映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

※2019年の“はてなダイアリー”終了に伴い、2018年9月にブログを移行しました。

『遊星からの物体X』デジタル・リマスター版

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ジョン・カーペンター監督、カート・ラッセル主演の『遊星からの物体X』デジタル・リマスター版を鑑賞。オリジナル版は1982年制作。PG12。

原作はジョン・W・キャンベルの小説「影が行く」。

1951年(日本公開52年)の『遊星よりの物体X』に続く映画化。

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1982年、南極。ノルウェーの観測隊に追われていた犬を救ったアメリカの観測隊のヘリ操縦士マクレディ(カート・ラッセル)は、他の基地と無線での連絡もつかない状態で真相を究明するためにノルウェーの観測基地を訪れるが、そこは無残に破壊されて異形の死体が残されていた。

一応、ネタバレがありますのでご注意を。 

 

51年のモノクロ映画である『遊星よりの物体X』は僕は未見で、人間に近い怪物の姿を写真で見たことがある程度ですが、そちらのオリジナル版を高く評価してる人もいらっしゃるようで。

モンスターに冷戦当時の共産主義への恐怖が反映されていたのだろうことは想像できる。

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一方で82年のジョン・カーペンターによるこのリメイク版(こちらの方がより原作に近いと解説されているが)は、そのような社会情勢とはとりあえず無関係な、ひたすら限られた環境の中に取り残された者たちが謎の生命体に襲われて同化されていく恐怖を描く。

79年の『エイリアン』の大ヒットを受けて作られた映画だから、その恐怖描写はより即物性が高く生理的な嫌悪感を強調している。

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『エイリアン』のモンスターはデザインからして男根そのものだったし、あの映画がレイプや望まぬ妊娠の恐怖を描いていたのに対して、『物体X』はただひたすら奇形種に襲われる恐怖、つい今しがたまで正常だった者たちが突然豹変して怪物と化す怖さが描かれる。

ちょうど『エイリアン』と『ゾンビ』のハイブリッドみたいな。

ただし、宇宙から飛来して全人類を同化しようとする物体Xにはエイズなどその後広まる感染症への恐怖はうかがえるものの、ジョージ・A・ロメロの『ゾンビ』の歩く死者たちが資本主義社会の消費者のメタファーだったような寓意というのは特にない。観客が各自でそこに意味を込めることは可能だろうけれど。

本作品は長らくそのあたりを映画史的に軽んじられていたところがあるんだけど(もちろん当時から高く評価してた人々も多いが)、「SFX(特殊効果)」という呼び名が定着した80年代に特殊メイクやアニマトロニクスなどを使ったスプラッター映画を浴びるように観ていた世代が大人になって、特殊造形を担当したロブ・ボッティンの名前とともに俄然評価が盛り返してきたところはある。

今ではホラー映画の「名作」とされているし、今回の再上映もファンの支持が高いからでしょう。

僕は普段ホラー映画をほとんど観ることがなくて、1982年の劇場公開時にはこの映画の存在すら知りませんでしたが(同じ年にスピルバーグの『E.T.』が公開されて、そちらは劇場で鑑賞している)、その後TVで放送されてるのを観てそのグロさになかなかの衝撃を受けたのでした。

この映画のあとに高倉健主演の『南極物語』を観たら、もはやタロとジロを冷静に見ていられない。何かが起こりそうで^_^;

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その後、大変なことになるハスキー犬

 

この映画とクローネンバーグの『ザ・フライ』はインパクトあったなぁ。

あの当時は他にも『スペースバンパイア』とか『バタリアン』など、TVで特撮を駆使したホラー映画をよく観ました。特にホラー映画好きでなくても、この手のジャンルの作品をTVで目にする機会が多かった。

