映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

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『東京裁判』4Kデジタルリマスター版

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小林正樹監督によるドキュメンタリー映画東京裁判』4Kデジタルリマスター版を劇場鑑賞。2018年作品(オリジナル版1983年)。

音楽は武満徹、ナレーターは佐藤慶。上映時間277分。

www.youtube.com

1946年から48年にかけて行なわれた極東国際軍事裁判──通称“東京裁判”でA級戦犯として訴追された28人の被告たちが判決を下されるまでを、当時アメリカ国防総省が撮影した膨大な記録フィルムを用いて、また国内のニュースフィルムも差し挟みながら追う。 


僕が子どもの頃、TVでこの映画が放送されていて観たことがあるんですが、梅毒で脳をやられたおっさん(大川周明*1が前の席に座っている東條英機のハゲ頭をペチッと叩く映像のことは覚えているし、それ以外ではナチスによって殺されたアウシュヴィッツ強制収容所の無残な遺体、そしてやはり原爆で殺された日本の人たちの黒焦げの遺体は目に焼きついているものの、何しろ四時間半以上ある長大なドキュメンタリーなので(何日かに分けて放送されたんじゃなかっただろうか?)全部観てはいないかもしれないし、裁判の内容については多分ほとんど理解はしていなかったんじゃないかと思います。

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それでもインパクトがある映画だったから、その存在はずっと記憶していた。

そしてあれから何十年も経って、4Kデジタルリマスター版で再び上映されることに。

去年公開されたようですが、その時には観られず、今年の夏も上映されることを知って、その上映時間の長さに躊躇もしたんだけど、ちょうど先日NHKで深夜に「ドラマ 東京裁判」を再放送していて(初放送は2016年)連日観ていたので、このタイミングにこのドキュメンタリーもあらためて観直したいと思って映画館に足を運びました。 

「特集 日本と戦争」と題して二週間ほどの間に続けてやっていた戦争についての何本かのドキュメンタリー映画、たとえば『ドキュメンタリー沖縄戦』(2018年作品。ナレーター:宝田明)なども観たかったのですが、上映期間が限られているうえ1本の上映がわずか三日から一週間程度だったので時間の都合がつかず、なんとか『東京裁判』だけ観ることができたのでした。 

まず、観ながら感じたのは、予想していた以上に情緒的な作りだな、ということ。

武満徹の音楽は、まるで黒澤明の『』のそれのようにおどろおどろしいし。

俳優の故・佐藤慶さんのナレーションが全篇に渡って流れて裁判の様子だったり戦時中に遡ったりしていろいろと解説してくれるんだけど、しばしばとても主観的な言い廻しがあるんですよね。

たとえば、裁判長のウィリアム・ウェッブが弁護側に対してどのような態度を示した、などということをわざわざ言葉で説明する。 

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裁判長がどのような口調や態度だったかなど、映像を観る側が自分で判断すればよいことなので、いちいち映画の作り手の意見が挟まれることに戸惑ったし抵抗も感じた。

ドキュメンタリーは絶対に「客観的」でなければならない、とは思わないし、どの映像や音声を使ってどんなふうに編集するかですでにそこには作り手の「主観」が入っているわけだから、そもそも完全に客観的なドキュメンタリーなんてあり得るんだろうか、という疑問もある。

だから、作り手が思っていること、伝えたいことをナレーションで直接語ったって構わないとは思うんですが、そこはもうちょっと観客に自分の目で観て自分の頭で考える余地を残してくれてもいいんじゃないかと(東條英機の日本語通訳に対する横柄な物言いからは、この男の小心さが滲み出ていて興味深かったが。あれが首相や陸軍大臣を務めた男の正体である)。

1983年の作品なので、当時はこのように主観的なナレーションが用いられるスタイルは普通だったのかもしれませんが。

僕がこの映画の中でのウェッブ裁判長の扱いに疑問を持ったのは、先ほどのドラマ版「東京裁判」(映画監督の塚本晋也さんが俳優として出演している)ではウェッブ裁判長をはじめ、この裁判で「裁く側」だった連合国側の判事たちのことを描いていたからです。

