テリー・ツワイゴフ監督、ソーラ・バーチ、スカーレット・ヨハンソン、スティーヴ・ブシェミ、ブラッド・レンフロ、イリアナ・ダグラス、デイヴ・シェリダン、ボブ・バラバン(イーニドの父)、ステイシー・トラヴィス(ダナ)、テリー・ガーほか出演の『ゴーストワールド』。2001年作品。PG12。
製作をジョン・マルコヴィッチが担当。
原作は、ダニエル・クロウズの同名コミック。
幼なじみで親友のイーニド(ソーラ・バーチ)とレベッカ(スカーレット・ヨハンソン)は高校を卒業したものの、進学も就職もせずに気ままな毎日を過ごしている。そんなある日、2人は悪戯心から、新聞の出会い広告欄に載っていた中年男シーモア(スティーヴ・ブシェミ)を呼び出して尾行する。イーニドは冴えないシーモアになぜか興味を抱き、彼の趣味であるブルースのレコード収集を通して親交を深めていく。一方、レベッカはカフェで働き始め、イーニドとレベッカは次第にすれ違うようになっていく。(映画.comより転載)
この映画は劇場初公開時に映画館で観たのか、それともDVDで観たのかももう覚えてないんですが(なんとなくDVDっぽいが)、なぜか“イーニド”という主人公の女の子の名前は記憶していた。
当時「映画秘宝」あたりで取り上げられていたからかもしれない。
僕はこの『ゴーストワールド』で初めてスカーレット・ヨハンソンを知ったと思っていたし、実際、彼女の存在を認識したのは確かにこの映画だったんだけど、ただ、90年代に観たロバート・レッドフォード監督・主演の『モンタナの風に抱かれて』(1998) にも出ていたんですね。だからほんとは初めて見たのはもっと前だったんだな。
主演のソーラ・バーチはハリソン・フォード主演の2本のシリーズ『パトリオット・ゲーム』(1992) と『今そこにある危機』(1994) で彼の娘を演じていたのは知っていたけれど、そのあとに『アメリカン・ビューティー』(1999年作品。日本公開2000年)にも出ていたのね。『ゴーストワールド』はその翌年だったのか。
『アメリカン・ビューティー』は劇場公開時に観たんだけど、ミーナ・スヴァーリのことばかり覚えていて、ソーラ・バーチが出てたことをすっかり忘れていた。
僕は『ゴーストワールド』でソーラ・バーチが胸をはだけるシーンがあったと思い込んでいたんだけど、観てみたらそんな場面はなかったので、あれは『アメリカン・ビューティー』だったんだな。あの映画も、もう劇場公開時に観て以来観返していないので内容を全然思い出せませんが。覚えているのは、ケヴィン・スペイシーがよからぬ事態になっていく、というのと、クリス・クーパーが実は…というあたりぐらい。
スカーレット・ヨハンソンは、その後何本も出演作を観ているし、だからそんなに久しぶりという感じはしなかったんだけど、ソーラ・バーチは『ゴーストワールド』以降、出演作品をまったく観ていないので、何かものすごく懐かしかった。
いや、映画には出続けてるようだし、最近でもTVドラマにも出演していて監督を務めたりもしているそうなので、たまたま日本ではお目にかかる機会があまりないだけなんでしょうが。
でも、スカーレット・ヨハンソンがその後ぶっちぎりで売れてしまったのに対して、『ゴーストワールド』の主演であるソーラ・バーチの現在の活躍が目立たないのはもったいないなぁ。
久しぶりに観てみたら、もう役柄にハマり過ぎてて最高だったから。
いろいろイタかったり、ちょっとどうなの?と思うような嫌な面もいっぱいある主人公なんだけど、でも演じる彼女の表情だとか適度にユルい体型、妙に姿勢がいい歩き方など、僕はいちいちツボでしたね。憎み切れない愛嬌がある。
スカーレット・ヨハンソンが可愛いのは当然なんだけど(当時15歳)、この映画はソーラ・バーチが主演だからこそ成り立つ内容でもある。逆の配役は考えられないから。
劇中でも「いつもレベッカ(スカヨハの役)の方が男たちから注目される」とイーニドがこぼす。
仲良し同士だけど、でも親友に対してコンプレックスを持っていて、その劣等感が世の中すべてへの嫌悪に繋がっていく。
そのあたりをソーラ・バーチが全身で見事に表現している。
内容はよく覚えていなかったけれど、スティーヴ・ブシェミ演じる冴えない中年男性との関係は哀しい結末を迎えることは記憶していたから、最後はしんみりしちゃうだろうと予想していたんだけど、思ってた以上にラストは性急にたたまれてしまった、という感じでした。
