「午前十時の映画祭10」でジュゼッペ・トルナトーレ監督、サルヴァトーレ・カシオ、マルコ・レオナルディ、ジャック・ペラン、フィリップ・ノワレ、アニェーゼ・ナーノ、レオポルド・トリエステほか出演の『ニュー・シネマ・パラダイス』を鑑賞。1988年(日本公開1989年)作品。PG12。
今回の上映は、上映時間が124分のインターナショナル版。日本で最初に公開されたヴァージョン。
エンドロールに中年になったエレナ役のブリジット・フォッセーの名前と顔が映るけど、本篇に彼女は登場しない。
以前、映画の感想を投稿しています。あらすじなどはこちらをご参照ください。
前回、劇場で観た時はフィルム上映でした。今回はDLP。
すでに173分の「完全オリジナル版」を観てると今回のインターナショナル版はずいぶんと駆け足な印象を持ってしまうんだけど、それでも数年ぶりの劇場での大勢の人々との鑑賞(TV放映では何度か観ているが)は至福の時間を過ごせて最高でしたね。
今年はこの映画が日本で初めて劇場公開されてちょうど30年。主人公のトトはローマから故郷の村へ30年ぶりに帰るんだけど、それと同じ歳月が経ってしまったわけだ。
アルフレードが映写技師を務める「パラダイス座」のあの内装が、なんだかとても懐かしい。
ああいう二階席のある映画館って90~2000年代頃までは日本にもまだあって、スクリーンに赤色のビロードの緞帳がかかってた。一階では席によっては二階席を支える柱が邪魔でスクリーンが見づらかったりも。座席の椅子だって、今のシネコンのものに比べたらはるかに座り心地が悪かった。背もたれに頭を乗っけるところもなかったし。でもそれぞれの映画館に個性があった。
「パラダイス座」には毎日のように大勢の村人たちが詰めかけて客席で煙草吸ったり寝てたり、何度も繰り返し観てて映画の台詞を全部覚えちゃってスクリーンに向かって一緒に唱えてるおじさんとか、映画を観ながらヤッてるカップル、それどころか奥に年増のおねえさんがお相手してくれる部屋があったり(神父は黙認か?)、なんだかもうカオスで、僕はあんな状態で映画を観たことはないけれど、でも「みんなで一緒に映画を楽しむ」というのは家で独りきりでDVDとかネット動画観てたら味わえない体験だから、やっぱり「こういうの、いいよなぁ」って思います。
映画を観ている時のあの描写の数々は、トトにとって最高に幸せだった時代のかけがえのない想い出なんですよね。
トトが映画館に入り浸るのをあんなに嫌がっていたのに、彼がアルフレードの跡を継いで映写技師として働き始めた途端ニッコニコで協力的になるお母さんもなかなか現金だなぁ、とは思うけど(クラーク・ゲイブルのような口髭を生やした彼女の夫、トトの父親は戦死して、トトは家族の貴重な稼ぎ手なんだから無理もないのだが)、あのお母さんの凛とした佇まいがよかった。
アルフレード役のフィリップ・ノワレは2006年に亡くなってるけど、この映画に出てた頃ってまだ60手前だったんだよな。
トト役のサルヴァトーレ・カシオは俳優を引退して実業家になっているそうだけど、現在の彼は子役時代のあの可愛らしさとはずいぶんと雰囲気が変わってちょっと不思議な顔つきになっている。
30年の月日はやはりそれなりの長さがありますね。
さて、トトが恋していたエレナとのちに再会する完全オリジナル版は、僕は多分90年代初めの劇場公開時以来観ていなくて(BSとかで観たかどうかは記憶が曖昧)、その後はずっとこのインターナショナル版ばかり観てますが、細かいディテールが加えられている完全オリジナル版もなかなか捨てがたくはあるものの、別れたきり二度と逢えないままのインターナショナル版の方が切なさが増すので好きなんですよね。
何よりも完全オリジナル版で語られた、トトの父親代わりのような存在だったアルフレードが実はエレナからのトトに宛てた手紙を彼に渡さずにいた、という真相が僕にはまったく納得いかなくて。
いくらなんでもそんな身勝手な話はないだろ、と。それではアルフレードはトトのことを思ってではなく、10歳の頃から村で映写技師だった自分が果たせなかった夢をトトに押しつけたようになってしまう。トトとエレナを引き離す権利など彼にはないだろう。
そういえば、アルフレードはやたらとエレナのことを「青い瞳はやっかいだ」と言っていた。彼は若い頃に金髪碧眼の女性に手痛い失恋でもしたのだろうか。
前回劇場で観た時には、長い人生の中では長らく逢わなかった人と再び出会うこともあるかもしれない、という願望から完全オリジナル版への愛着も感じるようなことを書いたんだけど、あれから何年も経って、やっぱりもう一生逢うことはない人というのはいるよな、という考えに変わったこともあって、「別れた相手は本当は自分のことを想っていた」などという幻想には虚しさを覚える。
100日間待ち続ければお姫様は自分を愛してくれる、と信じた兵士が99日目になぜか立ち去った、というアルフレードが語った逸話にはオチがなくて、アルフレードはトトに「理由がわかったら教えてくれ」と言う。
完全オリジナル版ではやがてトトはエレナと再会するので、アルフレードの語った話は「あの時、立ち去った兵士はトトではなくてエレナだった」ということでしょう。
けれど今回観たインターナショナル版ではエレナは行方知れずのまま映画は終わってしまう。お姫様と兵士の例え話の謎は残されたままだ。
あれはつまり、99日目で自分の方から立ち去ってしまえば現実の残酷さを目の当たりにせずに済むからだろう。あの時、自分が立ち去らなければお姫様は翌日にきっと自分の方を向いてくれたに違いない、と夢を見続けられるから。
僕は『 ニュー・シネマ・パラダイス』を観ると、ちょうど映画を意識して観だした1980年代の終わり頃から90年代あたりのことを思い出すんですよね。
青春時代の自分が映画の中でこれから未来に向かって羽ばたいていこうとしている青年トトの姿と重なって、だからこそよりいっそう過ぎ去った日々への愛惜の念が湧いてくる。
悔いばかりの人生だった、という忸怩たる思いが募る。
アルフレードの死は、トトにとっては夢の終焉でもあり、過去が本当の「想い出」となる時でもあった。想い出は美しく、現実は苦く。
まるで永遠に続くかのようだったラストのキスシーンもやがて終わりを迎える。
いつか、この人生にも「FINE」の文字が浮かぶ日がやってくる。
「新パラダイス座」はヴィデオの普及で立ち行かなくなりついに取り壊されてしまったけれど、そして日本中で昔ながらの映画館はもうそんなに多くは残っていないけれど、2019年の現在も「映画館」はまだ存在していて話題作が公開されると大勢の人たちが詰めかけている。
僕はあと何本映画を観られるだろうか。まだしばらくはスクリーンの中の喜怒哀楽を見つめながら、美しく彩られた想い出を頭の中で再生させる日々が続きそうだ。
※エンニオ・モリコーネさんのご冥福をお祈りいたします。20.7.6
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