映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

プロヴァンス物語『マルセルの夏』『マルセルのお城』


※以下は、2011年にNHK BSプレミアムで放映されたときに書いた感想です。


イヴ・ロベール監督『プロヴァンス物語 マルセルの夏(原題:父の栄光 La Gloire de mon père)』およびその続篇『マルセルのお城(原題:母のお城 Le Château de ma mère)』。ともに1990年作品。日本公開1991年。


小説家で映画監督でもあるマルセル・パニョルの自伝「父の大手柄」「母のお屋敷」「秘めごとの季節」の映画化。

イヴ・ロベールはすでに故人だけど、ガキんちょ大暴れの『わんぱく戦争』と『わんぱく旋風』、そしてジュゼッペ・トルナトーレ監督の『ニュー・シネマ・パラダイス』で映写技師を演じていたフィリップ・ノワレ主演の『ぐうたらバンザイ!』などで有名なフランスの映画監督。


『わんぱく戦争』と『わんぱく旋風』は、たしかBS2で観ました。


『わんぱく戦争』の方は子どもたちの描写がなかなかよかったけど、この映画で人気が出た子役のアントワーヌ・ラルティーグ(プティ・ジュビス)を主役にした『わんぱく旋風』は、まるで60年代フランス版『ホーム・アローン』といった、いかにも客ウケを狙った感じでチビ君を甘やかし過ぎだったんでイマイチ。

『ぐうたらバンザイ!』は…フィリップ・ノワレがぐうたらしてたっけ(あまりよくおぼえていない)。

でも僕にとってはイヴ・ロベールといえば、何よりもまずこの『プロヴァンス物語』の監督さんなのだ。

本当に好きでときどき観たくなる映画です。

今回はたまたまBSでやってたんでひさしぶりに鑑賞。

日本語字幕が劇場公開時のものと違ってたのはちょっと残念。

名訳だったので。*1


さて、『マルセルの夏』とその続篇『マルセルのお城』はマルセル・パニョルの少年時代を描いているんだけど、この2本は合わせてひとつの物語で、1本ずつでも楽しめるがやはり順番に2本つづけて観た方がより深い感動を味わえる。


実は僕が映画館で先に観たのは、2作目の『マルセルのお城』の方だったんだけど。

ハリー・ポッター」シリーズなどもそうだけど、子どもたちの成長は早いので続き物を撮ろうとすると大変だが、この『プロヴァンス物語』2作の撮影は5ヵ月かけて同時におこなわれているので、彼らの見た目はほとんど変わらない(リリ役の子役の声が、場面によって変声期後のものだったり前のものだったりするが。夏の場面はいっぺんに撮ったのだろう)。

そんなわけで、2本分の感想を。

以下、ネタバレあり。


まずは『マルセルの夏』。

www.youtube.com

Vladimir Cosma - La Gloire De Mon Père - Habanera
www.youtube.com

20世紀初頭のフランス。主人公のマルセル(ジュリアン・シアマーカ)は小学校教師の父ジョゼフ(フィリップ・コーベール)と母オーギュスティーヌ(ナタリー・ルーセル)、弟ポールと幼い妹ジェルメーヌの5人家族。父親の転勤で引っ越したマルセイユで勉学に励むマルセルは、やがて夏休みに彼の生まれ故郷でもあるプロヴァンス地方をおとずれることになる。


マルセルの秀才ぶりには教師の父も驚くほどで、小学校に入る前から読み書きができて学校では成績はいつもトップ。

のちに受けるリセの入試では首席こそ逃したものの2番目の成績。

思うんだけど、自分の幼少期を「秀才」として懐かしく思い出す人ってどうなんだろう。

学校が休みの日でも勉強。

勉強ができるだけでなく、負けず嫌いで思ったことはハッキリ態度や言葉に出す。

普通だったらイヤミな小僧だ。

でも演じる子役のジュリアン・シアマーカの美少年ぶりに、なにかこれは少女漫画のような世界にも思えてくる。

シアマーカは、この映画の舞台の近くにあるマルセイユの小学校でおこなわれたオーディションで選ばれたんだそうな。

南フランスの子らしい小麦色の肌の少年である。

 
 

マルセルの親友リリ役のジョリ・モリナスも地元の村の子だという。

マルセルの弟ポールもだけど、子どもたちみんな演技巧いよなぁ。

そこは『わんぱく』シリーズで子どもたちから素晴らしい演技を引き出したロベール監督の面目躍如といったところ。


19世紀末の人らしく科学の発展と誰もが平等に教育をうけられる市民社会を信じキリスト教の信仰を否定する父、優しくて美しい母、にぎやかで可愛い弟。伯母と結婚して、いつもプレゼントを持ってきてくれる陽気な伯父。

