映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

『欲望の翼』『いますぐ抱きしめたい』


WKW ザ・ビギニング」と題してウォン・カーウァイ監督の初期の2作『いますぐ抱きしめたい』と『欲望の翼』が12月8日(金) から4Kで全国順次公開されていて鑑賞。

hark3.com


鑑賞日は同じ日でしたが、上映の順番の都合で2作目の『欲望の翼』を先に観ました。

2本とも90年代にTVで放送されたものだったか、それともレンタルヴィデオでだったか(確かTV放送されたものを録画したんだったと思うが)観てはいるはずなんですが、いつものように内容は覚えておらず、ほとんど初見のような気持ちで臨んだのでした。

いますぐ抱きしめたい』でジャッキー・チュン演じるジャッキーが小便漏らすとこだけはなぜか覚えていた。

去年、ウォン・カーウァイ監督の過去作品5本が4K化されて上映されたんですが、その中に含まれなかった上記の2本がファンのリクエストに応えて今回公開されることになったのだそうで、嬉しいんだけど、なぜこのタイミングで、と。

ameblo.jp

ameblo.jp

ameblo.jp


こういうリヴァイヴァル系はいつまで上映されるかわからないから早めに観ておかないとあっという間に終わってしまいかねなくて、まだしばらくやってそうな新作映画よりもなるべく優先しているんですが、おかげでまた新作が観られない^_^;

せめて年明けぐらいにやってほしかった。

いや、こうして劇場でまたウォン監督の映画を楽しめるのは、とてもありがたいですけどね。僕は2本とも劇場では初だから。


欲望の翼


出演:レスリー・チャンマギー・チャン、カリーナ・ラウ、アンディ・ラウレベッカ・パン、ジャッキー・チュントニー・レオンほか。1990年作品。日本公開92年。

www.youtube.com

www.youtube.com

「1960年4月16日3時1分前、君は僕といた。この1分を忘れない。君とは“1分の友達”だ。」ヨディ(レスリー・チャン)はサッカー場の売り子スー(マギー・チャン)にそう話しかける。ふたりは恋仲となるも、ある日、ヨディはスーのもとを去る。ヨディは実の母親を知らず、そのことが彼の心に影を落としていた。ナイトクラブのダンサー、ミミ(カリーナ・ラウ)と一夜を過ごすヨディ。部屋を出たミミはヨディの親友サブ(ジャッキー・チュン)と出くわし、サブはひと目で彼女に恋をする。スーはヨディのことが忘れられず夜ごと彼の部屋へと足を向け、夜間巡回中の警官タイド(アンディ・ラウ)はそんな彼女に想いを寄せる。(映画.comより転載)


レスリー・チャンの主演映画は今年『さらば、わが愛 覇王別姫』も観ていて、だから同じ年にこの『欲望の翼』も観られたのはよかった。

ei-gataro.hatenablog.jp


去年の『ブエノスアイレス』とともに、これまで観られなかった、あるいは僕は映画館では初めての彼の主演映画がこのように立て続けに鑑賞できる機会があるというのは、今年がレスリー・チャンさんの没後20年ということが大きいのでしょうが、今から30年以上前の映画が4K化されて上映されることが多くなってきたこともあるし、だから彼の映画を観るたびにこの30年、20年、という歳月の経過を感じるのです。

僕はレスリー・チャンさんのファンというわけではないし、これまでに彼の出演した映画をそんなに観てもいないんですが、チェン・カイコー監督による『さらば、わが愛』は見応えがあったし、この『欲望の翼』はウォン・カーウァイ監督作品ということもあって、ぜひ押さえておきたかった。

初めてウォン作品を手掛けたクリストファー・ドイルの撮影、緑色がかった画面、部屋の剥がれた壁紙、電話や時計、劇中でカリーナ・ラウが雑巾で拭く乾いた床、『ブエノスアイレス』でレスリー・チャンが演じた役柄とほとんど同じな成長を拒むかのような主人公。その後のウォン・カーウァイ作品を思わせる要素がいっぱい。

