監督:ブラッド・バード、声の出演:イーライ・マリエンタール、ヴィン・ディーゼル、ジェニファー・アニストン、ハリー・コニック・Jr.、クリストファー・マクドナルド他のアニメーション映画『アイアン・ジャイアント』。1999年作品。日本公開2000年。
原作はテッド・ヒューズのSF小説「アイアン・マン 鉄の巨人」。
1957年、メイン州の町ロックウェル。母アニー(ジェニファー・アニストン)と二人暮らしのホーガース(イーライ・マリエンタール)は、森の中で宇宙から来た巨大な鉄人(ヴィン・ディーゼル)と出会う。大量の鉄を食べ目立ち過ぎる鉄人を芸術家の青年ディーン(ハリー・コニック・Jr.)のスクラップ置き場にかくまってもらうが、政府の捜査員マンズリー(クリストファー・マクドナルド)がホーガースに目をつけ、彼の家にやってくる。
現在公開中のディズニーの実写映画『トゥモローランド』(感想はこちら)のブラッド・バードの初監督作にして出世作。
僕はこの映画を劇場公開時には観ていなくて、その後、近所の市の施設で催された上映会で観ました。多分16ミリフィルムだったと思うんだけど、もしかしたらDVDだったかもしれない。
なかなか感動的な映画、という印象だったけど、その後一度も観返すことがなかったので細かいストーリーなどは忘れていました。
で、『トゥモローランド』を観たあとに、いろいろ思うところあって(なんか含みのある言い方ですが)無性に観たくなって。
この映画は今では高く評価されているし公開当時も「泣ける!」と言ってた人たちは大勢いたと記憶してますが、アメリカではヒットしなかったようだし、日本でも公開規模が限られていて興行収入ランキングの上位とはいかなかったようで。
作品自体は今じゃ結構有名ですが、長篇アニメで名前が知られてるディズニーやピクサー、ドリームワークスなどではなくてワーナー作品なので、ちょっとマイナーだったのかな。低予算だったらしいですし。
隠れた名作、といった感じで愛されてますよね。
以下、ネタバレあり。
かなり久々に観て思ったのは、わりと地味な話だったんだな、ということ。主要登場人物も少人数だし、ストーリーはほぼロックウェルの町周辺で展開する。
巨大ロボが出てくるけどド派手な戦闘シーンというのはなくて、前半はほとんど鉄人とホーガース少年とのドタバタが続く。終盤でついに軍隊と戦うことになるけど、鉄人の持つ強大なパワーを見せつけるにとどめていて、やはり本気で破壊行為を行なうわけではない。
戦闘機が発進して空中で鉄人を撃ち落とすけど、鉄人はやり返さない。
当たり前だけど、鉄人が悪のロボットと戦って必殺技を使ったりもしない。
ロボットアクションじゃないんだよね。
少年と心を持つロボットの交流を描いたジュヴナイル物、といったところ。
少年と意思を持つ巨大ロボット、というと、僕なんかは日本のアニメ「巨神ゴーグ」や映画『ドラえもん のび太と鉄人兵団』などを思いだしますが。
ちなみに、舞台となっている1957年(昭和32年)というのは監督のブラッド・バードが生まれた年。もっと若い人をイメージしていたんだけど、それなりにいい歳していらっしゃるのね。
ジョー・ダンテ監督の『マチネー』でも描かれた、東西冷戦真っ只中の「核の時代(ATOMIC AGE)」。原子力潜水艦ノーチラス号も登場する。
『トゥモローランド』でも1964年のニューヨーク万博が出てくるし(トゥモローランドのピンバッジには原子力のマークが入っている)、『Mr.インクレディブル』のスーパーヒーロー一家も、まるで1940〜50年代ぐらいのアメコミヒーローみたいなコスチュームを着ていた。
ブラッド・バードは「アトムの子」なんですなw
アイアン・ジャイアントの無骨でレトロなデザインは、たしか1930年代頃の蒸気機関車をモチーフにしていたはず。
このあたりの趣味はジョー・ジョンストン監督の『ロケッティア』や『キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー』(感想はこちら)などを思わせる。
巨大な鉄人、といえば我が国にも「鉄人28号」という超有名な作品があるけど、鉄人28号が最初に描かれたのは『アイアン・ジャイアント』の時代とほぼ同時期(1956年)。
リモコンで動く28号は操縦者によって正義の味方にも悪魔の手先にもなりうる「兵器」だが、同じく兵器でありながらアイアン・ジャイアントには心や感情がある。
ブラッド・バード監督は、「銃が意思を持ったらどうなるか」と想像を巡らせてこの映画を作ったんだそうな。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(感想はこちら)や『ALWAYS 三丁目の夕日』などでまるで理想的な時代だったように描かれていた1950年代だが、アメリカでは白人以外の有色人種は差別され、女性の地位もまだ低かった。そして日本はいまだ貧しく、凶悪犯罪は現在よりもはるかに多かった。
それでも人々は科学の「進歩」や「発展」を信じることができた。人類の未来に希望を持つことも。
1957年生まれのブラッド・バードは『トゥモローランド』で「未来」を信じられなくなってしまった現代の私たちに、もう一度あの頃のように明るい未来を信じよう、とヒロインの少女を介して呼びかける。
その言葉に説得力を感じられるかどうかが、あの映画を楽しむための鍵かもしれない。
