映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

『未知との遭遇 ファイナル・カット版』

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午前十時の映画祭10」でスティーヴン・スピルバーグ監督、リチャード・ドレイファスフランソワ・トリュフォー、メリンダ・ディロン、ケイリー・ガフィー、テリー・ガー、ショーン・ビショップ、ボブ・バラバン、ロバーツ・ブロッサム、J・パトリック・マクナマラ、J・アレン・ハイネックほか出演の『未知との遭遇 ファイナル・カット版』を鑑賞。2002年(オリジナル版1977年、日本公開1978年)作品。137分。

第50回アカデミー賞撮影賞、特別業績賞受賞。

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ロイ・ニアリー(リチャード・ドレイファス)は停電の復旧作業に向かう途中で強烈な光を放つ物体と遭遇する。それ以来、彼はある特徴的な形に心を奪われ一心不乱にそれを再現しようとするのだった。自宅で何者かによって幼い息子バリー(ケイリー・ガフィー)を連れ去られたジリアン(メリンダ・ディロン*1)もまた、同じ形の絵を描き続けていた。フランス人のラコーム博士(フランソワ・トリュフォー)は相次ぐ不可思議な現象から異星人の存在を確信し、彼らとの接触を試みるためにアメリカ軍の協力の下で大掛かりな計画を実行に移していた。

映画の内容についての記述がありますので、まだご覧になっていないかたはご注意ください。 

 

スピルバーグの代表作の1本ですが、僕は劇場で観るのはこれが初めて。かなり昔に『特別編』をTVで観た記憶があります。

未知との遭遇』はいくつものヴァージョンがあって、80年公開の『特別編』では異星人のマザーシップの内部が追加撮影されて付け加えられました。

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砂漠で埋もれている大型船も『特別編』の時に追加撮影された


今回の『ファイナル・カット版』ではそのマザーシップ内部の場面はカットされています。のちの『ブレードランナー』(感想はこちら)の未来都市を思わせるきらびやかなUFO内部の映像はなかなか見応えはあったものの、また後述しますが最終的にはカットして正解だったと思う。

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さて、昔から「これはSF映画ではなく宗教映画」と言われてきたけれど、今回久しぶりに観てみてあらためてその通りだと思いましたね。70年代の『2001年宇宙の旅』だったんだな。

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ei-gataro.hatenablog.jp

 

これは“神”に選ばれた者たちが「あちらの世界」に召される物語だろう、と。スピルバーグはもちろんそのつもりで描いている。

主演のリチャード・ドレイファススピルバーグ同様ユダヤ系だし、ロイの子どもたちがTVで観ている映画は預言者モーセがエジプトから同胞のヘブライ人を脱出させて神から十の戒めが刻まれた石版を授かる『十戒』(感想はこちら)だった(ニアリー夫妻の「(上映時間が)四時間あるのよ」「“五戒”まで許す」という会話が可笑しい)。裏側に異星人のマザーシップが降り立つデビルスタワーは、神が住まうシナイ山のことか。

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UFO(未確認飛行物体)にまつわる多くのエピソードがしばしば歴史の浅いアメリカの“神話”と言われるように、この映画は宇宙人やUFOを通してアメリカ人の「宗教観」のようなものを描いているのだと思う。それはヨーロッパの人々のそれとも違う、文明と機械が発達したあとにできた新しい宗教だ。

車を運転中に小型のUFOに“第二種接近遭遇”したロイが、その後憑かれたようにデビルスタワーを求め妻のロニー(テリー・ガー)や子どもたちを怯えさせて彼らに去られてしまう様子は、まるで天啓に打たれて突然信仰の道を歩み始めた者のように見える。家族に見放されても「それ」のことが頭から離れず、同じ経験をした女性ジリアンと心を通わせて、ついに選ばれた者の一人としてUFOに乗って地上をあとにする。

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宇宙人とのコンタクト計画の代表であるラコーム博士は、ロイに「君が羨ましい」と呟く。

