NHK BSプレミアムで毎朝7:15から放映されている連続テレビ小説「おしん」を観ています(以下、内容についてのネタバレがありますのでご注意ください)。
11日(土)の第36回で子ども時代の“おしん”を演じていた小林綾子さんの出番は終了、次週からは田中裕子さんにバトンタッチ。
このひと月ちょっとTVの前でずっとおしんを見守り続けてきて、健気で、でも年相応の幼さもある彼女に愛おしさすら感じていたから、これで「おぼこなめらし」の小さなおしんとはお別れだと思うとなんとも寂しい。
以前書いた記事の中でも述べたように僕は「おしん」を最初から通して観るのはこれが初めてなので、新作を観るような気持ちで物語を追っていました。
貧しい小作人の家の娘であるおしんは口減らしのために奉公に出されるが、そこでの待遇が酷かったので逃げて、雪の中で凍え死にそうになっていたところを脱走兵の“俊作あんちゃん”に助けられ、彼と炭焼きの老人・松造と三人で春になるまでに一緒に暮らす。与謝野晶子の詩「君死にたまふことなかれ」を聴かせ、戦争の愚かさを語る俊作はおしんにいくつもの大切なことを教えるが、憲兵に見つかり銃で撃たれて死んでしまう。
保護されて実家に戻ってきたおしんに再び別の奉公先が見つかり、その米問屋「加賀屋」で紆余曲折がありながらも、やがて奉公人として受け入れられていく。
Twitterで呟いたことの繰り返しになりますが、このドラマは貧しさや戦争を肯定したり美化しているのではないということ、おしんもまたただ無抵抗につらいことに堪えるのでなくて、自分の意思をハッキリ持っていてそれを言葉や態度でしっかりと示す女性であることがわかります。
戦争に名誉の負傷や名誉の戦死なんかない。そのメッセージは80年代よりも今のほうがより強く重要になっている。 #おしん
— ei-gataro (@chubow_deppoo) 2019年4月17日
おしんは、ばんちゃんや大奥様の価値観をそのまま鵜呑みにするのではなくて、それを乗り越えることを目指したんだな。それがその後の彼女の行動原理になる。 #おしん
— ei-gataro (@chubow_deppoo) 2019年5月10日
また、おしんにつらくあたる人々もただの“悪役”ではなくて、現実の世の中に存在するリアリティのある人物として描かれている。 だから観ていて仮に、ある登場人物の言動に腹が立ったとしても作品そのものに抵抗感はない。
おしんも常に正論を吐く「正義のヒロイン」ではなくて、間違いも犯すし、まわりの人から学んで自分の未熟な部分を克服し成長していく。
だから視聴者は、おしんに寄り添いながら彼女とともにドラマの中で新しい経験をしていくことになる。
──当たり前のことを言っているようですが、続けて放送されている「なつぞら」と比べてみると、「おしん」がいかに基本的なことをちゃんと押さえたうえで作られているかがよくわかる。逆にいえば、「なつぞら」の方はそれが全然出来ていないということですが。
「なつぞら」に対してかなり厳しめですが、2つのドラマを観ていて呟いたものをいくつか貼っておきます。
「苦労した」というのは観るのがしんどくてもある程度直接的に描かないと説得力がないんだなって「おしん」観ていてつくづく思う。もちろん描かずに想像させるという演出もあるんだけど。最初の奉公先の描写があるから、小さいのになんでもやろうとするおしんの姿にそれまでの生活が想像できるわけで。
— ei-gataro (@chubow_deppoo) 2019年4月29日
大奥様のおくにさんは、老齢のおしんを彷彿とさせる。おしんは彼女から影響を受けたんだろうなぁ。 #おしん
— ei-gataro (@chubow_deppoo) 2019年5月3日
今朝のエピソードでは白蛇(倉田先生)は明らかになつとよっちゃんの扱いを分けていて、それは教師としてはクソな態度なんだよ。二人とも平等に扱うべきでしょ。すごく裏切られた気分。
— ei-gataro (@chubow_deppoo) 2019年4月23日
ヒロインやそのまわりを美男美女で固めるのは好きにしたらいいと思うけど、それ以外を笑い物にしたり見下すような作劇、演出は最低だし時代錯誤。作品全体への評価が下がる。
— ei-gataro (@chubow_deppoo) 2019年4月22日
演劇の件もアニメの件もみんなそうだけど、なつの中に「私はこれがしたい。この道に進みたい」という意志が感じられなくて、いつもまわりの事情や思惑に振り回されてるだけに見える。これはやっぱり作劇に問題があると思うなぁ。 #なちゅぞら
— ei-gataro (@chubow_deppoo) 2019年5月6日
思えば最初からまわりがあれこれヒロインのためにお膳立てしてくれるドラマではあった。それが変わらない限り、このドラマの問題点は解決しないだろう。 #なちゅぞら
