映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

『チェンジリング』『グラン・トリノ』


ちょうどBSで『グラン・トリノ』が放映されていたので、劇場公開時に書いたクリント・イーストウッド監督作品2本の感想を簡潔に。いずれも2008年作品で日本公開は2009年。

まずは、アンジェリーナ・ジョリー主演の『チェンジリング』。

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行方不明になっていた主人公の息子が発見されて戻ってくる。しかし、それは赤の他人だった…。

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どこか都市伝説めいた怖さが漂い、また猟奇事件そのものもたしかにおぞましいのだが残酷描写は極力抑えられていて、それよりむしろ主人公アンジェリーナ・ジョリーを襲うあまりに不条理な展開に戦慄する。

「あれは私の息子じゃない」と主張する彼女に「あなたは息子を育てる義務を放棄している」と言い放つ警部には空いた口がふさがらない。

息子本人か別人かどうかなんて近所の人や学校で確認すれば一発でわかるじゃないか、とジリジリしながら観ていたのだが、主人公が行動をおこした直後、事態は信じがたい方向へ進んでいく。ほとんどホラーだ。しかもこれがフィクションではなく現実におこった事件だというからなおさら恐ろしい。

とはいえ、これもたしか“実話の映画化”というふれこみだった同じくイーストウッド監督作『ミスティック・リバー』が実はフィクションだった、というような話もあり、でもそれが作品の出来を損なったとは思わないので、史実かどうかよりも(「事実」と称するなら綿密な考証が必要なのはもちろんだが)なぜこういうテーマにイーストウッドが惹かれたのか、個人的にはそこが気になる。

ミスティック・リバー』(2003) 出演:ショーン・ペン ティム・ロビンス 
ブラピが出てた『スリーパーズ』(1996)と頭の中でゴッチャになってます。両方にケヴィン・ベーコンが出てるから余計ややこしい。
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これは戦前のアメリカの出来事を描いた映画だが、理解を超える異常犯罪やその際の警察のずさんな捜査と隠蔽工作など、描かれる題材はここ数年日本でもニュースで耳にするいくつもの事件を連想させる。また権力機構の腐敗の他にも裁判員制度や死刑の是非など、あれこれと考えを巡らせずにはいられない。

作り手次第ではこの映画でも思いきり叩かれているロス市警の本部長や警部、精神病院の医師たちをもっと薄っぺらな悪役然とした姿に描くことだってできるし、そうすれば観てるこちらは「ひどい、許せない」と、芸能ニュースのコメンテーターのように怒りに震えていれば済む。

この映画を観ていて落ち着かない気分になるのは、イーストウッドが主人公を窮地に立たせる人物たちまでも丁寧に造形しているからだ。耳を疑うようなことを主人公に告げながら鼻歌まじりにカルテを書く医師の様子など、観ていて寒気がしたが、この男は自分では職務に忠実に仕事をしている“だけ”のつもりでいるのだろう。

ジョン・マルコヴィッチ演じる牧師や弁護士が善意の人として主人公に手を差し伸べるが、誰もが納得して胸を撫で下ろす結末は残念ながら訪れない。映画には「希望」と「絶望」とが入り交じっていて、わかりやすい解答を与えてはくれない。

残酷な殺人事件の犯人に同情することはなくても、その処刑場面を最初から終わりまで見せられて喝采する気にはとてもなれない。また後半の聴聞会でその非を問われ裁かれる者たちに「ざまーみろ」と溜飲を下げることもできない。打ちのめされるが、いつか監督自身が語っていたように、世の中とはそういうもの、なのだろう。

イーストウッドにはおそらく「正義」というものに対する揺るぎない信念があるのだろうが(彼自身の出演作には時折それを感じる)、作品は抑制が効いていて信条や思想の押しつけでも説教でもなく“疑問”を投げかける形で表わしている。イーストウッドの現実を見つめる眼と映画作家としての姿勢は厳しい。

といって、イーストウッドを「社会派監督」などと呼ぶにはどこか違和感があるのだが。

この「違和感」に妙な引っかかりをおぼえるから、いつもなら観るのをためらうような重い題材を扱っていても彼の映画に足を運んでしまう。

主演のアンジェリーナ・ジョリーについては、ここ最近は銃をぶっぱなして暴れ回るスーパーヒロインを演じている作品ばかり(『ウォンテッド』と『ソルト』の感想はこちら)観てきたので、我が子が行方不明になって挙げ句の果てに警察に陥れられ怯えるシングル・マザー役というのは実に新鮮だったが、不自然さはなかった。看護師たちに寄ってたかって押さえつけられあわや電気ショックを与えられそうになる場面など、本当にハラハラした。

それでも彼女はこの映画の中でただ翻弄され嘆き悲しんでいるだけではない。銃で男どもを撃ちまくる荒唐無稽なキャラクターとは全然違う意味での「強さ」を持った、等身大の女性を見事に演じ切っている。アンジェリーナの演技力を信頼したイーストウッドの目は確かだ。

スカッとしたカタルシスを得られるような娯楽作品ではないが、見応え十分だった。

同じ年にこのあと『グラン・トリノ』を撮ったわけだけど、「硫黄島2部作」の時もそうだったように、小品というよりけっこうチカラ入った作品を一年に二本というのは本当に凄い体力、創作意欲である。

