ビクトル・エリセ監督、アナ・トレント、イサベル・テリェリア、フェルナンド・フェルナン・ゴメス、テレサ・ヒンペラ、ケティ・デ・ラ・カマラ(ミラグロス)、ジュアン・マルガロ(逃亡兵)、ラリー・ソルデビラ(教師)、ミゲル・ピカソ(医者)、ホセ・ビリャサンテ(フランケンシュタインの怪物)ほか出演の『ミツバチのささやき』。1973年作品。日本公開85年。
スペイン内戦が終結した翌年の1940年、6歳の少女アナが暮らす村に映画「フランケンシュタイン」の巡回上映がやってくる。映画の中の怪物を精霊だと思うアナは、姉から村はずれの一軒家に怪物が潜んでいると聞き、その家を訪れる。するとこそには謎めいたひとりの負傷兵がおり──。(映画.comより転載)
「午前十時の映画祭13」で鑑賞。
90年代にレンタルだったかTV放映のエアチェックだったか忘れましたが、ヴィデオで視聴しました。劇場鑑賞は僕はこれが初。
今はなきフランス映画社(2014年倒産)の「バウ・シリーズ」の1本として上映されたようですが、僕は予告篇の雰囲気からいってもてっきり日本でも70年代ぐらいに公開されたものとばかり思っていたら、初公開は85年だったんですね。制作から10年以上も経っての上映。
この映画の日本版の予告篇、とても好きなんだよなぁ。来宮良子さんのナレーションがまた時代を感じさせるんですよね。
80年代の初め頃にミニシアターブームが始まった、というのはのちに知ったことで、僕は当時はまだ子どもだったのでアート系の映画を観にいくことはなかったんですが(ドラえもんとか観てた頃だし)、90年代に入るとミニシアター系の映画も観だすようになりました。だからあの当時を思い出して懐かしい。
「バウ・シリーズ」の1本として公開された『トト・ザ・ヒーロー』(感想はこちら)は大好きだったし、上映作品を振り返ってみると『冬の旅』『ナイト・オン・ザ・プラネット』『オルランド』『ピアノ・レッスン』『デッドマン』『ユリシーズの瞳』『秘密と嘘』『ゴースト・ドッグ』と、あの作品もこのシリーズだったんだ、というのが何本もある。
エリセ監督の長篇3作目『マルメロの陽光』(1992年作品。日本公開93年)も公開時に映画館で観ました。
エリセ監督の作品を劇場で観るのはそれが初めてだったし、あの『ミツバチのささやき』の監督の作品ということで期待したのですが、観てみたらドキュメンタリー映画で、しかもフィルムではなくてヴィデオ撮影だったのか、それとも上映館の方の問題だったのか映像の画質があまり美しくなくて、なんとなくボンヤリしてしまったっけ。結構長かったし。
長篇2作目の『エル・スール』(1983年作品。日本公開85年)もヴィデオで観たはず(いつもの通り内容は覚えていないけれど、オメロ・アントヌッティ演じる父親と幼い娘のやりとりはなんとなく記憶にある)。こちらの予告篇もまた懐かしい味わい。
それにしても、長篇初監督が1973年なのに、これまで長篇を3本しか撮っていないのもスゴいし、それで「巨匠」と呼ばれているのもスゴいですよね。
「エリセ監督、10年に1本の」と言われていたけれど、『マルメロの陽光』からすでに31年経っている。
そして長篇デビューから50年後の今年、ついに最新作『Close Your Eyes(原題 Cerrar los ojos)』がカンヌで上映されたということで、しかも『ミツバチのささやき』の主演だったアナ・トレントが50年ぶりにエリセ作品に出演していて(主演ではない模様)、何か時間の流れがここだけ不思議なことになってますが。
そういえば、2008年の『ブーリン家の姉妹』でナタリー・ポートマン演じるアン・ブーリンに陥れられて王妃の座を明け渡すことになるキャサリン・オブ・アラゴンをアナ・トレントが演じていて驚いた。それももう15年も前のことなんだなぁ。
アナ・トレントの出演作は、90年代に『ミツバチ~』のあと、カルロス・サウラ監督の『カラスの飼育』(1976年作品。日本公開87年)をヴィデオで観ました。こちらも内容を…(以下略)。
ジェラルディン・チャップリンと共演していたことだけ覚えています。
それから一気に時間が飛んで、成長した彼女が出ていたアレハンドロ・アメナーバル監督の『テシス 次に私が殺される』(1995年作品。日本公開97年)をヴィデオで視聴。
アメナーバル監督がその次に撮った『オープン・ユア・アイズ』も観ました。そのハリウッド・リメイク版でトム・クルーズ主演の『バニラ・スカイ』も観たな。
