映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

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『レ・ミゼラブル』(1995年版)


クロード・ルルーシュ監督、ジャン=ポール・ベルモンドミシェル・ブジュナー、アレクサンドラ・マルティンヌ、サロメルルーシュアニー・ジラルドフィリップ・レオタール、クレマンティンヌ・セラニエ、フィリップ・コルサン、ティッキー・オルガド、ミシュリーヌ・プレールジャン・マレーほか出演の『レ・ミゼラブル』。2Kリマスター版。1995年作品。日本公開1996年。

音楽はフランシス・レイミシェル・ルグラン、エリック・ベルショー、ディディエ・バルブリヴィアン、フィリップ・サーヴェイン。主題歌はパトリシア・カース。

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映画が誕生した1895年。当時5歳だったアンリ・フォルタン(ジャン=ポール・ベルモンド)は、父が無実の罪を着せられ獄中で無念の死を遂げ、その後を追って母(クレマンティンヌ・セラニエ)も自殺しためノルマンディーの漁村で居酒屋を営む夫婦に育てられ、過酷な少年時代を過ごした。やがて、ボクシングのチャンピオンとなったフォルタンは1931年に引退し、運送業を始めた。第二次世界大戦がはじまり、フォルタンはユダヤ人の弁護士アンドレ・ジマン(ミシェル・ブジュナー)とその家族の引っ越しを請け負う。だが、密告によって一家はスイスへの逃亡を余儀なくされ、フォルタンはそれも請け負った。フォルタンは一家の娘サロメサロメルルーシュ)を修道院の寄宿学校に預け、夫婦を国境近くまで運んだものの、夫婦を待っていたのはなナチスの卑劣な罠だった。フォルタンもナチスに協力する警察に逮捕されるがその後脱獄し、強盗団に参加、さらに終戦間近にはレジスタンスに加わった。ついに終戦を迎え、運命の糸で結ばれた様々な人々の人生が再び動きだそうとしていた…。(公式サイトより引用)


ジャン=ポール・ベルモンド傑作選グランドフィナーレ」にて『おかしなおかしな大冒険』に続いて鑑賞(残念ながら『ライオンと呼ばれた男』は観られず)。

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上映時間が175分ということでちょっと躊躇していたんですが、観てよかった!

『おかしなおかしな大冒険』同様に日本ではDVD化されていないし配信もないようなので(『レ・ミゼラブル』は過去にVHSとレーザーディスクでソフト化されているようですが)、今劇場で観ておかなければ観る機会がない。

レミゼ、といえばミュージカル版が有名だし、映画では2012年のトム・フーパー監督、ヒュー・ジャックマン主演版を観ています。

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というか、ヴィクトル・ユゴーの原作小説は読んだことがないし、これまで内外で無数に映像化されているようですが、↑のトム・フーパー監督版以外の『レ・ミゼラブル』を(舞台版も含めて)僕は観たことがないんです。

日本では2020年に公開されたラジ・リ監督の同名映画は、内容はユゴーの原作とは無関係だけど、ただし、登場する少年たちの境遇はジャン・ヴァルジャンの生い立ちと重なるものがあったり、劇中でユゴーの小説についての言及もある。

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タイトルで勘違いして、2012年のミュージカル映画をラジ・リ監督が撮ったと思い込んだ人の感想を目にしたことも。

トム・フーパー版以外に縁がなかったとはいえ、「レ・ミゼラブル(あゝ無情)」という題名の映画、ないしはTVドラマの存在はいくつか知っていた。

1998年にビレ・アウグスト監督、リーアム・ニーソン主演(ジャヴェール警部役はジェフリー・ラッシュ、ファンティーヌ役はユマ・サーマン)で映画化された時にも、2000年に作られて日本でもヴィデオ化されたTVドラマ版(主演はジェラール・ドパルデュー。ジャヴェール役はジョン・マルコヴィッチ。ファンティーヌ役はシャルロット・ゲンズブール。こちらはおそらくレンタルショップで見かけたんだと思うけど)も知っていました。ただいずれも観てはいなかった。あるいは、観てたとしても覚えていない。