よく知らないから、なんとなくのイメージだけで語りますが、石原裕次郎が出てた頃の日活映画みたいな雰囲気なのは、1960年が舞台だからというだけではなくて、レスリー・チャン演じるヨディの刹那的な生き方や相手の女性に対する態度、親=おとなへの屈折した想いや反抗など、重なるものを感じさせるから。

身勝手で、カッコつけしいで、キザな台詞を吐いて女性をその気にさせたと思ったら、冷たい態度で「黙ってろ」「関係ないだろ」などと言い放ち、相手が結婚を望むと拒絶する。

「働くのは嫌いなんだ」などと抜かして元ホステスで経済的にある程度余裕のある母親の金で自堕落な生活を送り、若い女性を虜にしては捨てるほんとに「クズ」なんだけど、でもこういう男はモテるんだろーなぁ、と思わせる。

ブエノスアイレス』を観たあとだから、同じレスリー・チャンの演技を堪能できたけど、主人公の行動だけ見てると胸糞が悪くなってくる。

母親が血が繋がっていなかったことで傷ついて彼女にキツくあたってきたようだけど、そしてそういう身の上の人も世の中にはいるのでしょうが、別に生活に困っているのでもなくて好き放題やってるんだし、彼が苦しむ理由がよくわかんないんですよね。

大切に育ててくれた母をどうして愛せないのか。あるいは、彼女への愛を素直に表現できないのか。母にずっと束縛されてきた、と言いながらも、その母が新しい恋人とともにアメリカへ去ろうとすると引き留めようとする。甘え切ってるし、矛盾している。

実の母親に会いたい、と思うこと自体はごく自然だし、やがて彼は育ての母に教えられた通り実母に会うためにフィリピンに旅立つんだけど(しかし会うことはかなわない)、最初から自分に酔ってるようなヨディの人物像に好感は持てなかった。

悩んだり自暴自棄になるのは勝手だが、いちいち無関係な女性を巻き込むなよ、と。

ただ、演じるレスリー・チャンさんご本人の最期を知ったうえで観ると、やはりヨディの人生には悲劇性が色濃く滲み出ていて、『ブエノスアイレス』がそうだったように映画と主演俳優の現実の人生がどこかでリンクするような部分はある。

40代半ばで自ら命を絶ったレスリー・チャンさんもまた、成熟を拒絶するようなところがあったのだろうか。

ヨディがサッカー場売店で声をかけ、付き合い始めるが彼女が「結婚」を口にしたために別れることになるスー役のマギー・チャンは、『花様年華』で同姓同名の人物を演じていたし、だからこの『欲望の翼』のあとに続けて『花様年華』を観ると、その後のスーの物語のように感じるかもしれませんね。

ヨディの養母役のレベッカ・パンは、『花様年華』ではスーが住むアパートの大家を演じていました。


欲望の翼』という邦題はいかにも90年代頃に付けられた意味不明な「雰囲気タイトル」に思えるけれど、ヨディが劇中で語っていた「脚のない鳥」の話はテネシー・ウィリアムズの戯曲「地獄のオルフェウス」から引用されたものだそうだし、テネシー・ウィリアムズといえば「欲望という名の電車」の人ということで、だから一応考えて付けたものなんだろう。意味はよくわからんが。

この次に観た『いますぐ抱きしめたい』という邦題は、一体どこから取ってきたのか知りませんが。そんな映画じゃなかったし。

スーのあとにヨディと出会って付き合い始めるミミはスーとは対照的に自分の方から積極的にヨディを求めるし、別れる時にもスーのようにおとなしく身を引くのではなくてジタバタと抵抗する。それでも、誰にでも惹かれるわけではない。彼女なりの矜持があるし、ヨディの母にもきちんとお礼を言って立ち去る。