ラコーム博士を演じるフランソワ・トリュフォーは『大人はわかってくれない』などヌーヴェル・ヴァーグの映画監督でスピルバーグとは意外な組み合わせにも感じられるけど、二人ともヒッチコックを介して繋がっている。

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原題の“Close Encounters of the Third Kind(第三種接近遭遇)”とは、この映画にもカメオ出演している天文学者でUFO研究家のハイネック博士の著書から取られたUFO用語だが、これを「未知との遭遇」と訳した人も見事だと思う。タイトルが「第三種接近遭遇」では客は入らんでしょうから。

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主人公に家族よりも「あちらの世界」を選ばせて空の彼方へ旅立たせたスピルバーグは、のちに「今だったらあの結末はとても考えられない」と語っている。

この映画の公開当時はスピルバーグは独身だったからロイのような立場の者の気持ちがわからなかったのかもしれないけど、のちに彼は最初の結婚と離婚とを経験しているので、未来の自分の気持ちを予言していたことになる。

80年代、スピルバーグは「子ども大人」の代表格みたいに語られることが多かった。主人公たちがサメ退治に興じる『ジョーズ』(1976)も見方によっては大人になれない男たちの物語と言えるかもしれない。

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若き日のスピルバーグ


82年にスピルバーグが撮った『E.T.』で、主人公の少年エリオット(ヘンリー・トーマス)はロイとは反対に最後は地球にとどまる。友好的な宇宙人が登場する『未知との遭遇』と『E.T.』は2本で対のような関係になっている。

もっとも「友好的な宇宙人」といったって、街を広範囲に渡って停電させたり車や機械類に不具合を起こしたり飛行士たちや子どもを連れ去ったりと、『未知との遭遇』の宇宙人たちがやってることは不可解極まりなくて何が目的なんだかよくわからない。 

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宇宙人を演じているのは幼い少女たち


UFO目撃譚やコンタクティー(宇宙人と接触したと主張する人々)の体験談などをうまいこと物語の中に取り込んでますよね。その胡散臭さも含めて。

この映画の公開後、一般の人々による「宇宙人と遭遇した」という報告が増えたそうだし、それまでは結構ヴァリエーションがあった宇宙人の外見が、この映画のおかげで以降はほとんどがお馴染みのグレイ型ばかりになってしまう。

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こちらは作り物の宇宙人。その後の宇宙人のイメージを決定づけた


明らかにアメリカ人の「宇宙人観」や「宗教観」に多大な影響を与えた作品なんですね。「ロズウェル事件」や「エリア51」などUFO関連のネタがあらためて注目されるようになったのも、もともとはこの映画がきっかけだし。社会現象すら起こす話題作だったのだ(スター・ウォーズと同じく僕はリアルタイムではその熱狂を知りませんが)。

ローランド・エメリッヒが1996年に撮った『インデペンデンス・デイ』は『未知との遭遇』を反転させたものでよくできたパロディにもなっていたし、スピルバーグ自身がのちに宇宙人の侵略を描いた『宇宙戦争』(2005)を撮っている。

スピルバーグインディ・ジョーンズの4作目でエリア51を採り上げているし、やはりエリア51が登場してアメリカ英語を話すグレイ型宇宙人が出てくる『宇宙人ポール』(感想はこちら)では本人役で声の出演もしている。

『特別編』の制作など、その後のハリウッドのディレクターズ・カット版の制作のさきがけでもあった。「映画」というものが最初に公開された1回きりではない、ということを世の観客に知らしめた作品だった。

まだヴィデオが普及するちょっと前の時代の映画だけど、好きなヴァージョンを観客や視聴者が選べるようになる時代を先取りしていた。

『特別編』で付け加えられたマザーシップ内部の描写が『ファイナル・カット版』で再び削られたのは、「あちらの世界」というのは見せ過ぎてしまうと逆に神秘性が薄れると判断したからではないだろうか。ロイが何を見てどこへ行ったのかは観客の想像に任せた方がいい。 