当時の僕は文芸映画に興味がなかったし(上映時間も長いし)、なので、1996年に日本でも公開されたこのクロード・ルルーシュ監督、ジャン=ポール・ベルモンド主演版を当時知っていたかも記憶が曖昧。似たような題名の映画が多かったから。

どうやら、この作品はミニシアターでひっそりと公開されたために、日本では観た人自体がそんなに多くはないのではないかと思われる。

その一方で、「史上最高のレ・ミゼラブル」とも言われるように、観た人たちの評価は高いので、とても気になっていたんですよね。

ただし、ユゴーの原作をそのまま映画化したのではなくて、舞台は20世紀初めから第二次世界大戦の時代だし(最後は1960年代)、劇中で時々思いっきりユゴーの原作そのままの場面が挿入されて、それが本作品の主人公、アンリ・フォルタンの人生と重なる、という構成なので、単純にユゴーの原作の映画化を想像して観始めると戸惑うことになる。

一応、僕はその辺は予備知識として事前に理解したうえで観たので大丈夫でしたが、繰り返すように先ほど挙げた原作を映画化した作品群とは異なる内容ですので、もしこれからご覧になるかたがいらっしゃいましたらご注意ください。

原作小説を読んでいるか、これまでの原作に準拠した映像作品を観ているか、僕のように2012年のミュージカル映画だけでも観ていれば(つまり、原作の主要登場人物たちの名前や劇中での彼らの役割などを知っていれば)混乱することはないと思います。

でも、これまで「レ・ミゼラブル」にまったく触れたことがない人がいきなり観ると、ジャン・ヴァルジャンやファンティーヌ、コゼット、ジャヴェールなどが誰なのかよくわからなかったり、映画の中で同じ俳優が別の人物を何役も演じたりするから、かなり戸惑いそう。

マリユスやテナルディエ夫妻など、原作と同じ名前の人物も出てきますし。台詞の中にガブローシュの名前も。

この映画の中で、レイモン・ベルナール監督による1934年版(主演:アリ・ボール)のモノクロ映画『レ・ミゼラブル』が何度も映し出されて、子ども時代のフォルタンがそれを観ていたり、劇中のエピソードと原作のどの部分が呼応しているのかちゃんと映像で説明はしてくれるので、とりあえずまずはヒュー・ジャックマンが唄う映画を観ておきましょう(^o^)

さて、ようやく内容についてですが、まずは1901年、20世紀に入ったばかりのフランスが舞台となってアンリ・フォルタンの父親(もともと息子は違う名前だったが、途中で母親が夫の名・アンリを名乗らせる)のエピソードから。

偽物の伯爵の運転手をしていた父アンリは、伯爵のピストル自殺の現場に居合わせたことで強盗と間違われ投獄される。このピストル自殺の場面は「レ・ミゼラブル」の中でのジャヴェール警部の自殺と重ねられるし、それは映画の終盤でフォルタンを捕らえた刑事のピストル自殺として繰り返される。

僕はこの映画の構成を知らずに観たので、主人公だと思っていた男性が脱獄に失敗して死んでしまう展開にちょっと意表を突かれたんですが、やがて息子のアンリは成長してボクサーとなり(若き日のアンリをベルモンドの息子のポール・ベルモンドが演じている)、時代は第一次世界大戦の頃になっている。

そして、顔が父親そっくりになったアンリ・フォルタン(ジャン=ポール・ベルモンド)が物語の主人公となる。

彼は運送業者になっていたが、ひょんなことから知り合ったユダヤ人一家を乗せていくことに。時はナチス占領下。ユダヤ人は迫害され、見つかり次第強制収容所送りとなっていた。彼らの国外脱出に協力する者は、ヴィシー政権下のフランスの警察によって捕らえられる。フォルタンもまた、フランス人の老夫婦の密告によってそのユダヤ人の家族、アンドレ・ジマンと妻のエリーズ(アレクサンドラ・マルティンヌ)らと同様に追われる身に。

