映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

※2019年の“はてなダイアリー”終了に伴い、2018年9月にブログを移行しました。

『ラストエンペラー』


ベルナルド・ベルトルッチ監督、ジョン・ローンジョアン・チェンピーター・オトゥール坂本龍一イン・ルオチェンヴィクター・ウォンケイリー=ヒロユキ・タガワマギー・ハンリック・ヤングヴィヴィアン・ウーウー・タオリサ・ルーほか出演の『ラストエンペラー』。1987年作品。日本公開1988年。PG12

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清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀の伝記映画。1950年、戦時中に日本軍に協力した戦犯として収容所に送られた溥儀は、そこで所長や尋問官の前で自らの数奇な人生を語る。1908年、幼くして皇帝となった溥儀は、しかし愛する母とも乳母とも引き離され紫禁城の塀に囲まれた生活を送る。やがて時代の荒波は彼を城から追い立て、その地位も帰るべき国も失った溥儀に大陸への進出を目論む日本軍が接近する。


第60回アカデミー賞で、作品賞、監督賞、撮影賞、作曲賞など9部門受賞。

撮影は『ラスト・タンゴ・イン・パリ』や『地獄の黙示録』などのヴィットリオ・ストラーロ

画面の滲むような赤、衣裳の黄色が鮮やかで、エキゾティックな雰囲気満載な歴史劇ロマン。

なぜ今さら『ラストエンペラー』なのかというと、いつも拝読しているブログにこの映画のレヴューが書かれていて、それを読んで久しぶりに観たくなったから。

この映画は公開当時映画館で観たんですが、翌年にはTVでディレクターズ・カット版が放映されたので、そちらのヴァージョンの方の印象が強かったりします。*1

できればそのディレクターズ・カット版を観たかったんですが、あいにくレンタル店に置いていなかったので劇場公開版を借りてきました。

まぁ、ほんとに全長版を観たいんならソフトを買えばいいんだけど、ちょっとそこまでの金銭的余裕がないので。

劇場公開版も160分ぐらいあるんですが、そもそも溥儀の幼少期から晩年までを描いた大河ドラマ向けの物語だから、けっこう慌ただしく時代が駆け抜けていく。

母親や乳母とのふれあいの場面や紫禁城での描写はもっと長かった印象があるし、収容所で所長が自分で身のまわりのことが何一つできない溥儀を一般市民にするため再教育する場面も、もっといろいろと細かいエピソードがあったような記憶が。

ピーター・オトゥールが演じる溥儀の家庭教師レジナルド・ジョンストンも、思ってたよりも早々と英国に帰ってしまう。


もう20年とかそれ以上ぶりぐらいに観るので、少年時代に観て感じた印象と今とではかなり変わってしまっているのかも。

DVDなので集中して観られるかどうか自信がなくて、ゆっくり何度かに分けて観ればいっか、と思っていたんだけど、3歳の溥儀が西太后に呼ばれる冒頭からそのまま一気に最後まで観てしまった。もっともっと観ていたかったぐらい。

中国人の登場人物たちが全員英語を話す、という違和感は公開当時からあったし、そのことで外国語映画ではなくアメリカ映画扱いされるので、最初からアカデミー賞作品賞狙いの映画、とも言われていた。

実際オスカーを獲ったし、世界中でヒットしました。

僕は溥儀による自伝も、劇中で収容所の所長が読んでいたレジナルド・ジョンストンの著書「紫禁城の黄昏」も未読だし、Wikipediaで読みかじったのと比べてその違いを確認することぐらいしかしていませんが、歴史考証的には史実をあえて変えてあったり省略している部分も結構あるようですね。


それでも実在の人物がたどった生涯を通して歴史を振り返ることができるし、たとえば日本と中国との関係については、この映画が公開された80年代よりも今の方がより切実なものを感じます。

劇中で溥儀は「日本の天皇とは歳も近く、親近感がある」と語り、満州国と日本は対等の立場であることを強調するが、日本軍は満州も中国人も自分たちと対等などとは考えていなかった。

溥儀は1935年と40年に来日し、昭和天皇と会っている。

ちなみに、この映画が公開された1988年当時、昭和天皇はまだ存命でした。

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溥儀の妻・婉容は日本や日本人を嫌い、夫が日本軍との結びつきを強めていくことに危機感を覚えるようになる。

