映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

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『銀河鉄道999』ドルビーシネマ版

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監督:りんたろう、声の出演:野沢雅子池田昌子肝付兼太麻上洋子井上真樹夫田島令子小原乃梨子柴田秀勝納谷悟朗ほかのアニメーション映画『銀河鉄道999』ドルビーシネマ版を鑑賞。1979年作品。

監修は市川崑。原作は松本零士の同名漫画。

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裕福な者たちは機械の身体を手に入れて“機械化人”として永遠に生き続けることが可能になった未来。貧しい者たちは宇宙を飛ぶ銀河鉄道を見上げて星の世界に想いを馳せていた。15歳の少年、星野鉄郎野沢雅子)は機械伯爵柴田秀勝)に母を殺され、みなし児として生きていたが、謎の美女メーテル池田昌子)と出会い、彼女とともに銀河鉄道で機械の身体をただでくれるというアンドロメダ星雲の終着駅に向かう。


銀河鉄道999」は子どもの頃にTVアニメ版は観ていたんですが、この劇場版はTVで放映された時に観た記憶はあるものの、覚えているのは鉄郎を痛めつけた機械化人のならず者に酒場でハーロックが無理やりミルクを飲ませる場面ぐらいで(もしかしたらTV版だったかも)、内容はほぼ忘れていました。

この映画が公開された1979年って、ちょうど宮崎駿監督の『ルパン三世 カリオストロの城』が公開された年でもありますが、その当時は僕はまだ幼くておそらく映画館に行ったこともなかったし、翌年の『ドラえもん のび太の恐竜』を親に連れていってもらって観た想い出があるくらいで、その当時のアニメブームの熱気も知らず、だからファンも多いこの劇場版『999』への思い入れもなかった。

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それでも最近は自分が子どもだった頃や青春時代の映画が4Kデジタル・リマスター版でリヴァイヴァル上映される機会が増えてきて、今回もせっかくいい機会なので観てみたいと思って。

ただ、ことアニメに関しては以前4DXで観た1983年の作品『クラッシャージョウ』を僕はクソミソに貶したし、どうもかつての日本製アニメを無心に観られなくなっちゃったので、この作品についても果たして楽しめるかどうか不安だったんですよね。

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僕が子どもだった70~80年代頃の日本製アニメって今観ると特に性的な部分や暴力的な要素、そしてアニメヲタク的な内輪ウケのネタなどで強く抵抗を覚えることが多くて、『クラッシャージョウ』も例外ではなく、予想以上に僕は受けつけなかったので。

でも、999に関してはTVアニメ版は観ていてとても好きだったから、その劇場版がそんな首を傾げるような出来ではないだろうと思ったし、しばし少年時代に戻ってノスタルジックな気持ちに浸るのも悪くはないんじゃないかと。

DOLBY CINAMAの客席は見事に中高年層、おそらくはこの映画の初公開時に中高生~20代ぐらいだったのだろう、現在40代後半の僕よりもさらに上の世代の男女(夫婦も多い)で埋まっていて、若者の姿はなかった。

初老の人たちがアニメ映画をこぞって観る時代になったんだな。

TVアニメ版の各エピソードを細かくは覚えていないけれど、ところどころ断片的に場面が浮かぶし、また原作漫画ものちに古本屋で買ったのを読んでいたので、「銀河鉄道999」という作品のフォーマットやラストもどんな感じだったのかぐらいは記憶にある。

TV版の、ささきいさおさんが唄うOPとEDが大好きで、劇中で流れる音楽も美しく哀しくて、子どもながらに泣きながら観ていた回もあったっけ。

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劇場版でも同じ作曲家がかかわっているしラウンジミュージックみたいなBGMは耳に心地よくはあったんだけど、TV版の伴奏曲は一曲一曲が聴き応えがあって緊迫感悲壮感儚さに溢れていて、ワクワクしたりいちいち泣けるんだよね。物語の内容に音楽がかなりの部分で貢献していた。

