映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

『ボルサリーノ』


ジャック・ドレー監督、ジャン=ポール・ベルモンドアラン・ドロン、カトリーヌ・ルーヴェル(ローラ)、ミシェル・ブーケ、アーノルド・フォア(マレロ)、フランソワーズ・クリストファ(エスカルゲル夫人)、コリンヌ・マルシャン(リナルディ夫人)、クリスチャン・ティリティレ(ダンサー)、アンドレ・ボレ(ポリ)、ニコール・カルファン(ジネット)、ローラ・アダニ(ロックの母)ほか出演の『ボルサリーノ』。1970年作品。

原作はウジェーヌ・サッコマーノ著「Bandits à Marseille」。

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1930年代のマルセイユ。3カ月の刑期を終えて出所したロック・シフレディ(アラン・ドロン)は、自分の女であるローラ(カトリーヌ・ルーヴェル)をめぐってフランソワ・カペラ(ジャン=ポール・ベルモンド)という男と殴り合いになるが、そのケンカ沙汰をきっかけに2人の間には奇妙な友情が芽生える。ギャングとしての野望を達成するため、シフレディとカペラは街の大物ギャングたちを翻弄し、マルセイユを手中に収めていくが──。(映画.comより転載)


去年、「ジャン=ポール・ベルモンド傑作選3」で何本かのベルモンド主演映画を観て、今年は「午前十時の映画祭13」で彼とアラン・ドロンの共演作が上映されるということで楽しみにしていました。

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ジャック・ドレー監督は、80年代にはベルモンド主演で『パリ警視J』も撮っています。

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『ボルサリーノ』ってタイトルは以前から知っていたし、TV放映されたものを録画したヴィデオを90年代に先輩に借りたかなんかして観た記憶があります。

吹替版だったと思うんだけど、山田康雄がベルモンドの声を、野沢那智がドロンの声を演じたヴァージョンだったかどうかは覚えていません。

それ以上に内容もまったく覚えてないんで、『ラ・スクムーン』同様、ほんとにちゃんと観たのかどうかさえも、もはやさだかではない。

アラン・ドロンがつけたというこの映画タイトル──高級帽子ブランドの“ボルサリーノ”は日本の某政治屋のお気に入りだとかでなんかイメージ悪いですが、それは帽子メーカーのせいじゃないしなぁ。

ボルサリーノってイタリアのメーカーなんですね。この映画はフランスとイタリアの合作だし、登場人物たちもイタリア系の名前だったりするのはそういうわけか。

だからなのかなんなのか、ドロン演じるロックは母思いとして描かれている。

僕はアラン・ドロンの映画を劇場で観るのはこれが初めてで、これまでにBSで『太陽がいっぱい』(1960年作品) や『地下室のメロディー』(ベルモンド主演の『冬の猿』や『華麗なる大泥棒』のアンリ・ヴェルヌイユ監督の1963年作品)を観たぐらいで、名前だけは知ってても彼の作品をちゃんと観たことがなかった。

だから、ともかくこうしてベルモンドとの共演作という形で映画館で鑑賞できて嬉しい。

映画が始まってまず連想したのは、アーサー・ペン監督の1967年(日本公開1968年)のアメリカ映画『俺たちに明日はない』などのアメリカン・ニュー・シネマ

そして72年から作られた「ゴッドファーザー」とその続篇。

ゴッドファーザー』の1作目よりも前の作品だけど、イタリア系を意識してることもあって、仲間たちの描写など重なるところがある。

『ラ・スクムーン』も似たような時代を舞台にしてました。


相変わらず不勉強なためにアメリカ映画とフランス映画のギャング物の関係も知らないし、互いにどのように影響を与え合ったのかもよくわかりませんが、成り上がり者たちの富と地位をめぐる抗争、復讐や友情など、扱っている題材は同じようなものだから、男たちの話が似通ってくるのも無理はないのかもしれない。

『ラ・スクムーン』もそうだったように、殴り合いの喧嘩やボクシングのシーンなど最初はちょっとユーモラスな雰囲気も漂わせた物語として始まるんだけど、やがて血生臭い殺し合いになっていって最後は悲劇で終わる。

ベルモンドもドロンも女性たちの扱いが乱暴だし常に命令口調。「座ってろ」と言ったり「行くぞ」と言ったり。そのたびにハンガーにかけてあった上着を着たり脱いだりするのを繰り返すローラ(カトリーヌ・ルーヴェル)。それを面白いことのように描写する。


もともとドロン演じるロックの恋人だったローラは、彼の服役中にベルモンド演じるフランソワと付き合いだしたのだが、まるで彼らのモノ扱いで、料理が得意だとか、聞き分けがいい、みたいなところを褒められているけど、常に男たちの顔色をうかがっていてほとんど家政婦や小間使い。

それは彼らがヤクザ者なんだから当然なのかもしれないけれど、見ていて気持ちのいいものではない。

また、フランソワはローラがいながら、ジネット(ニコール・カルファン)という娘に好意を持って、彼女が暗黒街のボス、ポリ(アンドレ・ボレ)の愛人と知りながらボートに誘ってわざわざギャングの親玉を挑発する。

ジネットは彼女に声をかけてきたフランソワの苗字「カペラ」を「変な名前」と言ったり、自分の自動車も持っていて一見自由奔放な女性だが、ポリがまわりには“娘”と紹介しながらも実際は彼の「女」として囲われている。

