映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

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フォーエバー・チャップリン ~チャールズ・チャップリン映画祭


僕が住んでるところでは11月4日(金) から12月1日(木) まで開催されている「フォーエバー・チャップリンチャールズ・チャップリン映画祭」では、まず最初の2週間で『独裁者』『殺人狂時代』『ライムライト』『ニューヨークの王様』『チャップリン・レヴュー(『犬の生活』『担へ銃』『偽牧師』を収録した短篇集)を上映。

後半で『キッド』や『巴里の女性』『黄金狂時代』『サーカス』『街の灯』『モダン・タイムス』が上映、短篇『サニーサイド』『一日の行楽』『のらくら』『給料日』が併映されています。

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約一ヵ月間でこれだけの本数のチャップリン作品を劇場で観られる機会はなかなかないので(東京の方ではこれまでにもわりと上映があったようですが)ぜひ全作品を観たいと思っているんですが、スケジュール的にも金銭的にも結構ハードです^_^;

いや、僕が映画館でチャップリンの映画を観るのは80年代以来なのでめちゃくちゃ嬉しいんですけどね。

子どもの頃にNHKでたまに放映されていて、その後、日本での上映権が切れるということで「最後の上映」と銘打たれて劇場公開されていたのを、あの当時としてはずいぶんと奮発して観にいったんですよね。

その時上映されたのは長篇のみだったと記憶しているのですが。

今回の「チャールズ・チャップリン映画祭」の上映作品には僕はこれまで観たことがないものが何本かあるので(チャップリンが監督に専念してエドナ・パーヴァイアンス主演で撮った『巴里の女性』や短篇の『サニーサイド』『一日の行楽』)楽しみです。

2年前や1年ほど前にBSで放映されていたチャップリンの長篇や中篇『キッド』を観たんですが、なぜか毎回『ニューヨークの王様』(1957年作品。日本公開59年)だけ放映されてなくて不思議だった。80年代には他の長篇と一緒にやってたのに。なんか変な忖度してんじゃないだろうなNHK、と思いましたが。どういう意味なのかは映画を観ればわかりますが。

以前『独裁者』と『モダン・タイムス』、あと何本かの感想をまとめて投稿してあるので、それらに関しては軽く記すのみにしますし、観た作品すべての感想を書くことはできないかもしれませんが、タイムテーブルの都合で制作順ではないもののこうやってチャップリンの映画をずらっと間隔を置かずに鑑賞することで感じた事柄を書き残しておこうと思います。

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今回の企画のポスターに「いま私たちにはチャップリンが必要だ」というキャッチコピーが掲げられているんですが、その言葉はウクライナのゼレンスキー大統領が発したものから発想しているのだろうし、ポスターの中心になっているのは『独裁者』のヴィジュアル。

どのような姿勢でこの企画がなされたのかよくわかる。

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コメディ映画に政治を持ち込むなよ、と思われるかたもいらっしゃるかもしれないが、当のチャップリン自身が映画の制作当時そういうふうに世間から叩かれたのだし、特に後期の作品からは彼の政治的な主張が溢れていて無視することなどできない。

世の中が落ち込んでいるからチャップリンの映画を観て笑いましょう、というだけではなくて、その「笑い」の中に何が込められていたのか知ることが大事。

ゼレンスキー氏の「世界は新しいチャップリンを必要としている」という言葉にはいろんな意味があるのだろうけれど、彼自身がもともとコメディアンなのだし、チャップリンが自分の映画の中で観客にメッセージを送り続けたことを知っているからこそのこのスピーチだったのだと思う。

喜劇俳優はただ人を笑わせてればいい、それ以外の余計な主張はするな、と言う世の中の人々に対して、チャップリンは自分の作品でそれに抵抗した。日本の自称・お笑い芸人たちも、権力者や金持ちを批判する人たちを叩いて冷笑して太鼓持ちばかりやってないで、少しは世界の喜劇王を見習ったらどうだろうか。太田某とか、気安くチャップリンの名前を出さないでもらいたい。あなたは大いに反省すべきだ。