ヨディのことが簡単に忘れらない、ということではスーもミミも同じだが、二人の女性は典型的な性格分けをされていて、ヨディはスーに自分が最初にかけた「この1分」の言葉を最期まで覚えているし、一方のミミはちょっと損な役回りではある。

だけどミミを演じるカリーナ・ラウは僕の目には『天使の涙』のカレン・モクを思わせるコケティッシュでユーモアのあるとても魅力的な女性に映ったし、彼女の存在があったからこそマギー・チャンが際立ったんだと思うんですよね。

マギー・チャンは『いますぐ抱きしめたい』でもほとんど同じように主人公の男に付き添って、やがていろいろ振り回されもする女性を演じていて、確かに彼女の静的なイメージは絵になるし、ウォン・カーウァイの映画って物語を語るよりも「画」で感じさせるようなものが多いから被写体にしたいというのはよくわかるんだけど、どの作品も同じような「待つ女」「寡黙な女」なのがねぇ…。


彼女がもっと動き回り、自分の意見をどんどん主張していくような映画が観たいと思ってしまった。『宗家の三姉妹』(監督:メイベル・チャン 1997年作品。日本公開98年)では、どうなんだろう。こちらも僕は観ていないんですが。

アンディ・ラウ演じる警察官は、スーに好意を寄せる控えめな役柄ではあるものの重要な登場人物で、スーの話を聞くことで彼女をヨディから解放する。

やがて船乗りになった彼は、フィリピンで偶然ヨディと出会い、彼の最期を看取ることになる。

あらためてアンディ・ラウは「男前」だなぁ、と思いました(^o^) マッチョだし。

出番は主演の『いますぐ抱きしめたい』より少なくても、個人的には『欲望の翼』での彼の方が好きだ。


ずっと飛び続けて地上に降り立つ時に死ぬはずだった「脚のない鳥」は、飛び立つ前から死んでいたんだ、というヨディのモノローグとともに終わるこの物語は、列車の中から眺めたヤシの木の緑で始まり、同じ風景で終わる。

ウォン・カーウァイ監督の映画はいつも人物の寄りの画が多くて室内でも屋外のシーンでも画面が狭く感じるんだけど、この映画でもそうで、でも時々路面電車が通るストリートや電話ボックスなどが俯瞰で映し出されることでスッと空間が開ける感覚もあって、1960年代のレトロな感じと時代を超えた普遍的な美しさに溢れていた。

独りよがりな男の自己愛的な物語というふうにも受け取れるけれど、そこは出演者たちの好演と映像美でじっくりと魅入らされました。

ラストシーンにいきなり登場するトニー・レオンの意味が全然わかりませんが、どうも当初は続篇を作るはずだったのが予算を使い切ってしまって撮れないままになったということのようで、彼の出番がなくなってしまったんだな。無理やり出したのか。


こんな場面は劇中には存在しません。

のちに『花様年華』でトニー・レオンは主演を務めるし、これら2本の映画、さらに『2046』を観れば(厳密には互いに繋がってはいないが)、「60年代三部作」はマギー・チャンをめぐるシリーズだったと言うこともできる。

最後までともに生きることがかなわなかった相手。

マギー・チャンさんご本人も現在は俳優としては活動していないそうだから、現実もまたその通りになったということですかね。

またいつか、彼女が銀幕に戻ってきてくれることはあるのだろうか。ウォン・カーウァイの新作とともに。


いますぐ抱きしめたい


出演:アンディ・ラウマギー・チャンジャッキー・チュンアレックス・マン(トニー)ほか。1988年作品。日本公開91年。

www.youtube.com

香港の暗黒街でヤクザな暮らしを送るアンディ(アンディ・ラウ)のもとに、これまで会ったことのない従姉妹のマギー(マギー・チャン)がランタオ島から訪れる。そこへアンディの弟分ジャッキー(ジャッキー・チュン)から電話が入る。借金の取り立てにてこずるジャッキーを助けるべく、アンディは夜の街へと走り出した。その帰り道、アンディは恋人からある衝撃的な言葉を聞かされる。これをきっかけにアンディとマギーは急接近するが、今度は借金取りに追われる側となってしまったジャッキーを助けに向かったアンディは、そこでトラブルに巻き込まれてしまう。身も心もボロボロになったアンディは、ランタオ島に戻ったマギーと愛の日々を過ごすが──。(映画.comより転載)