ドキュメンタリー映画東京裁判』では12人いた判事たち(アメリカ代表が途中で交代している)についてはほとんど触れられていません。ウェッブ裁判長とインド代表のパル判事のことが少し語られたり、あるいは被告たちへの厳しい処分を求めるフィリピン代表のハラニーヨ判事の意見などが述べられている程度。

ドラマ版を観て彼らの間にどのような話し合いや時に駆け引きが行なわれたのか知っていたので、ドキュメンタリー映画東京裁判』でかなりの時間をかけて語られていたこともまた事実の一部に過ぎないのだな、と思った次第です。

四時間半以上かけてもすべてを語ることはできないということ。

僕は、このドキュメンタリー映画東京裁判』と「ドラマ 東京裁判」はぜひ併せてご覧になることをお勧めしますね。

「ドラマ 東京裁判」の方には、ドキュメンタリー映画版の方ではナレーションで説明されていた、判事たちや被告たちの実際の映像と声が随所に挟まれていて、さらに考証に基づいてオリジナルのモノクロ映像がカラーに着色されてもいてとても臨場感がありました。

もちろん、ドラマが見応えがあったのは残された実際の記録フィルムのおかげもあるし、あのドラマを観たからこそ、ドキュメンタリーの方を無性に観たくなったんですけどね。

そこには2020年現在を生きる僕たちが大いに考えるべきことが含まれていた。

80年代にTVで観て以来の映像は、さすがデジタルリマスターだけに大変クリアで(僕が観たミニシアターでの上映が4Kだったのかどうかはわかりませんが)音声も明瞭、途中で15分の休憩が入るほどの長時間にもかかわらず、集中力が途切れることはありませんでした(たまにちょっとウトウトしちゃったけど、寝落ちするようなことはなかった)。

それぞれ政府や軍で高い地位に就いていた被告一人ひとりが戦争犯罪人として裁かれることになる経緯を、歴史のおさらいを兼ねて非常に丁寧にわかりやすく当時のニュースフィルムなどを使って説明してくれるので、延々続く裁判に退屈することもない。

ところで、世の中には何やら「東京裁判史観」なる言葉があることを今回初めて知ったんだけど、それってよーするに、戦勝国であるアメリカや連合国によって一方的に押しつけられた結論、という主張だろう。

「日本の戦争指導者たちは国を愛していた。ナチスのクソ野郎たちとは違う」と熱弁を振るう弁護士も登場する。「真珠湾攻撃が犯罪なら、原爆投下はどうなのか」という問いも。

自虐史観」云々への嫌悪にも繋がる、「本当は日本軍は正しかったのに、戦争の勝者に“悪”と決めつけられてしまった」という、加害者の言い訳。

このドキュメンタリー映画を観た人の中にも「一方的な反戦映画ではなかった」とか「東京裁判史観に囚われない視点」みたいな感想を述べている人もいて、日本が他国を侵略したことや残虐行為をしてきたことがまるで免罪でもされたかのように勘違いしている御仁もいらっしゃるよーで。

この映画はそんなこと言ってないと思いますけどね(ただ、映画のラストで唐突にヴェトナム戦争の有名な写真が映し出されることで、「悪いのは日本軍だけだろうか」「日本の戦争指導者を裁いて、果たしてその後、世界に平和は訪れたか?」という疑問を投げかけてはいる)。

日本軍の侵略行為以前の西欧列強の植民地支配の罪深さを挙げて被告全員の無罪を主張したインド代表のパル判事が提出した「パル判決書」を根拠に「日本軍がやったことは正しかった」と早合点してる人たちがいるけれど、同判決書には映画の中でもナレーションで語られているように「被告たちおよび日本国の行動を正当化する必要はない」とも記されている。

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このあたりもドラマ版では詳しく描かれています。ちなみにドラマ版でパル判事を演じていたのは、残念ながら今年新型コロナウイルス感染症で亡くなったイルファン・カーンさん。ご冥福をお祈りいたします。

