1973から74年にTV放送された特撮番組でウルトラシリーズの第6弾「ウルトラマンタロウ」を劇場で鑑賞。
円谷プロダクション創立60周年を記念して「円谷映画祭2023」が開催されて、11月17日(金) から11月30日(木) まで「ウルトラセブン」が、また12月1日(金) から12月14日(木) まで「ウルトラマンタロウ」が劇場で上映されています。
それぞれ2週間限定で、庵野秀明セレクションによるTV版のエピソードを4話ずつ。
さらに、「セブン」についてのドキュメンタリー『ウルトラセブン Legend』やウルトラマンの4K化についての『空想特撮シリーズ ウルトラマン 4Kディスカバリー』の中のエピソードの一つ「生命(いのち)のものがたり」も上映。
去年、やはり映画館で上映された「ウルトラセブン」の5話分のエピソードを観たんですが、今回は庵野監督が選んだ別の4話分、「マックス号応答せよ」(第4話) 「狙われた街」(第8話) 「ウルトラ警備隊西へ 前編」(第14話) 「ウルトラ警備隊西へ 後編」(第15話) が上映された模様。
あいにく他に観たい映画があったのと、「ウルトラセブン」は去年に最終回を観ていい感じで区切りがついたので、あえてまた途中のエピソードを観るのもなんだかなと思って、今回は見送りました。そういえば「ウルトラマン」も去年、劇場上映されたんですよね。そちらも僕は観られませんでしたが。
でも、「ウルトラマンタロウ」は劇場で観たことはなかったし(1984年に劇場公開された、タロウを主人公にした『ウルトラマン物語(ストーリー)』も未鑑賞)、だいたいTVの再放送でさえももう何十年も観てはいないから、昭和のウルトラシリーズで育った世代(ほとんどは再放送での視聴ですが。ちょうど“怪獣消しゴム”が流行った時代でもあった)としては懐かしさもあって、せっかくだから観ておこうと。
こちらのラインナップは、
第1話「ウルトラの母は太陽のように」 第18話「ゾフィが死んだ!タロウも死んだ!」 第33話「ウルトラの国 大爆発5秒前!」 第34話「ウルトラ6兄弟最後の日!」
僕は幼い頃に「タロウ」をTVで再放送で観た記憶はあるんですが、全話通して観ていたわけじゃないし、内容も覚えてはいないので(テンペラー星人の回はレンタルヴィデオで観たことがあったけど)、これまでにいろいろと観る機会があった「ウルトラセブン」よりも一つずつのエピソードには馴染みがなくて、だからほとんど初めて観るような感覚でしたね。
「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」の方が成長してからも再見する機会が多かったので、「ウルトラQ」に始まる第一次怪獣ブームの3作品を一番よく覚えていて、そのあとの「帰ってきたウルトラマン」以降の作品たちの方がうろ覚えのものが結構ある。
その中でも「ウルトラマンエース」はBSでやってたのを観たことがあるからわりと覚えているんですけど、それももうかなり昔のこと(10代の頃)なので、一つ一つのエピソードについてちゃんと記憶してはいない。
僕としては、昭和のウルトラシリーズはどれも懐かしいから、もはやどの作品が一番良くてどれは受けつけないとか、そういう意識はないんですが、それでも「セブン」までの作品はその後の「兄弟化」「ファミリー化」していく作品とは違って、それぞれが独立した番組として成立しているし、「セブン」の感想でも述べたようにあの作品で子ども向けの特撮ヒーロー番組としてはある意味一つの到達を迎えたので、それ以降はひたすら年少者向けになっていった感はあって(別にそれが悪いわけでもないけれど)、作品そのものとしては評価しづらいところがある。
「タロウ」は特に主人公のヒーローの名前からもうかがえるようにより小さい子たちが楽しめるような作風を目指していたんだろうし(「帰ってきたウルトラマン」から始まるサブタイトルの変化も、時代を感じさせるとともに見るからに子どもを意識している)、名作といわれながらも年少者には理解が難しい内容も少なくなかった(しかも怖いし)「セブン」などと比べてもしかたがないのはわかってはいるんですが。
今回は子どもに戻った気持ちで、大人っぽい作風だったセブンとは正反対のテイストを楽しもうと臨んだのでした(上映会場には子ども連れのご家族が一組だけいて、それ以外はほぼおっさんばかりでした)。
第1話でさっそく登場するウルトラの母/緑のおばさん、ペギー葉山。
〽エースよ、タロウよ~♪(「ウルトラの母のバラード」)*1
今回の上映作品ではウルトラの母は唄いませんでしたが、「ウルトラ6兄弟の歌」が流れます。