ウォン監督のデビュー作で、マギー・チャンアンディ・ラウ、それからジャッキー・チュンと、続く『欲望の翼』とキャストもカブっている。

いますぐ抱きしめたい』という邦題から、なんか恋愛映画を連想するんだけど、どちらかといえばあの当時の「香港ノワール」の流れを汲む作品で、アンディ・ラウ演じるチンピラの兄貴分・アンディとジャッキー・チュン演じる弟分・ジャッキーの話。

そこにマギー・チャン演じるアンディの従妹・マギーがちょっとだけ絡むんだけど、映画の舞台となるのが1980年代終わり頃のこの映画が撮られた当時なのと、またストーリーもわかりやすくはっきりしているし、撮影はアンディ・ラウトニー・レオンとともに出ていた「インファナル・アフェア」三部作などの監督、アンドリュー・ラウなので、まだ『欲望の翼』以降のウォン・カーウァイらしさはそこまでない。

この映画では、役名と演じてる俳優のファーストネームが同じ。このあたりも80年代っぽい。アンディが最初に付き合ってた女性のメイキャップがバブル期っぽくてケバめ。

途中でアンディがバスに乗ってマギーに会いにいく場面で、『トップガン』(感想はこちら)の挿入歌の「愛は吐息のように~TOP GUN LOVE THEME」の広東語ヴァージョンが流れてひっくり返りそうになる。

www.youtube.com


アンディ・ラウトム・クルーズみたいなグラサンかけてるし。笑わそうとしてんのか?(;^_^A 『トップガン』って86年公開なのに、88年でもうその曲使ってんの?

この歌が延々何度もしつこく流れるくだりは、ほんとに客席で恥ずかし過ぎて大汗かいた。ここぞというところでサビの部分が鳴り響くし。

なんだろう、『欲望の翼』のわずか2年前の作品なのにこの古臭さ。

この映画はファンのかたもいらっしゃるでしょうから申し訳ないんですが、ダサ過ぎてほんとに困った。ダサいもんはダサい(90年代の「民芸肉料理はや」のCMっぽく)。

劇中のシンセによる音楽もいかにも80年代、といった感じで、マギー・チャンも出てたジャッキー・チェンの「ポリス・ストーリー」シリーズを思い出しました。

途中やエンドクレジットで流れる歌はアンディ・ラウが唄っているんですね。

www.youtube.com


アンディ・ラウさんの歌声をとやかく言うつもりはないんだけど、いかにも昭和の歌謡曲なメロディがほんとに時代を感じさせた。

1960年代を舞台にした『欲望の翼』よりもあとの時代を描いているのに、映画自体にずっと“いにしえ”の香りがする。

人を殴る音がジャッキー・チェンのアクション映画のと同じだし。ボスッ!ドゴッ!って。派手過ぎw

あと、要するにこれは次々と問題を起こすどうしようもない弟分の尻拭いをさせられ続けている兄貴分が、それでもそいつを見捨てることができなくて最後は鉄砲玉に志願した弟分とともに命を散らす、という話で、ジャッキー・チュンは『欲望の翼』ではまだ出番も限られてて、あくまでも主人公の友人としての節度やヨディにフラれたミミを想いながら彼女に金を渡して去っていくような奥ゆかしさがあったんだけど、こちらの『いますぐ~』では何度も何度もわざわざ面倒を起こしては返り討ちに遭って兄貴に助けられる、というのの繰り返しなので、観ている途中で「こいつをいますぐ撃ち殺したい」と思わずにはいられなかった。