もう一つ、僕がこの映画を観ていて猛烈に違和感を覚えたのは、昭和天皇の不起訴の理由があやふやなまま、ほとんど結論ありきで軍人や政治家たちへの判決が下されたこと。

先ほどの「東京裁判史観」やら「自虐史観」なるものを批判する人々は、では、どうして「天皇には戦争責任がない」とする「アメリカに押しつけられた結論」には疑問を呈さないのだろうか。

ウェッブ裁判長もそうだったように何人もの判事たちが天皇の戦争責任を追及することを求めていた。しかし、マッカーサー元帥の横やりが入って昭和天皇は法廷に召喚されることさえなかった。

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この映画を観ていれば、それがどれほど不自然なことなのか誰にだってわかる。

戦後の日本を混乱なく統治するため、そしてこの国の共産主義化を防ぐためには天皇制の存続が必要だと感じたアメリカは、昭和天皇の戦争責任を問わない代わりにその下で戦争を遂行した者たち、残虐行為を見て見ぬフリをした者たちにはその落とし前をつけさせた(処刑は7名)。

絞首刑が妥当なものだったのかどうかは僕にはわからない。ただ、処刑された彼らが人の上に立つべき人間ではなかったことはよくわかる。

逆に問いたいが、では彼らはパル判事の言うように全員無罪となって釈放されればよかったのだろうか。

この映画には現首相*2の祖父も登場しているけれど、彼は戦時中に満州国(映画の中で“ラストエンペラー”溥儀が出廷して証言している)と深くかかわりがあり東條内閣の商工大臣も務めて戦後A級戦犯として逮捕されたものの釈放されて政界復帰したし、終身禁固刑を言い渡された被告たちの多くは同様にのちに釈放されて政界に返り咲いている。

映画では下された判決は伝えられるが、処刑された者以外の被告たちが実際にその後どのように生涯を終えたのかまでは述べられないので、まるで彼らが戦勝国に罪人にされて獄中で不幸な最期を遂げたかのように錯覚してしまうが、そうではないのだ。病死した者以外はほとんどが長生きして娑婆で大往生している。ぜひ劇場パンフかWikipediaでご確認ください。

東京裁判史観」などと怒るなら、それは下されるべき罰がちゃんと下されず、日本の戦後処理(その罪の償いも)がしっかりとなされないまま現在に至ってしまったことにこそ怒るべきだろう。反省もせず、それどころか過去に犯した罪をなかったことにしようとすらしている始末だ。

この国の人間たちは他者に与えた苦しみをすぐに忘れ、自分たちが受けた苦しみすらも忘れてしまう。お人好しなのかバカなのか。

ドイツの国民がナチスの戦犯たちに行なったような断罪を日本の国民が自国の戦争犯罪人たちに行なえるとはとても思えない。だって靖国で祀ってんだもんなぁ。犯罪者という認識すらないんだもの。独裁者ムッソリーニを私刑にしたイタリア人とは大違い。意味がわからない。

「ドラマ 東京裁判」を観ると、東京裁判こと極東国際軍事裁判そのものには大いに意義があったことがわかる。たとえ、その結果が「茶番」だったとしても。

あそこでされた議論は、現在の僕たちに多くのことを問いかけてくる。

判事や弁護人、検事や被告たちの言葉や物腰から、いろんなことを考えさせられる。

戦争とは何か。戦争は合法なのか。人が人を裁くとは、どういうことなのか。

人の命とは。

あの戦争で国民はまるで部品のように扱われ、捨てられていった。

国を愛する、とはどういうことか。

国民一人ひとりの命を粗末にして何を守ろうというのか。それは本当に「国を愛する」ことなのか。

この映画は作られてもうちょっとで40年経とうとしているけれど、今もなお僕たちに問いかけてくる。

この世から戦争が消え去らない限り、これからもずっと。


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*1:詐病だといわれているようだが。

*2:2020年当時の安倍晋三元首相。