今回、僕の住んでるところでは後期の作品が先に上映されたことで、チャップリンの政治性、彼の思想がよりダイレクトに伝わった気がする。

ナチズムやユダヤ人差別に対する批判が込められた『独裁者』はもちろんですが、もともとは実在の大量殺人鬼をモデルにしたオーソン・ウェルズのアイディアに戦争での大量殺戮への批判を加えた『殺人狂時代』や、特にようやく僕は再び観ることができた『ニューヨークの王様』が想像していた以上に(映画の公開当時は)ラディカルなストーリーだったことが驚きだった。子どもの頃にあの映画の面白さを理解するのは難しかったから、今チャップリンの実人生などについても知ったあとで観ることができたのは大きかったです。

『ニューヨークの王様』は『ライムライト』の公開後にチャップリンが事実上の国外追放となってから作られた作品で、第二の故郷ともいえるアメリカへの皮肉がたっぷり込められているけれど、単に「アメリカ憎し」という怒りよりも、シニカルさを漂わせながらも愛していた国がこんなふうになってしまったことへの哀しみが痛切に伝わってくる。

実の息子であるマイケル・チャップリン演じる少年ルパートは両親が共産党員だが、彼らが下院非米活動委員会で仲間を密告しなかったために、一人息子が同じ目に遭わされる。大の大人たちが寄ってたかって子どもにまで“密告”を強いる社会。狂っている。


トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』と同時代の同じようなことが描かれているんですね。

『ニューヨークの王様』は、チャップリン版の『ローマの休日』なんだな。

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チャップリンも脚本家のダルトン・トランボ同様に「ハリウッド」の嫌われ者となった。

一方で、チャップリンはある時期まではソヴィエト連邦に理解を示したりその支持者や共産主義者との交流もあったということだから、彼の考えが何から何まで正しかったということではないし、あの当時に当局から目をつけられる根拠がまったくなかったわけではない(彼自身は自分は共産主義者ではないと明言している)。

また、『ニューヨークの王様』の劇中では「核の平和利用」について肯定的に語ってもいる。

おそらくはアメリカのユダヤ人夫妻によるスパイ事件(「ローゼンバーグ事件」)も念頭にあったんだろうと思う。

まぁ、この映画が作られたのはまだ1950年代の終わり頃だから、当時はソ連の実態についてチャップリンもトランボも知らなかったのだし、原発が安全などではないことも、その後ずいぶん経ってからわかってきたことで、共産主義にしろ原子力にしろ、楽観的に理想の世界を夢見た結果だったんだろうなぁ(冷戦時にチャップリンにどのような心境の変化があったのかは知らないが)。

チャップリンとトランボに共通している姿勢は、自分の思想を国家権力によって一方的に弾圧されることへの反発・抵抗。

チャップリンはもともと反戦的な考えを持っていたそうで、だから喜劇俳優として人気絶頂だった第一次世界大戦時にもいろいろと叩かれたということだから、筋金入りだったんですよね。ただ思いつきで平和思想にかぶれていたのではなかった。

今回上映された短篇3本立ての『チャップリン・レヴュー』の中の1本『担へ銃(になえつつ)』は第一次大戦時の塹壕の中の様子を描いているけれど、そもそも戦争を茶化して喜劇として描くこと自体が不謹慎、と見做されるような時代にあえてこういう作品を世に放ったのも、彼の反骨精神の表われだったんでしょう。


『担へ銃』と『独裁者』を続けて観ると、チャップリンの戦争に対する怒りがいよいよ増していってるのがよくわかる。

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殺人狂時代』(1947年作品。日本公開52年)はこれまでに何度か他の映画の感想の中で言及してきましたが、「殺人喜劇」と謳われただけにところどころクスクスさせられながらも、ちょっと怖い瞬間があるんですよね。

