名古屋市美術館で6/29(土)~9/8(日) に開催されている「特別展 生誕130年記念 北川民次展―メキシコから日本へ」に行ってきました。
いつものことながら、美術についてほとんど何も知識がなく、北川民次さん (1894-1989) のことも知らないままで観ています。
戦前にはアメリカやメキシコに渡って絵を勉強したり、個展を開いたり、現地で絵を教えたり、藤田嗣治と交流があったり、戦時中に愛知県の瀬戸市に引っ越されて(妻の地元。ご本人は静岡出身)、そこで長らく活動をされていたんですね。
東山動物園で子どもたちに美術教育を施したりもしていらっしゃったようで。
その自由に絵を描くことを推奨する姿勢は「窓ぎわのトットちゃん」のトモエ学園のそれを思わせたりも。
僕の母は若い頃、北川民次さんもかかわりのあった二科会で絵を描いていたんですが、北川さんの絵を見たら、かつて実家に飾ってあった母の先生の絵を思い出しました。もっとも、今回の展覧会では母がよく描いていた静物画や風景画ではなくてほぼ人物を描いたものばかりでしたが(版画では風景を描いたものもあった)。
メキシコ三童女 (1937)
タスコの祭 (1937)
写実的というよりも、かなりデフォルメが効いた作風。でもそれはもともとデッサン力があるからの省略なのだろうし、挿絵とかイラストっぽさも感じさせるし、中にはピカソの「ゲルニカ」に似た構図の絵(「かまど」)もあったりして、またメキシコの画家たちの影響が強いようで、ちょっと異国情緒もある。
かと思えば、戦時中の絵はおかっぱの少女とオモチャのような戦車や日の丸の旗など、ちょっとアングラ演劇のポスターみたいな作品もあったりして。
鉛の兵隊(銃後の少女)(1939)
社会的なメッセージ性の強い作品を描かれたようだけど、そのメッセージが露骨にわかるわけではないので(説明文を読んで絵を眺めても意図するところがよく掴めないものも)、たとえば戦争に対する批判というのも目立つことはなくて、当局に目をつけられることもなかったそうですが。
戦後の沖縄の絵などは、なんとなく伝わるものもあるんだけど。
絵本も出されているんですね。子どもの美術教育にも思うところがあったようで。
北川さんが指摘された日本の美術教育の問題点って、残念ながら今でも改善されていないんですよね。決まりきったルールにもとづいて絵を描かせる、非常に窮屈で不自由なもので。
戦争が終わってまだ間もない頃にそういうことへ批判の目を向けていたのはスゴいな、と思うんですが、それは海外からこの国を見つめる視点を持っていたからでしょうね。
東山動物園で行なわれた美術教育で当時の子どもたちが描いた絵も展示されていたんですが、何ものにも縛られていない自由な発想と手法で描かれたそれらの絵はとても可愛らしくて、またそういう子どもたちの絵から北川さんご自身がいろいろ学ぶところもあったようですね。メキシコでのある生徒の絵を手本にした、という話だし。
メキシコの町タスコとの共通点を見出した瀬戸では、陶磁器工場の空き家をアトリエにしていたそうだし、そこで生み出されたいくつもの風景画には惹かれるものがあった。素朴でどこか懐かしい。
また、壁画への強い想いもあったようで、芸術のことはよくわからないけれど、北川さんのその旺盛な創作意欲の一部をこうして見られたことは幸運でした。