ある広域暴力団の会長が傘下の組を陥れようとしたことから、さまざまな関係者の思惑が交錯し、多くの血が流されることになる。
今さらですが、「アウトレイジ」シリーズの完結篇(?)である『アウトレイジ 最終章』が公開中なので、それに合わせて。
以下は、2010年の劇場公開時に書いた感想です。
北野作品を観るのは『TAKESHIS'』以来。
好きな人には悪いけど、あの映画は“暗闇のゾマホン”の場面で「この路線はもうけっこう」と思った。
京野ことみが物凄いムダ乳出してたのだけが印象に残ってます。
まさに女優の鑑のようなプロ根性だけど、果たしてその努力は報われたんだろうか。
その後も続いた天才たけしの“俺にだって芸術映画ぐらい撮れるよバカヤロウ映画”には「これは観ておきたい」という気持ちがまったくおこらず、スルー。
もしかしたらこのままずっと北野作品とは縁がなくなるかも、と思っていた頃、新作の情報が。
予告篇を観てみると「ぶち殺すぞコラァ!」と凄む武をはじめ、とにかく出演者全員が怒鳴りまくっている。
あまり怒鳴ってばかりなんでかえって怖くなくて、あぁ、なんかあざといな、またヤクザごっこか?と最初はかなり醒めた目で見ていた。
最近の作品にあまり客が入ってないんで古巣に戻ったのね、で結局またヤクザなんだ、と。
しかし、「全員悪人」というキャッチコピーと予告篇の“怖いというよりむしろ笑える”感じに、妙な期待が湧いてきたのでした。
もしかしたらこれは「たけし映画」のあらたなステップかもしれない。
暴力と笑いの融合。
これまでの「たけし映画」にも、もちろんこの暴力と笑いが同居する瞬間はあった。
でも、それが全篇に渡って繰り広げられるとなると、これはなかなか見ものなんではないか?
もう一つ興味をそそられたのが、これまでは映画の中で必要以上に寡黙であることが一つのトレードマークでもあった武が、この作品では積極的に“口撃”に回っているらしいこと。
北野武はインタヴューで「敵を追い詰める言葉の間合いって、漫才と同じ。次々言葉をかぶせていく。そういうスピードは得意だから」と語っている。
ここでふと思い出したんで記しておくけれど、かつて『HANA-BI』を観たある年配の女性が「ヴェネツィアで賞を獲ったっていうから観てみたら、不必要な暴力ばかり出てきて、あまりにもひどいので途中で観るのをやめた」と憤慨していた。
ちなみに彼女は「『菊次郎の夏』はよかったのに」とも言っている。
『HANA-BI』(1998) 出演:岸本加世子 大杉漣
www.youtube.com
『菊次郎の夏』(1999) 出演:関口雄介 大家由祐子
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「たけし映画」で暴力シーンが無い作品の方が少ないから、それはお気の毒でした、としか言いようがないけど、そんな彼女の感想の中で一つだけ気になったことがある。
それは「(『HANA-BI』の中で武は)自分は何も喋らずにちょっと頷いたりしてるだけで、他の人たちが全部説明してくれてる」というくだり。
聞いててちょっと笑ってしまった。だってそのとおりだから。
最後は「…俺はああいうふうには生きられないんだろうなぁ」なんて寺島進も褒めてくれるしね。
別に特に映画に造詣が深いわけでもない普通のオバチャンに作品のカラクリを見事に見透かされちゃってますよー、北野監督。
ちなみに、その女性ってのは僕のオカンなんですが。
そんなわけで、あまり喋んない刑事やヤクザが殺し合って結局は最後に自殺する映画はもうちょっと飽きてたんで、エンターテインメントに徹してヴァリエーション豊富なヴァイオレンス・シーンを披露してくれるとあらば、観に行かずばなるまい。
と劇場へ馳せ参じたわけですが。
で、どーだったか一言で申し上げますと、
…ん~、期待し過ぎたかな、と。
先に書いたような「暴力と笑いの融合」ってほどではなかった。
なんていうかなぁ…もっとこう、聞いてて顔が引きつってくるぐらい激しい罵詈雑言の応酬を想像してたもんだから。
基本「~バカヤロウ!」「~コノヤロウ!」ぐらいしか言わないんだもの。
やはりツービート時代のような聴き取れないぐらいの勢いのマシンガン・トークってのは、もう体力的に難しいんだろうか。
それなら自分以外の“若い衆”にもっとガンガン無駄口叩かせてもよかったんじゃないかと。
少なくとも「次々言葉をかぶせる」というほどのスピード感はなかった。
女性が殺されるか“おっぱい要員”としての役割しか与えられてないとこなんかも、なんか80年代から変わってないんだよね。これはいくらなんでもどうにかした方がいいんではないか。