劇中でチャップリン演じる主人公ヴェルドゥが殺意を持って女性を見つめる時の「目」。

ヴェルドゥはいつもすました表情だったり、女性たちの前ではおどけてみせたりする。だからこそ、その「まなざし」に狂気が宿る一瞬にはゾッとさせられた。

ただし、ヴェルドゥのモデルとなった連続殺人犯は戦争の被害者ではなくて、戦争で伴侶をなくした女性たちを狙ったわけだし、だからヴェルドゥの口から戦争を揶揄する言葉が吐かれてもあまり説得力を感じない。だいたい彼の妻子は劇中では大恐慌によるヴェルドゥの破産後、戦争の前に亡くなっている。

足が不自由だった妻がどんな病いだったのかはわからないが、妻と幼い息子だけが亡くなって老いたヴェルドゥ1人が生き残っているのも不自然だ。

「1人殺せば犯罪者だが、(戦争で)100万人殺せば英雄だ」(正確な引用ではないが)という台詞は有名だし、一般的には「反戦映画の名作」みたいに評価されているけど違和感がある。

お札を数えるスピードがめっちゃ速いとか、間違えて毒薬入りの毛染め液を使って髪が大変なことになっちゃう家政婦さんなど小ネタが笑えるし、映画の中ではかなり誇張されてるけど、ヴェルドゥが女性を口説く時の様子が若い頃は女ったらしだったチャップリン(それでかなり問題も起こしているし、巻き込まれてもいる)とダブって見えてなんだか可笑しい。彼の場合は年配の女性ではなくて相手はいつだって若い女性だったんだが。


でも、刑務所から出たばかりで働く当てもなかった若い女性(マリリン・ナッシュ)を毒薬の実験台に使おうとしてアパートに引き入れるが、彼女の境遇を知って思いとどまったのちに、やがて再会した彼女は軍需会社の社長夫人になっていた、という皮肉な展開はなかなか効いていたし、実はチャップリンは女性に対してどこか屈折した思いがあったんじゃないかとさえ思える。

マリリン・ナッシュさんって、初めて見た時からすっごく綺麗な女優さんだなぁ、と思っていたんだけど、けっしてめちゃくちゃ有名な人ではないようだし、フィルモグラフィを確認してもほとんど出演作がないんですよね。若い頃にすぐに引退したんだろうか。低めの声がほんとに素敵で、劇中で社長夫人になってからの服装も、最後に死刑台に上がるヴェルドゥを黙って見つめる表情も、この1作きりでしか見ていない彼女のことがずっと心に残っています。


マーサ・レイ演じる、悪運が強過ぎてけっして殺されない、笑い声が豪快過ぎる女性アナベラとのくだりが本当に可笑しくて、可愛く振る舞いもするんだけどヴェルドゥに対してずけずけとものを言い、どんどん自分のペースに巻き込んでいくパワフルさは最高でした。彼女の存在のおかげでこの映画が暗くなり過ぎずに済んでいる。


『独裁者』から『ニューヨークの王様』までの4本の中で、『ライムライト』(1952年作品。日本公開53年)だけは政治的なメッセージと無関係に見えるけど、『ライムライト』の舞台となっているのは1914年のロンドン。チャップリンアメリカで映画デビューした年。

かつて若かりし日に故郷のイギリスを離れてアメリカで映画を撮り始めた年を舞台にしたこの映画のワールド・プレミアでイギリスに向かう途中に、チャップリンアメリカへの再入国を禁じられる。そして、その後再びアメリカに住むことはなかった。

本当に皮肉ですよね。

主人公カルヴェロには舞台の芸人だった両親の人生が重ねられているようだし、若き日のカルヴェロの人気ぶりはチャップリン本人のそれが重なる。


『独裁者』以降、チョビ髭の放浪者チャーリーを演じることをやめたチャップリンはヨーロッパや日本などでの人気は続きつつも、新作映画が往年のように大ヒットすることはなくなっていたから(それでも彼の名が忘れられたことはないし、世界中の人々からリスペクトされていたんだが)、その現実と『ライムライト』の主人公の境遇がオーヴァーラップして、昔観た時よりもいっそう彼の痛みに共感できた。

