4月11日(月) から始まったNHKの連続テレビ小説(朝ドラ)「ちむどんどん」を毎朝8時から観ています。
なお、早速ですが以降はこれまでの放送分のネタバレがあります。それから内容に対して批判的な記述もありますのでご注意ください。
1964年の沖縄本島北部の“やんばる”にある山原(やんばる)村。10歳の比嘉暢子(稲垣来泉)はサトウキビ農家の両親と兄の賢秀、姉の良子、妹の歌子と6人家族で暮らしている。東京から来た中学生の青柳和彦に興味津々の暢子は、父・賢三(大森南朋)に習って作った沖縄そばを振る舞ったり、そのお礼に和彦の父親に家族とともにレストランでご馳走になったりして交流を深める。
賢三の急死で借金の残る一家は困窮し、東京に住む賢三の叔母が四兄妹のうちの一人だけを引き取りたいと言ってくるが、東京行きを決めた暢子を兄妹たちが引き止め、彼女は沖縄に家族とともに残る。
7年後の1971年。高校3年になった暢子(黒島結菜)は就職活動に励むが、兄・賢秀(竜星涼)が彼女が内定の決まりかけていた会社の社長の息子を殴り、また暢子も母・優子(仲間由紀恵)とともに謝りにいった折に先方の社長らが女性を見下す発言をしたことに腹を立てて自ら入社を辞退する。
クラスメイトの東江里美(高田夏帆)に学校の料理部の助っ人を頼まれた暢子は、そこで行なわれる産業まつりのヤング大会に食品会社の人も来ることを知る。
放送開始からすでに4週目で、子役たちが四兄妹を演じていた1964年のパートは第2週で終わり、主人公の暢子役を黒島結菜さんが引き継いでいます。
黒島結菜さんは同じく朝ドラの「スカーレット」に出演(それ以前に「マッサン」にも出てたようで)していたし、僕は未視聴ですが、やはりNHKのドラマ「アシガール」や「いだてん」で健脚ぶりを見せて、そのイメージのせいか今回も競走が得意という設定。
黒島さんの健康的な小麦色の肌と明るく溌剌とした演技は、何かと落ち込みそうになる現在の日々の中で一服の清涼剤のような爽やかさを感じさせてくれます。
もともとカルピスウォーターのCMにも出てた人だし(^o^)
黒島結菜さんは現在25歳だけど高校生役に違和感はないし(なぜか彼女だけ頑なに体操着のブルマを穿かないのだが。黒島さんはブルマNGなのか?)、前作「カムカムエヴリバディ」では深津絵里さんが50代手前にして10代を演じていたから、観る側ももうその辺の年齢の感覚が麻痺していて^_^;
その前に、暢子の小学生時代を演じていた稲垣来泉(くるみ)ちゃん。
「とと姉ちゃん」や「スカーレット」にも出ていたんですね。なるほど、安定感のある演技と存在感でした。表情だけで感情を表現するところはほんとに素晴らしかった。これからもNHKやそれ以外の民放のTVドラマでもおなじみの女優さんになっていくのかな。これまでの朝ドラ作品で子役として出ていた何人もの俳優さんたちが成長して活躍中だもんね。
他の兄妹を演じる子役たちもよかったな。同じ小学校の島袋役の子の「イジメっ子演技」が毎度単調なのが気になったけど。主人公たちに意地悪する登場人物たちの演技が押し並べて無個性で面白味がなくて、それは脚本と演出のせいだと思いました。
このドラマの脚本を担当しているのは「マッサン」の羽原大介さんですが、そして僕は「マッサン」は大好きで毎日楽しく観ていたからこんなことを言うのは心苦しいんですが、この新作ドラマ「ちむどんどん」は今の時点で視聴者から結構なツッコミが入っていて、正直なところ僕もTwitterでわりと批判的な呟きをすることが多くなっています。
まず、主人公の暢子がいる比嘉家には父・賢三が負った借金があって、連帯保証人になった大叔父の賢吉(石丸謙二郎)が再三催促しているんだけど、そんな中で賢三は心臓発作で急逝。
借金を返す当てもなく、一家はとりあえず賢吉から口減らしのために兄妹のうち一人だけ東京に送ることを勧められるが、結局バスに乗った暢子を残りの兄妹たちが追いかけて四兄妹は全員実家にとどまることになる。
それから7年が過ぎて、とナレーション(ナレーターはジョン・カビラ。彼と黒島結菜、仲間由紀恵は沖縄出身)で告げられるんだけど、その後、長女の良子(川口春奈)は教師になっているし、暢子も妹の歌子(上白石萌歌)も無事高校生になっている。
