もう11月も終わりそうですが、今さらながら9~10月に行ってきたいくつかの展覧会について、記録のつもりで。
名古屋市科学館にて、「絶滅動物研究所」。
夏休み明け直前だったこともあって、子どもたちの姿がいっぱいでした。
ニホンオオカミやニホンカワウソの剥製、マンモスやドードー鳥の実物大模型、オオウミガラスの骨格標本、ステラーカイギュウの復元骨格など、すでに地球上から絶滅してしまった動物たちや、現在絶滅が危惧されている動物たちなどが紹介されていました。
原因はいろいろあるわけだけど、当然、乱獲や環境汚染などで人間が絶滅に追いやった種も多いわけで、いってみれば自らの大いなる「罪」と向き合う行為でもあった。
さらに、何かと話題になりましたが、みなさんまだ覚えてますか?な「あいちトリエンナーレ2019」。
僕は名古屋市美術館と愛知県美術館、豊田市美術館の三箇所の会場に行ってきました。
「表現の不自由展・その後」の中止に抗議して作家が自らの作品に手を加えていました。
「表現の不自由展」は10/8から14日の閉幕まで再開されましたが、抽選で選ばれた一部の人たちしか観られず、僕も入れませんでした。
2Fのレストラン(美術展への入場前に席を予約しておくことをお勧め)のローストビーフが食べ応え抜群で美味でした(メニューは時期ごとに変わります)。日本茶のゼリーも(^o^)
本物の花が咲く様子をデータに取って再現した動くオブジェ。ず~っと観てても飽きない。
こんなところに“デス・スター”が。
手作りの甘夏ソーダ
豊田市美術館では「クリムト展」も開催されていたのでこちらも鑑賞。
実物の絵は撮影不可なので画像はありませんが、有名な「ヘレーネ・クリムトの肖像」や「ユディトI」などが観られて嬉しかった。
僕は美術にはとんと疎いですが、クリムトの絵って、たとえばミュシャの絵のように人物のタッチがイラストっぽくて、また漫画も彷彿とさせるからどこか親しみやすいというか、難しいことわかんなくても単純に「綺麗だな」「可愛いな」と思えるんですよね。
東京ではもっと作品数が多くて、またエゴン・シーレの絵も一緒に展示されていたそうなので、ここで観られなかったものもいつかまた観たい。
「あいちトリエンナーレ」に関しては、僕は“現代アート”というのがわからないので当初観にいくつもりはまったくなかったんですが、「表現の不自由展」については興味をそそられたので足を運ぼうと思っていた矢先に開催からわずか3日で中止となってしまい、非常に不快な思いに襲われて、その後の経緯を注視していました。
結局、閉幕間際に再開されたものの、抽選は物凄い倍率でごく限られた人たちしか観られず、時折中から歓声が聞こえてきたりするのを遠巻きに、同じ金額の入場料を払っているのになんて不公平なんだろう、こっちは会場に何度も足を運んだのに、と頭にキました。
入場者や作品の安全を考えてのことだろうけど、手荷物検査が実施されていたようです。
もちろん、脅迫や行政の介入こそがこの「不自由」で「不平等」な状態を作り出した最大の要因だし、主催者や関係者のみなさんのご尽力には拍手を送りたいですが、問題はちっとも解決していないし、これで「よかったよかった」で終わらせないでいただきたい。
いくつもの会場を訪れて興味深い経験ではあったものの、正直今後、僕が現代アートの展覧会に行くことがあるかどうかはわかりません。
ハッキリ言って、それよりも「カラヴァッジョ展」の方がよっぽど行きたいし。
なんでこんなガラクタみたいなものが“アート”と見做されるのか僕には理解できない、その作品の良さもわからないものも多くて、それじゃ公園のオブジェや道端の石ころだって“アート”ってことになりかねないし、そういう価値がよくわからないものをわざわざ美術展でお金払って観ることに滑稽さや虚しさを感じなくもない。
ただ、“現代アート”というのはメッセージ性がかなり強い、もうストレートに作者のメッセージを提示しているものが多いということは、この催しを通してよくわかりました(まぁ、そういう作品をあえて集めたのかもしれませんが)。勉強にはなった。
もっとわけがわからないものを想像していたので、ちょっと意外ではあったんですよね(いや、横に貼られた解説文を読まずに作品だけ観たらわけがわからないものも多かったですが)。
たとえば、バンクシーの作品(彼の作品はあいちトリエンナーレには出品されていませんが)のようにユニークでメッセージ性もあるアートは面白いと思うし、観客の方が作品に自ら「意味」を付与したり、そこに「価値」を見出すことこそが「芸術活動」なのかもしれないな、とも思う。
「あいちトリエンナーレ」で展示されていた作品のいくつかに対しては戦争や差別などへの批判、抵抗、という部分で共鳴するところもあったから、作品に触れることで「考え」、「対話する」ことの大切さをあらためて思い知ったというのは貴重な経験でした。
そしてこれからも、「権力」がそういう機会や場所を人々から奪うことには僕は断固として反対します。
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