今だといろいろ気を遣ったりするけど、映像における残酷シーンや暴力的な表現については結構規制が緩かったんですね。そういう部分ではいい時代だったなw

80年代は特殊効果の技術が飛躍的に進歩した時代でもあった。

今年は昔の映画をデジタル・リマスターによるリヴァイヴァル上映で観る機会が多いんですが、子ども時代の懐かしさもあってこれも観てみることに。

映画館は見事なまでに男だらけ。ほぼ満席のような中で女性のお客さんは数人いるかいないかぐらいで、会場を埋め尽くしていたのは頭頂部が寂しくなったリュック背負ったおっさん(俺含む)ばかり。若者もちょっといるぐらい。めっちゃ場に馴染んでしまった。

加齢臭が凄いことになってましたが^_^; この中に物体Xが紛れ込んでてもわかんないぐらいにw

この映画自体も女性が一人も出てこなくて(コンピューターゲームの女性の声のみ)、髭ヅラだったり禿げたおっさんなど男しかいない。

もう、“おっさん尽くし”。

今って、だいたいどんな映画でも女性のお客さんがある程度いるものだけど、こんだけ客層が偏りまくった上映会は僕はちょっとこれまでにほとんど経験がないです。ある意味壮観だったw

かつてのホラー映画や特撮好き少年たちの成れの果てを見るような…いや、35年以上前の自分たちが子どもの頃に観た映画をもう一度劇場のスクリーンで観られるのってほんとに至福の時間でしたが。

映画館で観るのは今回が初めてだから、地味にワクワクしていたんですよね。

僕は急に大きな音が鳴るのが苦手で、だから先日観た『クワイエット・プレイス』 もビクつきながら観ていて、今後もこの手のホラー映画を熱心に観ることはないだろうけど、子どもの頃に観て印象深かった作品を再見することには最新作を観るのとはまたちょっと違った感慨がある。以前は気づかなかった細かいところをあらためて確認できたりもするし。

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『物体X』には『クワイエット・プレイス』のようなデカい音を使った「驚かし演出」は思ったほどなくて客席で飛び上がるようなことはほとんどありませんでしたが、それでもこの映画が以降のモンスターホラー映画に与えた影響は計り知れなくて、『クワイエット~』ももちろんその影響化にある(それ以前に当然『エイリアン』の影響が大きいが)。

クワイエット~』も限られた空間の中でモンスターに追われる恐怖を描いているんだけど、あちらは直接的な残酷描写はほとんどなくて(年齢制限もなし)見どころになる部分が異なる。ほとんど同じジャンルでも差別化が図られていて面白い。

『物体X』の最大の魅力は、もちろん“物体X(The Thing)”の造形にある。 

これまでのようなわかりやすいデザインの“モンスター”ではなくて、人間や動物に寄生してその外見を模倣するために、まるで生き物が溶けたり皮が剥がれたような状態のまま融合されている感じの奇怪で最高に気持ち悪い姿をしている。

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完全に見たことのない造形の怪物よりも、人間や動物など見慣れた生き物が変形した姿の方がより恐怖感を煽る。

この物体Xは10万年前に宇宙船ごと地球に墜落してそのまま氷の中に埋まって眠っていた、という設定だけど、とてもあんな宇宙船を作れるような知的生命体には見えない。

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『エイリアン』で未知の知的生命体がモンスターによって宇宙船の中で全滅していたように、この映画でも、もしかしたら別の宇宙人たちが物体Xによって身体を乗っ取られた、ということなのかもしれない。

このあたりは詳しくは説明されないので、不気味さや腑に落ちなさが残る。

ラヴクラフトの「クトゥルフ神話」なども取り込まれているんだろうけど、僕にはその辺の知識はないのでよくわかりません。

再三繰り返しているように僕はホラー映画そのものにはそんなに興味はないんだけど、「ホラー映画」というのは映画の草創期からあってその残酷描写は何十年もの間に視覚的な強烈さを増してきたので、それまでは低予算で作られていたモンスター映画が技術の進歩とともに変化していくのを眺めるのは純粋に楽しい。映画の歴史を見つめることでもあるから。