「たけし映画」で女性の描写なんかに期待すんのが間違い、といわれればそれまでだけど、しかしそれはやっぱもったいない。
あと、解説に「意外な人物が生き残る」って書いてあったけど、全然意外じゃないし。
ヤクザ物とかギャング物って、一度心が作品から離れてしまうと容易に戻れなくて「もう、あんたら勝手にやっててくれ」って思っちゃうんだけど、残念ながらこの『アウトレイジ』もそういう瞬間が何度かあった。
なんか悪口書き出したら止まんなくなっちゃいましたが、でもフェリーニやゴダールや小津の真似事してるよりはこーゆー映画撮ってくれてる方がよっぽどいいなぁ、とは思います。
加瀬亮は黙ってると怖そうに見えるし(喋ると普通になっちゃうが)、一見怖そうには見えない小日向文世もそのコウモリぶりがなんともいやらしくていい。
石橋蓮司はこれが北野組初参加とは思えない馴染みようで、これ以上やると三池崇史の映画になっちゃう一歩手前のところまで面白いことになってる。
音楽を担当しているのが、メロディは耳に残るけど映像や登場人物以上に曲が饒舌ないつもの久石譲ではなくて『座頭市』の鈴木慶一なのも、好き嫌いは別にして作品には合ってたと思います。
それにしても、「いつも映画の中でどんな暴力を出そうか考えている」という北野武は映画監督としては大変素晴らしいけれども、よく考えるとかなりヘンな人だ。
還暦過ぎても普段から「次はどうやって殺そうかなぁ」なんてほくそ笑んでるたけしさんを想像すると、この人はかなりイビツな精神構造の持ち主なんではないかとつくづく思う。
こんなこと言ってると「うるせぇんだよ、ぶち殺すぞコノヤロウ!!」って怒鳴られそうだが。
しかし「暴力」ならヤクザじゃなくても描けると思うんだけど、北野武はなぜヤクザにこだわるのだろうか(無論それが大向こうにウケるから、ってのはわかるんだが)。
小さい頃から日常的に身近におっかないお兄さんたちがいたからといっても、親分や若頭がしょっちゅうタマの獲り合いしてたわけじゃないでしょ。
おそらく北野武はSFやファンタジーとかヒーロー物なんかにはビタ一文興味ないだろうけど、僕は北野武にとっての「ヤクザ」ってヒーロー物の中のキャラクターみたいなもんだと思ってます。
いや、ヤクザは現実にいるから、っていわれるだろうけど、じゃあ、「たけし映画」におけるヤクザって丸ごと「リアル」な存在かというと、そうは思えない。
そういう稼業の友達や知り合いはいないんでよくわかりませんが、少なくとも何割かはファンタジーだと思う。代紋背負った妖精さん、といったところか。
「ヤクザ」というキャラクターを使って現実味を担保にしつつ、そこから飛躍して北野武の「死生観」なり「美学」なりを込めてるんだろう、と。
だから『BROTHER』でいかにもハリウッド映画に出てきそうな“空想科学ヤクーザ”を描いても別に平気なんでしょう。
時にどうしようもなくヤな奴にもなれば、ヒロイックにもなる。
その時々の監督の心情が重ねられることもあるし、まるで昆虫同士の戦いを面白がって観察しているように描かれたりもする。
今回は“昆虫系”でしたね。
この『アウトレイジ』観てると、ほんとにヤクザをコケにしてるな~って。
警察のことも同じぐらい信用してないのが空恐ろしいが。
いろいろと未知の新しいジャンルに挑戦するのもいいと思うけれど、得意分野を持ってるのは強みだから、いつかほんとに怖くて笑える「チンピラヤクザ・コメディ」を撮ってくれることを期待してますよ、殿。
以上が、2010年の劇場公開時に書いた感想でした。
「チンピラヤクザ・コメディ」を期待してた僕ですが、その後、2015年に北野武は元ヤクザの爺さんたちが暴れるコメディ『龍三と七人の子分たち』を撮ったものの、残念ながらそれは僕のその年のワーストワン映画になってしまった。
『みんな~やってるか!』、そして『TAKESHIS'』に続いて失敗したコメディ掴まされてしまった(あくまで僕の個人的な評価ですが)。
今回何年かぶりに自分の感想を読んだんですが、北野映画に対する僕のスタンスはあれから7年経ってもそれほど変わってないのがわかった。
僕にとっては時々面白い映画を撮ってくれる人だけど、それはヤクザ物やアクションに限るということ。コメディは避けた方が無難。
この『アウトレイジ』は北野映画の中でも好きな方です。続篇の『ビヨンド』も劇場で鑑賞。
『最終章』もこれから観にいきます。
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