観客が見たことのないものを次々と見せる異世界ファンタジー映画であるスター・ウォーズと違って、日常に突如として非日常的な現象や光景が姿を現わす『未知との遭遇』は、僕たちの生活と地続きな世界が描かれている。 

俳優たちの演技も、80年代の“SFX映画”のようなちょっとデフォルメされたカートゥーン(漫画映画)的なものではなくて、まだ70年代の『ジョーズ』のようなアメリカン・ニュー・シネマの残り香があってリアリズムなんですよね。とても繊細な芝居をしているし、スピルバーグの演出も丁寧。 

完全なコメディとして作ったものの興行的に大失敗した『1941』や、荒唐無稽なヒーロー物でかつての秘境活劇物のパロディでもある『レイダース/失われたアーク』(感想はこちら)を経たあとの『E.T.』は、より子ども向けということもあるけれど、ちょっと漫画映画的な演出がうかがえる。『未知との遭遇』から『E.T.』までの間のスピルバーグの演出の微妙な変化が興味深い。

“異星人”がバリーを連れ去る場面のホラー的な演出はスピルバーグがプロデュースしてトビー・フーパーが監督した『ポルターガイスト』を思わせる。

母親が怯える中で笑顔のまま平然としているバリーを演じた子役のケイリー・ガフィーをどうやって演出したのか、不思議で仕方ないんですが。まだ幼いのにすごくイイ顔をするんだよね。

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スピルバーグの子役の演出の巧みさは昔から定評があるけど(その集大成が『E.T.』。『フック』は…よく覚えてない^_^;)、家族には理解不能な異常な行動を繰り返して「わかってる。パパはちょっとおかしいんだ」と呟くロイの前で涙を流す長男(ショーン・ビショップ)の表情とか、これはほんとに生身の人間のドラマなんですね。ユーモラスな場面もあるけれど、登場人物にはコメディ的な単純化をしていない。

だからこそ、妻と子どもたちを地上に置き去りにしたままロイが行ってしまう結末には呆然とさせられるし、ヘリの中からロイとジリアンとともに逃げた男性が途中で力尽きて催眠ガスで眠ってしまって脱落する場面もあまりにあっさりしていて、あの登場人物やあの描写は一体なんだったんだ、というものも多い。

この辺もアメリカン・ニュー・シネマの、伏線なんか関係ない投げっぱなしな作劇を思わせる。

僕は長らくこの『未知との遭遇』は77年の『スター・ウォーズ』(感想はこちら)の翌年か2年後ぐらいの作品だと思い込んでいたんだけど、同じ年に作られたんですね。

先ほど触れたように物語は70年代的なものを引きずっているんだけど、視覚効果は『スター・ウォーズ』の1作目と比べるとより洗練されていて80年代っぽい。

87年に市川崑監督が撮った『竹取物語』(感想はこちら)ではクライマックスのかぐや姫が月に帰る場面で『未知との遭遇』のマザーシップ降臨シーンを引用、というより丸パクリしていたけど、残念ながら映像の出来は比べ物にならなかった。『竹取物語』はあれはあれで僕は愛着がある作品なんですが、当時すでに10年経っててもハリウッドの特撮技術に追いつけない邦画にガッカリさせられたことは否定できない。

今回初めて映画館で鑑賞してみて、確かに現在ならCGを駆使して技術的にこれ以上のものを作ることは容易だろうけど、それでも今から40年以上前に生み出された見事な映像を堪能しました。大量のエキストラも合成ではない迫力があった。これはどんな映像にも必ずと言っていいほど手が加えられている現在のハリウッド映画ではもはや味わえない感覚かもしれない。

今回の「午前十時の映画祭10」(残念ながらこれが最終回だそうですが)では『E.T.』も上映されるので、2002年の『20周年アニヴァーサリー特別編』が公開された時以来17年ぶりに劇場のスクリーンで観られるのを楽しみにしています。 

 

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第三種接近遭遇 (ボーダーランド文庫)

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*1:メリンダ・ディロンさんのご冥福をお祈りいたします。23.1.9