このあたりになるとわりと最近な感覚があるけれど(それでも20年以上前ですが)、さすがに1973年の作品は遠い昔の映画、という感じがする。
『ミツバチ~』はデジタルリマスター版が2017年に公開されているけど、そちらは僕は観ていないし、今回上映されたのがそのヴァージョンなのかどうかはわからない。
画質はフィルムの粒子がかなり粗くて、もちろん音質もそんなにクリアなわけではなかったけれど、それでもデジタルでこの映画を観られるのは嬉しかったし、この映画自体かなり久しぶりに観るので、上映時間が99分というけっして長くはない作品をじっくり堪能しました。
初めて観た90年代にも、フランシスコ・フランコ政権下のスペインが舞台ということでなんとなく暗い時代背景は感じてはいたけれど、今回あらためてどのような時代だったのかということを意識して観たし、この映画が撮られた73年もまだフランコは存命で(75年死去)、だから当時はまだスペインは独裁体制だったんですね。ちょうど韓国や台湾などがそうだったように。
スペイン映画というとペドロ・アルモドバル作品とか(って僕はアルモドバル監督の映画を1本も観たことないが)原色で派手めの美術や衣裳を思い浮かべたり、アントニオ・バンデラスやペネロペ・クルスなど、あるいはピカソやダリ、ガウディ、それからフラメンコや闘牛(ほんとにステレオタイプで通りいっぺんのイメージで申し訳ない^_^;)などアーティスティックで情熱的な印象があるけれど、『ミツバチのささやき』はそれらのどれにも引っかからないし、非常に地味で小さな作品。
田舎の村に住む幼い少女が、逃亡してきた男を映画『フランケンシュタイン』の怪物と重ね合わせて見るが、男は殺されて、少女はショックを受けて夜の森を彷徨う。
発見された彼女は家でしばらく寝込んでいたが、やがて元気を取り戻して姉に教えられたように見えない精霊に向かって「私はアナよ」と囁きかける。
それだけの映画。
でも、そんなとても小さな映画が、作られて50年間、世界中で愛され続けてきた。そのことに静かに心打たれる。
クラフト・エヴィング商會の「アナ・トレントの鞄」という本があるようで、どういう中身なのか見ていないですが、興味がある。「失われたモノたち」の一つとしては“アナ・トレントの靴”もあるかもしれない。一人で家を出て森を彷徨ったあと、アナは靴を失くしたのではなかったか(眠っている彼女をみつけた父親が靴を履かせていたので、途中で拾ったのだろうか)。
アナ・トレントが何かや誰かを見つめている時の瞳。その彼女をエリセ監督がキャメラを通して見つめている。
演技なのか素なのかわからないところとか、アッバス・キアロスタミ監督の作品を思い出したりもするけれど、二人の監督は交流があって映像書簡を交換したりもしている。
『ミツバチ~』の撮影当時、アナ・トレントは5歳くらいで現実と映画の撮影との違いを明確に理解していなかったので、彼女が混乱しないように登場人物と出演者の名前を同じにしたということだけど、フランケンシュタインの怪物と出会う場面でトレントが口許を震わせているのは演技ではなくてほんとに怖かったからだそうで(現在ではちょっと問題あるかもしれませんが)、でも、やがてアナが目をつぶって身を委ねるような表情を見せる、あの奇跡のショットは忘れがたい。
汽車に乗ってやってきて無人の家屋に隠れていた逃亡兵にリンゴを差し出す時の、まっすぐ相手を見つめる目。食べ物や飲み物を持ってきて、足を怪我した彼の靴ヒモを結んであげる時の手慣れた手つき。逃亡兵が懐中時計を隠す手品を見せると、アナが浮かべるあの笑顔。


アナ/アナ・トレント自身が妖精めいた存在に思える。
一方で、アナの姉のイサベルはちょっと悪戯っ子っぽい顔つきで、一緒に『フランケンシュタイン』を観ていた妹が「怪物はどうして女の子を殺したの?なぜ彼も殺されたの?」と尋ねると、「映画は嘘だから死んでない」と身もふたもないことを言う。
でも、そのあとで、少女や怪物は精霊だから呼びかければいつでもお話できる、と教えるのもイサベルだ。
映画の中での役柄とアナ・トレントやイサベル役のイサベル・テリェリア本人たちが交じり合っているような、半分ドキュメンタリーでもあるような作りになっている。
飼い猫の首を絞めて引っ掻かれて、その血を自分の唇に塗ってみたり、妹の前で死んだふりをするイサベルは妙に生々しく、まだ半分妖精のようなアナに対してはっきりと肉体を持った“女性”を感じさせる。ちょっと口を開けると覗く前歯が可愛い。
