映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

「おしん」と「なちゅぞら」

f:id:ei-gataro:20190929033215j:plain

 

引き続き朝ドラの「おしん」を観ていますが、そのあとの「なつぞら」は終盤あたりはほとんど観ていなくて、話の方もどうなってるのかよく知らないまま9月28日(土)に最終回を迎えました。実在の人物をモデルにしたアニメ作りの過程が楽しめると思ってたら、意外と面白くなかったので途中で関心を失っちゃって。

ei-gataro.hatenablog.jp

ei-gataro.hatenablog.jp

f:id:ei-gataro:20190929033801j:plain

f:id:ei-gataro:20190929033650j:plain
f:id:ei-gataro:20190929033647j:plain

f:id:ei-gataro:20190929033645j:plain

 

でも、もう早速月曜から新しいドラマが始まるので(「おしん」は来年3月までの放送)、その前に一言触れておこうと思います。

率直に言って「酪農」なのか「アニメーション」なのか、どっちつかずな話だったな、と。両者が結びつきそうで結びついてない。

上記の2本のドラマを観始めた頃は、どちらも楽しく観ていたんですよね。

名作の誉れ高い「おしん」と朝ドラ100作目という節目でもあった新作の「なつぞら」。なかなか絶妙なバランスの二本立てだと思っていたんだけど。

でも、「なつぞら」の方はヒロインが子役から広瀬すずさんに代わってからどうもノれず、やがてTwitterでも批判的なツイートの多い「#なちゅぞら」で呟くようになった。

なつぞら」への不満は、ご都合主義的なコントじみた展開だとか主人公“なつ”を無駄にアゲまくる作劇などいろいろあり過ぎてちょっと書ききれないんだけれど、「おしん」では伏線を巧みに張り巡らせた脚本や出演者の演技力を存分に発揮させるリアリズムに溢れた演出に目を見張らされていたので、その直後に観ることで余計に退屈さを招く結果となった。

どうやら「おしん」というドラマ自体が朝ドラの枠を突き破る特殊な作品のようだけど、これを観てしまうと他の朝ドラが全部絵空事にしか見えなくなる。

だから否が応でも並べて比べられてしまう「なつぞら」にとっては非常に不利だったのは確かで(たとえば、これが「ひよっこ」との二本立てだったりしたら、ここまで叩かれただろうか)、そこは気の毒でもあったんだけど、一方でこれら二つの「ドラマ」の違いが大変興味深くもあった。

「なちゅぞら」タグの他の皆さんの「なつぞら」へのツッコミは「ドラマとはなんぞや」という考察にもなっていて、「おしん」との比較によってその粗があげつらわれる(って、僕もあげつらってたんだけど)とともに現在の朝ドラの問題点を浮き彫りにもしていた。

売れっ子の美男美女の若手俳優を出しまくればオッケーなのか。女優をアゲまくればオッケーなのか。脚本が果たす役割とは。演出の存在意義とは。

僕はもはや途中から(アニメスタジオとか育児のあたりから)「なちゅぞら」…いや「なつぞら」をまともに観ていないからこのドラマの内容について細かく語ることはできないけれど、「なつぞら」は僕のような“アンチ”も少なくない一方でファンも結構いて(ファンとアンチの間でバトルもあったようだけど)、「ドラマが観たい」のか「旬の若手俳優の顔見世コントが観たい」のか、その需要の違いでもあるよなぁ、と。

必ずしもすべての視聴者が朝から重厚な「ドラマ」を観たいとは限らないわけで。

15分間、息をつめて「おしん」を観ているからこそ、「なつぞら」でホッとできる部分もあるのでしょうし。残念ながら、「なつぞら」は僕が朝ドラに求めていたものではなかったので観続ける意欲を失ったのですが。

なつぞら」の何に問題があったのか非常に的確に指摘している素晴らしい批評を書かれているかたもいらっしゃって、もうそれを読めば僕などが今さらつまんない文句をダラダラ書く必要などないな、と。

sleepingnana.hatenablog.com

つい先日、東京国立近代美術館で開催中の「高畑勲展―日本のアニメーションに遺したもの」(10/6まで)に行ってきたんですが、なちゅ…じゃなくて、なつのモデルになったアニメーターの奥山玲子さんや夫の小田部羊一さんが描かれたキャラクターのデザイン画や高畑監督(なつの夫のイッキュウさんのモデル)と一緒に写っている写真などが展示されていて、それは一応「なつぞら」効果も一役買ってはいたのだろうから、ちょうどこの機会に貴重な展示品をいくつも観ることができたのは嬉しかったです。

f:id:ei-gataro:20191026004754j:plain f:id:ei-gataro:20191026004744j:plain

f:id:ei-gataro:20191026004804j:plain
f:id:ei-gataro:20191026004735j:plain

ハイジのディオラマがありました。


できればドラマの方も最後まで完走したかったんですが、そちらは残念。

上にリンクを張らせていただいた記事の中に書かれていたことで特に興味深かったのは、「なつぞら」においてはドラマの演出側が主演女優に主人公“なつ”という「役」を与えるのではなくて、演じる広瀬すずさんの素を活かした演出をしていたらしいこと──ぶっちゃけ、それは演技指導せずに役作りを役者に丸投げしていた、ということですが、なぜこのドラマのヒロインがあんなに鼻持ちならないキャラクターになってしまっていたのか、少し理解できた気がしました。

