったら挑戦したいなぁ。
ジェリー・ゴールドスミスによるテーマ曲がまたムード音楽っぽくて、あの当時をしのばせる。パニック映画なのになんか妙に哀愁が漂っていて、一気にあの時代にタイムスリップしたような気分に。何度もリピートして聴きたくなっちゃう。
冒頭、ヘリコプターによる空中ショットの長廻しがずっと続いて、ジュネーヴの国連保険機構本部のビルにキャメラが寄っていく。
ラストは逆に同じビルからキャメラが遠ざかっていく。このオープニングとエンディングがほんとにいいんですよね。
ジュルジュ・パン・コスマトスという監督の名前、なんか見覚えがあると思ったら、『ランボー/怒りの脱出』(1985) のジョージ・P・コスマトス監督のことだったんですね。
映画の冒頭で、スイスの国連のビル内にアメリカによって兵器用として作られた病原菌が保管されていたことが判明して、それを浴びた者によって被害が広がっていく様子には、どうしても現在の新型コロナウイルスによるパンデミックを重ねずにはいられないし、ウォルフガング・ペーターゼン監督、ダスティン・ホフマン主演の『アウトブレイク』(1995) を思い出したりもする。
前半はじわじわと細菌兵器の怖さが迫ってくるのをパニック映画として順当に描いていくんだけど、終盤になって突然アクション物に変化する。そこんとこはいかにものちの『ランボー2』の監督、といった感じ。
神経科医なのに急に銃を手にして撃ち合いを始めるチェンバレンとか、登山家だからということで走る列車の外側を伝って機関部に向かおうとするナヴァロ(マーティン・シーン)など、リアリティなどそっちのけで勢いで話が進んでいく。
そりゃ1000人を救うためとはいえ、政府の人間たちを躊躇なく撃ち殺すとか、いきなり過ぎないか。
今だったら、主演をドウェイン・ジョンソンで元・特殊部隊という設定なんかでやりそうだけどw
さすがにマーティン・シーンが列車の屋根から顔を出す合成ショットには冷めるけど、クライマックスの橋梁の崩落シーンは見応えがあって、阿鼻叫喚の図はまさに「パニック映画」のそれ。容赦なく人が死に、死体が川に浮いている。
長距離列車を舞台にタイムリミットが迫る展開は日本の『新幹線大爆破』(感想はこちら)を彷彿とさせるし、パンデミック物なんだけど登場人物たちの人間模様がじっくり描かれていて、途中でフォークソングみたいなの唄ったりしてるし、『オリエント急行殺人事件』(感想はこちら)的な旅情を感じさせる部分もある。いずれも同じ時代の作品ですが。
それにしても、なんでソフィア・ローレンだったんだろう。アメリカ映画の、しかもパニック・アクション物に彼女をキャスティングした理由が知りたい。
リチャード・ハリスとソフィア・ローレンという組み合わせはとてもよかったし、だからなんだかオトナの映画を観てるようだった。
別れたものの、どこかでまだ惹かれ合っている男女。
「一緒に煙草を吸いましょう」とか言って、1本の煙草をふたりで吸ったり。
『タワーリング・インフェルノ』もそうだったように、アクションオンリーではなくて(もちろん映像的に迫力ある場面はありますが)、端々に主人公たちの背景の物語を想像させる会話があって、それがなんともいえない余韻を残すんですよね。
そして、70年代ということもあってか、ラストはけっしてわかりやすいハッピーエンドではない。そこんとこは80年代のこの手の映画と如実に違う。
リー・ストラスバーグは一見可愛らしいおじいちゃんなんだけど、『ゴッドファーザー PART II』(感想はこちら)の演技が印象的だっただけに、なんか闇を抱えてそうで。
で、実際、彼が演じる時計売りの老人・カプランはかつて第二次世界大戦時にポーランドの強制収容所でナチスによって妻子を殺されていて、自身も心身に傷を負った。だから自分が乗る列車がポーランドのヤノフの隔離施設に向かっていると知らされて過去のトラウマが蘇り、発作的に逃亡しようとして撃たれる。
この映画が作られた当時は、第二次大戦終結からまだ30年ほどで、カプランのような人々は大勢存命だった。
そういう妙なリアリティもある。
ちなみに、劇中で「カサンドラ・クロス橋梁」として使われているのは「ガラビ高架橋」というフランスにある実在する橋で、ということは、戦時中にカサンドラ・クロス橋梁の下の住民たちが退去したり、その後使われなくなっていて…みたいな話は全部フィクションなんだろうか。それとも、モデルになった橋梁があるのかな?
1000人の乗客が乗っている列車を丸ごと抹殺しよう、という発想が非現実的、と言いたいけれども、今現在某国によるジェノサイド(虐殺)はまさに世界中が注目している中で堂々と行なわれているわけで、不都合な存在はこの世から消してしまえ、という権力者側の暴走は実は非常にリアルなものだったりする。本当に恐ろしい話だ。
そして、作戦の指揮を執っていたマッケンジー大佐もまた、秘密を知る者の一人としてストラドナー博士同様に監視される対象となる。密命を受けた部下のスタック少佐によって。巨大な権力から見れば、私たちはただの駒に過ぎない。
鉄橋からの落下をまぬがれて生き残ったチェンバレンや彼の元妻・ジェニファー、その他の乗客たちも、これから無事でいられる保証はない。
いかにも70年代な悲観的なラストだけど、どこか現在の不安定な世界をそのまま映し出しているようにも思えて戦慄を禁じ得ない。