映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

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『白痴 デジタルリマスター版』

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手塚眞監督、浅野忠信甲田益也子橋本麗香草刈正雄藤村俊二江波杏子小野みゆき、荒井紀人、あんじ、松岡俊介原田芳雄ほか出演の『白痴 デジタルリマスター版』を劇場鑑賞。1999年作品。R-15。

原作は坂口安吾
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どこの国を相手に、なんのために行なわれているのかもさだかでない戦争が続く、未来とも過去ともつかない時代。TV局のADの伊沢は、横暴なディレクターやワガママ三昧なアイドルの歌姫「銀河」に振り回されながら毎日自分に向いていない仕事をこなしていた。ある日、隣人の同居人で“白痴の女”サヨが伊沢の下宿している部屋にやってきて、そのまま居ついてしまう。


映画の内容について書きますので、まだご覧になっていなくてこれから観る予定のかたは鑑賞後にお読みください。

この映画は初公開当時、映画館で観ました。

その後もレンタルヴィデオで観返すことはあったけれど、DVDの普及後は観ていないし、劇場では21年ぶり。

どうやら公開20周年の去年にこの「デジタルリマスター版」が作られたようなんだけど全然知らなくて、今回の劇場での再公開もTwitterのタイムラインでたまたま告知を見て知ったのでした。

おそらく手塚眞監督の新作映画で二階堂ふみ稲垣吾郎主演の『ばるぼら』の公開に先立って、ということなのだろうけれど、まともに宣伝もされていないので危うく観逃すところだった。

僕が住んでるところでは小さなミニシアター1館でわずか一週間、しかも一日1回の上映。

平日に観にいきましたが、新型コロナウイルス感染症のせいもあるとはいえ、お客さんの数はわずかでした。まぁ、今は映画館は空いててくれた方が僕は都合がいいですが。

…なんと説明すればよいのかわからないんだけど、好きだったんですよね、この映画。

ムソルグスキー組曲展覧会の絵」より~キエフの大門って今では「ナニコレ珍百景」でおなじみですが、僕にとってはこの『白痴』で使われた曲、というイメージなんです。

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クライマックスで家々を焼き尽くし大地が炎を上げる中を逃げていく主人公の伊沢とサヨのバックで鳴り響く「キエフの大門」は、初見時にも大いなるカタルシスをもたらしたし、あれから21年経ってそこにノスタルジーも加わって、今回も言いようのない余韻を残してくれたのでした。この気持ちを人と分かち合うのは難しいかもしれない。自分のこの21年間を振り返りながらの鑑賞でもあったから。

出演者の中には、すでに亡くなられているかたも結構いらっしゃいますが。

僕は原作とされている坂口安吾の小説は読んでいないし、太平洋戦争の敗戦の翌年に書かれた原作に対してこの映画版はそもそもの時代設定からして相当いじられてるのはわかるので、原作の忠実な映画化は期待しない方がいいです(でも、原作のあらすじを読むと結構そのまんまなのだが)。原案、みたいなものと思って観るべきでしょうね。

この映画は新潟に大掛かりなオープンセットを組んで撮影されていて、だから作り込まれたいくつもの木造家屋(普通にエアコンの室外機とか衛星放送用のアンテナが映し出されている)がどこか異界じみているし、それが最後に派手に燃え上がるのも見どころ。焼け跡のオープンセットの広さや空襲から逃げる人々のエキストラの数からもかなり大規模な撮影だったことがうかがえる。

なぜ新潟で撮影したのかといえば、原作者の生まれが新潟だからということのようですが、撮影では大勢の市民のかたがたがボランティアで参加されたそうです。

僕はこの映画が公開された1999年に新潟を訪れて自主映画の催しに参加したんですが、その会場であるミニシアター「シネ・ウインド」は『白痴』の映画化に深くかかわっていて、関係者の皆さんも撮影に参加されたので、その時のことなどのお話をうかがったりもしました。

