映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

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「マッドマックス」三部作 +『怒りのデス・ロード』


7月27日~8月17日にBS-TBSの「土曜デラックス」で「マッドマックス」シリーズ4作品が毎週土曜21:00から放送(すべて吹替版)されて、またちょうど現在8月2日(金) から『マッドマックス』(1979) と『マッドマックス2』(1981) がそれぞれ1作品2週間ずつ29日(木) まで上映中。

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↓以前書いた感想。
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「午前十時~」で『マッドマックス』1作目を観た夜に『マッドマックス2』をTVで視聴、また『怒りのデス・ロード』(2015) をTVで観た翌日に映画館で『マッドマックス2』を鑑賞、みたいなマッドマックス三昧な夏。『怒りのデス・ロード』も先日劇場でリヴァイヴァル上映を観たばかりだし。

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今年はシリーズ最新作の『マッドマックス:フュリオサ』が公開されたから、「午前十時~」もBSチャンネルもそれに合わせてシリーズ作の上映&放映の予定を組んでくれたんだろうけど、おかげさまで「マッドマックス祭り」が大いに盛り上がりました。

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実のところ、僕がこのシリーズを劇場で初めて観たのは『怒りのデス・ロード』だったし、それ以前には「マッドマックス」シリーズに特別思い入れもなかったんですよね。そもそも、メル・ギブソン主演の旧シリーズをちゃんと観てなかったから。

だけど、『怒りのデス・ロード』がほんとに好きだったので、そして今年になってついに『フュリオサ』が公開されると、これまでは縁の薄かった旧シリーズにも俄然興味が湧いてきたのだった。シリーズ作品すべてを監督しているジョージ・ミラーの「進化」の過程がしっかりと見て取れる。シリーズを通して観ることで気づくこともある。

この記事では1本ずつの感想ではなくて、映画館やTVでシリーズをザッと通して観て感じたことを綴っていきます。ちょっとゴチャゴチャした文章になってしまって申し訳ありません。まぁ、観終わって居酒屋で呑みながら喋ってる駄話を聴いているような感覚で読んでいただければ(^o^)

それにしても、今回シリーズを続けて観ていて、やっぱりどうしても気になったのは、1作目と2作目の、ほとんどジャンルが変わっちゃったかのような変貌ぶり。

無印の1作目は、要するにバイカー軍団と警官が戦う話で、冒頭に「今から数年後」と字幕が出るし、主人公のマックスが所属している「M.F.P. (Main Force Patrol)」というのも架空の警察組織で、だからちょうど『ロボコップ』(感想はこちら)的な近未来モノではあるんだけど、視覚効果は一切使っていないし、見た目も舞台となっているのは未来というよりはほとんど映画が作られた70年代末当時なので内容は現代劇で、その続篇である『マッドマックス2』がいきなり終末SF映画になっちゃったのがあまりに飛躍があり過ぎてとても同じシリーズには見えない。

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わずか2年の間に監督の中にどんな発想の転換があったのだろう。

それから、『マッドマックス』の1作目は当時作られていた暴走族映画の1本ということだけど、そしてこの映画がモデルにした別の作品(1974年の『マッドストーン』。日本公開は1981年)もあるようなんだけど、それら多くの暴走族映画とこの『マッドマックス』を分け隔てたものはなんだったのだろうか。

僕は60~70年代頃に作られていた暴走族映画をまったく観たことがないので(ピーター・フォンダ主演の『イージー・ライダー』は暴走族映画じゃないだろうし)、それらと比べて『マッドマックス』のどこが新しいとされたのかわからないんですが、この1作目を観て感じた疑問は、普通、妻や幼い息子を殺された警官が復讐する物語だったら、復讐の鬼と化した主人公が今度はもとは自分も所属していた警察に追われることになるとか、あるいは最終的に仲間たちも加勢してともにバイカー軍団と戦う、といった展開になるんじゃないかと思うんですよね。

だって、マックスは同僚のグース(スティーヴ・ビズレー)を殺されてるわけだし、だから他の仲間たちだってマックス同様にトーカッター一味を憎んでいるはずで、映画の序盤でトーカッター(ヒュー・キース=バーン)の仲間“ナイトライダー”(ヴィンス・ギル)を追う場面でやたらといきり立っていた同僚のループ(スティーヴ・ミリチャンプ。デブの方)とか、ループの運転でスピード出し過ぎて停車中の車に衝突、声を失って人口声帯で喋らなきゃならなくなったチャーリー(ジョン・リー)、それからスキンヘッドで妙にマッチョで上半身裸で植木に水をやってるフィフ隊長(ロジャー・ワード)とかキャラが立ちまくりな警官たちが、マックスが妻のジェシーや息子のスプローグと旅行に出かけて以降は二度と登場しなくなる。


