大島渚監督、デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけし、トム・コンティ、ジャック・トンプソンほか出演の『戦場のメリークリスマス 4K修復版』を劇場鑑賞。1983年作品。
原作はローレンス・ヴァン・デル・ポストによる小説「影の獄にて」と「種子と蒔く者」。
1942年、日本統治下のジャワ島レバクセンバタの俘虜収容所。英国陸軍の俘虜(捕虜)・ロレンス中佐(トム・コンティ)は戦前には日本に住んでいて日本語を話せるため、通訳の役割を果たしたり、また日本軍兵士のハラ軍曹(ビートたけし)とはしばしば談笑もする。所長のヨノイ大尉(坂本龍一)は新しく収容されたセリアズ少佐(デヴィッド・ボウイ)に関心を寄せる。セリアズは日本兵に対して毅然とした態度を崩さず、時には反抗的な素振りも見せるのだった。
大規模な上映はこれが最後、というふれこみで公開中の本作品。
僕が子どもの頃に初公開されて、出演者のビートたけしがお笑い番組の「オレたちひょうきん族」の中で「戦場のメリーさんの羊」というコントをやっててその存在を知ったんだけど、翌年にTVで放映された時に観ようとしたら、親から「大人が観る映画だよ」と止められました。「メリークリスマスって題名だから、サンタクロースの映画かなんかだと思ったんだろう」と父親が笑っていた。
まぁ、“サンタクロース”の映画ではあったわけですが。確かに小学生が観るような映画ではなかったな^_^;
結局、その後ずいぶん経ってから深夜にたまたまTVでやってたのを「ながら観」したんだけど、なんかずっと兵隊たちが喋ってるだけで意味がよくわかんなかったし面白いとも思わなかった。
たけし演じるハラが俘虜に「お前はオカマか」と尋ねるところやデヴィッド・ボウイが花びらをムシャムシャ食べるところ、それから彼が坂本龍一にキスするところぐらいしか記憶になくて、それ以来観ていなかった。
で、せっかくの機会だからあらためて映画館でちゃんと観たいなと思って。
日曜日だったこともあってか、客席は結構埋まってました。
観終わって、あぁ、こういう話だったのか、と。
戦時中の日本軍の俘虜(捕虜)収容所の話、というとアンジェリーナ・ジョリー監督の『不屈の男 アンブロークン』(感想はこちら)を思い出しますが、あの映画も『戦場のメリークリスマス』と同様に実話を基にしていました。
どちらも舞台は戦時中ですが、僕はこれらを戦争だけではなくて「日本人」と「暴力」の関係を描いたものとして観ました。
当然ながら暴力を振るうのは日本人だけに限らないんだけど、これらの映画では外国人の視点で見た日本人の奇妙さ、その特徴がよく捉えられている。
「日本人一人ひとりは悪人だとは思いたくない。しかし集団になると…」とロレンスは言う。日本に住んでいたこともあり、日本人をよく知っていて日本の文化に理解と敬意を持っている彼だからこそ、その言葉は重い。
ビートたけし演じるハラは、ロレンスと言葉を交わして笑い合ったり、かと思えば突発的にロレンスに暴力を振るう。彼はまるで、その後北野武が自分で監督したヴァイオレンス映画の登場人物のようだ。クリスマスには酒に酔って上機嫌で「ファーゼル(Father)・クリスマス!(サンタクロースのこと)」と繰り返しながら、独房に入れられていたロレンスとセリアズを上官であるヨノイに無断でもとの宿舎に戻してやる。無邪気さと凶暴性がない混ぜになったような男。
その一方で、彼はオランダ兵の俘虜に性的暴行を働いた朝鮮人軍属のカネモト(演じるのは自身も在日2世であるジョニー大倉。劇中でのカネモトの行動が謎過ぎでちょっと意味がわからなかった。なんで親切にしていた相手を急にレイプするのか*1)に切腹を命じたりもする。だが、そのカネモトを戦死扱いして遺族に恩給が出るよう計らい、彼の葬式も執り行なって自らお経を唱える。
腹を切って前屈みになるカネモトに刀を振りかざしたハラが「頭を上げろ!」と怒鳴り続けるのが怖い。カネモトに乱暴された被害者のオランダ兵は、カネモトが斬首されるのを見て自分で舌を噛んで、その後死ぬ。
この一連の騒動のなんという無意味さ。人の命があまりに軽い。
ハラは優しいところもあるが、突如暴力性を発揮する。『アンブロークン』の感想にも書いたけど、これってDV加害者と同じなんだよね。戦争という非常時だけでなく実は日常的に行なわれる暴力とも繋がっている。若松孝二監督の『キャタピラー』(感想はこちら)とも通じるテーマ。戦争や災害時、世の中が不安定な時に、これまで隠されていた暴力性までもが浮かび上がってくる。
戦後、戦犯として裁かれ処刑をひかえたハラがロレンスに英語で話す「私がしたことは他の兵隊もしたことです」という言葉は、彼のような日本人が他にも大勢いたことを意味するし、彼らは自分たちがやってきたことがどれほど罪深いか自覚していなかった。下手をすると、いまだに事の重大さを自覚していない日本人は少なくない。
この映画を今観ることの意味は大きい。
精神論で物事を推し進め、不平を許さず、しかし、いざとなると非常に脆い日本人の弱さをこれでもかと見せつけられる。自分を省みる気持ちで観ました。
劇中でセリアズら俘虜たちからは、しばしば日本兵に対して「狂っている」という言葉が発せられる。なぜ日本兵はこんなに理不尽な暴力を振るうのか。
ロレンスは日本兵たちに「我々はケダモノではない。人間だ」「殴らないでほしい」と訴える。
