ジョン・カーペンター監督、カート・ラッセル、リー・ヴァン・クリーフ、ドナルド・プレザンス、ハリー・ディーン・スタントン、エイドリアン・バーボー、アーネスト・ボーグナイン、アイザック・ヘイズほか出演の『ニューヨーク1997』4Kレストア版。1981年作品。
1997年、ニューヨークのマンハッタン島は高い壁で囲まれて巨大な監獄となっていた。大統領専用機がハイジャックされて墜落、脱出用ポッドでマンハッタンに降りた大統領(ドナルド・プレザンス)が“デューク”(アイザック・ヘイズ)率いる凶悪な囚人たちに捕まり人質にされてしまう。警察本部長のホーク(リー・ヴァン・クリーフ)は元特殊部隊隊員だったが今は囚人の身となったスネーク・プリスケン(カート・ラッセル)を呼び寄せ、彼の釈放と引き換えに大統領の救助を命じる。
「ジョン・カーペンター レトロスペクティブ2022」にて劇場鑑賞。
ジョン・カーペンターの映画はほとんど観たことがなくて、80年代に『遊星からの物体X』はTV放映で観て、何年か前にリヴァイヴァル上映で初めて劇場鑑賞。
この『ニューヨーク1997』は90年代頃にヴィデオだったかTV放映だったかで観た記憶があるんだけど、その後、続篇の『エスケープ・フロム・L.A.』もレンタルヴィデオで視聴。
そちらには“イージー・ライダー”ピーター・フォンダが出ていて、サーフィンしていたっけ。パム・グリアも味方役だったか敵役だったか忘れちゃったけど出てたな。
『ニューヨーク1997』の頃はまだCGではなくてミニチュア撮影が行なわれていたんだけど、『エスケープ・フロム・L.A.』の時にはバリバリCGが使われてて、96年の作品だったこともあってなんともチープな映像だった。
やはり好みでいえば、低予算でもミニチュアを使った特撮の方が味わいがある。
アナログな撮影によるスネークがニューヨークのビルの間をグライダーで飛ぶシーンがいいんだよなぁ。ちょっと自主映画的なテイスト。『ダーク・スター』もヴィデオで観たけど、あれを思い出しますね。手作り感覚。同じことをCGでやられてもなんの感動もないんだよな。
『ニューヨーク1997』のスタッフには特殊効果でジェームズ・キャメロンの名も(ジム・キャメロン名義)。彼はマット画も描いていたようで。
この映画の未来描写も『ターミネーター』に影響を与えているんだなぁ。
ジョン・カーペンターをリスペクトする映画監督やミュージシャン、ゲームクリエイターなどは多いけど、ファンではない僕のような人間からすると彼の映画はいつもなんだかユルくて眠くなってくる。
『マウス・オブ・マッドネス』とリメイク版でクリストファー・リーヴも出演している『光る眼』も『ヴァンパイア/最期の聖戦』もレンタルしてきたヴィデオで観たのに見事なまでに内容を覚えていないし、『最期の聖戦』は下手すると最後まで観ていない可能性も。
90年代頃にはすでにカーペンターの名前は知られていたから、興味はあったんだよね。ただ、彼の映画がお気に入りだったわけじゃなくて、映画史の勉強のようなつもりで観ていたんだと思う。
以来、彼の撮った作品を長らく観ていなかったし、だからそのフィルモグラフィでもっとも有名な『ハロウィン』もいまだに観ていない。
今回、彼の作品がリヴァイヴァル上映されることを知って、せっかくの機会だから映画館で観ておこうと思って。
OPとEDに流れるカーペンター作曲のテーマ曲が好きなんですよねー。
安っぽいシンセの音が80年代頃のパソコンのゲームミュージックみたいで、ちょうど『ブレードランナー』のヴァンゲリスの曲と同様の中毒性がある。ループさせて延々聴いてられそう。
『ニューヨーク1997』は内容が『エスケープ・フロム~』と脳内でゴッチャになっていたし、ずっと観ていなかったから覚えてたのは釘バットで殴り合うシーンだけだったんですが、久しぶりに観たら全篇ほとんどが夜の場面なんでやっぱり途中で眠くなってきてうつらうつらしてしまった。気づいたらカート・ラッセル演じる主人公スネークが足をボーガンだか弓矢だかで射られていた。
ホーク役のリー・ヴァン・クリーフに大統領役のドナルド・プレザンス、ブレイン役のハリー・ディーン・スタントン、そしてデューク役のアイザック・ヘイズと、存在感のある芸達者たちに囲まれたカート・ラッセルのアンチヒーローぶりが楽しいんだけど、いわゆるアクション的な見せ場ってほとんどないし、先ほどの釘バットの殴り合いもなんだかモッタラモッタラしてるうちにあっさりケリがつく。
アーネスト・ボーグナイン演じるタクシー運転手なんて、毎度都合よく車でスネークたちを助けにくるんだけど、用が済んだらとっとと死んじゃうし。
地雷の中を逃げるクライマックスも迫力不足で、急に煙がモワッと立って人が飛んだりする。