基本的に毎回一つの星に立ち寄る一話完結方式で(何度か複数話に分けて描かれることもあったが)、全113話、3年近く放送されたので当時は長大な作品だと思っていた。

実際、子ども向けの番組としては長い方だし、その長い旅の果てについに終着駅にたどり着く、というのが感動的だった。とてもTV番組向きの作品ですよね。

もっとも原作漫画(アンドロメダ編)は18巻で完結していてそんなにめちゃくちゃ大長篇というわけでもない。連載期間もやはり4年ほどで、終わったのは81年だったんですね。そんなことを知ったのもずいぶんあとになってからでした。

劇場版はTV版に先駆けて鉄郎とメーテルが終着駅に到着するまでが描かれる。

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出会いと出立から最終回までを1本の映画で描いているものだから、たとえ129分という長めの尺であっても駆け足気味であることは否めなくて、あっという間に惑星メーテル(TV版では確か惑星プロメシュームじゃなかったっけ)に着いてしまう。

原作漫画やTVアニメ版の長い物語のイメージがあったために、劇場版はそれらのエピソードをツギハギした圧縮版に感じられてしまって。

あらためて僕にとって「銀河鉄道999」という作品はTVアニメ版か原作漫画の方のことだなぁ、と実感した。

機動戦士ガンダム」(放送は1979年)もTV版の放送後に劇場版が公開されて大ヒットしたけど、そして僕も当時ちょっと遅れて観ましたが、その後、何度かTV版を再放送で観るうちに、やっぱりこちらもTV版こそが自分にとってのガンダムだなぁ、と思うようになりました。

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ガンダムの劇場版はTV版のダイジェストに新しく作画されたカットが挟まれる、という作りだったけど、999の方は劇場版はTV版の映像の流用ではなくて全篇新作画。

だけど、お世辞にも作画はクオリティが高いとは言えなくて(アルカディア号やクイーン・エメラルダス号の登場シーンなど、迫力ある場面もあるが)、首が伸びる変な猫みたいな生き物の描写とか、落書きみたいに酷い箇所もある。TV版を超えているようには思えなかった。

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作画がTV版とは異なっていても物語が原作やTV版のダイジェストであることには変わりがなくて、土星の衛星タイタンで鉄郎たちが出会う大盗賊アンタレス冥王星のシャドウ、機械伯爵(TV版では偽ハーロック)の恋人リューズなどTV版で30分一話分かそれ以上かけて描かれたキャラクターたちがここでは短時間の登場にとどまっている。

機械伯爵が棲む「時間城」なんてTV版では3話も使って描かれたエピソードを映画の中に強引に詰め込んでるもんだから、時間城の存在の意味すらよくわからないまま、またたく間に崩壊する。

ガラスのクレアのエピソードも僕はTV版の印象が強いんですが、映画版ではメーテルの母プロメシュームとこれまた無理やり絡めている。

懸念していた通り「面白かった!」「感動した!」という気持ちよりも「これは俺が好きだった999ではない」という感情の方が強く残ったのでした。

…そんなわけで、今もって「名作」と呼ばれる作品ですが、事前にちょっと予感していたように僕はハマりませんでした。楽しさよりも不満の方が勝ってしまって。『クラッシャージョウ』ほどではなかったですが。

70~80年代頃のアニメって、「強さ」や「男らしさ」にやたらとこだわったり、女性がそういう男性キャラクターの補佐役にまわったり彼らに守られ追従することを推奨するような作品が多くて(そうでない女性キャラは「男勝り」としてあまり肯定的に描かれないか、女神様のような超常的な存在として扱われる。この映画のメーテルやエメラルダスもその要素を多分に持つ)、観ていて違和感や不快感をもよおすんです。

まぁ、そんなこと言ってたらかつての日本製アニメはほとんどがそうなってしまうんですが。でも2022年現在では確実にアウトな表現が多いのは確かで。

特に松本零士さんの作品って基本的にセンチメンタリズム溢れる「男のロマン」に酔うものが多いわけだから、なおさら彼の作品での女性観や「強さ」についての考え方には今となっては同意できないものが多く含まれる。

同年公開の『カリオストロの城』もまた別の方法で「男のロマン」を描いた作品だったけれど、あの映画の「ドタバタ漫画映画的」な面白さが「男らしさ」だとか「女らしさ」といったものを忘れさせてくれていた。宮崎駿は台詞ではなくて(『カリ城』には“名台詞”も多いが)キャラクターの「動き」で物語を推進するから、「男らしさ」の押しつけがましさを感じにくいんだよね。