僕が「香港ノワール」と呼ばれる一連の作品群に興味が持てないのは、こういう義兄弟同士の絆、みたいなのが好きじゃないから。どーでもよくって。

アンディ・ラウが主演した『インファナル・アフェア』もそういうタイプの映画だったし、レスリー・チャンが出ていた『男たちの挽歌』もまさに「香港ノワール」そのものでしたが。でも、『インファナル・アフェア』は潜入捜査モノとして面白かったからなぁ。

まぁ、女よりも男同士の絆、みたいなのは北野武監督のヤクザ映画にも通じるし、このあたりの要素がタランティーノに影響を与えていることはよくわかりましたけどね。

欲望の翼』には観終ったあとに満足感があったんだけど、『いますぐ~』は正直「別に俺は観なくてもよかった」という感想を持たざるを得なかった。つくづく逆の順序で観たかったなぁ。そしたら『欲望の翼』の余韻にもっと浸れただろうに。

これら2本の映画のマギー・チャンの役柄がほぼ同じなので、しばらく経ったらどっちの映画の場面だったかわかんなくなりそうだし。

朝、先に起きて朝食を作っててくれる女性。買い物してきて必要なものは全部揃えててくれる女性。ヒドいことを言われても許してくれる女性。

そんな女性と一緒になることを諦めて弟分を救おうとする、その男気に惚れる、みたいな世界がほんとに苦手。

アンディとマギーが惹かれ合う(いとこ同士なんですが…)、その過程が描かれずにいきなりキス、というのが、演じてるのがアンディ・ラウマギー・チャンだからそりゃ美しいんだけど、これまた80年代的なお約束の世界みたいに思えてしまって、まったく入り込めなかった。


目の前の問題を棚に上げてすぐにイチャコラしだすし。誤魔化したってダメだぞ。さらにダメ押しで流れるトップガンのあの歌。テカマベサウエ~♪勘弁してくれ。

欲望の翼』だって男女がくっつく様子は似たような感じなんだけど、あちらは「物語」というよりは「詩」に近いから、観てる方が勝手に自分自身の想いを込められるんだけど、『いますぐ撃ち殺したい抱きしめたい』の方は物語自体がベタなうえに演出も超絶ベタなので、観ていて気恥ずかしくなってくるし違和感も湧いてくる。

マギーが肺の病気、というのも、あとで医者と出会うきっかけのためだけで、それ自体に特に深い意味はなかったし。カンヌでカメラ・ドール(新人監督賞)にノミネートされたそうだけど、お好きな人はほんとにごめんなさい、僕にはこれが巧い脚本だとも見事な出来の作品だとも思えなかった。

映像をスローシャッター風に見せる手法は、のちの作品を思わせはするけれど。

…って、ウォン・カーウァイ監督ってもともと脚本家出身なんですが。

脚本よりも映像や編集の方で注目された人だからなぁ。

ウォン監督が2作目にして自分の世界を構築したのは賢明でしたね。「香港ノワール」の路線を続けていたら、僕は今のように彼の作品に興味を持ち続けられたかどうか自信がない。

さて、こうやって去年からウォン・カーウァイ監督の作品を観てきたわけだけど(同じように以前公開されていた短篇はあいにく観られませんでしたが)、あとは『楽園の瑕』ですかねぇ。90年代に劇場で観て以来。無論、どんな内容だったかも覚えていない。

最後に感動的に締めれなかったのは残念だったけれど、映画館で貴重な体験をさせていただいているので配給会社の皆さんには感謝しています。

いつかまた未鑑賞のウォン・カーウァイ作品を観られる日を楽しみにしています。


関連記事
『グランド・マスター』
『プアン/友だちと呼ばせて』

ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

f:id:ei-gataro:20191213033115j:plain
↑もう一つのブログで最新映画の感想を書いています♪