映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

※2019年の“はてなダイアリー”終了に伴い、2018年9月にブログを移行しました。

『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』


※以下は、2011年に書いた感想に一部加筆したものです。


ポール・トーマス・アンダーソン監督、ダニエル・デイ=ルイス主演『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』。2007年作品。日本公開2008年。PG-12。

ダニエル・デイ=ルイスはこの作品で第80回アカデミー賞主演男優賞を受賞。

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ダニエル・デイ=ルイスの出演作品は、マーティン・スコセッシ監督の『ギャング・オブ・ニューヨーク』で笑顔がコワい凶暴な肉屋さん役で出てたのを観たとき以来。

ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002) 出演:レオナルド・ディカプリオ キャメロン・ディアス
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あの映画では彼は肉切り包丁でたたかっていたが、この『ゼア・ウィル~』ではボーリングのピンを凶器にしている。

つくづく反則技が得意な人だ。

マイ・レフトフット』のハンディキャップ演技や『ラスト・オブ・モヒカン』での精悍な主人公役が記憶に残る彼も、今ではマリオのような口髭がトレードマークみたいになってきて、あのなんともいえない眼つきのオヤジ演技にも年季が入ってきた。


さて、この映画についてなんだけど、まったくなんの予備知識もなく観たので(P・T・アンダーソン監督作品ということも今回初めて知った)、戸惑いつつの鑑賞でした。

観る前は、重くて暗い感じの作品なのかと思っていたんだけれど、そうではなくて外見は実に「地味な」映画だった。

まず、この映画ではとにかく全篇に渡って流れる不吉で異様な音楽が耳に残る。

そして配役。

ダニエルの息子H・Wを演じるディロン・フレイジャーの寡黙で(のちにほんとに寡黙にならざるをえない事態になるのだが)抑えた顔の演技など、どこかイーストウッドの映画を思わせもする(たとえがワンパターンで申し訳ないですが)、あいまいさを含んだ演技と演出。

残念ながらDVDでは集中力がもたず、2回に分けて観ることに。

何しろはじまってしばらくは何の映画なのかよくわからない。

舞台は20世紀の初め頃。

主人公ダニエル・プレンヴューは血の繋がらない息子H・Wとともに油井を探す仕事を続けている。ある日、彼のもとに自分の父親の土地に石油がある、という青年ポール・サンデーが現われる。ダニエルがその土地を訪れると、そこにはポールの双子の兄弟で“第三の啓示教会”で活動しているイーライとその家族が住んでいた。


このダニエルとイーライの関係が実に面白いし、どうやらこの映画が描こうとしているのはこの二人についてのようだが、ポール・トーマス・アンダーソンの演出は普通のハリウッド映画の作劇から外れているのでそのへんも判然としない。

実は僕は映画を観ている間、このイーライと最初にダニエルに石油が出る情報を教えたポールが双子、という設定に気づかなくて、観終わるまでずっと二人を同一人物だと思っていた。

だからラストシーンのダニエルがイーライに告げる言葉の意味がよく飲み込めなくて「…ん?ん??」と混乱してしまった。

だってポールとイーライが双子、という説明は劇中にはないし、この双子が揃って登場するシーンもない。だいたいポールは最初にダニエルのところに顔を出したきりその後は出てこない。

たしかにイーライが自己紹介するシーンがあって名前が違うから「?」と思うけど、演じてるのは同じポール・ダノ(“ポール”が多過ぎてまぎらわしいけど俳優さんの名前です)だから気づかないよそんなの。


おかげでイーライが自分の父親に暴力をふるう場面の「お前のバカ息子のせいだ!」という台詞は、自分自身のことをいってるのかと思ってしまった。

今いったようにポールはラストシーンにかかわる人物だから、やはり描き方に不備があったとしか思えない(彼は実は主人公の妄想のような存在だった、というふうに受けとれなくもないが)。


ともかく、このイーライという青年が曲者で、ポール・ダノはこの狂信的(しかし中身は俗物)な人物を実に巧みに「気持ち悪く」演じている。

もう、観てる間ずっとコイツのことがムカついてしょーがなかった。


“第三の啓示教会”というのは福音派(再臨派)の、よーするにこの映画でもやってたような「悪魔よ、去れ!!」とか大仰に叫んだりする宗派である(かなりおおざっぱに書きました)。

ダニエルはイーライが礼拝の中で信徒とともに行なう悪魔祓いの儀式をうさんくさげに見つめて「すごい“ショー”を見せてもらったよ」という。

彼は土地を売ってもらうかわりに教会に5000ドル寄付するとイーライと約束を交わしていたが、イーライの再三の催促にもけっきょく最後まで応じようとはしない。


つねに薄気味悪い笑みを浮かべて何かといえば「教会、教会」いってるイーライの描写については、国民の大半がクリスチャンではなくアメリカのようにキリスト教の教会や団体が政治や財界に強い影響力をもっているわけではない日本の観客にはいまいち理解しにくいところだが、よーするに自分たちの教義を絶対だと信じ込んでいて、それを善意で他者にまで押しつけてくる人々、と思っておけばよい。そういう人はこの国にもいるでしょ?