そして、ジネットはポリの縄張りである食肉工場を襲撃しようとしたフランソワに、ポリの罠だと知らせようとしてそれが露見して殺されてしまう。

彼女のあまりにあっけない退場に面食らった。

ここでも、ベルモンドは好きだった女性が殺されても取り乱すことも激昂することもなく、遺体を見下ろしながらほんのちょっと顔をしかめるだけ。

女たちは常に男たちに尽くすか犠牲になるかというきわめて弱い立場にある(出演していた女優さんたちは皆さんお綺麗だったし、演技も堂に入ってましたが)。

ゴッドファーザー」でも、それから『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』でも、女性たちは「男の仕事」に口を出さず従順であることを求められていた。

西部開拓時代の終わりを描いた1969年(日本公開70年)の『明日に向って撃て!』も、舞台となる国や時代は異なっていても、男たちが犯罪で手を組んで成り上がろうとする話でした。

「普通」の地道な生活など捨てて、ひたすら壮大な「夢」を追うことこそが真の男の生きざまなんだ、とばかりに。

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明日に向って撃て!』の感想にも書いたように、これらの映画が作られて公開された当時には観客──特に男性たちにとって、無茶をやって恋人に呆れられたり時に愛想を尽かされたり、あるいは、そんな男に惚れ込む女たちがいたりして、たとえ身の程を知らない愚かな野望だとしても大志を抱いて突き進んでいく(そして最後には命が果てたりもする)生き方に憧れたり、影響されたりする、大いに共感できる世界だったんでしょう。それは弱者や女性たちを踏みつけたうえでの「男の世界」だった。


でも、2023年の現在の目で見ると、ここで描かれる男たちの殴り合って友情を深めたり、てっぺん目指して互いに殺し合う「有害な男らしさ」は、もはや憧れでもなんでもない。ただただ迷惑なだけ。

魚市場でわざわざ腐った魚を売り場に紛れ込ませて難癖つけたり、それがバレると暴れて市場を滅茶苦茶にしたり、それらを愉快なことのように描いているけれど、観ていてムカムカするだけだった。

それでも、ジャン=ポール・ベルモンドの愛嬌やアラン・ドロンの暗い美貌がこの映画を救っているし、出演者たちは好演していて、だから『俺たちに明日はない』や『明日に向って撃て!』が今観ても魅力的なように、人によっては映画を観ている間だけは羽目を外し、無軌道に生きる“ならず者”たちの姿に自分を仮託して憂さを晴らすことができるかもしれない。

まぁ、ギャング映画とかヤクザ映画なんて、そうやって楽しむものでしょうから。

自分よりも上の立場の者たちに牙を剥いてその地位を奪おうとする、フランソワやロックのその反逆精神にかつての観客たちは社会に対する復讐心を重ね合わせて観ていたんでしょう。

ジャン=ポール・ベルモンドの顔つきが他の映画以上に「コブラ」っぽくてちょっと笑った。葉巻吸ってる顔なんてそのまんまだもんね。

70年代には「男らしい」とされて憧れられたジャン=ポール・ベルモンドは2021年に亡くなり、世紀の美男子だったアラン・ドロンは旧友の死を悼みながら現在は謎の日本人女性に苦しめられている。

男が女を平手打ちして銃を撃ちまくって悦に入っていた時代は終わった。

銃で人の命を奪う者は強くもたくましくもないことを、僕たちはもうよく知っている。

漫画「コブラ」の原作者・寺沢武一さんも亡くなりましたね。ご冥福を。23.9.8

『ボルサリーノ』は続篇もあるそうで、ベルモンドが最後にああなっちゃったのにどうやって続きをやるんだろ、と思っていたら、2作目はアラン・ドロン単独主演だったんですね。そして内容が暗過ぎてコケたのだとかで。

あの当時って、続篇が忘れ去られることって多かったよーな気が。

登場人物たちの服装とか背景の美術など目に楽しいところもあるんだけれど、ギャング映画だからレトロな世界に酔うというよりは特に敵も味方もどんどん殺されていく後半は陰惨な印象が強くて、最初にロックを密告した“ダンサー”(成り上がってギャングのボス、マレロの右腕になるところなんかは北野武監督の「アウトレイジ」シリーズの加瀬亮みたいだった)がミシェル・ブーケ演じるリナルディ弁護士殺しの下手人なのはわかりきっているので、『ゴッドファーザー』や『ゴッドファーザー PART II』のようなギャング同士の騙し合い、裏のかき合いの面白さはあまりない。

リナルディ役のミシェル・ブーケは『暗黒街のふたり』(1973年作品。日本公開74年)でもドロンと共演していました(これも確かBSで観た)。

僕は大好きだった映画『トト・ザ・ヒーロー』(感想はこちら)の主演男優として記憶しています。

10年前に彼主演の『ルノワール 陽だまりの裸婦』も観ました。

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去年96歳で亡くなっていますが(ご冥福をお祈りいたします。22.4.13)、『ボルサリーノ』に出てた時は40代半ばだったんですね。ちょっとそうは見えませんが^_^; 思ってたよりも若かったんだな。


あまり褒めてないですが、でも観てよかったし、普通に面白かったですよ。

昔の映画、それもフランス映画は観ていないものが山のようにあるので(観たことがあっても忘れてるし)、これからもまたこういう機会に劇場に足を運びたい。

では、Au revoir !



アラン・ドロンさんのご冥福をお祈りいたします。24.8.18


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