ギレルモ・デル・トロ監督の『パンズ・ラビリンス』。2006年作品。日本公開2007年。
PG12。
第79回アカデミー賞撮影賞受賞。
1944年、フランコ政権下のスペイン。身重の母親とともに母の再婚相手で強権主義的なヴィダル大尉(セルジ・ロペス)のもとで暮らすことになった少女オフェリア(イヴァナ・バケロ)。彼女は妖精に導かれて守護神パンに出会い、自分が“地下の王国”の姫君であることを教えられる。そして彼から亡き父が待つ王国へ還るための三つの試練を与えられるのだった。
『ブレイド2』『ヘルボーイ』のギレルモ・デル・トロ監督が描くダーク・ファンタジー。
主要なキャラクターを演じているのは、主人公オフェリア役のイヴァナ・バケロをはじめほとんどがスペインの俳優だが、特徴的な容姿の“パン”を演じているのは『ヘルボーイ』シリーズの半魚人エイブなど、スーツアクターとしての活躍も多いアメリカ人俳優ダグ・ジョーンズ。
劇場で観られず、そのままになっていた作品。
ギレルモ・デル・トロの映画はこれまた評価が高い『デビルズ・バックボーン』も未見だが、こちらは残念ながらDVDが最寄りのレンタル店に置いてなくて借りられず。
『デビルズ・バックボーン』(2001) 日本公開2004年
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というわけで、ようやく観られた『パンズ・ラビリンス』だが…。
以下、ネタバレあり。
評判にたがわず、非常に心打たれる作品でした。
スペイン内戦後が舞台の映画というと、かつて観たビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』を思い出す。
『ミツバチのささやき』(1973) 出演:アナ・トレント イサベル・テリェリア フェルナンド・フェルナン・ゴメス テレサ・ヒンペラ
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『ミツバチ〜』は静寂の中に不穏な空気と哀しみが漂う透明感あふれる作品で、CGを駆使した視覚効果や音楽などがハリウッド製のファンタジー映画的なこの『パンズ・ラビリンス』とはだいぶ趣が異なるが、アナ・トレントが演じる少女アナが夜、森の中でフランケンシュタインの怪物と出会う幻想的な場面は、同じく少女オフェリアが牧神パンと出会う場面とかさなる。
一人の少女の“通過儀礼”を描く、ということではふたつの作品は共通しているが、『パンズ・ラビリンス』の方がより幻想性、そして悲劇性が高い。
スペイン内戦、といわれても日本人の僕などにはいまいちピンとこないが、けっして日本と無関係ではなく、日独伊防共協定には当時のスペインも参加している。
1975年まで続いたフランコ総統による支配と内戦の記憶は、現在のスペインのクリエイターたちにも大きな影響を与えているのだろう(デル・トロ監督は同じスペイン語圏のメキシコ出身だが)。
スペインの歴史に不勉強なのでこれ以上言及できないが、『ミツバチ〜』の中に象徴化して描かれていた、そしてこの『パンズ・ラビリンス』では医師の口からハッキリと語られる「なんの疑問も抱かずひたすら従うなんて、心のない人間にしかできないことだ」というメッセージは、「反戦、反ファシズム」という表向きなテーマを超えて、映画の作り手だけでなく、すべてのクリエイター、いや、それ以外の人間にも通じる普遍的な真実だと思う。
つねに心にとめて反芻したい言葉である。
ホラー映画畑でその才能を発揮してきたデル・トロ監督だけに、グロテスクな造形、描写などへのこだわりが時に映画の中で突出し過ぎてイビツな印象も受けるが(目ん玉が手についてるバケモンのシーンとか)、それがこの人の個性ともいえる。
そしてハリウッド映画の影響が大きいとはいえ、特にあのラストは通常のハリウッド製ファンタジー映画では受け入れられないだろう。少女が主人公なだけにホラー映画としても難しいかもしれない。
アンデルセンの童話にみられるように、ヨーロッパのおとぎ話には残酷だったり悲しい結末のものも多い。
この映画はまさにその残酷で悲劇的な要素を抜かずに、現実とファンタジーの世界を行き来する少女の姿を描き出している。
「わたしはあなたの下僕」といっておきながら会うたびに態度が大きくなり、彼女を責め立てて次々と試練を課してくるパンには、オフェリアが感じている現実の世界の不条理さもかさねあわされているのだろう。
「王国へは戻れない。あなたは永遠にこの世界にとどまり、人間のように老い、死んでいくのだ」。
それでもこの現実から逃げ出したい彼女は必死にパンのいうとおりにするしかない。
“マンドラゴラ”のくだりになると、もはや現実と幻想の世界の区別はつかなくなって、その結果彼女を現実につなぎとめていた唯一の存在が失われることになる。
僕はオフェリアが最後にかすかに見せた笑顔に目頭が熱くなりながらも、先ほど書いたようにこの映画は戦争で犠牲になった可哀相な少女の話ではなく、今を生きる僕たちにも訴えかける寓意を含んだ物語と感じた。
この映画は「あちらの世界」へ旅立つ者の話である。
パンの命令に従ってきたオフェリアは、最後の最後に彼の要求に逆らう。
望んでいた王国よりも大切なもの。
それを守ろうとした彼女の選択は正しかった。
最後の試練を彼女は乗り越えたのだ。
だから望みは叶えられて、彼女は愛する父と母が待つ“王国”へ帰還する。
“通過儀礼”にはつねに「死」がつきまとう。
普段は気にも留めないが、実は誰もが「死」と隣り合わせに生きている。
僕はいつも映画の中でいたいけな者の「死」が描かれるのを目にするたびに、まるで彼らが自分の身代わりになってくれたような気がする。
そうしてこの世界で生きていく力を彼らから受けとるのだ。
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