広瀬すずさんは4年前に是枝裕和監督の『海街diary』でとても瑞々しい演技を見せていましたが、あの作品で是枝監督が試みたのは、四姉妹の一番下の妹役の広瀬さんだけに台本を渡さずに口立てで台詞を伝えて演出する、という方法でした。

それが功を奏して彼女から素晴らしい演技を引き出していた。 

ameblo.jp


今回、「なつぞら」ではもちろん台本は渡されていただろうし、演出家からの指示もあったんだろうけど、演者の素の部分を役の中に直接投影させる、ということでは似たところがある。

でも、それは是枝監督が非常に慎重に時間をかけて丁寧に演出したからこそ可能だったことで、収録をどんどんこなさなければならない慌ただしい朝ドラの現場で「自由に演じてみて」と言われたって、そんなのよっぽどそういうことに慣れた俳優でなければ無理でしょう。役柄としてアドリブなんかそうそうできるものではないし、役者によっては不得手な人だっているだろうし。

なつぞら」で何かというと“なつ”が不機嫌な態度を取るように見えてしまっていたのは、けっして演技のヴァリエーションが多くはない広瀬すずさん(異論もあるでしょうが、是枝作品と『ちはやふる』での演技を見る限りではそう感じる)には、彼女自身の「自然な自分」だけでほとんどヒントのないままの「からっぽなヒロイン」である“なつ”を表現するのは重荷だったからじゃないだろうか。

どう演じればよいのか迷いがあるような発言もしていたし。

海街diary』で是枝監督は別に広瀬すずさんに好き勝手やらせて適当に撮影していたわけではなくて、物語の中のシチュエーションに沿って、彼女が演じる少女はどんな動きをしたり何を言うだろう、などと本人とディスカッションしたり、とりあえず演じてみてもらって素材を取捨選択したり、いろいろと工夫されていたんだと思います。ただ広瀬さんの“素”の魅力にもたれかかって演出をサボっていたんじゃない。

だからこそ、出来上がった映画で彼女はあんなふうに実在感があってキラキラしていて素敵だったんでしょう。

そういう高度な演出は誰にでも簡単に真似できるものではないんだよね。『海街diary』と「なつぞら」とでは、役柄も内容も作品の長さもまったく異なっているんだし。

なつぞら」の演出家さん(複数いるが)は、そこんとこを勘違いしてしまったんじゃないか。 

このドラマに対するもっとも的を射た批判の一つが「なつの中身はおっさん」、つまり、このドラマは女性が主人公にもかかわらず「おっさん」の視点で描かれたもので、だから、なつと似た境遇である子育てしながら働く女性たちの共感も得られなかったのではないか、というもの。

僕は男だし子どももいませんが、この指摘はその通りだろうなぁ、と思いますよ。

だって、やはり子どもを抱えた女性を描く「おしん」にはそういう批判は見られないし、「おしん」と「なつぞら」を観比べてまず感じるのは圧倒的な「リアリティ」の差だから。

あんな親子いるか?とか、あんな夫婦いるか?とか…「なつぞら」には登場人物たちの関係について無数のツッコミが入ってしまう。あの状況であんなこと言うか?とも。

なので、それはすべてがまず「なつを愛すること」ありきだった、という結論には納得です。

僕がこのドラマの何にイラついたかというと、それは主人公の“なつ”でもなければそれを演じる女優の広瀬すずでもなくて、このドラマを作ってる「おっさんたち」だったんだよね。

あまりに怠慢が過ぎると思った。なつも含めて登場人物たちはテキトーに動かされて、“なちゅ”は「ほよ顔」してるか不機嫌なだけ。そんな“なちゅ”にみんなが献身的に尽くして「なっちゃんなっちゃん」と持ち上げる。これは僕が大嫌いなヲタク向けアニメとそっくりな構造だ。

…とゆーか、ほとんどの、特に「なちゅぞら」タグの人たちはそのことはもうずっと前から気づいていたはずで。でも、文句言いながらも、そのうちそういう一方的な「ヒロイン推し」から脱却してちゃんと「ドラマ」として持ち直してくれるのではないか、と淡い期待もしていたんでしょう。だから皆さん最後まで観続けていたのだろうから。僕は途中で挫折しちゃったけど。

半年間って長いですからね。さすがにその期間ずっと主人公を愛でるアイドルのPVみたいな映像を観続ける気力は僕にはなかった。

おしん」の方はまだあと半年(田中裕子さんが急病で休まれた一週間分エピソードが短いから、その分早く放送は終わるでしょうが)あるのに、飽きるどころかまだまだ観続ける気マンマンだもんね。この違いはなんなのか。

僕は「おしん」をちゃんと観るのはこれが初めてだから、おっさんが昔を懐かしんで贔屓目で言ってるんじゃなくて、単純にドラマとして「面白いから」です。

 

あのドラマには大勢の実力派俳優が出演しているけれど、政府やNHK上層部、芸能事務所などへの無用な忖度などないし、脚本、演出、俳優の演技、すべてに物語的な必然性があって無駄なものは何一つない。

僕はこれからもそういう朝ドラが観たいです。

戸田恵梨香さん主演の新ドラマ「スカーレット」に期待しています。

 

f:id:ei-gataro:20190929033643j:plain


関連記事
「スカーレット」 意地と誇り
『ちはやふる -上の句-』『-下の句-』
まんぷくなべっぴんさん

ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

優しいあの子

優しいあの子