クロード・オータン=ララ監督、ジェラール・フィリップ、ミシュリーヌ・プレール、ドゥニーズ・グレイ、ジャン・ドビュクール、ジェルメーヌ・ルドワイヤン、ジャン・ララほか出演の『肉体の悪魔』HDデジタル・リマスター版。1947年作品。日本公開1952年。PG12。
原作はレイモン・ラディゲの小説。
音楽はルネ・クロエレック。テーマ曲が予告篇↓でも流れてましたね。
1917年。男子高校生フランソワは、学校に隣接する臨時の陸軍病院にやって来た見習い看護師マルトと出会う。マルトには出征中の婚約者がいたが、フランソワの大人びた言動と無邪気な情熱に次第にひかれ、2人は愛し合うように。やがてマルトの婚約者の帰還が決まるとフランソワは彼女のもとを離れ、マルトは婚約者と結婚するが──。(映画.comより転載)
「ジェラール・フィリップ生誕100年映画祭」で鑑賞。
学生時代にフェリーニと三島由紀夫とジェラール・フィリップと若尾文子が好きな先輩(♂)がいて、僕はそのどれにもピンとこなかったので^_^;それらにほとんど触れることはなかったんですが、どこかで気にもなっていたのでした。
“ファンファン“の愛称で知られる往年のフランス映画の大スターのどこがそんなに好きなのか、その理由をちゃんと聞いたかどうかももう覚えていませんが、2022年は彼の生誕100周年で僕の住むところでは今年の2月の終わり頃からこの催しをやっているので、よい機会だからと思って観てきました。
ジェラール・フィリップが主演した映画を僕はこれまでちゃんと観てはいないと思うんだけど、特撮ヒーロー番組「ウルトラセブン」の第45話「円盤がきた」は当初タイトルがルネ・クレール監督、ジェラール・フィリップ主演の『夜ごとの美女』をもじった「夜ごとの円盤」だった、というエピソードは知っていました。
確か実相寺監督の「夜ごとの円盤」という著書があったと記憶している。
あいにく僕は『夜ごとの美女』は観ていませんが(今回も上映されていない)。
原作も読んでいないし内容についての知識も一切ないまま観たんですが、『肉体の悪魔』などという禍々しいタイトルからさぞやインモラルな愛が描かれるんだろうと思っていたら、戦争中に年上で婚約者がいる女性に恋した高校生の物語で結構ベタなメロドラマだった。
名作と言われているし、僕でも題名を記憶していたぐらい有名な映画ですが、始まってしばらくはどこがどのように優れているのかよくわからず、なかなか入り込めないまま観ていた。
まず、ヒロインのマルト(ミシュリーヌ・プレール)が何を考えているのか皆目理解できない。
母親の言いつけで臨時病院に看護師としてやってきた彼女は、しょっぱなから担ぎ込まれた怪我人を見ていきなり卒倒、そのまま帰ってしまう。えっ。
で、そんな彼女はことあるごとに買い物をしたり高級なレストランで食事してるばかりで、とても戦争中の一般市民に見えないんですね。
母親は看護師として毎日真面目に働いているのに。


どうやらマルトの家は金持ちだけど母親は国のために奉仕しているようで、でも娘のマルトからはそういう勤勉さはまったく感じられない。父親に関しては説明があったかもしれませんが、出てこないのでよくわからず。
かといって、マルトは不真面目な女性というふうに描かれているのでもなくて、それでいてそのブルジョワ生活を咎められることもない。
彼女の婚約者ジャック・ラコンブ(ジャン・ララ)は軍人なんだけど、マルトは実は結婚に迷いがある、といった感じで、だからジェラール・フィリップ演じる高校生のフランソワと出会って結局は彼に惹かれていく。
フランソワは高校生なのに人前で平気でワインを飲むし、煙草も吸う。そのことでレストランやバーの店員からどうこう言われることもない。そういう時代だったんでしょうかね。
バーの給仕役でジャック・タチが出演していたそうですが、さすがにそれは気づかなかった。