なんか、スゲェもったいないんですよね、登場人物たちの使い方が。

マックスを孤高の復讐者にしたかったのかもしれないし、「マッドマックス」というタイトルなんだから彼の中に噴き出す狂気をこそ描くつもりだったのかもしれませんが、アクション映画のセオリーをわりと無視した作劇だったな、と。

いやまぁ、このシリーズは全作「アクション映画のセオリーを無視」してますが。

トーカッター一味は、確かに日常であんな連中がいたら大迷惑だし、撮影のために本物の荒くれ者たちを使った、と言われているように、わかる人が見たら彼らのヤバさがわかるのかもしれませんが、少なくとも映画の中ではトーカッターも配下の連中もチンケな悪党に過ぎない。

『怒りのデス・ロード』でも吠えてた元トーカッターの中の人。

ナイトライダーやトーカッターが対向車に衝突して死ぬ直前に目ン玉が飛び出る顔のドアップが挟まれるんだけど、まるで昔のギャグ漫画で驚いた時に登場人物の目がボヨ~ンって飛び出る時の顔みたいで観るたびに笑ってしまう。

今回BS-TBSでTV放送された吹替版は、1作目は「日本テレビ版」で、トーカッターの命令で結果的にグースを殺すことになるチンピラの一人、ジョニー・ザ・ボーイ(ティム・バーンズ)の吹き替えをジャッキー・チェンや「マジンガーZ」の兜甲児役などでおなじみの石丸博也さんが担当していました。


石丸博也さんって、「冒険野郎マクガイバー」の主人公もそうだしヒーローの声のイメージがあるけど、一方で特に洋画の吹き替えだと前述の『ロボコップ』の悪党一味の一人とか、『ダイ・ハード』で調子に乗ってて殺されちゃう奴など、情けなかったり軽めのノリの男性を演じられることもあるんですよね。グース役は富山敬さんだったし、いかにも70~80年代の吹き替えって感じで懐かしかったな。

タンクローリーに長い棒を使って登ってガソリンを奪ったり、のちの作品でも繰り返し描写されることを早くもやってたりする。

面白いのは、このシリーズは本数を重ねるごとに悪役の規模がデカくなっていくんですよね。

1作目ではあくまでも暴走族だったのが、2作目では敵はイカつい改造車に乗った完全武装のモヒカン頭の無法者たち。


3作目『サンダードーム』は2作目の世界を踏襲しながらも、敵の親玉は町<バータータウン>を手中に収めている。


『サンダードーム』の4Kの予告篇観ると、まるで『怒りのデス・ロード』のそれみたいでアガるんですが(^o^)

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さらにその30年後に作られた『怒りのデス・ロード』で、ヒュー・キース=バーンさんが演じるイモータン・ジョーは複数の拠点を束ねる支配者。

また、1作目と2作目にはセックスシーンや女性がレイプされる場面があって思いっきり裸も映っているけれど、3作目以降、そのような直接的な性描写は姿を消す。

『怒りのデス・ロード』は最初の1作目や2作目と同じ「R15+(15歳以上鑑賞可)」だけど、前述の2本と違って性描写は一切ない。

暴力描写や性描写が抑えられたことで「ぬるくなった」と感じる旧作ファンもいらっしゃるようだけど(ちなみに『フュリオサ』は、12歳未満は指導が必要なPG12。つまりR指定ではない)、僕はそれこそがジョージ・ミラー監督の「進化」の証しだと思う。

これまでは「男たちの映画」とされてきたものが、女性たちだって観るアクション映画に変化してきている。

何しろ、最新作の主人公も女性なんだし。

マックスが主人公に返り咲く続篇の計画もあるようだけど、さていつ実現するかな。とりあえずトム・ハーディヴェノムの新作に出てますが(^o^)

「土曜デラックス」でのTV放送は、1作目は1982年に「水曜ロードショー」で放映された吹き替えヴァージョン、2作目と3作目は1作目同様マックスの声を安原義人さん*1がアテている「スーパーチャージャー版」なるもので、『マッドマックス2』も僕が観たことがあった山寺宏一さんがマックスの声を担当したテレ朝版ではなかったので新鮮でした。

TBS制作の吹替版も他にあるんだけど(こちらのマックス役は鈴置洋孝さん)、声を安原さんで統一するためだったのかな。それと、ノーカットで放送するためにこれまで民放で放送されたカット版ではなくて、吹き替えもカットされてないこちらのヴァージョンを使ったんでしょうね。

3作目の『サンダードーム』には2作目の“ジャイロ・キャプテン”役だったブルース・スペンスさんが別のキャラクターで出てくるんだけど(ジェデダイア役)*2、吹き替えの方も同じ多田野曜平さんなのが面白かったですね。シリーズが作られたずっとあとに行なわれた吹き替えだからこそ可能だった声のキャスティングではある。


