映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

『風が吹くとき』日本語<吹き替え>版


監督:ジミー・T・ムラカミ、声の出演(吹き替え):ジム/ジョン・ミルズ(森繫久彌)、ヒルダ/ペギー・アシュクロフト(加藤治子)、ロン/(田中秀幸)、アナウンサー/ロビン・ヒューストン(高井正憲)のアニメーション映画『風が吹くとき』日本語<吹き替え>版。1986年作品。日本公開1987年。

原作はレイモンド・ブリッグズの同名漫画。

音楽はロジャー・ウォーターズ。主題歌はデヴィッド・ボウイ

日本語版の監修は大島渚

www.youtube.com

www.youtube.com

イギリスの片田舎で暮らすジムとヒルダの平凡な夫婦。二度の世界大戦をくぐり抜け、子供を育てあげ今は老境に差し掛かった二人。ある日ラジオから、新たな世界戦争が起こり核爆弾が落ちてくる、という知らせを聞く。ジムは政府のパンフレットに従ってシェルターを作り始める。先の戦争体験が去来し、二人は他愛のない愚痴を交わしながら備える…。そして、その時はやってきた。爆弾が炸裂し、凄まじい熱と風が吹きすさぶ。すべてが瓦礫と化した中で、生き延びた二人は再び政府の教えにしたがってシェルターでの生活を始めるのだが…。(公式サイトより引用)


ネタバレがありますので、これからご覧になるかたは鑑賞後にお読みください。

80年代の初公開当時、僕はこの映画の存在を知っていましたが、観てはいませんでした。そのままずっと観る機会を持たないまま、37年ぶりのリヴァイヴァル上映でこうやってようやく初めて鑑賞することができました。

今年も8月6日と8月9日がやってきますが、核兵器の恐ろしさを常に心にとどめてけっして忘れないこと、そして被爆国の人間として世界に核廃絶を訴えていくことの大切さを感じています。

今、このタイミングでこの映画がリヴァイヴァル公開されることにはもちろん大きな意味が込められているし、残念ながら世界はいまだに核兵器をなくすどころかいくつもの国々の間での戦争で威嚇や恫喝の道具として利用されている。本当に恐ろしいことに、被爆国であるこの日本国内でも核保有の必要を説くような者たちまでいる始末。

40年近く前のアニメーション映画が訴えかけたことは、現在のこの世界にもまだ有効、というよりもこの映画に含まれるメッセージはいよいよ重要になってきている。

主人公の老夫婦が核兵器によって命を奪われていく話、というのは当然ながら事前に知っていたわけですが、そして確か僕はアニメは観ていないけれど原作の漫画は読んだ記憶があるんですよね。ただ、細かい内容は忘れていた。本屋か図書館でチラッと覗いただけだったかもしれませんが。

原作者のレイモンド・ブリッグズというと、こちらもアニメ化された「スノーマン」が有名だし、僕は子どもの頃に「さむがりやのサンタ」と「サンタのなつやすみ」の2冊の絵本を持っていてとても好きでした。「ハギス」という食べ物を知ったのもこの絵本だった。

そういう楽しい絵本の作者というイメージがあったから、同じ作家から核兵器の恐怖を描いた物語が生み出されたことが意外でした。

でも、その牧歌的で可愛らしい絵柄だからこそ、そこで描かれる平凡な夫婦が被爆によって次第に弱っていく様子がよりいっそう強く痛ましさを感じさせるし、ラストには気分がズーーンと落ち込む。


「スノーマン」や「さむがりやのサンタ」と同じような丸っこくてユーモラスな外見や口調の主人公たち、日常的な世界に突如落とされる核兵器、という組み合わせはこちらも漫画が原作でアニメ化もされた『この世界の片隅に』(原作:こうの史代、監督:片渕須直)(感想はこちら)を思わせるし、救いのないラストは高畑勲監督のジブリアニメ『火垂るの墓』(感想はこちら)のようでもある。『火垂るの墓』はこの映画の翌年に公開されています。

部屋の中の様子がミニチュアだろうか、実写の映像で表現されていたり(このあたり、子どもの頃に公民館などで観た児童向けの映画を思い出した)、チャーチルスターリントルーマンなどの第二次世界大戦期の各国の指導者たちの実写の記録映像や、イギリスの“モンティ”ことバーナード・モントゴメリー将軍が出てきたりもする。

ヒルダが庭の花を手に取りながら空想するシーンで、『映画 窓ぎわのトットちゃん』(感想はこちら)でも使われていたような手法でヒルダが自由に羽ばたいていく姿が表現されていて、『トットちゃん』のそれはこの映画をリスペクトしていたのかもな、と思った。


映画はほぼ会話劇で、登場人物は老夫婦のみ。

どうやら戦争になるらしい、という話から、核ミサイルが飛来する危険があることを知った夫がもらってきたパンフレットに書かれていた作り方通りに家の扉を何枚も外して、決められた角度でその扉を壁に立てかけて外側にはクッションを何個も置いて出来上がり、という…冗談にもほどがある「シェルター」を完成させる。


店で角度を測る分度器が売り切れてしまった、という、これまたふざけたような話が出てきて、老夫婦ばかりでなく世間の「核」に対する無知ぶりが描かれる。

この物語で、ジムとヒルダの夫婦は第二次世界大戦を生き延びたことが彼らの会話でわかるが、しかしそんな彼らの戦争に対するあまりにも無防備で無知、疑いを知らない姿に薄ら寒いものを感じずにはいられない。