第二次怪獣ブームの作品は内容が幼稚っぽい、などと感じながらも、挿入歌はやっぱり耳に心地いいんですよね。「ウルトラマンレオ」で主人公・レオ/おおとりゲン役の真夏竜さんが唄う「星空のバラード」も大好きだし。名曲だと思う。
さて「タロウ」ですが、まぁ、この手の作品にいちいちツッコミを入れていてもしょうがないのは自覚しつつも、そもそも第1話目からして怪獣の登場の原因が主人公のせい、というのがね^_^;
緑のおばさんことウルトラの母に変身バッジを渡された東光太郎(篠田三郎)はウルトラマンタロウになるんだけど、彼が海外から持ち込んだチグリスフラワーから怪獣アストロモンスが誕生して、超獣オイルドリンカーを腹部のバラ状の巨大な口で飲み込んで暴れる。
前作「ウルトラマンエース」で「怪獣を超える怪獣=超獣」が登場してエースが戦ったのが、「タロウ」ではその超獣よりもさらに強い怪獣が現われて、またしても名称が「怪獣」に逆戻り、ってことなんだけど、その辺の詳しい説明は劇中では一切されませんでしたね。
隊員の台詞の中でさらっと「超獣」から「怪獣」へ言い換えられていた。
天涯孤独(写真の中の母親はウルトラの母の人間体と似ている)でどこの馬の骨とも知れない光太郎が、いきなり宇宙科学警備隊のZATに入隊できてしまうのもお約束。
とにかく、今回観た4回分だけでも、タロウ/光太郎の直情的で未熟な部分が強調されていて、やたらと相手に突っかかっていったり、ウルトラ兄弟の兄さんたちにすぐ頼るような甘えた言動が多い。
作品を通してタロウの成長を描いている、と言えるわけだけど(だからこそ、最終回でタロウに変身せずに光太郎のままで勝利するのが感動的なんだが)、ZATの隊員たちや登場人物たちの台詞やものの考え方、行動がいかにも70年代風というか、熱血や根性を奨励するような作風が目立つんですよね。この次の「レオ」でも修行してたもんな。
33話と34話でウルトラマンからエースまでの歴代ウルトラヒーローたちが勢揃いするんだけど、誰もがやたらと熱血っぽくて、セブン/モロボシ・ダンが「レオ」での彼を彷彿とさせるような台詞を口にしたりもする。
ダンってそういうキャラだったっけ、と疑問も。
あらためて、ウルトラ兄弟の中で最初に光の国(ウルトラの国)に帰っていった“帰ってきたウルトラマン”*2/郷秀樹役の団時朗(団次郎)さんのご冥福をお祈りいたします。23.3.22
チームが大事とか、このあたりもスポ根モノのノリが入っていて、モダンで近未来的だった「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」の作風とは大きく異なっている。
なんていうか、無理やり登場人物たちを揉めさせて、最後には主人公が反省して成長する、みたいな作劇。多かったよね、あの当時は。
わざとらしいぐらいの光太郎の調子コキぶりが観ていて不快なレヴェルだったんだけど、このあたりの60年代と70年代の子ども向け番組の雰囲気の違いが興味深くはある。
仮面ライダーのシリーズもこの頃だし、だから等身大のヒーロー物から大いに影響を受けたり意識もしていたのだろうけれど、やがてはウルトラもライダーも「アニメ」にその人気を奪われてシリーズが終焉を迎える。
熱血路線はアニメに受け継がれていったし、80年代にはその逆の軽いノリが出てきて(1980年放送の「ウルトラマン80」にはまだ熱血モノの残り香があったけど)、90年代になると実写の特撮番組にアイドルがどんどん参入していって、これまたアニメ的な演出が多くなっていく。
「ウルトラマンタロウ」の頃はまだ多分に牧歌的な雰囲気があって(ヲタクが出てくる前だったから)、自分の幼少期と重なる時代でもあるからギリ僕は楽しめるんですよね。
子どもたちや女性が着ている服や町の風景とか、ノスタルジーにも浸れるし。
荒垣副隊長役の東野孝彦(東野英心)さんの顔見たら、「父ちゃん、情けなくって涙出てくらい!」といきなりぶん殴られそうだし(笑)*3
隊長役の名古屋章さんも懐かしいですね(今、若い人たちにダチョウ倶楽部によるこの人のモノマネは通じるんだろうか)。女性の森山隊員(松谷紀代子)が、なぜか1話では「アシスタント」と紹介されていた。
北島隊員役の津村鷹志さんって、現在80歳なんですね!なんかずっと若い頃の姿のイメージがあるから、あぁそっか、「ウルトラマンタロウ」って50年前の作品なんだなぁ、って実感した。
隊員たちが乗る車の“ラビットパンダ”(このネーミングもスゴいが)の冗談としか思えない無駄にゴテゴテしてるオモチャっぽいデザインや色使いとか、大型戦闘機のスカイホエールもそうだけど、「セブン」の時のウルトラ警備隊のメカや制服、基地の建物などの洗練されたデザインが嘘のようなアシッドなセンスが爆発している。