マッドマックス2』は以前DVDで観ているけれど、それもすでに9年前のこと。久しぶりに観たらやっぱり面白かったし、闘いのあとにブーメラン小僧のフェラル・キッド(エミル・ミンティ)がまるで小動物のようにマックスに脇に抱えられておとなしく運ばれてる姿がめっちゃ可愛かった。


3作目の『サンダードーム』についてちょっとだけ触れると、いろいろ事情があって『サンダードーム』のドラマ部分の演出はジョージ・ミラーではなくてジョージ・オギルヴィーが務めたらしいし(ミラー監督は終盤のアクション場面のみ担当)、確かにシリーズ中の1本としては人気がなくて評価が低いのもわかるんだけど、でもこの映画で描かれた要素は確実に『怒りのデス・ロード』に引き継がれていて、だからけっしてその存在は無意味でも無駄でもないと思う。

伝説や神話として作られていたり、女性のキャラクターがこれまでのシリーズ作よりもさらに前面に出ていたり、あとは身体にハンディキャップがある俳優の起用なども『怒りのデス・ロード』に続くものだ。子どもの活躍は『フュリオサ』に継承されているし。


この映画はカーチェイスシーンが最後の30分ぐらいしかないために評判が悪いんだけど、そのカーチェイスは『怒りのデス・ロード』を彷彿とさせるし、ラストで子どもたちが向かったのが荒廃したシドニーだったことがわかるくだりは、『フュリオサ』で映画の舞台がオーストラリアであったことが明かされる冒頭に繋がる。

町の中のシステムとか、環境についてなど、『怒りのデス・ロード』で再利用されているアイディアは多い。


1作目や2作目ももちろんだけど、『サンダードーム』あっての『怒りのデス・ロード』や『フュリオサ』だとも言える。1作ごとにジョージ・ミラーは進化している。

最後にティナ・ターナー演じる敵のボスが倒されなくて、「なかなかやるじゃないか。あばよ!」と笑いながら去っていくのが肩すかし、というのもよくわかるんだけど、ただ大スターに気を遣ったというだけではない、なんか妙なユルさがまた80年代ファンタジーっぽくて(笑)

アングリー・アンダーソン演じるアイアンバーのしぶとさも、ほとんどコメディだし。

彼のキャラは『フュリオサ』でクリス・ヘムズワース演じるディメンタスがそのコメディリリーフ的な部分(アイアンバー以外でもディメンタスのもとになったキャラクターとしては、もちろん『マッドマックス2』のマイクパフォーマンス・マッチョのヒューマンガスがいるが)を引き継いでいる。

ファンのかたがたはいろいろ言いたいでしょうが、それでも『マッドマックス/サンダードーム』はもう少し評価し直されてもいいんじゃないかな。『マッドマックス2』から一足飛びに『怒りのデス・ロード』にはいかないんだよ。

余談だけど、僕は「マッドマックス」シリーズについては2作目以降、どこかアレハンドロ・ホドロフスキー監督の『エル・トポ』(感想はこちら)を思い出すんですよ。

砂漠の異色西部劇で、『マッドマックス/サンダードーム』のマスター・ブラスターみたいなのも出てくるし、伝承めいた作りとか、ジョージ・ミラー監督はあの映画を参考にしたところはなかったんだろうか。

ホドロフスキーといえば「デューン/砂の惑星」と関係があるし、そうするとアニャ・テイラー=ジョイ繋がりで「マッドマックス」にも繋がるということで(^o^)


さて、TVでの視聴も劇場での鑑賞も終えて、僕のこの夏の「マッドマックス祭り」は終わりを迎えようとしていますが、こんなふうにシリーズを通して、それも字幕と吹き替えで繰り返し同じシリーズを観るなんてことは今後もそうそうない機会だったからほんとに楽しかったし、さらに「マッドマックス」の世界を豊かに感じ取ることができて嬉しい。まさに「サーガ」として堪能しました。

こういう映画を作るために身体を張ってる人たちがいる。そのことにあらためてグッときた。

ジョージ・ミラー監督には、これからもぜひこのシリーズを撮り続けていただきたいです。


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*1:安原義人さんはリチャード・ドナー監督による1994年の『マーヴェリック』でもメル・ギブソンさんの声をアテてますね。同じくドナー監督の「リーサル・ウェポン」シリーズでも(いずれもソフト版)。僕はメル・ギブソンの声は安原さんが一番しっくりくるなぁ。

*2:昔の映画って今ほどシリーズの繋がりとか厳密に言われなかったから、以前出演した俳優がこうやって別のキャラクターで再出演、ということもよくあった。おおらかな時代だったな。