モンスターホラー映画『物体X』の内容はシンプルで、誰が怪物に同化されているのかわからない状況の中で互いに疑心暗鬼になって殺し合いに発展していく様子が描かれる。

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最後は二人だけになって、極寒の地でもはや生き残る道も絶たれた男たちが絶望的な表情で笑う。観終わったあとのモヤモヤ感が凄い^_^;

緩急の付け方が巧くて、緊張感を持続させながらも敢えてじりじりとさせる「間」を置いたりしている。ホラー映画における「音」の重要性も再確認させられる。物体Xが発するあの「音」が気持ち悪さをさらに増幅させている。

主人公が疑われ、仲間たちがどんどん怪物化していき、怒涛のクライマックスへと続く展開には一切無駄がない。上映時間125分がもっと短く感じられる。

先ほど、この映画には寓意はない、みたいなことを書いたけど、それでもたとえば生物学者のブレア(A・ウィルフォード・ブリムリー)が大声を張り上げて罵りながら暴れる描写など、正気を失った者の怖さ、何人もの男たちが必死で押さえつけなければならないほどの馬鹿力を出してそこら中の物を破壊する凄まじさは錯乱した人間の恐ろしさをリアルに再現していて、非常に不穏な気分にさせらされた。

暴れてるのがその辺に普通にいそうな禿げて腹の出たただの中年親父、というのも、いかにも、といった感じで。本当に怖いのはやはり「狂った人間」なんだ、ということ。

あれだけ暴れておいて、そのあとケロッとして「もう治ったから自分を閉じ込めているこの部屋から出してほしい」 と言い出すところなど、ああいう人間は現実にいるので。

主人公のマクレディを演じるカート・ラッセルは髭ヅラで同じカーペンター監督の『ニューヨーク1997』の眼帯を付けた主人公スネーク・プリスキン同様に男臭いが、ハッキリいって彼が謎の死体を基地に持ち込んだせいで犠牲者が増えたわけだし、やってることは自業自得みたいなところはある。

観測隊も、あんな得体の知れない死体をいきなり無防備に解剖するのもムチャだし。有害な物質かもしれないのに。まぁ、実際有害だったわけだが。

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この映画の見どころの一つでもある、心臓が止まった仲間を蘇生させるために電気ショックを与えていて腕を食いちぎられる壮絶なシーンは、作り物であることはわかってても見入ってしまう。

当時はまだCGはほとんど普及していなかったから、ああいう場面では実際に撮影現場で実物のプロップを使っていて、それが「本当にそこにいる」現実感を醸し出していた。

CGによる映像加工が当たり前になった現在の同様の場面には感じられないリアリティがあるんですね。あの当時の作品を今観ても退屈しないのは、クリエイターたちの手作りの産物が目に心地よいから。 

あの場面の人間の首がちぎれる描写は、その後、単行本で読んだ荒木飛呂彦の漫画「バオー来訪者」に似たショットがあって、あぁ、物体Xだなー、ってニヤッとした。

『物体X』のグログロ描写は、多くの日本の漫画やアニメに影響を与えていると思う。

現実には首がちぎれれば真っ赤な鮮血がほとばしるだろうし、その断面は骨や肉で埋まってるはずだけど、『物体X』ではモンスターに寄生されたからか、モンスターが人間に擬態した姿だからなのか、血は出なくてなんかブニョブニョした管がいっぱいついてて、それらが破裂して緑っぽい液体を噴き出す。ちょっとシュールレアリスティックな造形。

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志村、うしろー!! 

 

こういう奇妙なイメージは、ひたすら精緻にいかにもホンモノの人体っぽく描こうとする現在のCG映像にはない表現だよな、って思う。

ここで言う「リアリティ」というのは、現実のものに近いかどうかというよりも、映画の中のリアリティ──作り物特有の「なんだかそれっぽい」もの、のこと。

それを実際の造形物で見るというのは美術展などで不思議な形や色の展示品を眺めるのと似ていて、物体をじかにその目で見る体験に通じるものがある。それはどんなに技術的に進歩してもCGでは再現不能

