溝口健二監督、森雅之、京マチ子、田中絹代、水戸光子、小沢栄ほか出演の『雨月物語』。1953年作品。4Kデジタル復元版2016年。
原作は上田秋成の読本「雨月物語」より「浅茅が宿」と「蛇性の淫」。
第13回ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞受賞。
戦乱の世の近江国。焼き物で生計を立てる源十郎(森雅之)は大溝の城下町で若狭という身分の高そうな女(京マチ子)と出会う。義弟の藤兵衛(小沢栄)は侍になるために焼き物を売った金で具足や槍を買う。彼らの選択がやがて身内に不幸を呼ぶことになる。
溝口健二監督の映画は90年代に大阪のミニシアターで『浪華悲歌』と『祇園の姉妹』(いずれも1936年作品)を観ている、はずなんですが、内容は全然覚えていません。
いずれも山田五十鈴主演だし、確か成瀬巳喜男監督の『鶴八鶴次郎』(1938年作品) も一緒に観た記憶があるので、山田五十鈴特集かなんかだったのかな。
その後、BSで『西鶴一代女』を観た、はずなんだけど(以下略)…^_^; 三船敏郎があっという間に退場していたっけ。
そんなわけで、流麗な長廻しが有名、みたいに言われている溝口健二監督の作品を僕は何本か観ているのに見事なまでに忘れているんですよね。
『西鶴一代女』では印象的な長廻しがあったよーな…。
今回、「大映4K映画祭」でこの映画を多分初めて観たんですが、思ってたほどのロングテイクはなくて、でも源十郎が家に帰ってくると誰もいなくて、キャメラが彼を追ってパンしてやがてまたもとの位置に戻ってくると妻の宮木がいる、という場面など、面白かったです。
この映画はマーティン・スコセッシ監督がお気に入りなのだそうで(彼は撮影監督の宮島正弘氏とともにこの映画の修復にかかわっている)、さまざまな映画監督に影響を与えたということだけど、不勉強なためどこがどう影響を与えたのか、どのあたりがそんなに素晴らしいとされてヴェネツィアで賞を獲ったのかもよくわからない。
この時代、黒澤明監督の『羅生門』(1950) のヴェネツィアでの受賞から始まって日本映画が何度も海外の映画祭で受賞しているんですよね。大昔のジャポニスムみたいに当時は日本映画が流行りだったんだろうか。珍しかったんでしょうね。
『雨月物語』と同じ年に京マチ子さんが出演した衣笠貞之助監督の『地獄門』も、カンヌやアカデミー賞で受賞してるし。
『地獄門』は僕は10年ぐらい前にBSで観て、その鮮やかな映像には驚かされたものの、作品としてはちょっとピンとこなかったんだけど(って、もう内容を忘れてますが)、でも今回の『雨月物語』は劇場で観たおかげで集中できたからってのもあるでしょうが、率直に面白かったんですよね。
あぁ、1950年代の海外の人たちは(そして、スコセッシ監督など、その後この映画に触れたシネフィルたちも)エキゾティックな大人のおとぎ話のように観たのだろうな、と。
『羅生門』でもそうだったけど、京マチ子さんはほんとにどこかこの世ならざる存在に見えて今の目で見てもインパクトがあるし、日本映画に馴染みのなかった外国の人々はなおさらだっただろうなぁ。
この映画では彼女や田中絹代、水戸光子など、登場する女性たちが全員異なるタイプで、そのあたりも見どころ。
源十郎役の森雅之は京マチ子とともに『羅生門』にも出てるから、同じキャストで違う役柄を楽しめた、というのもある。
お話自体は教訓モノというか、男たちの愚かな選択によって妻たちが多大な被害を受ける、というもので、とてもわかりやすい。
物語の巧みさで魅せるというよりも、やっぱり撮影の見事さで評価されているんでしょうね。
京マチ子演じる若狭の美しさ、妖しさが映画の高評価に一役買っていたのは確かでしょうが。
このあと観た『無法松の一生 (1943年版)』も宮川キャメラマンが撮影している。
『無法松の一生』『羅生門』『雨月物語』と、宮川一夫さんの仕事を見ることができたのはよかった。
音楽は『羅生門』や『七人の侍』の早坂文雄で、『羅生門』で流れていたのと似たような曲も流れる。
それにしても、いくつものセットとエキストラの数が凄かったですね。
『羅生門』では壊れかけた門だけだったのが、この映画ではまるで本物のような城下町のオープンセットに人がひしめいている。
スタジオの中に建てられたセットは同時録音された役者の声の響き方でセットだとわかるんだけど、屋外でのロケも多いからリアリティがある。
京都で撮ってるから時代劇のセットはすでに建っていたんだろうか。それとも、この映画のためにわざわざ建てたの?