一応、高校生としては羽目を外しているように演出されてはいるけれど、そもそもこの映画のジェラール・フィリップは10代の少年には見えないし(撮影当時20代半ば)、それよりも第一次世界大戦中の1917年が舞台だけど、なぜ戦争中にもかかわらずフランソワがこんなに好き放題やってても許されるのかわからない。
同じ頃の日本だったらありえないでしょうね。
フランソワの父親(ジャン・ドビュクール)も、息子の恋を知って激しく叱るのでもなく、ものすごく気を遣ってマルトとフランソワを引き離そうとする。わざわざ学校休ませたりするんだもんね。どんだけ過保護なんだ。
マルトはフランソワとともに逃げる気でいたが、約束した場所に彼が来なかったので(本当はフランソワはその場に父親とともに来ていたが、桟橋で自分を待つマルトの姿を見て父の説得を受け入れて思いとどまる)、ジャックと結婚する。
マルトの母親(ドゥニーズ・グレイ)にしても、マルトとフランソワの関係を婚約者のジャックが知っている、と噓を言ったことを責められて、フランソワからは「恥を知れ」みたいなことまで言われるんだけど、お前が言うな、って話でしょ。
不倫の罪よりもその愛の深さの方を優先されるという、これはおフランスの人々は皆さんそういう価値観なんでしょうか。
親が決めた結婚相手じゃなくて、自分自身で選んだ相手だから、ということか。
とにかく、マルトのフランソワとの関係への躊躇のなさというか、全然悪びれてない様子、なんならこれこそが純粋な愛なのだ、と言わんばかりの態度がちょっと僕などには釈然としなかった。
マルトの夫が特別何か問題のある人物として描かれているわけではなくて、ただ彼女の愛情は夫から離れているのだ、とだけ説明される。
どうやらこの映画は国によっては検閲によって上映が禁止されたりカットされたりもしたようですが、つまり映像的な過激さとかではなくて、今僕が述べたようなモラルの面で問題視されたのかな。
映画と原作の原題は「魔に憑かれて」で、まぁ、そのタイトルならわからなくはないけど、なんで「肉体の悪魔」などという、ホラーちっくな(あるいはポルノ的な)邦題にしたんでしょうね。
これは、観客がマルトの身になったつもりでフランソワ/ジェラール・フィリップに恋する映画なんだと思いましたね。
最後は主人公を残して死んでしまうのも、昔ながらの恋愛モノのヒロインっぽい。
10代には見えなくても劇中では高めの声のジェラール・フィリップは若々しくて男前、というより現代的な「イケメン」っぽいし、「推し」とかいう呼び方もピッタリくるような爽やかさがある。
第二次大戦が終わり、多くの人々が彼に魅了されたのもうなずける。
ちなみに、マルトはフランソワよりも年上の設定だけど、演じているミシュリーヌ・プレールはジェラール・フィリップとは同い年だった。ミシュリーヌ・プレールさんは御年100歳(今年で101歳)で現在もご存命なんですね。
フランソワとの子どもを産んで(ほんとに彼の子なのかどうかさだかではないが)命を落としたマルト役のミシュリーヌ・プレールさんは100歳の今もご健在で、逆にマルトをなくして休戦が祝われている中、彼女の葬式を遠巻きに見ていたフランソワ役のジェラール・フィリップはわずか36歳で病いによりこの世を去った。
亡くなったのは1959年だったんですね。本当に昔。当時の日本でも大人気だったということだけど、同じ年の生まれのジュディ・ガーランドよりも短命だった。
36歳といえば、マリリン・モンローも36で亡くなってますが、36歳というのは何かあるんだろうか(奇しくも、フィリップが『モンパルナスの灯』で演じた画家モディリアーニも36歳で没している*1)。
『肉体の悪魔』は世界中で当たったようだけど、一方で当時は映画評論家だったフランソワ・トリュフォーはクロード・オータン=ララ監督の作品を批判していたそうで、でもそれは作品の出来が悪かったからではなくて、オータン=ララ監督の映画は古典的な「脚本家の映画」で、作家主義的な「監督の映画」を目指していたトリュフォーにとっては叩かなくてはならない作品だったのでしょうか。