これ以上ないほど理想の家族像。

マルセルの父ジョゼフは不思議に感じるぐらいキリスト教を拒んでいて、クリスチャンである義兄のジュール(ディディエ・パン)にすら警戒心を示す。

そのへんの心理は、むしろキリスト教になじみの薄い日本人の僕らに近いものがあるかもしれない。

ジョゼフはときに頑固だが、それでも彼自身は善良な人物である。

そもそも、この『プロヴァンス物語』2部作には「嫌な奴」がほとんど出てこない。

そういう意味では、まるで「性善説」にもとづく映画のようだ。

プロヴァンス雄大な風景。素朴で気のいい村人たち。

他人の子どもだろうと、大人に無礼な口の利き方をすればしっかりと叱るリリの父親。…もちろんわざと恐そうにいっているのだ。


普段はホームレスチックな出で立ちでツグミなどを密猟している老人パピヨンは、都会から来たマルセルたちが蝶を採ろうとすると「わしの蝶だ!」といって怒るが、子どもたちが素直に耳を傾けると得意げにセミの採り方を教えてくれる。

道に迷ったマルセルは少年リリと出会い、やがて意気投合して生涯忘れえぬ親友となる。


マルセルが、全能だと信じていた父が不慣れな狩りで伯父のあとについて頼りなさげにしている様子にヤキモキする場面。

父にかわって伯父に対抗意識をあらわにするマルセルの姿には、かつて男の子だった者なら身におぼえがあるはず。

全能でなくてもマルセルにとって父は誇らしい存在。

勤めている学校で、自分が釣った魚といっしょに写真を撮った同じ教師のアルノー先生を「自尊心がない」といって笑っていたジョゼフ。

しかしジュールが熱っぽく語っていた“ウズラの王”バルタヴェルを二羽も仕留めた彼は、バカにしていたアルノー先生と同じように自分の獲物とともに記念撮影をする。

それも毛嫌いしていた神父の撮るカメラで。


父もまた誇らしかったのだ。

映画の原題『父の栄光』とはこのことである。


やがて愉しかったヴァカンスにも終わりがやってくる。

プロヴァンスを離れがたくなったマルセルは、出発当日の早朝に両親に内緒で別荘を出て、世捨て人になって隠遁生活を送ろうと画策する。

しかしそんな勇ましい決意も恐ろしいワシミミズク“大公”のことを思い出して一気に吹っ飛ぶのだった。

手を振って見送るリリに別れを告げて、マルセルたちの乗る馬車はプロヴァンスをあとにした。


…たしかにこれは、ちょうどホウ・シャオシェン監督の『冬冬の夏休み』のように少年のひと夏の思い出を綴った映画なんで、そういう地味な作品がそもそも苦手な人は最初から観るのはやめておいた方がいい。

でも、この映画でまるでマルセルたちとともにプロヴァンスにヴァカンスに出かけたような気持ちになれた人には、まさしく珠玉の作品。



続く『マルセルのお城』は、前作の明るく朗らかなメロディとはうってかわって、物哀しげな曲調ではじまる。

www.youtube.com

Vladimir Cosma - Le Château de ma mère
www.youtube.com

どうしたんだろう、と思わせるが、本篇は前作の直後から。

軽快な音楽とともに、街に戻り新学期がはじまってもプロヴァンスのあの風景が忘れられずに気もそぞろなマルセルの様子が映し出される。

見かねた両親は、クリスマスや復活祭(イースター)にも一家でプロヴァンスを訪れる。

そこでイザベル(ジュリー・ティメールマン)という少女に出会ったマルセルは、まるで貴族のように気取った振る舞いをする彼女に魅了されてしまう。

彼女の父親(『髪結いの亭主』のジャン・ロシュフォール)は「ルイス・ド・モンマジュール」という軍人のような名前で、詩人だそうだ。

さらにイザベルはマルセルの前で両手で見事にピアノの演奏を披露してみせる。

イザベルに夢中になったマルセルは、彼女のいいなりになって顔を黒く塗って奴隷のように扇で彼女を扇いだり、犬の真似をして彼女が口に放り込んだバッタをバリバリと噛んだりする。

それを目撃したリリやポールによってマルセルの醜態は両親の耳にも入り、家族から大顰蹙を買う。


父「お前はバカにされてるんだ。もう二度と付き合っちゃいかん」

母「今はバッタでも、この先どうなるか…」


家族たちのイザベルに対する敵意に失望するマルセル。

なんか中高時代の自分がかさなった。

そうそう、好きになった子が親や親しい友人たちに評判が悪かったときの、なんともいえない裏切られたような気持ち。

しかし第三者の眼はけっこう正しかったりするのが常だが。


マルセルは涙をのんで彼女に別れを告げに行くが、イザベルの父親の名前が偽名だったと知り、さらに下痢で苦しんでいる彼女の姿に我に返って逃げ出す(イザベルが使うトイレはたしか水洗だったが、あの時代のしかもあんな田舎にすでに水洗トイレがあったんだろうか?)。

