BSプレミアムにて、衣笠貞之助監督、長谷川一夫、京マチ子主演『地獄門』デジタル・リマスター版。1953年制作のカラー映画。
第7回カンヌ国際映画祭グランプリ(最高賞)。第27回アカデミー賞名誉賞、衣裳デザイン賞受賞。
平安時代末期、平清盛に仕える武士・盛遠(長谷川一夫)は戦乱の中で美女・袈裟(京マチ子)に出会う。袈裟が人妻と知っても諦めきれない盛遠は…。(Filmarksより転載)
今回の「大映4K映画祭」では上映されていませんが、1950年代の大映映画ということで、出演者など共通するものがあるし、過去に観た作品の記録として残しておきます。
以下は、2011年に書いた感想です。
アカデミー賞外国語賞やカンヌでグランプリを獲ったりしている有名な作品だけど、今回初めて鑑賞。
本篇が始まる前にデジタル・リマスター版制作のドキュメントをやってて、劣化した映像が修復されていく過程が解説されていて実に興味深く観た。
1953年といえば、『東京物語』の時も例に挙げたけど黒澤明の『七人の侍』の前年。
セシル・B・デミル監督、チャールトン・ヘストン主演のスペクタクル史劇『十戒』の3年前。まだほとんどの日本映画はモノクロだった時代。
ちなみに国産のフィルムで撮られた日本で初めてのカラー映画は、1951年制作で昨年(※註:2010年)亡くなった高峰秀子主演の『カルメン故郷に帰る』(木下惠介監督)。
『カルメン~』もネットで映像をちょっと観て、田舎の舞台でダルそうに踊るデコちゃんがアンニュイでいい感じだったけど、この『地獄門』を観てみて何より印象に残るのはその色彩。
当時はフィルムの感度の問題で照明を強く当てたので、室内のシーンでも屋外シーンと同じぐらい明るく映っている。
デジタルでそれを補正して少し暗めに落とすことも可能だが、公開当時の色合いの復元を優先して明るいままにしたという。
それにしてもこの色はスゴい。鮮やか過ぎて目が疲れる。
現実にはあんな色だったわけじゃないだろう。特に紫色のキツさが気になった。
全体的に、ちょうどモノクロ写真に手描きで彩色した昔の絵葉書のような色。
もちろん、フィルムに定着した色というのは、現実に僕たちが見ているのとは違ってフィルムの中だけに存在するものだから、それは別にいいんだけど。
そして驚くのがその鮮明な映像。
役者の顔や建物、草木など細かいところまでハッキリとピントが合っている。これは本当に感動した。
あの時代の作品でここまで美しい映像を観たことはなかったから。
と、映像の美しさについては一見の価値があるというのは疑いの余地がない。
一方お話の方だけど、僕は『地獄門』というイカツいタイトルや海外で受賞したり色彩がスゴいとかいわれてるんで、てっきりこの映画は豪華絢爛な絵巻物のような一大史劇だと思い込んでいた。
しかし、観てみたらこれが全然違う。
たしかに衣裳やセットなど見た目はきらびやかなんだけど、刀や弓矢でチャンチャンバラバラはほぼ皆無で、それら戦さの模様はナレーションで説明される。そして映画で描かれるのは実はかなり地味で通俗的なお話なのであった。
平康の乱の折、命を助けた女御の袈裟(京マチ子)に横恋慕した盛遠(長谷川一夫)は、言い寄ってもけっしてなびかない袈裟の態度にますます想いを募らせ、ついに彼女の夫を殺そうとする。
なんというか、「日本版オセロー」みたいな話だな、と。
といっても描かれるのは嫉妬ではなくて、ゴリ押しして大切なものを失う「力づくでは人の心は動かせない」というシンプル極まりないテーマ。
これ、現代に置き換えたら、さしずめ人妻にトチ狂った自衛官がまわりを巻き込んだあげく暴走してサバイバルナイフで殺傷沙汰にまで及んだ、といった体のまったくもって下世話な話(自衛官の人が読んでたらゴメンナサイ)。
上映時間も一時間半ほど。
そんな短い作品なのに集中して観続けるのがけっこう大変でした。
修復作業によって音声もノイズがほとんどないぐらい明瞭なんだけど、それでもこちらが時代劇の話し言葉に不慣れなのと、俳優の台詞廻しが若干早口なこともあって何をいっているのか意味がなかなか飲み込めず、登場人物たちの会話が理解しづらい。
で、途中からようやく上に書いたようなストーリーなのだということがなんとなくわかってきた。 黒澤の『七人の侍』がオープンセット撮影によるリアリズム活劇なら、この映画はスタジオ撮影による伝統美、様式美を堪能する作品といえるだろうか。海外の人たちにはさぞエキゾティックに映ったことでしょうな。
その点では僕も同様に、まるで本当にあの時代を訪れたような気分になりました。 昔の映画って、屋外シーンでもステージにセットを組んで空はホリゾントだったりして、同録の俳優の声がいかにも室内で録りました、といった感じに響くのがなんだかウソっぽくて以前は嫌だったんだけど、今では逆にそれが楽しかったりもする。
東宝特撮ファンにはおなじみ“神宮寺『海底軍艦』大佐”田崎潤が出ていた。
長谷川一夫の映画は以前『鶴八鶴次郎』(1938) を観て、ヒロインの山田五十鈴が凛々しくていいなと思ったんだけど、長谷川一夫演じる鶴次郎はなんだか喋り方がナヨナヨしてて、昔の「色男」って気持ち悪いなぁと思った記憶がある。
それがこの『地獄門』では喧嘩っ早い偉丈夫を演じていて、最初は若い頃の勝新太郎かと思ったほど。勝新の映画デビューはこの映画の翌年ですが。
それで、なかなか勇ましく京マチ子演じる袈裟を助けたり武勲を立てて入道平清盛(千田是也)から褒められたりするのだが、しかし実はこの男がかなりの愚か者だったのは先に書いたとおり。
一方で夫ある身で盛遠に惚れられた袈裟は、最後まで貞節を守り通す。
実のところこれ以上の話の進展はなくて、袈裟が心変わりしてどうこうなる、といったこともない。だから観てるこちらは完全に盛遠の一人相撲に付き合わされる。
ただ、気になったのは夫の身代わりとなって盛遠に刺され命を落とした袈裟のなきがらに夫の渡(山形勲)がつぶやく「なぜ私を信じて打ち明けてくれなかった」という言葉。
盛遠に言い寄られていることはちゃんと夫に告げていたのに、いよいよ盛遠の脅しが激しくなってくると、彼女は夫の命を救うためにひとりで行動に出る。 これはどういうことだろう。
いろんな人の感想を読んで、知らないことや気づかなかったことなどがわかって大変参考になったけれど、それらとは別に僕は映画の中では描かれない袈裟の心の内を想像して、彼女の行為に自己犠牲というよりも、むしろ自己懲罰的なものを見た。
袈裟は本当に盛遠に片時も心を動かされなかったのだろうか。
そう考えたとき、けっして媚態を見せない京マチ子の感情を抑えた硬い表情にエロティックなものを感じたのだった。
まぁ、この解釈はそれこそ独りよがりなまったくの見当違いかもしれないが。 京マチ子は黒澤の『羅生門』でも三船敏郎演じる盗賊に手篭めにされる人妻を演じているが、こちらの役柄はその後正反対の展開を見せる。両作品を観比べてみると面白い。
それにしても、何百年何千年経っても女と男は色恋であーだこーだといっては悩み、怒り、そのために失う必要のなかった命を失いもする。
恋わずらいは時代を越える。