カラー映画で色鮮やかだった『地獄門』はスタジオのセット感バリバリだったけど、この『雨月物語』はモノクロということもあってそこまで目立たず、まるで外国の人になったような気分で観ていた。
ただ、確かにこの映画は源十郎が見る幻の場面で幽霊が登場するようなファンタスティックな部分もあるのだけれど、一方では乱世の醜くて恐ろしい姿が露わにもなる。
焼き物を売った金をはたいて武具を買った藤兵衛を一人で捜していた妻の阿浜(水戸光子)は、武者たちに捕まり強姦される。
藤兵衛は、たまたま敵の武将が切腹したところをその首を持ち帰って手柄にする。褒美に家来や馬を与えられた彼は、立ち寄った宿で遊女になっていた阿浜と再会する。
今回「大映4K映画祭」で観た4本の映画のうち、3本に強姦シーンが出てくることに心底げんなりしてしまった。
別に意識せずに何も知らずに観たにもかかわらず、これだけ強姦シーンばかり続くのはどうしたことだろうか。映画の中だけでなく、現実の世界でもそれだけ女性へのレイプが多かったということではないのか。
この映画は1953年に作られたものだけど、ほんの何年か前まで戦争があったわけで、戦国時代だけでなく今から100年足らず前にも酷いことがたくさんあったに違いないと思わされる。
男たちが一攫千金を夢見て現実の自分の立場を忘れて放蕩しているうちに、女たちは現実によって痛めつけられ、命を奪われる。
源十郎が姿を消したあと、幼い息子と逃げる途中で宮木は兵に刺されて死ぬ。
今、現実の世の中でも戦争が行なわれていますが、さすがに源十郎や藤兵衛のような愚かな男はいないと思いたいけれど、宮木や阿浜のような目に遭っている女性はいる。
ファンタジー映画の中の不思議な出来事、空想の世界のお話として楽しむにはあまりにも無残だ。
柴田勝家の軍勢に追われて逃げる人々の描写が真に迫っていて(逃げる時に必ず握り飯を用意するところも妙にリアル)、あれは現実にあった戦争のイメージをそのまま重ねているんだろう。
宮木がどんな時でも夫を立てて彼に献身的な女性であるのに対して、阿浜はもうちょっと思ったことをズバズバと口にする女性で、僕は水戸光子が演じる、時には夫の藤兵衛をなじる妻の方により生身の人間っぽさを感じる。
藤兵衛役の小沢栄(小沢栄太郎)って、お年を召されてから84年の『ゴジラ』(感想はこちら)に大臣の一人で出てましたね。
この映画は、戦国時代を舞台にしながら先の戦争を教訓として描いたのではないか。宮木の死や阿浜がこうむった苦難は、男たちがしでかしたことによってもたらされたものだ。戦争がそうであるように。
そのように受け取った時、僕にとってこの映画は単なる昔話やおとぎ話ではなくて、「今」に通じる戒めのメッセージになる。
TVの大河ドラマやキムタク主演の映画(観てませんが)で戦国武将を描く「大きな物語」に酔うのではなく、むしろ戦乱の世で生き、殺されていった多くの名もなき人々の物語こそ今描かれるべきだと思う。