婉容が日本を嫌ったのは無理もないが、一方で溥儀の弟・溥傑は日本から嵯峨浩(チェン・シューヤン)を妻に迎え、“男装の麗人”こと川島芳子*2(マギー・ハン)は婉容に「日本はいいわよ」と囁く。


嵯峨浩も川島芳子もそれぞれが悲劇のヒロインとして映画やTVドラマにもなっているし(常盤貴子が嵯峨浩を、黒木メイサ川島芳子をそれぞれ演じたドラマもありましたな)、川島芳子坂本龍一が演じた甘粕正彦とは「満映」関連で昨年亡くなった李香蘭こと山口淑子もかかわりがあった。

そうやってあの時代のさまざまな人々の名前が浮かび結びついていく。

この映画の舞台となっているのはけっして遠い過去の歴史の1ページではなく現代に続いている問題を孕んだものだからあまり無責任なことは言えないけれど、それでもこの映画に流れるのは、かつては皇帝として崇められ「一万年の栄光」を夢見たが、それがあえなく潰えて一介の市民になって生涯を終えた男の流転の人生、栄華と没落、時代に翻弄された者たちの哀しみに浸って酔いしれる快感である。

その人生を常に「囚われの身」として「門を開けろ!」と叫び続けた哀しい男の物語。

映画のラストで、かつて幼い溥儀が宦官の一人に見せられたコオロギが時を越えて少年の前に姿を現わす。

紫禁城に来た観光客たちの前での観光ガイドの「最後の皇帝は愛新覚羅溥儀。3歳で即位して、1967年に亡くなりました」という解説とともに玉座の映像が静止して坂本龍一のあの曲が流れだすと、無性にこみ上げてくるものがあって涙ぐんでしまった。

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この映画が作られてからもう30年近く経つ。

その後、中国では天安門事件が起こり、香港がイギリスから返還され、中国と日本は「領土問題」「歴史認識」等で今も多くの摩擦を抱えている。

ラストエンペラー』は特殊な環境に生まれ「天子」から「平民」となった男の(表現に語弊があるかもしれないが)「滅びの美学」を描いた映画だ。

僕はそこに悲愁というか“ロマン”を感じてしまって涙するのだが、その涙というのは映画の内容とは直接関係ない僕自身のこの30年間を振り返るような不思議な感覚に対するものでもあった。

映画にはそういう効果もある。

現実の歴史問題について考えさせられる映画もそれはそれで大いに観る意義があるが、この映画『ラストエンペラー』にはいい意味で劇画的な誇張、美学が史実よりも優先されているところがあって、僕はそこに惹かれるのです。

たとえば日本を舞台にしたり日本人のキャラクターが登場するハリウッド映画やあちらのTVドラマなど(『SAYURI』『ラスト サムライ』「将軍」など)がどれもこれも「リアル」とは程遠いキッチュなキワモノっぽい作品であるように、この『ラストエンペラー』もその描写がどこまで「リアル」なのか僕にはわからないのだけど、それでもエキゾティシズムに溢れたこの映画は西洋人が東洋人を描いた「まがいもの」と切って捨てるには惜し過ぎる。


坂本龍一が演じる甘粕正彦は史実では両腕があったが、映画では隻腕として描かれている。その理由が「その方が悪役っぽいから」だった、と劇場用パンフレットに書いてあった。

「アジアは我々のものだ!」と大見得を切ったり、ステキな悪役ぶりですよねw そのあと、ほとんど何もしないまま玉音放送聴いてとっとと自殺しちゃうんですが。

坂本龍一大島渚の『戦場のメリークリスマス』もそうだけど、演技力云々はさておいて(『ラストエンペラー』で自ら吹き込んだ日本語版の吹き替えの棒読みぶりが凄まじかった)、あの目つきとか佇まいがカッコよくていいんですよね。絵になる。

