リドリー・スコット監督、ハリソン・フォード、ルトガー・ハウアー、ショーン・ヤング、エドワード・ジェームズ・オルモス、ブライオン・ジェームズ、ダリル・ハンナ、ウィリアム・サンダーソン、ジョアンナ・キャシディ、ジョー・ターケル、M・エメット・ウォルシュほか出演の『ブレードランナー ファイナル・カット』をIMAXレーザー2Dで鑑賞。2007年(オリジナル版1982年)作品。
『ファイナル・カット』と、なぜか『未来世紀ブラジル』のネタバレがあるのでご注意ください。
『ファイナル・カット』は12年前と2年前に続いて劇場で観るのはこれで三回目(その前には92年に『ディレクターズ・カット』を劇場鑑賞*1)。感想は2017年の鑑賞時に書いています。
繰り返し観ている作品ですが、今回はIMAXでの上映ということで楽しみにしていました。
もうあれからひと月経っちゃってますが9月6日から2週間限定公開で、ちょうど『マトリックス』も同じ期間、あちらは4DXで上映されていました。
もっとも『ブレードランナー』はもともとIMAX用に撮られてはいないので映像はスクリーン一杯には映らないんですが、黒味はスクリーンの下方に出るようになっていて、IMAXってスクリーンの下側が前の客席にかぶるんでいつもは観づらいんだけど、今回はそこに黒味が来てたからちょうど具合がよかった。
これまでもわりと大きなスクリーンで観られたんだけど、やはりIMAXはさらに迫力がありましたね。映像も音響も新しくIMAX用に設定されたようだから、これまで以上に臨場感があった。
今年、ロイ・バッティ役のルトガー・ハウアーさんが亡くなって、図らずもその追悼のような形になってしまいましたが。あらためてご冥福をお祈りいたします。
この映画については思い入れの強い人たちもいるだろうし、映画史的にもすでに充分評価されているから、今さら「やたらと持ち上げられているけど、この映画のよさがわからない」という人にムキになって作品の素晴らしさを力説したり、まだ観たことがない人に一所懸命お薦めするつもりもないんですが、多分、これは出会うタイミングによるんだと思う。
僕だって、この作品を今、なんの予備知識もないままいきなり観たら、そのよさを理解できる自信はないです。「なんだこりゃ。意味がわからん」と思うかもしれない。つくづく若い時に観ておいてよかった。
だから、まだ頭が柔らかかった10代の頃になんだかよくわかんないけど「リアルな未来の風景」を観た時のなんとも不思議な感覚は、今振り返ってみればとても貴重な経験だった。
若い頃に「映画」でそういう経験をしていればいるほど、より長く映画とお付き合いしていけるんじゃないかな。
ところで、僕は『ブレードランナー』を劇場で初めて観たのは『ディレクターズ・カット』からなので、主人公のデッカードを演じるハリソン・フォードのモノローグもラストの車での走行シーンもないヴァージョンがお馴染みだし、そちらの方こそ決定版だと信じて疑いませんが、どうも特に1982年の最初の公開版を劇場で観た世代のかたたちの中には圧倒的にそちらの初公開版の方を推す人たちがいるようなんですよね。
『ファイナル・カット』に対して、「私にとっての『ブレードランナー』ではデッカードはレプリカントじゃないし、彼は最後にレイチェルと緑溢れる場所を車で走る」というようなことを書かれていたかたもいらっしゃって。
彼らの理屈では、ずっと雨の降る街の中だけが映されてきたのが、最後に視界が開けて陽光と生い茂る緑が目に飛び込んでくるのが解放感をもたらしてくれていいのだ、ということのようで。
そういう効果については、なるほど、と思うし、どのヴァージョンを好むかは人の自由なので、そのことにケチつける気はまったくないです。それはご了承いただきたい。
ここでは、どのヴァージョンが一番優れているのか、という比較をするつもりはありません。
観た人それぞれにとって最高のヴァージョンがその人にとってもっとも相応しいヴァージョンなわけだし、それでいいと思う。
ただ、そのうえで感じることをほんのちょっと書きます。
82年版に愛着を感じているかたがたには申し訳ないんですが(何度も念を押すけれど、82年版が好きであることや、それを決定版だと考えること自体に文句を言うつもりはありません)、あのラストはやっぱり物語の流れや設定上ありえないと思うんですよね。
だって、この映画の世界では生き物は多くが絶滅してしまっていて、本物の動物はとても高価で手に入れるのが難しいということになっていたでしょう。蛇使いのゾーラがそう言ってたし。
あんな緑の草木がいっぱいの場所なんてあるわけがないんですよね。
この作品の2019年では、ラストに車の中からデッカードとレイチェルが見るあの風景は“失われて”しまっているんです。
もしもあんな場所があるんなら、きっと大勢がそこに逃げていくはずでしょう。動物だってたくさんいるだろうし。
だから、あれはちょうどテリー・ギリアムの『未来世紀ブラジル』のラストと同様に、デッカードが見た「夢」なんじゃないのか。
大都会の喧騒から逃れて愛する女性とともに緑溢れる場所で暮らす。
…だが、本当はデッカードは追っ手に捕らえられて「夢」を植え付けられたのではないか。レイチェルの子どもの頃の記憶がタイレル博士(※タイレル役のジョー・ターケルさんのご冥福をお祈りいたします。22.6.27)の姪のそれを移植したものだったように。
そう考えると、最初の公開版は『ファイナル・カット』よりももっと苛酷な、絶望的ですらあるラストなのかもしれないでしょう。けっしてあれは救いのあるエンディングじゃないんだよね。
結果的に「デッカードもレプリカントだった」というオチを証明してしまうことになっている。
『ファイナル・カット』では、「デッカードはレプリカントだった」とは結論づけていません。
リドリー・スコットはそのアイディアがお気に入りのようだけど、謎のユニコーンの夢だけではそうは言い切れない。
そもそも“レプリカント”とは“人間”のメタファーなのだから、デッカードがレプリカントなのかどうかということは物語の本質ではない。
『ファイナル・カット』は、一見救いのない厳しいラストだけど、そこにはかすかな希望がある。
たとえ長生きできなくても、「二人はこれからともに生きていく」という事実は疑いようがないから。それはデッカードの夢ではなく、現実なのだ。ガフが折った折り紙のユニコーンを握り潰してうなずくデッカードの表情はそう自分に言い聞かせているように僕には思える。
デッカードとレイチェルはロイ・バッティとプリスのカップルと対になっていて、彼ら二人のレプリカントの死をデッカードは目撃している。プリスを愛し続けたロイのように、「生(せい)」は儚くもあるが、それでもけっして断ち切れない“絆”もある。
デッカードはレイチェルとの間にそれを見出したんだと思う。
だから、僕はやっぱり『ファイナル・カット』こそ決定版、という結論は変らないですね。
まぁ、こんな僕の戯れ言なんて軽く聞き流していただければいいので。
たとえば、僕はジョージ・ルーカスのスター・ウォーズのエピソード4~6は断然劇場初公開時のオリジナル版派でして、どんだけ「特別篇」の擁護派がEP1~3との整合性だとかVFXの出来のことなどを言い募ってオリジナル版のことをクサそうとも、自分の意見は変わりません。
それにはもちろん、子どもの頃から慣れ親しんできたヴァージョンへの愛着があるし、映画ってその人がその作品を観たタイミングによって評価が左右されるものだから、82年に映画館で観た『ブレードランナー』をこよなく愛する人々がいるのもよくわかる。それでいいと思うのです。
そういう映画が1本でもあれば、それは生涯の宝物になるでしょうから。
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