シネ・ウインドの名前は映画の劇中でも呼び出し放送の中で出てましたね。

僕はその後、8年間毎年この時期に新潟で「シネ・ウインド」にお邪魔することが恒例になったのでした。あれからもう10年以上訪れていませんが、懐かしいですね。

今回のデジタルリマスター版の上映館を確認したらそのほとんどはミニシアターのようだったので、もうちょっと大きなシネコンでやればいいのに、と思ったんだけど、もともとこの映画自体が手作り感溢れる試みでもあったようだし、今回の再上映でもミニシアターを応援するようなところもあるのかな。

今回久しぶりに観るまで忘れていたんだけど、主人公の伊沢は学生の時に8ミリ自主映画で賞を獲って、今でも8ミリフィルムキャメラを携帯していて思い立つとそれで周囲を撮影している。自主映画青年の話だったんですね。

僕がこの映画がずっと好きだったのは、伊沢に自分を重ねていたんだと思う。

原作の伊沢は映画の撮影所で働いているということらしいので、そんなにめちゃくちゃ設定を変えてしまっているのでもないんだな。

歌姫・銀河にハサミで片耳を切られた伊沢にトイレで声をかけたプロデューサーの野村(荒井紀人)は、伊沢が学生時代に撮った8ミリ映画を観たと言って、「君に賭けてみたい」と伊沢にシナリオを書いてくるよう依頼する。

しかし、伊沢が書いたシナリオを読んだ野村は「僕にはよくわからないな。視聴者に理解できるかな。彼らはバカですからね」と答える。まるでこの映画『白痴』のシナリオを読んだプロデューサーの言葉のようにも感じられて可笑しい。手塚監督も苦労したのだろうか。

実は野村の狙いはかつて自分が発掘した銀河ともう一度組むことで、銀河が伊沢のことを気に入ってるらしいと聞きつけて伊沢をダシに使おうという魂胆だった。

このプロデューサーの、かつては情熱に燃えていたが、やがては「業界人」と化して夢見る若い人間を自分の目的の道具としか考えないようになった姿は妙にリアルだった。

野村は未練がましく銀河の誕生パーティにもやってくるが、銀河のマネージャー(小野みゆき)から「ここは負け犬の来るところじゃない」と言われて退散する。

小野みゆきのクールビューティぶりが素敵。とんねるずの番組では「デビルタカマン」演じて恥ずかしいポーズとってましたが(笑)

学生時代に8ミリ自主映画で賞を獲った、というのは手塚眞監督本人のことだから、ちょうど、宮崎駿監督が『風立ちぬ』でやったのと同じように、これは坂口安吾の原作の世界を借りた、手塚監督自身の映画ということ。

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誰と戦っていていつ終わるとも知れない戦争、というのは『ハウルの動く城』のようだし。

面白い偶然ですよね。この『白痴』の方が公開されたのは先なんですが。

ノローグの中で伊沢が焼け跡にバベルの塔のごとくそびえ立つTV局の巨大な建物「メディア・ステーション」のことを指して言う「富と愚劣の殿堂」というフレーズがずっと耳に残っている。

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ここで番組を作っているディレクターを原田芳雄が演じていて、彼の口からADたちに飛ばされる容赦ない罵声がまるで『フルメタル・ジャケット』や『セッション』の教官のそれみたいで面白いんですが、その鬼ディレクターも頭が上がらないカリスマアイドル歌手「銀河」は、ほとんど伊沢と同じぐらいのウエイトで描かれている。原作の方に彼女に相当する登場人物がいるのかどうか知りませんが、橋本麗香演じるこの歌姫は下っ端ADの伊沢に興味を示し、ことあるごとに彼のことを見透かすようなことを言う。

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伊沢が出会った“白痴の女”サヨが無垢や「守るべき存在」の象徴のように描かれているなら、銀河は他人を踏みつけてでも生き延びようとする、「死ぬ覚悟の目」をした伊沢とは対極の人生を送っている。

