映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

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『野火』(2015年版)


塚本晋也監督・主演、森優作、リリー・フランキー中村達也山本浩司辻岡正人、神高貴宏、入江庸仁、山内まも留、中村優子ほか出演の『野火』2014年作品。日本公開2015年。PG12。

原作は大岡昇平の同名小説。

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日本軍の敗北が濃厚となった第2次世界大戦末期のフィリピン戦線。結核を患った田村一等兵塚本晋也)は部隊を追放され、野戦病院へと送られる。しかし、野戦病院では食糧不足を理由に田村の入院を拒絶。再び舞い戻った部隊からも入隊を拒否されてしまう。空腹と孤独と戦いながら、レイテ島の暑さの中をさまよい続ける田村は、かつての仲間たちと再会する。(映画.comより転載)


初公開以来、全国のミニシアターで上映され続けている塚本晋也監督の2014年(日本公開は2015年)の作品を劇場鑑賞。

去年の暮れには塚本監督の新作『ほかげ』を観ました。

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『ほかげ』の感想でも書いたように、僕は塚本監督作品のファンというわけではなくて、個人的にはどちらかと言えば苦手な作風の監督さんなんだけど、この映画は世間での評価も高いし、いつかは観たいな、と思っていたので。

僕は原作小説を読んでいなくて、1959年の市川崑監督、船越英二主演版の映画も観ていません。

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以前、Wikipediaかなんかであらすじを確認したような記憶もあるけど、戦争を描いたものということ以外はどのような内容の作品なのかもよく知らないまま、この2015年版の『野火』を観たのでした。

だから、実は「人肉食」についての話だったことには意表を突かれた。

いやまぁ、『ひかりごけ』(原作:武田泰淳、監督:熊井啓)とか、その手のテーマを扱った戦争映画の存在も知ってはいたけれど、まさかこちらもそういうのだとは。

舞台はフィリピンのレイテ島で、ほぼ全篇に渡って島の中を彷徨う主人公の姿を追う。

しかし、そこで描かれるのは日本兵たちが飢えて食料の芋を奪い合ったり延々「猿の肉」を求める姿で、アメリカ軍に攻撃されたり現地の一般住民を殺害する場面もあるが、ほとんどは仲間同士で殺し合う場面に費やされる。

『ほかげ』の時にも感じたように、僕などが「戦争映画」と言われて思い浮かべるタイプの映画とはかなり異なるもので、戸惑いを禁じ得なかった。

だって、この映画を観ていて僕がまず連想したのは「ゾンビ映画」だったから。

森の中ですれ違う日本兵たちの生気のない目と、やがてそこで主人公の田村が出会った兵士・永松(森優作)や彼からは「おっさん」と呼ばれる安田(リリー・フランキー)らは、人肉を手に入れるために殺し合う。永松が「猿の肉」と称していたのは、彼が撃ち殺して獲ってきた「人間の肉」だった。

持っていた手榴弾を安田に奪われてそれを投げつけられた田村は、爆発でえぐれた自分の背中の肉片を食う。

ゾンビは人肉を食うが、では自分で自分を食わないのか?という問いに答えるかのような描写w

…大真面目に演出されているけれど、何かブラックな冗談のような映画に思えたのだった。韓国映画哭声/コクソン』(感想はこちら)を思い出した。

途中で「自分は一体何を見せられているのか?」とボンヤリしてしまったほど。

原作小説を読んでいないので、この2015年の映画版が原作からどれぐらい内容が変えられているのかわからないんですが、それぞれのあらすじを読むと大筋はそのままっぽいし、主人公や彼が出会う同じ兵卒の「永松」や「安田」など、登場人物の名前も共通している。

手塚眞監督の1999年の『白痴』(感想はこちら)も坂口安吾の原作を大幅に脚色した映画でしたが、あの映画ほどではないにせよ、この2015年版『野火』も塚本監督がずっと撮ってきたジャンルムーヴィーっぽい作りで戦争映画を撮ってみた、といった感じがした。

『ほかげ』でテキ屋の男を演じた森山未來さんの風貌がとても当時の人には見えなかったように、戦争中の当時の歴史考証とか再現を厳密にやっているというよりは、まるで現代を舞台にしたようにも見える。