汚い言葉を使うことを嫌い、庭の植物の世話をすることが好きで政治にはまったく興味がないヒルダも、新聞を読んでラジオのニュースも聞いているが核兵器のことも世界情勢についても実のところちゃんと理解はしていないジム。まさに、どこにでもいる市井の人々。その善良で無知であるが故の危機感の薄さ、浅はかさに歯がゆさとともに、たまらない悲しみを覚える。

では、2024年現在を生きる僕たち日本人は核兵器や戦争のことをどれだけ知っているだろうか。ジムとヒルダが第二次大戦から学ばなかったように、僕たちもまた歴史からちっとも学んでいないのではないか。

隣国からミサイルが飛んできたらしゃがんで頭を守りましょう、みたいなこと言ってる自治体があるし、僕たち日本人だって相当おめでたいと思いますが。

実は、ある日いきなりなんの前触れもなくミサイルが落ちてくるわけではない。


そこに至るまでにさまざまな問題が積み重なって、多くの人々の無関心だったり無知による暴走の果てに、ミサイルは発射されるのだ。

戦争が始まるのだって、戦争は自然災害ではないのだから、始める人間がいるのだし、それを許す人々がいるから行なわれる。

ジムもヒルダも、もともとは戦争にも核兵器にも関心はなかった。“それ”が身近にやってきて初めて「これはマズい」と気づいたのだ。だが遅過ぎた。

これは観客が無知な老夫婦のことを笑ったり呆れたりする映画ではなくて、彼らのあの姿は僕たち自身のそれなんだ、ということを自覚しなければならないって話だ。

この映画が作られたり原作漫画が描かれたのは米ソ冷戦の真っ只中だった1980年代だけど、ジムやヒルダがロシア人のことを話していると、まるで2024年の今現在のことを言っているようでもある。

彼らの特徴は、本当に屈託がなく疑いを知らないということ。もしくは、疑ったり深く考えることを避けている。どっかにもいますよね、「政府を批判するのはよくない!」とか言ってる人たち。疑問を持ったり考えることをやめてしまったら、それはこの映画でジムやヒルダがそうだったように、ただ黙って殺されていくだけになってしまう。

どんなに世の中が不穏なことになってきても、そして戦争が起こり核兵器が落とされても、ジムはまだ政府の救助隊が来ることを疑わないし、老夫婦は神に祈り続ける。

楽観的とか善良とかいったレヴェルではなくて、もはや頑ななまでに「お上」を疑わない、ほとんど妄信のような状態で彼らは来るあてのない救いを待ち続ける。

「もういいのよ」というヒルダの最後の台詞は、彼女やジムのような人々への作者の慈しみのまなざしのようにも感じたし、一方では最後の最後に“神”に見放された絶望を表わしているようにも思えたのでした。

戦争と自然災害を一緒にすべきではありませんが、それでもこの映画のあの夫婦の姿を見ていて、僕は今年1月に起きた能登半島地震の被災地の人たちのことを重ねずにはいられなかった。

ジムやヒルダと並べてあの地震の被災者のかたがたを愚弄したいのではなくて、いつまで経っても助けにこない政府の姿がダブったのです。


善良であることも、前向きであることも、それ自体が悪いわけじゃない。ほとんどの人たちはそうだろう。誰かと争ったりするのを好まず、できれば陰口も言いたくはないし、自分の身のまわりの好きなことをやりながら穏やかな毎日を送りたい。多くの人たちがそう願っているはず。

そういう私たちの平和を破壊するもの、けっして許してはいけないものが「戦争」である。「しかたがない」と言って無関心を決め込んでいるうちに、ミサイルが飛んでくるのだ。

ソ連の独裁者・スターリンのことを「ヒゲが素敵」「あの人のこと好き」とあまりに無邪気に評していた老夫妻。子どもだった戦時中の想い出すらも楽しかったもののように話す彼らは、善人ではあるが「善悪」の区別がついていない。

自分のことを、まるでモントゴメリー元帥のごとき戦時下のヒーローのように勇ましく活躍する姿として思い描くジム。


だが、戦争にヒーローなどいない。この映画の結末がそれを証明している。戦争が起きれば、私たちの大半はジムやヒルダのように無残に殺されていくのだ。誰からも助けられることなく。

戦争が起こるかもしれない、と手をこまねいているのではなくて、起こしてはならない。起こさないようにしなければ。起きる前に止めなければ。

ミサイルを防ぐために武装しても意味がない。あのシェルターと同様に。ミサイルを飛ばさないように、飛ばされないようにしなければ。ミサイルをなくさなければ。

じっくりと考えること。ダメなことにはちゃんとダメだと言うこと。

戦争を起こそうとする者は「悪」だ。人を殺す者は「悪」だ。忘れてはいけない。

暑い暑いこの夏の日に、核兵器と戦争のない世界を思い描いて、みんなでそこに向かっていくのだ、ということを今一度心に刻み込んでおきたい。


関連記事
『母と暮せば』
『ひろしま』
『小さいおうち』

ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

f:id:ei-gataro:20191213033115j:plain
↑もう一つのブログで最新映画の感想を書いています♪

風が吹くとき

風が吹くとき

  • ジョン・ミルズ
Amazon