このあたりの少年の「女の子」に対する勝手な幻想と勝手な幻滅などは、どこの国でも、いつの時代でも変わらんなぁ、と思う。

女の子たちもまた、そんな男子どもの浅はかさ、愚かさをわかったうえでときに媚態を見せているわけだが。

マルセルにとってイザベルへの恋ははかないものだったが、それもプロヴァンスでの大切な想い出のひとつである。

彼女はマルセルの心のある部分に、いまでもあの頃のまま存在しているのだ。

  
イザベル役のジュリー・ティメールマン。右は現在の彼女。


「いろんなことがあったものね。もうここへは来たくない?」という母に、マルセルは「女のために丘を捨てるもんか」と答える。

翌朝、母オーギュスティーヌは「これから毎週末にここへ来ましょう」と提案する。

馬車を雇う金はない。

三つの城を遠回りして、歩いて片道4時間の道のり。

身体が弱いはずのオーギュスティーヌがなぜそこまで無理をして旅をする必要があったのか、現代の常識からするとちょっと考えられないが、ともかく彼らにはそこまでして行く必要があったということだろう。


ある日、プロヴァンスへ向かう途中に偶然ジョゼフの教え子ブジーグ(フィリップ・ウシャン)に出会った一家は、城を通る運河の点検係の仕事をしている彼から城を通り抜ける鍵をもらう。

おかげで一家は時間が短縮できて、その分旅先でゆっくり過ごせるようになる。

恐ろしい顔だが一家を丁重にもてなしてくれる城の持ち主の貴族(ジョルジュ・ウィルソン)や、持ち主が死んだために敷地を自由に通らせてくれる小作人など、理解ある人たちのおかげでマルセルたちは快適な旅ができるようになった。


ただ、最後に通る、大きな犬を連れた元軍人の番人(ジャン・カルメ)がいるというお城の前で、オーギュスティーヌはいつもおびえていた。


それでも何事もなく敷地を通れていたのが、ついにその城の番人にみつかり、不法侵入で告訴するといわれてしまう。

学校に知れたらクビになって家族が路頭に迷う。

思いつめたジョゼフに救いの手が。

ジーグが仕事仲間とともに例の番人を問い詰めて、勝手に通路の扉に施錠した罪で告訴すると脅したのだ。

ジーグは議員と結婚した姉のコネや恩師であるジョゼフさえも利用して出世しようとしているちゃっかり者だが、ジョゼフには心から感謝しているので一家のために尽力する。

縮み上がった番人は、ブジーグにいわれるままマルセル一家についての報告書を処分した。

 


この番人は、前作『マルセルの夏』で幼いマルセルに「憎らしい子!」と怒り、伯母ローズの出産について「子どもをつくるには親が年をとり過ぎている」と余計なお世話にもほどがある発言をしていた年配の女性教師(ミシェル・ルーベ)とともに、この2部作に登場する数少ない憎まれ役である。

先ほども書いたように、このシリーズには「嫌な奴」はあまり出てこない。

そしてその中で例外的な存在であるこの番人は、最後にブジーグたちによってしっかり「お仕置き」される。


ジョゼフに教育功労賞が贈られることになり、給料もあがって一家は馬車でプロヴァンスに通うことができるようになった。

めでたしめでたし。

…でも現実はそうじゃない。

人間はもっともっと複雑で、ときにやっかいなものだ。

とても「いい人」の中にだって嫌な面はある。

逆に嫌な奴の中にも愛嬌があったり優しい面もあるかもしれない。

それはまぁ、そういうもんだろう。

ただし、まるでマンガの中の登場人物のようなあの番人みたいな人間は、残念ながら実在する。

世の中のすべてを疑ってかかっていて、人を信用しない。

物事をなんでも悪い方に解釈する。

オーギュスティーヌが恐怖と緊張のために気を失って倒れても、心配するどころか「芝居が達者だ」といって気にも留めない。

自分より立場が低いと思われる者には居丈高にして、自分よりも強い者には一転して媚びへつらう。そして陰では悪口をいう。

ああいう人は本当にいる。

だからこそ、頼りがいのあるブジーグによってそういう男が懲らしめられるとおおいに溜飲が下がるのだが、しかしおそらくそれほど高い教育もうけていないこの番人が戦争によってうけた傷でほかに仕事もみつからず、そういった境遇から世を拗ね他人に対する思いやりも失っていったのだろうと想像すると、ただ彼ひとりを悪者にして済むことではあるまい、と「人の世」の辛さをしみじみと感じるのだ。