この映画が一部の人たちに絶賛されているのも、距離をおいた「昔あった戦争」ではない、今と地続きの作品として作られているからだろうか。

BLANKEY JET CITYのドラマーの中村達也さんが『バレット・バレエ』(1999) に続いて塚本晋也監督作品に出演してますが、イイ味出してましたね。ああいうやさぐれた感じの上官とか、いそうだもんな。


リリー・フランキーさんは『万引き家族』(感想はこちら)の時のような若干不快な「べらんめぇ調」の喋り方で、言葉巧みに永松を操って彼から「猿の肉」を巻き上げている。

この二人の共依存のような関係も、戦争となんの関係があるのだろう、と観ていてなんとも不思議だったし、どうも塚本晋也監督は僕なんかとはまったく違う一対一や集団内での人間同士のかかわり方にこだわりを持たれるかたのようで。

互いに支え合っていたかと思えば、突如として殺し合うような意味のわからなさ。

何かのメタファーが込められているんだろうか、とも思ったけど、よくわからない。

永松役の森優作さんは、最近では『ミッシング』(感想はこちら)で印象深い演技を見せていたし、朝ドラにも出演するなど、たくさんの作品に出てますね。


予算の都合もあるんだろうけど、アメリカ軍の姿がまったくと言っていいほど映し出されず(せいぜいジープ1台)、激しい銃撃や機銃掃射だけで表現されているために、「敵」と戦う恐ろしさではなく飢えに苦しみ、正気を失い、同士討ちしたり自決して(イーストウッドの『硫黄島からの手紙』ばりに自ら手榴弾で爆発四散する場面もある)果てていく者たちの無残で愚かなさまをこそ描いているようだった。


この映画には兵士たちに命令を下す「上の立場」の人間たちは出てこない。現地で命令を受けて右往左往した挙げ句に死んでいく下っ端の兵士たちだけを映している。

そして、「戦争」というのは死んでいく人々のほとんどがそうなのだ、ということ。

だから、これは紛れもなく「戦争映画」なんだろう。

戦地で亡くなった日本兵のほとんどは病死や餓死だったことからもわかるように、かっこよく敵陣に突っ込んでいって敵兵と刺し違えるとか、勇敢に戦う兵士など、ゲームやアクション映画の中にしかいない。

僕の母方の祖父は戦時中にフィリピンに出征していたそうだけど、生前「勇敢な兵士はみんな死んだ」と言っていた。自分は臆病だから生き残った、と。

僕は祖父の戦場での体験を直接聞いてはいないので、祖父がフィリピンのどこの島に行っていたかも知らないし、そこで何を見てどんな経験をしたのかも知りません。

だけど、祖父が言っていたように、戦争というのは僕のように戦争を知らない者たちが考えるような生易しいものではないんだろう。本当に「悲惨」きわまりないものに違いない。

それは、今海外の戦闘地域から伝えられる情報で部分的に知り得るものだけれど、そこからさらに僕たちは想像力を働かせて「人と人とが殺し合う」ということの恐ろしさをしっかりと胸に刻み込んでおかなければならない。

もはやなんのために戦っているのかさえもわからない、その意味すら失われてもなおやめられない、そんな不毛な行為こそを「戦争」という。

この映画は作られて今年で10年目ということで、映画本篇の上映前に塚本監督の挨拶がヴィデオ映像で流れましたが、そこで監督は「今は“きな臭い”どころではない」と現在の日本の状況を危惧する言葉を発しておられました。

そして、旗を立てたらそこが自分たちの土地になるようなことがなぜいまだにまかり通るのか、暴力によって他国を侵略してはいけない、という当たり前のルールがどうして守られないのか、と疑問を呈されていました。

80年代や90年代に特殊メイクなどを駆使して映画の中で刺激的な「ヴァイオレンス」を描いてきた塚本晋也監督が、同じ技術を使って戦争映画を作らなければならなかったという事実。戦争にかっこよさなど微塵も感じてはいないだろう塚本監督が、それでも描かずにはいられなかったもの。

僕はこの映画を「ゾンビ映画」の1本として観たし、ゾンビってのは現代の人間のメタファーなんだから、79年前に敗れた戦争を描きながらも、これは2024年の今生きている僕たちの物語でもある。

二度と過ちを繰り返さないためには、あまりに愚かだったあの戦争をけっして忘れずに戒めとして語り継いでいく必要がある。「なかったこと」にしてはならない。


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