ロブ・ボッティンはその後もポール・ヴァーホーヴェンの『ロボコップ』や『トータル・リコール』でのゴア描写がそうだったように、生々しい現実味と超現実的な誇張したグロテスクな造形が混在した表現を行なっていて、それはクリエイター個人の個性が見えづらい今日のCGによるVFXとは違う存在感があった。 

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ロブ・ボッティン御大

 

一方で、完成した映画から大幅にカットされたストップモーション・アニメーションによるモンスターの特撮のように、かつての映像技術では特に引きの画でリアルにモンスターを動かすことがきわめて難しくて、そのあたりはCGの方に分がある。

引きの画をリアルに見せる、ということでいえば、モンスター以外でも氷の中に埋まった宇宙船の描写は今見ればあれがミニチュアやマットペインティングを使った合成であることは一目瞭然で、僕は昔観た時にはあの場面はもっと遠景で観測隊の男たちが宇宙船を取り囲んでいるような記憶があったんだけど、それはもしかしたら90年代に観た『X-ファイル』の劇場版作品と混同してるのかもしれない。 

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CGの技術は専門的なものだし、言っちゃ悪いけど所詮PC画面上の電子的な「絵」なので僕はあまり興味をそそられないんだけど、ミニチュアとか筆で描かれるマットペインティングって現実に手で触れられる形のあるモノとして存在するから(かつての“フィルム”だってそうだ)、飽きがこないんですよね。

当時の映画の強みはそこにある。

映画はスクリーンに投影される幻影で、そういう意味ではどのような工程を経ていようとそれがプラクティカル・エフェクトでもCGであっても最終的には平等な存在ですが、それでも撮影現場には生きた俳優たちがいて特撮マンたちも造形物を実際にキャメラで撮影しているというのは、やはりすべてがアニメーターによって描かれるアニメとはまずその実在感が違う。

僕がアニメに対して感じるある種の虚しさは、それが二次元の中に限られるせいでもある。どんなに巧みに3Dで描かれようと、それは実際にはテクスチャを貼った平面上の絵に過ぎない。

かつての物体Xの禍々しさ、気色悪さにはアニメでは到底表現しきれない、現実にああいう造形物が存在したことの圧倒的なリアリティがある。 

無論、アニメにはアニメでしか表現し得ないもの、アニメの中だけにしか存在できないものがあることは知っています。僕にだって好きなアニメはいっぱいあるので。

でも、僕は実写のゴジラには興味があるけど、アニメのゴジラにはまったく興味がない。ゴジラだから実写もアニメも分け隔てなく好きだということはなくて、実写だからこそ興味が持てるものは確実にある。物体Xは僕にとっては実写だからこそ面白い。

念のためにお断わりしておくと、僕はけっして最近のCGによるVFXとかアニメを否定しているのではありません(VFXを使ってない作品を探す方が難しいぐらいだし)。ただ80年代特撮の魅力を語るために敢えてこのように表現してみただけです。

現在のVFXはさまざまな技術の集合体で、単純にすべてをCGで描いているわけではないので、それと昔の特撮を比べてどちらが上とか下とか言ってもしょうがないし、先ほどの『クワイエット・プレイス』のようにもう一つのブログの方では最新劇場公開映画の感想を書いていて、VFXを駆使した映画で好きな作品もたくさんあります。

どちらかというと、ここしばらくはVFXがらみではアメコミヒーロー物を観ることが多いですが。

ジョン・カーペンターは比較的低予算のB級ジャンルの映画を撮り続けてきた職人的な監督で、僕は彼の映画のファンというわけではなくて観た作品も限られるんだけど(実は有名な『ハロウィン』もちゃんと観ていない)、その一貫した姿勢に頼もしさも感じる。この人は何十年経ってもブレないなぁ、と。

B級映画、という表現は人によっては抵抗を感じるようだけど、僕は悪口のつもりで使っているのではなくて、そういうものを観る心地よさってバカにできないし、ホラーとかアクション物って映画の原点でもあるから、時々そこに立ち帰りたくなる。

そのうち『ニューヨーク1997』もデジタル・リマスターで上映してほしいです。

 

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