一見まったく異なる二人だが、銀河は「私のこと見下してるんでしょう」と執拗に伊沢にカラみ続け、彼の目を「気に入らないわね。えぐり出してやりたい」と毒づく。

伊沢は無口だが、彼のたたずまいや表情の変化の乏しい顔から、人は生きることの虚しさを感じ取ってしまうのかもしれない。

90年代に浅野さんはこういう役をよく演じていた。

僕は、銀河のようないつも明るく賑やかだけどどこかで常に苛立ち、その鬱憤を他者を傷つけることで晴らしているような人を学校や職場などでこれまでに何人か見てきたけれど、橋本さんの演技は真に迫っていてまるで彼女自身の中の怒りと孤独をこの銀河というキャラクターの中に込めて、それをキャメラに向かってぶつけているようだった。

機嫌がよかったと思ったら急に顔を歪めてヒステリックに喚き出して、みんなを部屋から追い出す。なぜ彼女がそのような態度をとったのか、観客にはわかる。

旧約聖書サロメのように権力者の前でダンスを踊って、なんでも好きなものをやる、と言われて彼女が所望したのはヨハネならぬ「伊沢の首」だった。

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ファンファン大佐こと岡田眞澄筒井康隆の姿も。

空虚なバカ騒ぎの中で一人だけ冷めている伊沢。彼の生きることを諦めたまなざしが銀河を苛立たせ、見ないふりをしてきた彼女の中の「虚無」の存在を嫌でも思い出させる。

彼女は伊沢を恐れている。彼を見ていると正気に戻ってしまうから。取り巻きにちやほやされて言いたい放題、やりたい放題のような彼女は、本当は誰よりも孤独で、しかし自ら死ぬ勇気はなく、だから独りぼっちで「助けて」と呟いてうずくまる。

銀河に比べるとサヨはその存在自体に現実味が薄く、伊沢からも“白痴の女”と表現されているようにイノセントさが強調されている。どこか聖化されてもいて、それは男の中の都合のよい「夢の女」のようでもあるし、伊沢の回想シーンでサヨが伊沢が幼い頃に亡くなった母親に重ねられていることからも、「セックスできる母親」のように描かれている。

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伊沢とサヨの濡れ場はないが、互いに抱き合いキスし合う彼らはほとんど恋人同士のようだし、空襲の時に逃げる途中で別の男女のまぐわう姿が映し出されたり、伊沢は最後には火山の前でサヨと並んでくっついたまま石と化す空想をしたりもする。

なぜ石なのかといったら、サヨと同居していた狂人の隣人(草刈正雄)が石に顔を描く芸術家だったから。

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美の壺」でも同じような役を演じてそうな草刈さん。

やがてサヨは巨大な仏様のような姿になる。

きっと伊沢とサヨの関係に疑問を持つ人もいるだろうと思う。生身の女性というよりは、完全にこの世ならざる存在としてサヨを描いているから。

ただ、サヨを演じる甲田益也子のたたずまい、その顔と表情にあまりに説得力があるものだから、浅野忠信とのカップルは僕は本当に何かとても尊いものを眺めているようだった。

甲田さんは周防正行監督の『ファンシイダンス』に中性的な男性僧侶役で出演していますが、本職はモデルなので、その後、手塚監督から長らく出演のオファーをされながらずっと固辞していたのが、ようやくこの作品への出演を快諾されて手塚監督は10年越しの念願の企画を実現することができたのだそうで。

甲田益也子というかたは“ヴィジュアリスト手塚眞にとってのミューズだったんですね。


…やはりうまくこの作品のよさを説明できなかったなぁ。またいつか、あらためて語れたらいいな、と思いますが。

この映画よりも昔の作品を映画館で観ることも最近ではあるし、別にこれまで観た中で一番好きだというわけでもないのだけれど、1990年代最後の年に観たこの映画に個人的ないろんな想いが凝縮されていて、最後の炎はすべてを焼き尽くして、その中からまた新しい世界が生まれるイメージに溢れているから、この映画を観て、ずっと死のうと思っていた男が絶望の淵から「生」の世界へ立ち還るラストに自分を重ねて、そのたびにまたもう少し生きようと思うのです。


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