— ei-gataro (@chubow_deppoo) 2019年5月6日
人間の描写、ということでは30年以上前のドラマから明らかに退化してると思う。こういうときに人がどう感じるかとかどう振る舞うか、という感覚が作り手の中で麻痺している。だから平気でヒロインをトロフィー扱いできてしまうんだな。 #おしん #なちゅぞら
— ei-gataro (@chubow_deppoo) 2019年5月9日
おしんは綺麗な着物を着せてもらっておいしいご飯を食べられる環境にいても実家のことを忘れないし浮かれもしない。最初の奉公先での失敗のことも殺された俊作あんちゃんのことも80歳になっても覚えている。すべてが現在の彼女に繋がっていて彼女の一部になっている。人間ってそういうものでしょう。
— ei-gataro (@chubow_deppoo) 2019年5月9日
「なつぞら」をdisりだすと延々止まらなくなりそうなんで今回はこの辺でやめておきますが、僕の最新作への失望の深さをご理解いただければ。
ともかく話を「おしん」に戻すと、40年近く前のドラマがこれほど今の視聴者の心を掴み、その物語の中に現在の日本を取り巻くさまざまな問題(貧困、経済格差、児童虐待、戦争等々)を重ねることができてしまうのは、ただ「さすが名作」と褒めちぎってもいられないどこか深刻なものを感じさせる。
小さなおしんを演じる小林綾子さんの顔や目の表情にいちいち胸が痛み、ふと見せるその笑顔にホッとさせられる毎日でしたが、おそらくご本人も無意識のうちにその全身で時代を越えた切実な「何か」を作品の中に刻み込んでしまったんでしょう。
わずかひと月ちょっとの出演でこれほどまでに長く多くの人々に記憶されることになったのがその証拠だし、それはご本人の希望や予想をも超えた「選ばれた」 ひとときなのだ。
かっぱえびせんのCM
おしんのイメージそのまんまで出演 当時いかに大ブームだったかよくわかる
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小林さんはその後、一時期学業に専念されたりもしていたけれど、やがてTVの時代劇や刑事ドラマなどでその顔を見かけるようになって、あいにく僕は拝見していませんが、舞台の方でも活躍されて成長したおしんを演じてもいる。観たかったなぁ。
「おしん」は朝ドラが放映された翌年の84年に早速アニメ化もされて、そちらも僕は未見ですが、おしんの声は小林さんがアテています(残念ながら子どもにウケず、興行はコケたそうですが)。
そして、2012年に作られた実写の劇場版(すみません、こちらも僕は未鑑賞です)では小林さんはとてもささやかな役だった。
いや、せめてそこは母親の“ふじ”役ぐらいにできなかったのだろうか。だってかつて主人公を演じてた人だよ?“おしん”を世界的に有名にした立役者なのに。
TV版では泉ピン子が演じたふじ役は上戸彩(ピン子さんは劇場版では加賀屋の大奥様“くに”役)、TV版では伊東四朗が演じた父・作造役はなんと稲垣吾郎。オリジナルのキャストを知ってると眩暈がしてきますが…。
あぁ、80年代の名作ドラマも今リメイクするとこうなってしまうのか、と。映画は観ていないからその出来のことも上戸さんや稲垣さんの演技についても僕は何も言えませんが、「イケメンと美女ばかり」といえば「なつぞら」も不自然なまでにそうだし、それで視聴者や観客の関心を呼べると思っているのなら、ずいぶんとバカにされたものだな、と思う。
小林綾子さんは「なつぞら」 にも出ているけどやはり小さな役だし、ドラマの舞台が完全に東京に移ったら出てこなくなる可能性もある(彼女のブログで近況を読むと、すでに出番は終わってるような気配も…)。
僕は顔の造作がどうこうよりも(もちろんそれだって大切ですが)役柄に相応しい年齢と容貌、そして何よりも演技力を持った俳優が起用される、当たり前の状態であってほしいなぁ、と強く感じます。
イケメン男優や美人女優をとやかく言ってるんじゃなくて、それにもたれかかった脚本と演出に物申しています。 #なちゅぞら
— ei-gataro (@chubow_deppoo) 2019年5月6日
小林さんのおしんは、まるで明治のあの時代にほんとに生きている少女のように見えた。だからこそ多くの人々がおしんを実在の人物のように錯覚したんでしょう。
「ドラマ」は作り物ではあるけれど、でもその中で登場人物たちをいかに「生きている」と思わせるかが作り手の腕の見せ所であり、創作の醍醐味なはず。
それが最近の朝ドラではあまりにないがしろにされてやしないだろうか。
「おしん」 には確かにそういう奇跡の一瞬一瞬があった。
朝が待ち遠しかったこのひとときをありがとう。
またいつか小林綾子さんが演じる小さなおしんに会える日を楽しみにしています。
↓早速!
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