こういう乗り物、昔、デパートの屋上の遊戯コーナーにあったなぁ
これはこれで強烈な個性を発揮しているから、今観ても忘れ難いんですが。
以前「特撮博物館」でスカイホエールのミニチュアを見たんだけど(特撮博物館の感想はこちら)、実物は想像してた以上に大きかったんですよね。でもTV画面だと全然大きく見えない。大きく見せようとすらしていないもの。
オープニングの映像でも、戦闘機も車両も基地も何もかもがオモチャそのもので、だからむしろそのいかにもオモチャな武器や兵器たちが活躍するさまが面白いといえば面白い。遊んでる子どもたちの頭の中をそのまんま映像化したような。
ただし、油断ならないのは、昭和のウルトラシリーズって一方ではまだまだ野蛮なところがあって、怪獣を残酷極まりない方法で殺していた。
必殺光線で爆発するのはもちろん、首チョンパや腕をもぎ取ったり真っ二つにしたり溶かしたりと、怪獣や宇宙人を盛大に惨殺していた。
僕はテンペラー星人はウルトラ兄弟の「ウルトラリンチ」でフクロにされてたと思っていたんだけど、一応、テンペラー星人の両腕を切断するのはタロウだし、他の兄弟はとどめを刺すだけだった。
偉そうに兄貴ヅラしといて、ウルトラ兄弟っていつもあっさりやられちゃうんだよね。
「エース」のヒッポリト星人の回もそうだったけど。学ばない奴らだ^_^;
まぁ、たまのイヴェントだったんだよね、ウルトラ兄弟がみんなで顔を見せるのは。主人公に花を持たせるためにも、お兄ちゃんたちは手加減しないと、ってことで。
そういえば、ゾフィーって、結局、現在まで一度も人間の姿にはなっていないのかな?平成以降のウルトラシリーズはほとんど観ていないのでよく知らないんですが。
「ウルトラマンメビウス」(2006~07年放送) はちょっとだけ観ていたけど、その頃はもうCGも進化していたから、かつての兄弟たちのかっこいい活躍ぶりが描かれてましたね。
タロウって、80年代頃にモノマネ番組で彼が飛び立つ時の「タァ~!」っていうちょっと甲高い掛け声を真似されてたっけ。
…作品の感想というよりは全体的な印象の話ばかりしてますが…だからあまり真面目に語る内容でもないと思うんでw
バードンが出てくる18話は3話連続モノなのに今回真ん中の「ゾフィが死んだ!タロウも死んだ!」(なんちゅーサブタイトルなの(;^_^A しかもネタバレしとるし)だけしか上映されなくて、だからタロウがバードンに負けて死んじゃって、ゾフィーが弟を連れてって代わりに戦うけど負けて死んじゃって(長兄、弱過ぎ。しかも頭が燃えてたし。今回の上映作品はどれも着ぐるみの酷使具合がなかなか容赦なかった)、そのあとどうなったのかわかんないまま別のエピソードが上映されるので、せめてバードンが倒される回をやってくれよ!と。この回でバードンに食い殺されてしまうケムジラを出したかったのかもしれないけど。
怪獣の殺し方が容赦ないというのもあるけど、特にこの第二次怪獣ブームの頃には人間の登場人物たちも大量に殺されてた印象がある(「レオ」では防衛チームが全滅するし)。死んだ、と思わせといて生きていた、みたいな展開も多い。
今回も、ZATの隊員たちがウルトラ兄弟に乗り移られて姿を消したために死んでしまったと思われてしまうんだけど(ウルトラの兄貴たちの行動がいちいちポンコツ過ぎてイライラした)、とにかくこの時代ってフィクションの中で人を殺し過ぎてた感がある。
子どもの頃はそれを不思議には思わなかったけど、今振り返ると「死」というものをかなり弄んでたなぁ、と思う。特に「タロウ」はコミカルなテイストの作風にもかかわらず、人があまりに簡単に死んでしまうことに対して今観るとすごく抵抗を感じるんですね。
ハヌマーンがウルトラ兄弟と一緒に怪獣を集団リンチする『ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団』(1974年作品) では、紛れもなく怪獣が面白半分に殺されていたし。これぞ「ウルトラリンチ」。
今となってはもう作れない、貴重な作品たちとは言えるかもしれないが。
それでも「ウルトラマンタロウ」や他の昭和のウルトラシリーズが捨てがたいのは、やはりミニチュア特撮の魅力によるところが大きい。それだけで昭和のウルトラマンは観れてしまう。
撮影スタジオの中で火炎放射とか、ミニチュアもガンガン燃やしたりしてて、観ているこちらが物語の内容とは別のところで心配になってくる。ほんとに現場で撮ってる、ってのは強いよね。こういうのがずっと残っていく映像なんだと思う。
次はぜひ、華麗な切断技の数々が愉快な「ウルトラマンエース」を劇場でやってほしいなぁ(^o^)