視聴者全員が「…借金は?」とTVの前でツッコんだんだけど、あれからどうやって借金を返したのか一切説明がないまま、高3の暢子の就職活動の話や、その歌声を音楽教師・下地響子(片桐はいり)に見初められてストーキングされる歌子や良子の恋の話などが始まって、代わりに賢吉大叔父さんがどこに行ったのかまったく出てこなくなった。
暢子が10歳の時に家で飼っていた豚のアベベとアババのうち、親がアババを食卓に乗せたことで豚たちを可愛がっていた賢秀はショックを受けるが、賢三は命の大切さ、その大切な命をいただくことのありがたさを説いて納得させる。
…んだけど、7年後になっても、もう一頭のアベベがあれからどうなったのかまったく語られないんですよね。どうやらあっちゃり比嘉家のみんなの腹の中に収まってしまったようで^_^;
このように、二週間に渡って描かれた1964年のエピソードと黒島さんにバトンタッチしてからの7年後の物語が全然繋がっていないんですよ。
やっぱり、飛ばされた7年間にはもっと描かれるべきことがあったんじゃないかと思えてならない。父と死に別れ、東京に憧れたり和彦との交流があったり、そのあと暢子が何を思いここまで育ったか。今後の暢子の行く末を示唆するものが詰まっていたんじゃなかろうか。 #ちむどんどん #ちむどんどん反省会
— ei-gataro (@chubow_deppoo) 2022年4月29日
皆さん、アベベはどうなった?と気になってるけど(当然ですが)、7年経ってる時点で今ではアベベはアババとニライカナイで幸せに暮らしてるのだろうなとしか^_^; かつての、アババの件での親子間のやりとりもほぼ意味がなかったことに。 #ちむどんどん #ちむどんどん反省会
— ei-gataro (@chubow_deppoo) 2022年4月30日
暢子はこれから料理の道に進むんだろうから(だよね?たしか)動物の命のくだりは大切な要素だとも思うんだけど、何しろ7年前と後でお話が途切れまくってるから、どこまでフォローされることやら。 #ちむどんどん #ちむどんどん反省会
— ei-gataro (@chubow_deppoo) 2022年4月30日
お父ちゃんから教わったこととかチビ暢子があの2週間の放送の中で学んだことがまったく彼女の身になってなくて、村や沖縄が嫌い、ってことになっちゃってるのもね…つくづくあの2週間分のエピソードはなんだったのだろう、と。 #ちむどんどん #ちむどんどん反省会
— ei-gataro (@chubow_deppoo) 2022年4月30日
たとえば、あれだけ絡んでた和彦とはその後どうなったのか。文通ぐらいしていてもおかしくないけど、まったく触れられていない。繰り返すけど7年って長いよ。その間、何の交流もなかったなんてことはないんじゃない?電話だってあるわけだし。 #ちむどんどん #ちむどんどん反省会
— ei-gataro (@chubow_deppoo) 2022年4月29日
カムカムみたいにいきなりあとになってから再会したって、それは“伏線回収”でもなんでもないですから。ただ倉庫から出してきただけだから。 #ちむどんどん #ちむどんどん反省会
— ei-gataro (@chubow_deppoo) 2022年4月29日
…ここまで読んでて不快になられたかたはごめんなさい。
でも、このあたりの不可解な展開についてちゃんと納得のいく理由を述べている人は誰もいないので、何か不都合があって脚本を大幅にカットされたり変更されたりしたのでなければ、そもそもお話に無理があるとしか言いようがないでしょう。
お父さんが亡くなるのがあまりに早過ぎないか、と思うんですよ。
せめて暢子が高校生の時に、ということでもお話としては成り立つんだし。
なんか、子役から高校生まで時間が飛ぶ前に週またぎで何かショッキングな出来事がないと、ってことで強引にぶっこまれたとしか考えられない。
だけど、お父ちゃん死んじゃって借金残っててどうする?ってなったあとに、それをどうにかして乗り越える家族を描かなきゃダメじゃないですか。
どうやったのかよくわかんないけど、いつの間にか借金返済してました、って、そんなバカなことがあるか?妖精さんたちがお金を持ってきてくれたの?