この『ラストエンペラー』のプロデューサーは『戦場~』と同じジェレミー・トーマスなので、坂本さんの起用もその関係なんでしょうかね。

どうでもいいけど、この映画の日本軍のお偉いさんたち*3が(甘粕大尉を除いて)なんだかみんなダサいのは、意図的なんでしょうか。

ちょうど同じ年に公開された、伊武雅刀ガッツ石松、「笑点」の山田隆夫が出ていたスピルバーグの『太陽の帝国』の日本軍もやっぱりどこか滑稽で貧弱な感じだった。

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むしろそれがリアルな姿なのかもしれないけど。

バブル期のあの時代、ハリウッド映画ではしばしば日本や日本人が描かれたけど、どれもが見事にカッコ悪くてダサかった(『ロボコップ3』や『ライジング・サン』など)。

それでもこの『ラストエンペラー』の日本軍は実に不穏な存在で、坂本さんが演じた甘粕は海外の映画の中で描かれた「悪い日本人」としては個人的にはリドリー・スコットの『ブラック・レイン』(感想はこちら)の松田優作に次ぐくらい好きだったりする。

舞台になっている時代はちょっと『帝都物語』ともカブってたりするし。

ベルトルッチが史実を忠実に描くことよりも劇映画としての見栄えや溥儀の「最後の皇帝」の悲劇性を強調したのは明白で、*4でもだからこそこの映画は資料的な価値とは別の、純粋に映画としての魅力に満ちている。


これも確かパンフレットに書かれていたと思うんだけど、3歳の溥儀を演じる子役(リチャード・ヴゥ)はヴェトナム系のアメリカ人で、お兄ちゃんが受けたこの映画のオーディションについてきていたのを抜擢されたんだそうな。


まるでダウンタウンの浜ちゃんみたいなその顔は成人後を演じるジョン・ローンとは似ても似つかないが、でもその無邪気な笑顔はほんとに可愛い。

同じく8歳の時の溥儀を演じる子役のタイジャー・ツゥウもなかなか芸達者でよかった。


宦官の一人を演じているのは、『47RONIN』(感想はこちら)で下駄を履いた将軍様を演じていたケイリー=ヒロユキ・タガワ


弟に「皇帝じゃない!」と言われて怒ったり宦官に墨を飲ませたりの甘やかされたバカ殿ぶりや、乳母(イェード・ゴー)のおっぱいを吸ったり離別の時の「アーモ!」という叫び声など、ほんとにいい演技を見せていた。

17歳の溥儀を演じるウー・タオは、顔がちょっとジョン・ローンに似ていることもあってその後のシーンにうまく繋がっていたが、嫁いできた婉容を演じるジョアン・チェンはとても同い年には見えなかったので違和感バリバリだった。


まぁ、胸をはだける場面があるから10代の女優は避けたのかもしれませんが。

ここで溥儀や彼にキスしまくる婉容の着物をお付きの者たちが黙って順々に脱がせていくのが可笑しい。

あぁ、高貴な人たちの夜の営みってこういう感じなんだ、って下衆な平民は思いましたですよ。

やんごとなきかたがたにとっては召使いなんて、ベッドのすぐそばにいてもペットと同様ぐらいの感覚なんだろうな。

そういう、奇妙だったり“奇怪”ですらある風習がこの映画の見どころの一つでもある。

溥儀を皇帝に指名する西太后(リサ・ルー)がまるで魔女とか妖婆みたいに描かれていたり(海亀を煮たスープとか飲まされてるし)。

幼い溥儀の実母役の女優さんが目をつぶる時に、お笑い芸人のピスタチオみたいに毎回白目を剥くのが気味悪かった。

歴史劇だけど、映画自体がなんだか幻想的でまるでちょっとダークなファンタジー映画のようにも見える。

紫禁城は皇帝の幻影の住処だった。

溥儀が上海の租界で(吹き替え丸わかりの)歌を唄ったり、いかにもな西洋的ジェスチャーで気取ったしぐさをしてみせたり、第2夫人の文繍(ヴィヴィアン・ウー)がアメリカ人と洋装でダンスする姿はまるで鹿鳴館めいていて、すべてが借り物のような空虚さがある。

あの観ていてなんだか居心地の悪くなる溥儀たちの空騒ぎぶりは、溥儀のかりそめの皇帝としての生活すべてを象徴しているようだった。

城の外に出ても、彼の本当の居場所はなかった。

それでも、文化大革命の時代の国民服姿の人々のあまりの魅力のなさに比べれば、西洋人かぶれなあの上海のシーンの方がよほど目には心地良い。

それにしても、この映画では明らかに文化大革命当時の中国は批判的に描かれているのに(かつての収容所の所長が紅衛兵たちから受ける仕打ちの描写など)、中国政府はよく撮影を許可したなぁ、と思う。