トリュフォーはジェラール・フィリップのことも批判していた、ということがこのあと観たドキュメンタリー映画で語られていた。
トリュフォーは彼の何が気に入らなかったのだろう(トリュフォーはフィリップのちょうど10歳年下)。
そんなわけで、続いてはパトリック・ジュディ監督によるドキュメンタリー映画『ジェラール・フィリップ 最後の冬』。2022年作品。66分。
吹き替えナレーションは本木雅弘。


観る前は、1時間ちょっとの作品で入場料金1500円はお高いな、と思っていたんですが、でも中身が詰まったドキュメンタリーでした。
ジェラール・フィリップという不世出のスターについてより深く知ることができてよかった。
このドキュメンタリーは、よくあるような関係者のインタヴュー映像は一切用いられていなくて(関係者で今も生きてる人がほとんどいないからというのもあるんだろうけど)、残されているジェラール・フィリップの映像(プライヴェートなものを含む)や関連映像、それから彼の妻が撮った写真などで構成されている。
たびたび写真や動画で映し出されるジェラール・フィリップの妻アンヌ・フィリップ(アンヌ=マリー=ニコール・フールカード)(1917-90) って、どっかで見たことがあるような気がしたんだけど思い出せず。
彼女の存在があったからこそ、ジェラールは素晴らしい作品の数々を残せたんだともいえる。もちろん、彼は彼でいろいろと計画して仕事に臨んでいた。
20年後まで自分が何を演じるのか考えていた。
1942年の初舞台から、亡くなる59年までの17年ほどの間は本当に濃密なものだったんでしょう(アンヌとの結婚は52年)。
戦時中に父親がファシストと繋がりがあって儲けていたこと、戦後にその責任を問われて逮捕された父を次男のジェラールがコネを使って釈放させたこと。
そのジェラール自身は戦時中にはレジスタンスの一員としてナチスと戦っていた。その功績が高く評価もされた。
映画を観てるだけだと爽やかな「イケメン」というイメージが強かったジェラール・フィリップの現実での姿が浮き彫りにされる。
それはたゆまぬ努力と、それで自らが得たものをまわりに分け与えるとても真面目な人物像。オーソン・ウェルズとの仕事も断わり(ウェルズ監督・主演の『オセロ』でデズデモーナ役だったシュザンヌ・クルーティエとは『ジュリエット あるいは夢の鍵/愛人ジュリエット』で共演)、名声をなげうって儲からない労働者階級の観客のための演劇活動を続けたこと。


十何年かの間に数多くの映画と舞台公演をこなして切磋琢磨し続けていた。
共産党を支持し、反核運動も行なっていた。キューバにも訪れてフィデル・カストロとも会っている。
人の何十倍もの速さで目一杯詰め込まれた人生を駆け抜けていったんだなぁ。
まぁ、まだ1本しか彼の映画を観てないくせに、なんだかわかったようなこと言うのもなんですが。
でも、生前トリュフォーに批判されたジェラール・フィリップは、けっしてただの顔だけのお飾りでもなければ富と名声に胡坐をかいた存在でもなかったことがよくわかった。
限られた人生を精一杯生き抜いた人だったんだよね。
残念ながら、今回のこの催しで観られる彼の作品は多分多くてもあと1~2本程度だろうから、僕には“ジェラール・フィリップ”について熱く語れるような資格は全然ないんだけれど、かつて先輩が好きだと言っていた元祖ファンファン(岡田眞澄ではないという意味)に今こうしてようやくスクリーンの中で出会えたことは本当に嬉しい。
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『ジュリエット あるいは夢の鍵/愛人ジュリエット』『モンパルナスの灯』
*1:※実際には満35歳。