この映画はアナ・トレントの存在感とともに、彼女とは対照的なイサベル・テリェリアのリアルな少女像があったからこそ名作たり得ていると思う。
テリェリアが顔をしかめるようにして見せる眉毛のあたりの表情は絶品だし、他に出演している作品はないだろうかとフィルモグラフィを確認しても出演作品は『ミツバチのささやき』1本きりしか記載されていないので、俳優にならなかったのかもしれない。
いつ頃のものなのかわからないけれど(おそらく90年代の終わりとか2000年代の初めあたりだと思うが)、おとなになってからのアナ・トレントさんと一緒に写っているイサベル・テリェリアさんの画像があったので載せておきます。
右端はエリセ監督、左端は『ミツバチ~』のプロデューサーのエリアス・ケレヘタ。
イサベルとアナの幼い姉妹は、もはや映画史の中で70年代を代表するアイコンの一つになっている。それはこの映画が生まれたその時からそうだったのでしょう。
以前、ギレルモ・デル・トロ監督の『パンズ・ラビリンス』(感想はこちら)を観た時に、この映画を連想したんですよね。
舞台となるのがスペインで、時代が同じフランコ政権下の1940年代だったからだけど、そして映画のタイプはだいぶ異なるんだけれども(あちらは不気味なクリーチャーも出てくるダークファンタジー系)、戦争を背景にした暗さ、どこか悲しみを深く宿している登場人物たちの姿に共通するものを感じたのでした。
それから、片渕須直監督のアニメーション映画『マイマイ新子と千年の魔法』(感想はこちら)の中に『ミツバチ~』から引用されたシーンがありました。
最近では、セリーヌ・シアマ監督の『秘密の森の、その向こう』を観て、ものすごく『ミツバチ~』が重なったんですよね。
シアマ監督が『ミツバチのささやき』について語っている文章はみつけられませんでしたが、意識していたんじゃないかなぁ。僕以外でも同じように感じたかたは結構いらっしゃるようだし。
それぞれの場面の「意味」をわかりやすく説明しないところなんて、ほんとによく似ていると思うもの。
父親は養蜂をしているが、そして映画紹介サイトなどでは彼の職業は「養蜂家」と書かれているけれど、養蜂家ってあんな大きな家に住めて家政婦も雇えるほど裕福なんですかね。
なんとなく、あの父親は学者とかインテリっぽい感じがしたんだけど。彼が蜂について書き物をしていたのは、ただの趣味とは思えないし。
若い妻も、田舎の人という感じがあまりしない。
映画の初めの方で彼女が誰かに手紙を出していたのも、そのあたりほんとに説明がないので観る側があれこれと想像するしかないんですが。
『ミツバチのささやき』については、スペイン内戦による国民の分断をアナたちの家族の姿で表わしている、というようなことが言われているし、映画が作られた当時は表現の自由が制限されていたため、そうやって作品の背後に当時の為政者たちにわからぬように隠されたメッセージがあったというのは理解できるんですが、そして、確かにあの四人家族が全員同じフレームに入っているショットはなかったかもしれないから(でも、一応全員で食卓を囲んでいるシーンはある)、エリセ監督は意識的にそのように描いたんだろうけど、でも父親は娘たちに毒キノコの見分け方について教えたり、母もアナを可愛らしく着飾らせたり、姉妹も基本的には仲がいい。「家族がバラバラ」というほどではなくて、出かける夫を妻が二階から呼び止めて帽子を投げて渡したり、机に突っ伏して眠っている夫に妻が優しくストールをかけたり、両親もけっして不仲というわけではない。
時代背景について知らなくても、どこか悲しげな親には自分が子どもの頃に両親が時々見せた顔を思い出したり、子どもたちの何気ない表情や仕草に見入ってしまう。
だから、必ずしもスペイン内戦直後の当時の世相を理解していなければわからない映画ではないと思うんですが、劇中で人が殺されるし、時節柄どうしてもウクライナでの戦争が重なって、この映画を昔よりもさらに近く感じます。
それでも、回復したアナが「私はアナ」と囁く後ろ姿や、「大事なのは、彼女が生きてるってことだ」という医者の言葉は希望に繋がっている。
ギレルモ・デル・トロと片渕須直、セリーヌ・シアマが『ミツバチのささやき』を介して繋がる面白さも。
作られて50年、この映画は今も色褪せていない。
関連記事
『メアリーの総て』