ラストエンペラー』といえばやはり坂本龍一の音楽が耳に残るし、この映画の彼の曲はちょうど久石譲の音楽のようにメロディアスで良くも悪くも音楽が映画を引っぱってるところがある。

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坂本さんが続いて担当したベルトルッチの『シェルタリング・スカイ』のテーマ曲もよく覚えていて、『ラストエンペラー』とともにCDを持ってました。どこ行っちゃったんだろう。

もちろん、ストラーロの撮影は素晴らしくて映像のクオリティは音楽のインパクトに負けてはいないのだけれど。

時制が飛びまくるTVの再現ドラマのような作品になってしまうのを免れていたのは、ひとえにヴィットリオ・ストラーロキャメラの力に負うところが大きいわけで。


僕がベルトルッチの映画を観たのはこの『ラストエンペラー』が初めてで、その後、同じく映画館で『シェルタリング・スカイ』(日本公開1991年)と『リトル・ブッダ』(日本公開1994年)を観ています(それ以外はリヴァイヴァル上映で『暗殺のオペラ』、ヴィデオで『ラスト・タンゴ・イン・パリ』、TV放映で『1900年(吹替版)』を鑑賞)。

シェルタリング・スカイ』は確か劇場公開時から映画評論家の淀川長治さんが絶賛していたけど、映画館で観てみたら『太陽の帝国』に出ていたハゲのおっさん(ジョン・マルコヴィッチ)が呆けた顔でデブラ・ウィンガーと砂漠でずっとヤリまくっているという映画で、画面にはボカシが入りまくり映画の最後には原作者自身が登場して何か言ってたけど、よくわかんなくてボンヤリしてしまった。

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ラスト・タンゴ・イン・パリ』は劇場公開時に物議を醸した映画ということだったんでさぞやエロいものが見られるんだろう、と期待して観たら、ハゲかけた白髪のおっさん(マーロン・ブランド)と疲れた身体の女(マリア・シュナイダー)があれこれヤッてるんだけどなんだかよくわからず、僕が見たかったエロいものはいっこうに映らなくて、『1900年』では少年たちがチ○コの皮を剥く場面にボカシが入ってて笑ってしまった。

この監督さんの映画は俺向きではないな、と思った(今観たらどうかわかりませんが)。

むしろ『ラストエンペラー』の方がそのフィルモグラフィの中では特殊な作品だったんですね。

『リトル・ブッダ』はキアヌ・リーヴスがお釈迦様を演じる『エアベンダー』みたいな映画で(すいません、テキトーに言ってます)映画館で思いっきり爆睡してしまって、当時はまだ入替制じゃなかったんでもう一度続けて観たんだけど、そしたらまた同じところで眠ってしまって気づいたら2度目のエンドタイトルが流れていた。

ホトケ様の映画だからか大変寝心地よかったです。

これはもう縁がないのだと諦めて、結局ちゃんと映画を観ないまま帰ったっけ。

それ以来、ベルトルッチ監督の映画は観ていません。その後も新作予告は何度も劇場で目にしたけど、ついに劇場に足を運ぶことはなかった。

いや、まだこれからどうかわかりませんが。

わずかに『暗殺のオペラ』を観た時に、ラストで映る胸像に『ラストエンペラー』に通じる「時の流れ」というものを感じました。

時が流れて人は死んでも歴史に刻まれたかすかな傷跡。

そこには消えていった者たちの想いがこもっている。

あー、やっぱり『ラストエンペラー』ディレクターズ・カット版買おっかなぁ。


追記
その後、12月に「第二回 新・午前十時の映画祭」にて27年ぶりに映画館のスクリーンで鑑賞。

またまたジ~ンとキたのでした。


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*1:細かい内容については覚えていませんが、220分近くあって三日間に分けて放映されました。民放の地上波なので吹替版。劇場公開の翌年にTV放映って早いですね。

*2:劇中の役名は“イースタン・ジュエル”。

*3:高松英郎が日本語で台詞を喋っていた。

*4:映画では婉容が産んだ赤ちゃんの殺害は日本軍の差し金のように描かれているが、実際には妻とその愛人の間の子を望まなかった溥儀自身の命によって殺された、とWikipediaには書かれている。