娘のサロメだけは、あらかじめ修道院に身許を隠して入らせたために難を逃れる。途中でナチスの将校がやってきてサロメを疑うが、院長が彼女をかばい、またサロメキリスト教の主の祈りを正しく唱えることでぎりぎりバレずに済んだ。

修道院サロメを保護する修道院長を演じるミシュリーヌ・プレールさんは、ジェラール・フィリップ主演の『肉体の悪魔』でヒロインを演じていました。今年の2月に101歳で亡くなりました。あらためてご冥福をお祈りいたします。

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この映画、主人公は紛れもなくベルモンド演じるフォルタンなんだけど、もう一人の主人公と言っていいのが、スイスとの国境近くでナチスの罠によって妻とも離ればなれとなり、現地の住民であるテナルディエ夫妻に助けられるアンドレミシェル・ブジュナー)で、「テナルディエ」という名前の通りその夫婦はアンドレを陥れることになる。

フォルタンの物語と同時進行で、このユダヤ人であるアンドレ・ジマンと家族の物語が綴られる。

両親を幼い頃に亡くして養父に搾取され続け、学校にも通わせてもらえずに字も読めないまま、やがてボクサーから運送業者になったフォルタンが、その後はレジスタンスに身を置き、最後にはジャン・ヴァルジャンのように市長にまでなる劇画的な人物であるのに対して、アンドレはインテリで資産運用にも長け、アメリカを理想視している。


映画を観ている途中で、多分そうだろうな、と思ったんだけど、クロード・ルルーシュ監督もユダヤ系なんですね。また、アンドレの娘・サロメを演じているのは監督の愛娘のサロメルルーシュ。だから、ルルーシュ監督は物語の進行役としてフォルタンを描きつつ、自分自身をアンドレに投影させたのでしょう。


撃たれた足の傷のために地下で隠れて過ごすうちに、テナルディエ夫妻にナチス・ドイツが戦争に勝ったと騙されて、イギリスにドイツ軍が上陸したとか、アメリカにも原爆が落とされた、などと嘘八百を告げられる場面では、ユダヤ系であるルルーシュ監督が想像する最悪の世界の姿が語られている。

妻のエリーズも命は助かったものの、ドイツ人将校相手の愛人となることを強要されてそれを拒んだために収容所送りとなる。


舞台はノルマンディーだし、戦争映画だったんだよね。まぁ、確かにもともとの「レ・ミゼラブル」だって革命の闘いが描かれてはいたけれど、でもまさかこういう内容の映画だとは思わなかった。かなり大掛かりな撮影だったから。

そういえば、今年の「午前十時の映画祭14」では『プライベート・ライアン』もやるんだよな。


ノルマンディーといえば、ベルモンドがジャン・ギャバンと共演した『冬の猿』(感想はこちら)でもそこが舞台だったけど、なんでドイツ軍が戦ってるところでフランス人のおっさんたちがうろうろしてても気にも留められてないのか不思議だったんですが、なるほど、フランスはすでに占領されていたし、地元民だからドイツ兵たちもいちいち反応しなかったんだな。

だけど、いつ寝返るかわからない村人たちを自由に行き来させながら敵と撃ち合ってるのって、なんかのどかというか、間が抜けてるな。

実際には、ノルマンディー上陸作戦って連合軍の空爆で多くの地元の一般市民の犠牲者が出てるんですよね。なんとなく、アメリカがフランスを救った美談っぽく勇壮に描かれがちだけど。この映画でも、アメリカ軍は救世主のように修道院の庭にパラシュートで舞い降りる。それを観て歓喜の声を上げる少女たち。

修道院の女の子たちがピアノを弾きまくってアメリカ兵たちと踊ってるシーンは、胸が熱くはなるんですが。

ああいう映像がCGなどをまったく使わずに映し出されていると、映画を観ている、という気分になるんですよね。

クロード・ルルーシュ監督の映画は僕は『男と女』しか観ていなくて、それも最近「午前十時の映画祭」で初めて鑑賞したばかりだし、やはり「午前十時~」で上映されていた『愛と哀しみのボレロ』(1981) は上映時間185分に恐れをなして観るのを断念。