「男には死ぬとわかっていてもやらねばならぬことがある」というハーロックの言葉はかっこいいけど、それは無謀な特攻精神の賛美にも繋がる。卑怯な行為を擁護するわけじゃないけど、過剰な「男のロマン」への耽溺は危険だ。

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宮崎駿はかつて、松本零士もかかわっている「宇宙戦艦ヤマト」の特攻精神の賛美を批判していた。

ちなみにハーロック役の井上真樹夫さんは「ルパン」の石川五エ門の声も担当していた(劇場版ガンダムスレッガー中尉も)。

「昔は自由でよかった。今はなんでも規制で窮屈だ」などとこぼす人たちがいるけれど、僕はそうは思いません。「昔はよかった」などという懐古主義に淫している人々こそ、これまで人を踏みつけてきてそのことに無自覚なままだったんだろう。今度はあなた方が我慢する番だ。席を譲れ。

最近、高橋留美子原作の「うる星やつら」の新作がTVで放送されるということで話題になっていますが、ヒロインが水着姿だからけしからん、という表面的なことじゃなくて、問題はあの原作漫画・アニメの根底にあった男女観というものをいかに描き直すか、捉え直すかにかかっていると思う。

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明らかに高橋留美子の漫画には(「らんま1/2」もそうだが)セクシュアル・ハラスメントや性差別的な描写が頻出する。それらを「面白いこと」として描いている。それはやっぱり駄目なんですよ。「規制されてるからダメ」なんじゃなくて、今のこの時代に女性(男性だってだが)をモノ扱いしたり容姿をネタにしてギャグにしたりするようなことは人として許されないからです。作り手も観る側も意識を変えなくては。

エラソーなこと言ってますが、僕だって子どもの頃はTVアニメのエッチなシーンを観て密かに喜んでいたし(999でもメーテルのヌードシーンがあった)、男尊女卑だとか差別のことなど考えたこともなかった。

だけど、時代が移れば変化していくものもある。意識して変えていかなければならないことも。

僕は999の近作はまったく観ていませんが、アニメーションの声優さんって同じ役を何十年にも渡って演じ続けることが珍しくないし、だから作品の息も長いんだけど、一方でそこで描かれているものには時にハッキリ賞味期限切れのものもある。

メーテルは鉄郎にとっての母代わりであり、恋人のような存在でもある。見守り、寄り添い、ともに戦ってくれて、そしていつかは別れることになる人。

そこに甘美さを感じるのはわかるし、メーテルが憧れのアニメキャラクターである人も男女問わず多いでしょう。

洋画の吹き替えでオードリー・ヘプバーンの声もアテている池田昌子さんの慈愛と強さ、憂いを含んだその美しい声は他の誰にも真似のできないものであり(モノマネされてる人はいますが)、そして文字通り「時を超えた存在」を思わせる。

ただし、メーテルが鉄郎に教える「男らしさ」は昭和の母や姉のそれだ。だから、懐かしさを覚えつつもそれはもう過ぎ去ったものの象徴のようにも感じられる。再び宇宙へ飛び立つ銀河鉄道とともに。

「男らしさ」云々はともかく、今回観た劇場版ではメーテルの優しさやか弱さが強調されているように感じられたんですよね。それはTV版よりも鉄郎の年齢が上に設定されているからでもあるんだろうけど(しばしば指摘される劇場版ではイケメンになってる鉄郎の顔については意外と気にならなかった。いつもキメ顔ではなくて、普段はちょっと崩れてるし)。

原作*1やTV版のメーテルって、美しいしいつもは優しいのだけれど、時にはムチを振るって闘うし、相手に向かって残酷な言葉を告げることもある、「恐ろしい人」でもあったんですよね。

ハーロックやエメラルダスのような伝説的な英雄たちと対等な立場で、彼らからも一目置かれるほどの存在だった。

劇場版にはそういう「怖い人」の部分がなかった。終盤なんて逃げる途中で転んで鉄郎に助けられたりする。

劇場版では「少年の大人への成長」という部分を強調するために、あえてメーテルをか弱く見せたのかもしれないけれど、やはり出会ってからあっという間に鉄郎が成長を遂げてしまうような印象で。