だって、イーニドには心配して見守ってくれている父親(手をこまねいている、という方が近いが)がいるし、シーモアは真剣に彼女との生活を考え出していたのに。
なんで彼女があそこですべてを台無しにして去っていかなければならないのか、正直納得はいかなかった。
ただ、おとなになることを拒絶する──こうやってちゃんと将来に向けて準備していけば幸せな生活が送れる──というその可能性を全部捨ててぶち壊してやりたくなる心理はわかる気がするんですよね。
それは要するに、幼児的な破壊願望のようなものなのかもしれないし、あるいはただ一歩踏み出す勇気が出せなくて癇癪を起こす、それこそ幼稚な心性によるものなのかもしれない。
シーモアから借りた昔の人種差別的な絵を美術の展示用に提出しておいて(しかも展示会場には来ない)、そのあとで「奨学生に推薦してもらえますよね?」って、そんなわけないだろ、と。
自分がやったことがあとでどのような結果をもたらすのか、他の人たちにどんな迷惑をかけるのか、そういう想像力が決定的に欠けている。
幼い子どものまま、ガワだけ大きくなったような。
あそこまで極端ではないけれど、イーニドのことを一方的に批判できない(もちろん、やってることはとんでもないので彼女を擁護などできないが)自分がいる。
俺だって、彼女のようにフラフラしながら無責任なことをしでかしてはいろんな人たちに迷惑ばかりかけてきたじゃないか、と。
幸せな自分を想像できないとそこに向かって踏み出せない、ということはあるかもしれない。
いつだってイーニドは自分以外の世界を呪い見下すことで自分を甘やかして、新しい挑戦も生きていくために本当に必要な経験もせずにここまできたんだよね。
対照的に、親友であるレベッカは仲良しのイーニドと共同生活をするためにアパートの物件を探したり、バイトしてお金を貯めて、先のことを考えている。
その間にイーニドがやってたのは、レコード収集が趣味の中年男性・シーモアに興味を持って彼のお相手を探すお手伝いをすることだった。別に頼まれてもいないのに。
ほんとは最初から彼が好きだったのに、自分から言い出せないもんだから、あれこれとお節介を焼くことで好意を示していたんだよね。それをどこかで自覚しながら、でも臆病なせいで自分の気持ちを素直に伝えられない。
だって、コーヒーショップで仲良さそうにしている中年カップルを見て面白がったり、やはり高校の同級生たちの恋愛模様を鼻で笑って見下していた自分が、彼らと同じようになることは屈辱だから。
手を伸ばせば幸せが目の前にあるかもしれないのに、そうやって自分で自分を縛り付けて自意識過剰の状態でいるのは、そんな「バカ」な他の奴らと同じような幸せなどには目もくれずに冷笑している方が楽だし惨めな気持ちにもならずに済むから。
でも、それは偽りの優越感だ。
イーニドは、過去に付き合っていた相手がいたようなことを言ってたけど、本当だろうか。
もしかしたら、その時に傷ついた経験がずっとあとを引いていて、彼女に次のステップを踏ませることを躊躇させていたのかもしれない。
コンビニで働くジョシュ(ブラッド・レンフロ)のことも、彼に好意を持っているのでは?とシーモアに尋ねられて一笑に付す。あいつと?ないない、と。
そうやって私は世界中のくだらないバカどもの上から彼らを嘲笑っているのだ、と思い込むことで、自分の無力感や劣等感を忘れられると信じている。
イーニドは絵が上手だし、だから彼女がやる気さえ出せば、きっと何かを掴めるはずなんだよね。才能が皆無なわけではないのだから。
お父さんは娘が大学に行くことを勧めるし、彼のパートナーが仕事を世話してくれるようなことも言っていた。アートのクラスの先生(イリアナ・ダグラス)もイーニドの才能を買っていた。彼女はさまざまなチャンスを与えられていた。
でもイーニドは地道な努力が、時間をかけて積み上げていくことができない。
映画館でのバイトさえも続かず、「働くこと」を端から軽蔑している。
以前、クズ界隈で「働いたら負け」という言葉があったけど、まさにあれ。
その余計な自意識、もっと言えば社会への甘えがせっかく与えられたチャンスをわざわざ自分で潰すことに繋がり、当然ながらその結果彼女は追いつめられる。
僕はこれは、一種の病気ではないかと思うんですが。
なぜ自分は社会不適合者なのだろう、どうして他の人たちのように真面目にやるべき役割を果たして評価されることができないのだろう。