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最初に書いた通り、同監督の『ライオンと呼ばれた男』も観逃がしちゃったから、長らく名前だけ知ってたけど作品を観たことがない監督だった。

じゃあ、これから観たいルルーシュ監督作品はあるかというと困るんですが、でもとにかくこの『レ・ミゼラブル』は観ておいてよかった。

90年代の、僕が意識して映画を観始めた頃の作品だから、初めて観るのにどこかあの当時を思い出させるテイストがあって、フィルムの質感も懐かしさを誘う。

フォルタンのレジスタンス仲間の一人“勘定”(レジスタンス活動中に撃たれた傷がもとで死亡する男)を演じているティッキー・オルガドさんはすでに2004年に亡くなられてますが、僕が大好きなフランス映画『プロヴァンス物語 マルセルのお城』(感想はこちら*1にも出てました。その後、『アメリ』(感想はこちら)でも見たし。懐かしい顔だなぁ、って。

フランス映画をそんなに数多く観ているわけじゃないから、知ってる俳優さんもそんなにいないんだけど、たまぁに知ってる顔を見ると嬉しくなります。

この映画が味わい深かったのは、人にはいろんな顔があって、単純に善とか悪とかに分けられるものじゃないことを描いていたから。

テナルディエ夫妻(フィリップ・レオタール、アニー・ジラルド)も、夫婦それぞれがただの業突く張り(ごうつくばり)なんじゃなくて、ユーモアがあったり、弱さや嫉妬心にさいなまれたり、怒りや哀しみにも溢れていて、気のいい優しいところだってあるし、でもいろんなタイミングが悪い方に向かってしまったために彼らは夫婦揃って死ぬことになる。

ジャヴェールと重ねられていた、戦時中にはドイツ軍に取り入ってフォルタンを拷問したりしていた刑事(フィリップ・コルサン)も、戦後も生き延びてそのまま自分の罪と向き合わないままなのか、と思っていると、フォルタンとの再会で自分の過去の罪が露見することを恐れて自害する。戦争中に知り合った女性と戦後も仲睦まじくしていたり、生身の人間として彼には彼の物語があった。

長大な「レ・ミゼラブル」の劇中で登場する人物の中には必ず自分がいる、というような台詞があったけど、クロード・ルルーシュ監督がユダヤ人一家を物語の軸にして「レミゼ」を彼なりの物語に再構築してみせたように(しっかり「映画」と絡ませてもいたし)、きっといろいろとイジりがいのある原作なのだろうなぁ。

レ・ミゼラブル」の原作やミュージカル版はジャン・ヴァルジャンの死で締めくくられていたけれど、この映画はフォルタンが市長になって、成長したサロメとマリユスの結婚を祝う場面で終わる。*2

映画では、要所要所でキャメラがグルグルっと廻って踊る人物たちを捉える。

それがまたなんとも「映画的」なんですよね。歴史とか時代、運命を感じさせる。

ジャン=ポール・ベルモンドの皺が刻まれた顔がいいんだよなぁ。


この映画の撮影当時、ベルモンドさんは60代の初めで、今だったらトム・クルーズと同い年ぐらいだと思うとちょっとクラっとしますが(;^_^A

だけど、2022年から2年間でこれまで何本か彼の若い頃の主演映画を観てきて、こうして90年代のあの頃のジャン=ポール・ベルモンドにようやくたどり着いたような、なんとも言えない感慨がありました。


ジャン=ポール・ベルモンド傑作選」はこれで終了ということですが、僕は観てない作品がまだまだたくさんあるし、また機会があればアンコール上映などで拝見したいと思います。

この『レ・ミゼラブル』も、いつかまた再鑑賞できる日を楽しみにしています。


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*1:あの映画も1作目の『マルセルの夏』は20世紀の初めから映画が始まったんだった。

*2:ラストシーンで突然サロメが別の成人後の女優さんに代わっちゃうので、そこはもうちょっと手前で交代したら違和感が少なかっただろうに、と思ったけど、でも監督の娘さんはキュートだったし、父の欲目もあるのだろうし(笑) 彼女はとても好演していたと思います。