イーライがダニエルに会いに来るたびにボコられるのはちょっと可笑しかったが、それでもこの映画で笑える場面はほぼ皆無。

またこのイーライの末路を「いい気味だ」と感じる人も中にはいるかしれないが、しかしいくらなんでも彼があそこまでされる筋合いはないわけで、そういう意味でもこれはブラックな笑いと受けとるのが正しいのかもしれないけれど、いかんせん僕にはギャグが高等過ぎたのだった。

以降、ストーリーの核心部分に触れるので未見のかたはご注意ください。


この映画では3つの「絆」が描かれる。

「父と子」「兄弟」「それ以外の人々とのつながり」。

そして主人公は最後に自分の意思でそれらをすべて捨てる。

彼にとってそれは全部「偽りの絆」「偽りの希望」だったから。

ダニエルは人々の前で「家族企業」を強調するが、この人ほど“家族の絆”について懐疑的な人もいないだろう。

自分の「弟」と名乗る男が彼のもとを訪ねてきて失われていた家族とのつかの間の団欒を味わうも、この男が実は弟ではないと見破ると、おそらく彼は無害な人間にもかかわらず容赦なく鉛の玉をお見舞いする。


ダニエルは自分のことを「私は競争心の強い男だ」という。

「他人を成功させたくない。人を嫌悪している。人を見ても好きになることがない。十分な金を稼いで人々から遠ざかりたい」と心のうちをすべて言葉に出して言う。

それに対してニセモノの弟は「競争心は消えた。働いても成功しない。あらゆることに失敗し、俺はもうどうでもよくなった」と答える。

「お前は一体何者だ」というダニエルの問いに「俺は“誰でもない男”だ」と答えるこのニセの弟に僕は一番共感した。


ついこの前、わりと信頼していたある人から「人を蹴落としてでも前に出ないと生き残れないよ?」と言われて、今みんなが支え合いいたわり合って生きていかなければ、といってるときに素晴らし過ぎる発言だなぁ、と感心したんだけど、一方ではバカ正直なほどの人間の本音でもあると思った。

しかし、そこまでしてなぜ生きるのか僕にはわからないのだが。


このダニエルもまた、どうして生きているのか、なんのために生きているのかまったくわからない人物である。

いつも山師のような口調で人々の前でもったいぶって口上を述べるが、仕事に対しては真面目で働き者。みずから率先して現場にも立つ。

そして自分の仕事に邪魔な人間は排除する。

そういう人は実際にこの世の中にいる。実に不思議な人たちだ。


「私たちは友人だ」と主張するイーライとの関係はもともとダニエルが望んでいたものではなくて、彼は土地を手に入れるためにこの“若造”としぶしぶ付き合ってきたのだが、もうその必要がなくなった途端に撲殺。

このダニエルという男、一応カタギのはずだが結果的に劇中でふたりの人間をあの世へ送っているんである。

しかもそれはビジネスのためなどではなく、彼らが「ニセモノ」だったからだ。


息子H・Wとの関係だけは、偽りなどではないだろうと思えるが、成長して独立を希望する息子をダニエルは許すことができない。

息子の行為は彼には「裏切り」としか思えない。

立ち去る息子に罵声を浴びせるダニエルを「愚かだ」と切り捨てるのは簡単だが、僕はこのけっして円満ではない父と息子の別れに妙なリアリティを感じたのだった。

他人から息子のことに口出しされると烈火のごとく怒る彼は、自分の父親や家族との関係について訊ねられても「言いたくない」といって語ろうとはしないので、我々観客にとってもそれは最後まで謎のままだ。


でもそういうことってあるだろう。誰にでも触れられたくないことが。

ダニエルは機械のように冷徹な人間ではない。

人と絆を結ぶことを望み、他人の子どもをわが子のように育てることもできる。たとえそれが商売のためだとしても。

この白黒ハッキリしない人物造形はより本物の人間に近く、だからこそ単純だと思えばときに複雑でつかみどころがない。

簡単に「イイもん」と「ワルもん」に二分などできないのである。

「長い間に憎悪を積み上げてきた」と語るダニエルの怒りが僕には理解できた気がした。


聴覚を失い、そのせいか問題行動をおこすようになった息子に手を焼いたダニエルは、ついに息子を“捨てる”。

といってもいきなりどこかへほっぽり出したのではなく、おそらく寄宿舎かどこかに送ったんだろう。

そのことを「罪」といって改心を迫るイーライ。

彼がどうなったかは先ほど述べたとおりだ。

ここで僕の宗教観を長々と述べるつもりはないが、一言だけいわせてもらえば、この世にイーライがいう「神の試練」などというものはない。

それは先頃おこった東日本大震災がどっかのバカがほざいた「天罰」などではないのと同じである。


僕が未熟なためか、あるいはやはりこういう映画は劇場でちゃんと観るべきだったのか、この作品の真価はわかりませんでした。

P・T・アンダーソンの『ブギーナイツ』は好きだったけど、この人の映画はだんだん僕には難しくなってきている。

でもとても重要なものを描いていることだけはわかった。

ブギーナイツ』(1997) 出演:マーク・ウォールバーグ バート・レイノルズ ジュリアン・ムーア
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2013年、ダニエル・デイ=ルイスは第85回アカデミー賞において、スティーヴン・スピルバーグ監督の『リンカーン』(感想はこちら)で3度目の主演男優賞を受賞。

そして3月22日公開のポール・トーマス・アンダーソンの最新作は、フィリップ・シーモア・ホフマン新興宗教の教祖を演じる『ザ・マスター』である。

こまかいストーリーは知らないし僕は映画館に観に行くかどうかはわからないけれど(なんとなくシンドそうなので…^_^;)、新興宗教サイエントロジー」(信者にトム・クルーズジョン・トラヴォルタ等がいる)をおもわせる宗教団体を作った“カリスマ”と出会い、その片腕になる男(演じるのはホアキン・フェニックス)を描いているというこの作品は、あきらかに前作『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』から地続きの世界だ。


人の絆、そして信仰。

さっきも書いたように、僕にはポール・トーマス・アンダーソンがとりあげるテーマやその筆致はどんどんとっつきにくくなってきているが、しかし彼が人間をみつめる目はより深くなっているのかもしれない。


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