りんたろう監督(長らく、“りん・たろう”なのか“りんたろう”という一続きの名前なのかわからなかった)の作品は、僕は2001年の『メトロポリス』を唯一劇場公開時に映画館で観ていて、それ以外はTV放送やヴィデオなどで『幻魔大戦』と『迷宮物語』(「ラビリンス・ラビリントス」)を観ています。

火の鳥 鳳凰』(火の鳥の声を池田昌子が担当)は映画本篇は観てないけど、渡辺典子の主題歌は好きだったりする。

カムイの剣』も観ていないけど、公開当時予告篇を何度も目にしていた。

作品によって作風は異なるんだろうけれど、劇場版999のプロメシュームの姿のちょっと抽象的な映像処理などは『幻魔大戦』を思わせたし、良くも悪くも80~90年代に流行ったアニメのスタイルが多用されているなぁ、という印象。

正直なところ、僕はこれまでりん監督作品で「これぞ」というものには出会っていなくて、それはアメリカでは高く評価されているという『メトロポリス』を観た時も同じで(CGを大々的に使用した作画的な凄さは感じたけど)、1本の映画として満足感を得ることはなかった。

銀河鉄道999』に対しても、原作とTV版の良さをあらためて感じさせる効果以上のものを僕は受け取ることができなかった。

ネットの映画サイトとかTwitterでの呟きでもこの映画を絶賛する声がたくさんあるけれど、僕にはどうしてそこまで高く評価されているのかわからない。

一番グッときたのがゴダイゴの主題歌が流れるエンドクレジットだったのは実に皮肉というかなんというか。

車掌役の肝付兼太さん、ハーロック役の井上真樹夫さん、トチロー役の富山敬さん、ドクターバン役の納谷悟朗さん、シャドウ役の藤田淑子さん、プロメシューム役の来宮良子さん、トチローの母役の麻生美代子さん、酒場の主人役の槐柳二さんなどなど…。

主要な声のキャストの多くが亡くなられている。これは感傷的にならずにはいられませんでした。

鉄郎役の野沢雅子さんは現在もご活躍中ですが、僕は「ドラゴンボール」の頃にはすでにTVアニメをほぼ観ていなかったので、それ以前の(再放送作品も含めて)鬼太郎やドロロンえん魔くんど根性ガエルのひろし、怪物くん、トム・ソーヤー、釣りキチ三平、そして999の鉄郎と、さまざまなTVアニメで少年役をされていた頃の彼女の声(今もお変わりありませんが)の想い出があります。

そういえば、納谷悟朗さんと小原乃梨子さん(リューズ役)は『クラッシャージョウ』にも声の出演をされてましたね。

だから、内容についてはピンとこなかったけど、子どもの頃によく聴いていた声がいくつも流れてくると、それだけでちょっと潤んでしまうところはあった。

作品の感想というよりも、あの当時の単なる想い出話になってしまったし、子どもだった頃や青春時代の想い出を汚された、と感じられたかたもいらっしゃるかもしれませんが、あくまでも現在の僕が個人的に感じたことを綴っていますから、「こういう反応もある」程度に受け流していただければ幸いです。

もしも僕がTVアニメ版や原作漫画にまったく触れていなくて999を初めて観たのがこの映画だったら、他の皆さんと同じように想い出深い作品になったでしょうし、ここでの感想の内容ももっとソフトだったかもしれません。

ゴダイゴの主題歌を劇場で聴けたことは嬉しかったし、宇宙船が進む場面などはさすがドルビーシネマって感じで轟音がケツに響いてきて迫力ありました。

続篇の『さよなら銀河鉄道999』もこの映画のあとに上映されていましたが、そちらはパスしました。最初から二部作で作る予定とかだったら、もうちょっと原作やTV版の「旅」っぽさを出せたかもしれないけどね。TV版が無性に観たくなったなぁ。


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*1:原作のメーテルは鉄郎と一緒にラーメンを食べたり、笑顔が可愛い近所に住むお姉さんのような親しみやすさと庶民っぽさもあった。いろんな面があったからこそ、メーテルは今でもその魅力を失わないのだろうと思う。