それとも賢吉さんがマグ〇漁船に乗って働いてるのか。
もしも解決した理由をあとで明かすためにあえて伏せているのだとしても、そんなことする必要もないし。意味わかんない。
そういえばサトウキビ畑ってどうなったんだっけ。売ったの? #ちむどんどん
— ei-gataro (@chubow_deppoo) 2022年5月2日
Twitterで「重箱の隅を突きたがる人たちにロックオンされて気の毒」とか呟いてた人がいたけど、このドラマに対するツッコミが「重箱の隅」だったら世の中のほとんどのことへの批判や指摘は「重箱の隅」ってことになっちゃいますよ。
「重箱の隅」って便利な言葉だけど、撮影や演出のちょっとしたミスをあげつらうのならともかく、比嘉家の借金問題やその保証人になっていた大叔父・賢吉の“蒸発”は「重箱の隅」どころの話じゃないし、何かしょっぱなから大失敗しちゃった感がある。
このドラマは脚本の羽原さんによればルイーザ・メイ・オルコットの「若草物語」をヒントにしているようだけど、そのことについても「なぜ若草物語?」という疑問が投げかけられていて、羽原さんが沖縄を描くことについて述べられている記事を読んで、なんとなくその理由がわかった気がしました。でも、羽原さんの仰ってることにちょっと腑に落ちないところがあって。
「沖縄という土地が、他の地域に比べて歴史を扱う上でデリケートな部分を多く抱えていることは分かっている。それでも平日の朝8時から見てもらう番組は負の歴史ではなく、その時代をたくましく生きた家族を通して、今のお茶の間が元気になってくれる話を作ろうとテーマを決めた」というくだり。
10歳の暢子のエピソードの翌年の1965年には米軍の爆撃機が沖縄の基地に飛来して、それは75年のヴェトナム戦争終結まで続いた。
コザ騒動とかベトナム戦争もなかった沖縄かなぁ。 #ちむどんどん
— ei-gataro (@chubow_deppoo) 2022年5月2日
沖縄を舞台にしてるからって必ず戦争や基地問題などについて触れなきゃいけないわけじゃないけど、1964〜71年をあえて選んでいるのなら、それらの世相が見えなくなってるのはちょうど『フォレスト・ガンプ』が1950〜60年代のアメリカ南部を描きながら黒人差別も公民権運動もなかったことになってたのと
— ei-gataro (@chubow_deppoo) 2022年5月2日
同じで、それでは所詮ヤマトンチュの目から見た、景色の綺麗な(なぜかとってつけたように男尊女卑に対する暢子の批判がぶっこまれてたけど、兄の賢秀は甘やかされまくりだからまったく説得力がない)ファンタジーに過ぎないんじゃないだろうか。
— ei-gataro (@chubow_deppoo) 2022年5月2日
今さら言っても詮無いことだけど、やはり沖縄を舞台にするならせめて沖縄出身の脚本家が担当するべきだったんじゃないかな。「(戦争の)負の記憶ではなく〜」という脚本家先生の言葉がずっと引っかかってるんだよね。
— ei-gataro (@chubow_deppoo) 2022年5月2日
グレタ・ガーウィグが最近撮った『若草物語』だって、南北戦争の只中で黒人差別についての言及もあった。時代や世相のなかでの姉妹の日常の日々が綴られていた。「ちむどんどん」でも、それを無視するなら1971年の沖縄を舞台にする意味がない。
— ei-gataro (@chubow_deppoo) 2022年5月2日
「負の歴史」を無視して、なんの「本土返還50周年記念」なのだろうか。
「おしん」だって「澪つくし」だって朝っぱらから戦争の話をやってたんですがね。
「マッサン」だって戦争の時代を描いていたじゃないですか。敵国人扱いされて石を投げつけられて怪我をするエリーの姿に、僕はいろんなことを考えさせられましたけどね。
むしろ、こんなご時世だからこそ、ツラいことからも目を背けずに大切なことを見据えていく必要があるんじゃないのかな。
せっかく1970年代を舞台にして「今現在」を描くいい機会なのに、そこから逃げてしまうのは本当に残念だしもったいない。
賢三お父ちゃんは戦争中に中国でどんなことをやってきたのか。そこで何を見たのか。それが語られることもないまま彼は死んでしまった。
優子お母ちゃんは両親を沖縄大空襲で失っていて、それを思い出して彼女が声を詰まらせる場面があった。…でもそれで終わり?
明るい部分に焦点を当てるためには、暗い部分もしっかりと描かなくては。
おそらく、今後ドラマの中で沖縄の本土復帰の模様も描かれるんだろうけど、*1それについて沖縄県民の間でもさまざまな軋轢・相克があったわけで、返還されました、めでたいね、という単純な話ではない。
戦争も基地の問題も遠い昔の話ではなくて、2022年の「今」と繋がっている。
沖縄は美しいだけの島ではない。
美ら海が映って女の子がうまそうなモノ食ってる映像が流れればそれでいいのか。
若手俳優たちのワチャワチャがやりたいだけなら、他所でやってもらいたい。
暢子の就職や料理の出来も気になるし、お姉ちゃんの恋だって実ればいいと思うし、妹が人前で唄えるようになればいいとも思う。ダメ兄貴も更生できたらいいねw
そういう市井の人々のごく普通の生活と、沖縄が負ってきた多くの痛みを一緒に描くことは僕は可能だと思いますよ。
関連記事
「ちむどん」と「あなブツ」
*1:追記:描かれませんでした。本土復帰についてはナレーションのみで処理。ドラマ本篇とはまったく絡まず。