80年代までは言うまでもなく、90年代から現在に至るまでコンスタントに作品を発表し続けて(特にこの数年の勢いはなんだろう、御大もう死ぬんじゃないのか、と若干心配でもあるが*1枯れるどころかさらに新境地を切り開いている。巨匠が自分の世界に浸って夢見心地に撮った作品ではない。まだまだやってくれるだろう。

続いて、『グラン・トリノ』。

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クリント爺ちゃんの「うちの芝生に入るな」の巻。

妻を亡くして独り暮らしになったばかりの偏屈な老人と、隣に越してきた東洋系一家の少年の物語。

エンディングについて言及してますんでご注意を。


イーストウッド演じるウォルト・コワルスキーは、かつて朝鮮戦争に従軍して勲章をもらったという設定。何かというと戦場を例に出す。

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で、なんか事あるたびにバックに鼓笛隊みたいな小太鼓の音がダカダカ鳴り始めるのが可笑しい。

本人はいたってマジメ、というか終始仏頂面なんだけど、映画自体はそれをちょっと引いたとこから眺めているので妙なユーモアが漂っている。

息子夫婦に施設入りを勧められて、怒りにプルプル震える顔にキャメラが寄ってく場面なんかツボでした。まわりの人たちに叩く憎まれ口のひとつひとつがカワイイ。

また、ちょっと不思議だったのが、この作品のイーストウッドは従来の“無口な謎の男”どころか、思ったことを片っ端からセリフで喋る。「あの婆さんは俺を嫌ってる」とか「うーむ、なんとかせにゃ」(字幕:戸田奈津子)といった“つぶやき系”から、もっと長々と今までだったらいちいち口にしなかったような主人公の心の中の言葉までも。

まぁ老人は独り言が多い、ってことなのかもしれないけど。

劇中でウォルトが語る戦場での命のやりとりに関する話はとても説得力があって、人を殺す恐ろしさを観る者に静かに考えさせるけれど、ちなみに演じるイーストウッド自身は朝鮮戦争当時は軍隊で水泳のコーチかなんかやってて戦場には行っていないし、もちろんウォルトのように敵を撃ち殺してもいない。言うまでもないが、さすが役者だなぁ、と思う。

本人が乗る場面は一度もないのに毎日のように磨き続けてる宝物“72年型グラン・トリノ”を盗もうとした隣家の少年タオに「男らしくしろ」「働け」といつになく世話を焼くウォルト。こんなカッコイイ爺ちゃんだったら「トロ助」呼ばわりされても懐きたくなる。

イーストウッド最後の西部劇といわれる『許されざる者』を映画館で観た時、この人は自分の映画俳優としてのルーツのひとつと決別したんだ、と感慨深かったけれど、この『グラン・トリノ』ではまたひとつ、立ち去る前にやり残したことを片付けた、という感じがした。

許されざる者』(1992) 出演:モーガン・フリーマン ジーン・ハックマン リチャード・ハリス 

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かつてその出演作の中で、銃を持つ相手に一度たりとも撃ち殺されることはなかった男、クリント・イーストウッド

そのことを知ってればなおさらジ~ンとくるラスト。映画監督イーストウッドが“映画スター”イーストウッドを締めくくる。このタイミングでの俳優引退宣言*2といい、やぁ、これはずっととっておいたんだろうなぁ、憎いなぁ、と。

写真立ての中に亡き妻とともに写っている若き日のウォルト=イーストウッドの姿が見える。

ウォルフガング・ペーターゼン監督、イーストウッド主演の『ザ・シークレット・サービス』(実はかなり好きな作品)に、やはり若き日のイーストウッド本人の映像が出てきて妙な感動をおぼえたことを思い出す。
この人の「顔」が、チャップリンマリリン・モンロージェームズ・ディーンブルース・リーなどと同様、すでに映画史の一部であるということ。それを十分に自覚してるからこそのあの演出。

音楽を担当した“カイル・イーストウッド”の名前が泣かせる。

『センチメンタル・アドベンチャー』に甥役で出てたけど、今では父親似のシブい男前になっているんだろうか。

イーストウッドは映画の中では息子たちとうまくやっていくことができない父親の役だったけれど、実生活ではしょっちゅう妻や娘、息子たちを作品に関わらせている。

それが自己満足のためなのか、はたまた「贖罪」のためなのかはわからないが。

思えばイーストウッドの映画には、ある時期から常に「死」が根底にあった。それがとりたてて大作というわけでもない作品を味わい深いものにしていた。

この映画は、かつて「マッチョ志向」「ファシスト」呼ばわりされたこともあるひとりのアクション・スターの、それに対する返答なのだろうか。

伊丹十三が亡くなった時、大島渚が「映画監督は自分自身の幕の引き方を常に考えている」というようなことを語っていたが、それを他の誰よりも意識しているのがイーストウッドだと思う。

今、彼の映画の一本一本にリアルタイムで立ち合えていることを喜びたい。


──以上、2009年に書いた感想でした。2本とも同じ年の作品だったんだな。凄いですよね。

あれから11年経って、イーストウッドは今も映画を撮り続けている。次回作もすでに決まっていて、しばらく実話系が続いてるけど今度もアトランタ五輪テロにまつわる実話を基にしているのだとか。

ここ何年もずっとイーウトウッドの映画を観ていますが、こんなに安定して良作を作り続けている監督を僕は他に知らない。本当にいつも“新作”が楽しみな人です。


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*1:と言いながらもう11年。

*2:その後、『人生の特等席』と『運び屋』に主演。