ところで、去年公開されたディズニーアニメ『ベイマックス』(感想はこちら)を観てこの『アイアン・ジャイアント』との共通点を指摘されていたかたがいらっしゃって(主人公が母子家庭だったり*1兵器になるロボット、少年との関係性など)「なるほど」と思ったんですが、僕は今回改めて観てみて『E.T.』やマイケル・ベイ監督の実写版『トランスフォーマー』を連想しました。
ジャイアントの片手がまるで生き物のように家の中を動き回ってそれをホーガースが必死に隠そうとするところはTFを思わせるし(感情表現は豊かだが言葉がうまく喋れないジャイアントの不憫な感じはバンブルビーっぽいし)、最後の別れの場面は明らかに『E.T.』(感想はこちら)を意識してるよなぁ、とか。もちろんマイケル・ベイの映画の方があとに作られたんですが。
ジャイアントが弱ったり悲しそうな表情をする時の目の形なんかは『WALL・E/ウォーリー』に似てるし(これも作られたのはあとだが)。
ブロムカンプの『チャッピー』(感想はこちら)もジャイアントに影響を受けてると思う。
なんかもう、ジャイアントの顔の表情や動きを見ているだけで和みますよね。
結局、彼が宇宙のどこから誰の手によってなんのために地球に送られたのかは最後まで謎のままなんですが。
ホーガースの母親アニーはダイナーの仕事をしながら女手一つで息子を養っている。
思ってたほどお母さんの出番が多くないんで意外だったんだけど、それでもいつも夜遅くまで働いてクタクタの彼女の姿からその家庭環境が垣間見える。
ホーガースの父親については台詞による説明は一切ないが、棚に置かれた戦闘機とともに映っている父親のモノクロ写真をインサートすることで、彼はパイロットでおそらく戦争で亡くなったことが暗示されている。
学校ではクラスメイトから「ガリ勉」とからかわれることもあるけど、でもホーガースは活発で屈託のない少年として描かれている。
冷戦時の不穏な空気を漂わせながらも、ホーガースの子どもらしい無邪気さや明るさが映画の救いになっている。
映画の中では明るくふるまっているし劇中で彼は思い悩んだりはしないけど、でもホーガースが学校で友だちと遊んでる描写はないし(ジャイアントとの別れのあとのエンディング間際で初めてクラスメイトたちと遊んでいる姿が映しだされる)、家ではいつも独りきり。楽しみはTVでホラー映画を観ること。
だからジャイアントは、ほとんど彼にとっての初めての「友だち」みたいな存在だ。
物語上はホーガースがジャイアントを助けようと奮闘するんだけど、実際にはジャイアントがホーガースの友だち代わりになることで彼の成長を手助けする。
ジャイアントは手がかかる幼児みたいで、その世話をすることでホーガース自身が少し大人になるのだ。
どうやら最終的にアニーと結婚してホーガースの父親になるらしいディーンは「良い大人」、ジャイアントを破壊して下院議員の座を手に入れることを目論むマンズリーは「悪い大人」の代表。
ある意味とてもわかりやすい少年の成長物語で、核ミサイルまで飛んでくるけど作品自体には殺伐とした感じはない。
それでも、森の中で触れ合った鹿が猟師に撃たれて死ぬのを見たジャイアントが、その後、空から落下して気絶しているホーガースを死んだと思い込んで怒り超兵器に変形する場面など、観る者に「死」というものを意識させる演出が施されている。
この作品の素晴らしさの一つは、巨大ロボットといういくらでも派手なドンパチを繰り返すことができる題材を使って、あくまでも生きた人間についての物語を描いているところ。
ホーガースはけっして超人的な活躍はしない。等身大の少年としてまわりの大人たちやジャイアントとかかわる。
彼の顔はどこにでもいそうな男の子のそれだ。
ホーガースの前歯は1本ちょっと歪んでて、彼が口を空けるたびにそれがチラチラ目につくんで気になった。作画細かいなぁw
あちらのアニメっていつもキャラクターの口の動きと声優の声がぴったりシンクロしていて、それが絵に過ぎないはずのキャラクターたちをよりリアルに見せているんだけど、この映画では特にそれが徹底していて舌の動きまでハッキリ声に合わせてある。もう、どんだけ細かいんだ^_^;
作画は手描きとCGの両方が使われていて、最近のCGアニメを見慣れていると、その温かみのある線や動きがほんとに目に心地良い。
こういう技術は今では廃れてしまったんだろうなぁ。わずか10数年前の作品なのに。
久しぶりに観た『アイアン・ジャイアント』はわりとささやかな映画だったしクライマックスでも泣くことはなかったけれど、良質なアニメを観たな、という満足感がありました。それこそスピルバーグの『E.T.』を観た時のような。よくできてるなぁって。
あざとさや説教臭さは微塵もない。
劇中で登場人物は別にメッセージとか、テーマらしきものを台詞で言ったりしないし、すべては「描写」の中で語られている。
ブラッド・バードは手堅く物語を綴れる人なんだよな(なんか含みのある言い方ですが)。
またこういうアニメーションを作ってほしいなぁ。
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- 発売日: 2013/09/04
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- 作者:テッド ヒューズ
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