アクション映画のはずなんだけど、たとえばこのあとの時期に人気を博するスタローンやシュワちゃんたちの映画のような銃撃や爆破の迫力とか人体破壊の凄まじさとか、そういうのはまったくない。
だからもう、革ジャンや黒のタンクトップにアイパッチつけたカート・ラッセルのスネーク・プリスケンの“キャラ”を楽しむしかないんだよね。
カート・ラッセルはセルジオ・レオーネの「マカロニ三部作」でイーストウッドが演じた名無しの男(モンコ、あるいはジョー)のキャラクターを意識してスネークを演じたそうだけど、レオーネのマカロニウエスタンもいわゆるアクションが売りの映画ではなかった。
イーストウッドやリー・ヴァン・クリーフの苦み走った表情や仕草、男臭さに酔う映画だった。
映画ライターの杉谷伸子さんが『エスケープ・フロム~』の公開時に来日したカート・ラッセルにインタヴューして、ラストシーンでスネークがタバコに火をつけたマッチを吹き消すのは「テクノロジー文明への批判ですね」と問うと、ラッセルが笑って「彼はタバコが吸いたかっただけだと思うよ」と答えたというエピソードが可笑しいですが。
カート・ラッセルが喫煙家なのかどうか知りませんが、ちなみにレオーネの映画ではしょっちゅう葉巻に火をつけていたイーストウッド本人はプライヴェートでは一切喫煙しない。
「男らしさ」の演出としてタバコが用いられていた。
アイザック・ヘイズ演じるデュークの手下で髪をツンツンに立てた男ロメロを演じてるのは最初『デューン/砂の惑星』(感想はこちら)や『エイリアン4』のブラッド・ドゥーリフかと思ったけど(ヘンな手の動きとか似てたから)違ってて、フランク・ダブルデイという俳優さんだった。リメイク版の『キャリー』(感想はこちら)でイジメっ子女子を演じていたポーシャ・ダブルデイのお父さん。
牙生やしててなかなか強烈なご面相だけど、ハリー・ディーン・スタントン演じるブレインに刺されてあっさり死ぬ。
この「あっさり過ぎな死」もこの映画の特徴。ってゆーか、『マッドマックス2』もそうだったし、あの当時はアクション物で悪役があっちゃり死ぬのは普通だったんだろうか。
最初にスネークがマンハッタンで出会った女性も、これから一緒に戦うことになるのかと思ったら地下から現われたゾンビみたいな奴らにあっという間にさらわれて退場。
ラスボスのアイザック・ヘイズも、最後にカート・ラッセルを追いつめたと思ったら、ブチギレたドナルド・プレザンスに塀の上からマシンガン乱射されて即死。
このあっけなさが今観るとクールっちゃクールかも。
それよりも、ジャンボジェット機をテロリストがハイジャックしてニューヨークのビルに激突(激突する瞬間は映し出されないが)って、どうしたってその後の911同時多発テロを思い浮かべずにはいられない。アルカイダの連中は『ニューヨーク1997』観てたってことだよね。
この映画が作られた81年当時はまだソヴィエト連邦もあったから劇中でも第三次世界大戦の危機、みたいなことを言ってたけど、実際には97年(偶然なのか意図的なのかわかんないけど、『ターミネーター2』の「最後の審判」が起こるとされた年でもある)にはすでにソ連は消滅していたし、世界は冷戦時よりももっと複雑でやっかいなことになっていた。
…いろいろとあの時代を象徴するものがあるのかもしれませんが、『物体X』もそうだったように、その後の世界をあれこれ予言しているような部分もありながら、ジョン・カーペンターはそれに囚われずにいつだって自由に映画を作ってきたんだろう、ということがうかがえるだけです。
たとえば、スネークがホークに「プリスケン」と呼ばれて「スネークと呼べ」と答えたり、最後に今度は「俺と組まないか、スネーク」と言われて「俺の名はプリスケンだ」と答えるところなんかは、ちょっと『ロボコップ』のラスト「いい腕だ。君、名前は?」「マーフィ」のやりとりと、『ロボコップ3』での「名前はマーフィだったな」「友はそう呼ぶ。お前らは“ロボコップ”と呼べ」を思わせる。
この映画から他のいろんなクリエイターたちがインスピレーションを得ているんだろうなぁ、と想像する。
客層はほとんどが中年男性だったけど、カップルも何組かいた。観終わったあとに一組のカップルが会話していて、女性の方が「これは映画好きな人が観る作品だね」と呟いてました。つまり「お好きな人には堪らないんでしょうね」ってことよねw
まぁ、僕はこういう映画が「お好きな人」じゃありませんが、同じ期間中にやってた『ザ・フォッグ』は観られなかったんで、『ゼイリブ』を観ましたよ。
また感想書きますね。
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