「我々はケダモノではない。人間だ」という言葉は、少し前に名古屋入管に収容されていたスリランカ人女性が死亡して、日本側の非人道的な対応に遺族が発した言葉だ。戦時中の日本兵とまったく同じ言葉を現代の日本人が投げかけられている。彼女以外でも人権を無視した扱いを受けて外国人の収容者が死亡した例がいくつもある。これは非常に深刻な問題を提起している。この映画で語られていることは、けっして遠い昔の話ではないということ。
大島渚監督の作品を僕はほとんど観たことがないんですが(60年代頃の作品を観て挫折)、僕が子どもの頃は「ビートたけしのTVタックル」にゲスト出演したり、「朝まで生テレビ」で「バカヤロー!」と吠えてるイメージが強くて、映画の出演者に怒鳴ることも多かったらしい大島監督に対して、撮影中に坂本龍一さんとたけしさんは、もしも監督から怒鳴られたら帰ろう、と申し合わせていたところ、二人に気を遣った監督は代わりに助監督に怒鳴りまくってたそうで。
戦時中の日本兵のことをとやかく言えないよなぁ。
『戦場のメリークリスマス』って、同性愛的な要素とか戦争の中で敵との間に芽生えた友情の美しさ、みたいな部分が注目されがちだけど、僕は正直なところこの映画にそういう甘美なものなど感じることはなくて、ひたすら日本兵とか日本人の“異様さ”だけが脳裏に焼きついたのでした。それは岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』を観て、登場する日本の軍人たち全員に嫌悪感しか抱けなかった時のことを思わせた。
セリアズは日本兵のことを「狂ってる」と言うが、しかし、その日本兵のあの狂った価値観や道徳観はいまだに僕たち日本人の中に根づいている。それがとても恐ろしい。
煙草に印刷された菊の紋にうやうやしくお辞儀をするヨノイの姿は、記者会見の場で日本の国旗にいちいち一礼する首相と同様に滑稽だし異様だ。
どうでもいいけど(いや、ずっと気になってるが)、この映画のヨノイはなんであんなメイクをしてるんだろう。どう考えてもあんな軍人はいないでしょ^_^; 坂本龍一さんは化粧なんてしてなくても充分目立つ顔立ちなのに。YMOのライヴからそのまんまやってきたみたいで奇妙。
金髪で美形のデヴィッド・ボウイ演じるセリアズにヨノイが性的に執着しているように見えるところなどは、やはり金髪で碧眼の俳優ピーター・オトゥール主演の『アラビアのロレンス』(感想はこちら)を連想する。大島監督はデヴィッド・リーン監督のあの映画を意識していたのではないだろうか(リーン監督は戦時中の日本軍の俘虜収容所を描いた『戦場にかける橋』も撮っているし)。
ピーター・オトゥールは、4年後の『ラストエンペラー』(感想はこちら)に坂本龍一とともに出演してました(同じ画面に二人が映っている場面があったかどうかは失念)。
ハラが俘虜の一人に「お前はオカマか」と尋ねる場面もあるように、ここでは映画の作り手が“同性愛行為”に関心を寄せているのがわかるけど、僕にはこのあたりの作品の狙いがよく掴めなかったし、ヨノイがセリアズに初めて会った時の呆けたような表情とか(この時、坂本さんが思いっきり台詞をつっかえてるのが可笑しい。うろたえ過ぎ^_^;)、下唇を突き出して口をすぼめた表情など、可愛いやら面白いやらで、ほっぺにチューされて卒倒しちゃったりして(そりゃ、ボウイさんにキスされたら誰だって卒倒するがw)、まるでコントを見ているようだった。
坂本龍一さんは画的にはとてもよく映えるんだけど、『ラストエンペラー』でもそうだったように本職の俳優じゃないから演技ははっきり大根なんですよね。喋るとボロが出る。
主要キャストの一人の演技がたどたどしいうえに同じメロディが反復されるシンセサイザーの曲はいかにも80年代っぽいし、だから、この映画は僕には手放しで名作扱いするにはどうも歪な作品に思えるのです。
でも、結果的には、坂本龍一とビートたけしという当時は色物キャスティングと思われたメインの出演者2名のおかげでこの映画が今もって記憶されているのも確かだし、もちろん、デヴィッド・ボウイの存在がこの作品に与えた価値の大きさについては言うまでもない。
シェケナベイベーのあの人が軍人には全然見えなかったり(でも、実際にはあんな感じのもいたのかな)、まるで松村邦洋のように肥えたビートたけしなど異物感のあるキャストは今観るとかえって新鮮ではあった。
僕はデヴィッド・ボウイの歌をこれまでに多く聴いてきたわけじゃないし、彼が主演した『地球に落ちて来た男』も『ハンガー』も恥ずかしながらまだ観ていませんが、『ラビリンス/魔王の迷宮』は懐かしいし、彼の曲は今でもしょっちゅう映画で使われているから、これからもずっとおなじみのミュージシャンであり続けるだろう。
死してなお高まるボウイのカリスマ性。
これは大島監督とともにデヴィッド・ボウイが僕たち日本人に残してくれたメッセージでもある。
ヨノイを抱きしめて両頬に口づけをしたセリアズは“種蒔く者”になれただろうか。
私たち日本人はかつての残虐な行ないを反省して改心し、変われただろうか。ハラが死ぬ直前に変わったように。
劇場パンフレットは、同じく現在劇場公開中の『愛のコリーダ』と一冊にまとめられていて読み応えはありますが(定価¥900)、コラムとかストーリー紹介などの文章に重複する部分が多いのがちょっと気になりました。
『愛のコリーダ』も観にいこうと思います。
※坂本龍一さんのご冥福をお祈りいたします。23.3.28
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