この映画に描かれる登場人物たちは、一見すると単純明快で純朴な人々に感じられもするが、その奥にあらわにしない静かな怒りや悲しみを抱えているようにも思う。


たしかに映画に刺激や熱情や血しぶきとかセックスの要素を求めるむきには、退屈な作品かもしれない。

なにしろ、じいさんが自分のガキの頃を思い出してるだけだから。

公開当時、映画雑誌の「スクリーン」だったか「ロードショー」だったかの批評記事に「あの時代にあった戦争や貧困についてまったく触れていない」といったようなことが書いてあった。

マルセルの一家は当時確立されてきた中産階級なので、裕福ではないが貧困にあえいでいるわけでもない。

夏休みにヴァカンスに出かけられる余裕があるのだし。

「ヴァカンス」というと贅沢にきこえるが、ようするに盆の帰省みたいなもんだ。

あの当時から「教師は休みが多くてうらやましい」といわれてたのかと思うと可笑しい。

マルセルの父も伯父のジュールも戦争には行っていないので、マルセルの身近に戦争の陰があまり見られなくても別に不思議はない。

しかし直接的な描写はなくても、『マルセルのお城』に登場するお屋敷に住む親切な貴族は戦場で顔に傷を負ったことが本人の口から語られているし、母オーギュスティーヌが死ぬほど怖れた城の“屈辱の扉”を閉ざした意地悪な番人は戦争で撃たれた足を引きずっている。

そしてマルセルの親友リリもやがて…。

誰よりも愛した母もまた、今はいない。



このシリーズは、過ぎ去って今では心の中だけに残る、はるかなる美しき日々追想したものだ。

「昔を美しく理想的に描き過ぎ」という批判はわからなくはないが、それらは“もはや失われてしまったもの”として、マルセルの心の中で純化されている。

そこには「哀しみ」が前提にある。

“ノスタルジー”に浸るのがなにか悪いことででもあるかのようにいわれることも多い今日この頃だが、それはかならずしも過去に耽溺して前を見ない、ということにはならないだろう。

よき想い出をふりかえり昔を懐かしむ。立ち去っていった者たちへの愛惜の念をこめて。

僕はそこに「もののあわれ」を感じるし、映画を観おわったあと、いまこの一瞬のかけがえのなさを意識させられたりもする。


やがて功成り名遂げた息子が手に入れたのは、かつて在りし日の母が怖れたあの城だった。

このラストシーンで、それまで僕たち観客が観てきた主人公の美しい想い出のかずかずは母オーギュスティーヌの笑顔とともに円環をなして、映画の冒頭と同じメロディによって永遠のかなたにおさめられる。

エンドロールが終わって画面が黒味一色になっても、しばらく音楽は流れ続ける。

これが映画の余韻に浸らせてくれてとてもよかったのに、以前レンタルされてたVHSヴィデオテープ版では信じられないことにエンディングの曲が無残にも途中で切られていた。

何も映らず真っ黒な画面がつづくので不必要とでも判断したんだろうか。

当時はそのあまりに乱暴な処理にほんとに腹が立った。

その後観たBS2での放映ではどうだったかおぼえていないけれど、今回の放映版ではエンドロール終了後も音楽は途切れず、出演者の静止画像とともにキャストと監督の名前が日本語テロップで入っていた。ひとまず満足。

この映画でフランス映画では(他のヨーロッパ映画でも?)エンドロールの字幕が流れ終わったあとも音楽が流れ続けるスタイルがあるんだということを知った。

たしかにそういう作品をほかにも何本か観た記憶がある。*2


この『マルセルの夏』『マルセルのお城』を彩るウラディミール・コスマの音楽はとても美しく、劇中曲は今でもときどきTV番組で耳にしたりする。

サントラCDも買いました。

DVDにはなっているようで、もしかしたら品揃えのいいレンタル店にはおいてあるかもしれないけれど、僕の家の近所の店では残念ながら見かけませんでした。

TVでまたときどき放映してほしいな。

同じ時期に劇場で観たベルギー映画トト・ザ・ヒーロー』(感想はこちら)とともに愛して止まない映画です。


※ジャン・ロシュフォールさんのご冥福をお祈りいたします。17.10.9


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*1:2018年の4Kデジタル・リマスター版の字幕翻訳者は劇場初公開時と同じく松浦美奈さんでした。

*2:4Kデジタル・リマスター版の公開時には、初公開時と同じくエンドクレジットの最後にスクリーン一面が真っ暗なままで音楽が終わりまで流れました。