そういう思いはとても身に覚えがあるし、これまでの自分の人生を振り返ると後悔ばかりだから、僕はイーニドのあの姿、彼女がことごとく選択を誤るのを見ていて胸が苦しくなったのでした。
ところどころに笑いをまぶしているから、けっして暗過ぎず重過ぎないけれど、でも実は描かれていることは結構深刻だったりする。
何かといえばヌンチャク振り回すホワイトトラッシュなコンビニ客のダグだって、ふざけてるように見えるけど、彼は普段ちゃんと仕事をしている。仕事の合間にコンビニに立ち寄って怪しい奴を撃退しているんだよね(で、自分も店主から撃退される)。
ほんとはイーニドは、ジョシュのことも、そしてあのヌンチャク男のことだって笑う資格はないのだ。
ダグ役のデイヴ・シェリダンって、『最終絶叫計画』(2000) でアホのふりしていて実はめっちゃイケメンだったアイツを演じてた人だったのね。七変化過ぎてわかんないよ^_^;
ヴィデオレンタル店でイーニドをやたらとユダヤ人呼ばわりしては彼女から丸めたお札をぶつけられたりしている店長役のパット・ヒーリーは、つい最近、ディカプリオ主演の『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』(感想はこちら)でのちにFBIとなる捜査局の捜査官を演じていました。
同じくヴィデオ屋店員の一人にすごく見覚えがあると思ったら、デヴィッド・リンチ監督の『マルホランド・ドライブ』(2001年作品。日本公開2002年)で、夢の中で見た気持ちの悪い登場人物に実際に出会ってしまう男性を演じていたパトリック・フィッシュラーだった。この人も、最近『アンダー・ザ・シルバーレイク』(感想はこちら)で見たな。
スティーヴ・ブシェミも90年代にはよく彼の出演作品を観たけど、最近僕はご無沙汰。『モンスターズ・インク』の続篇『モンスターズ・ユニバーシティ』(感想はこちら)(いずれも声の出演)からも、もう10年だもんなぁ。
来年1月にはタランティーノの『レザボア・ドッグス』がリヴァイヴァル上映されるので、またしても若き日のブシェミさんが見られますね(^o^)
そういえば、スカーレット・ヨハンソンとスティーヴ・ブシェミは二人ともマイケル・ベイ監督の『アイランド』(2005) に出てるんだよね。共演シーンがあったかどうか覚えてないけど。『ゴーストワールド』の4年後には、スカヨハはもうメジャー大作に出ていたんだな。
『ゴーストワールド』でブシェミが演じるシーモアは根はとてもいい人で、イーニドと出会わなければ彼自身はそこそこ楽しく生きていけたかもしれないんだけれど、でも自分の意思を強く押し出すことが苦手な彼はどんどんイーニドに振り回されていく。
それでイーニドのおかげで趣味が正反対ではあるものの彼が興味を持った女性・ダナ(ステイシー・トラヴィス)とイイ感じになるのだが、これまたイーニドのせいでその関係はご破算となる。
シーモアがダナと別れたのは彼自身の判断だし、車を運転している時には人格が変わったように乱暴な口をきいたり、彼は彼でかなり危なっかしい人ではある。イーニド同様に「生きづらさ」を感じているからこそ、彼女と意気投合した。
最初にバーで出会った女性にブルースとラグタイムの違いを延々と語ってしまうような「ヲタクあるある」とか、それ『バービー』(感想はこちら)でもやってたよ、とw これはモテないよね。
僕は昔、ローランド・エメリッヒ監督の『インデペンデンス・デイ』(1996) を観て感動したという女性から感想を聞かれて「アメリカ万歳な感じがちょっと…」と苦言を呈したら、「映画はもっと素直に観た方がいい」と言われてしまったことがある。
映画に対してあーだこーだと批判めいたことを書くのも、「もてね男」の特徴の一つだよね。いや~、わかっちゃいるけど(;^_^A
この映画が公開されてから20年経って、あまり変わった感じがしない人もいれば、どこ行っちゃったかわかんない人もいる。でも、この映画に出ている人たちは今でもわりと目にする機会はあるよね(劇中で適当に扱われててイイ味出してたブラッド・レンフロはもういないが…)。ソーラ・バーチ、また彼女の出演した新作映画が日本でも公開されるといいなぁ。
※テリー・ガーさんのご冥福をお祈りいたします。24.10.29
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