基本的には『サーカス』(1928) でもそうだったように、若い娘を助けてあげたら彼女がチャップリン演じる主人公を好きになって…みたいな展開でその男女の描き方は相変わらずなんだけど、でも『殺人狂時代』でもちょっと変則的にそのパターンをやっていたみたいに、加齢とともにその関係は微妙に変化していく。『ニューヨークの王様』では、王様はドーン・アダムズ演じるTVタレントに利用されたり弄ばれてるだけ。

『ライムライト』では衒わずに、バレエを踊り純粋に年老いた舞台芸人に恋する女性を描いている。

若きバレエ・ダンサーを演じるクレア・ブルームが本当に美しい。

クレア・ブルームは、『英国王のスピーチ』(2010年作品。日本公開2011年)でメアリー王太后ジョージ6世の母。エリザベス2世の祖母)を演じてましたね。

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バスター・キートンとの共演について「かつてのライヴァルに対するチャップリンのマウンティング」と冷ややかに見る向きもあるけど、それでもついにかなった喜劇王たちの共演に僕は素朴に感動しましたけどね。


最後に心配そうにカルヴェロを見送るキートンの表情がいいんだよなぁ。

『ライムライト』って後期のチャップリンの代表作だし、やたらと名作扱いされてるから逆に好きじゃない、みたいに言ってる人もいるんだけど、この映画って一部で言われてるほど甘ったるくて偽善臭のする内容ではないんじゃないか。

若い人たちが活躍するようになって、老人は去るんだ、という現実を静かに受け入れていく、って話でしょう。

冒頭でカルヴェロと会話する幼い子どもたちはチャップリンの実の子どもたちで、次作『ニューヨークの王様』にも出演したマイケルの他にも、ジェラルディン・チャップリンも出ている。みんな可愛らしい。

ちなみに、カルヴェロが舞台で演じる「ノミのサーカス」は、サイレント時代のチャップリンの未発表の映画『教授 (The Professor)』で披露していた芸なんですよね。

そこでチャップリンは、チョビ髭のチャーリー以外のキャラクター「教授」を演じている。

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日の目を見なかったギャグをずっとあとになってから新作映画で披露する。

『ライムライト』はいろんな意味で、チャップリンにとって遺言というか、最後の作品、といった感じの映画でしたね。そのあとに『ニューヨークの王様』を撮ったわけですが。

マーロン・ブランドソフィア・ローレン主演で撮った最後の監督作品『伯爵夫人』(1967) のあとも映画を撮るつもりだったらしいから、創作意欲は旺盛だったんですね。『伯爵夫人』は今回は上映されていませんが。

以前、TVで深夜にやってて、でもテレシネが綺麗じゃなくて赤みがかった映像で内容もちょっと退屈だったんで途中で観るのやめて寝てしまった。どんな映画だったんだろう。


──30何年かぶりに劇場で観たチャップリンの映画は沁みましたね。

子どもの頃には「退屈だな」と思った後期の作品群が、妙に心に引っかかるようになった。映画館だからこそ集中して観られたし、上映されたのはミニシアターの小さめのスクリーンでしたが、会場はいつも結構混んでました。

ほぼ老人だけ、みたいな客層w

上映中にめっちゃ笑ってるおばあさんとか、『殺人狂時代』でチャップリンが窓から転げ落ちそうになる場面で「アァッ!!」と声をあげてるおじいさんとか、反応が実にヴィヴィッドで(笑)

チャップリンを観て笑ってるお年寄りというのは、ちょうどドリフを観て笑ってる子どものように無邪気で憎めない。

皆さん、チャップリンの映画を楽しむために朝から映画館に足を運んでいる。

さて、いよいよ上映も3週目を迎えすでに第2弾の上映も始まっているので、近いうちにまた観にいきたいと思います(^o^)


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