映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

『レナードの朝』


ペニー・マーシャル監督、ロバート・デ・ニーロロビン・ウィリアムズジュリー・カヴナールース・ネルソンジョン・ハードアリス・ドラモンドペネロープ・アン・ミラーピーター・ストーメアほか出演の『レナードの朝』。1990年作品。日本公開1991年。

原作は、神経科医のオリヴァー・サックスが自身の診療経験をもとに書いたノンフィクション「Awakenings」(映画の原題も同じ)。

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1969年。ニューヨーク、ブロンクスにある慢性神経病患者専門の病院に赴任したセイヤー医師(ロビン・ウィリアムズ)は、話すことも動くこともできない患者たちに反射神経が残っていることに気づき、訓練によって彼らの生気を取り戻すことに成功する。ある日彼は、30年前にこの病院に入院して以来ずっと眠り続けている嗜眠性脳炎の患者レナード(ロバート・デ・ニーロ)に、まだ認可されていないパーキンソン病の新薬を投与する。そしてある朝、レナードはついに目を覚ます。(映画.comより転載)


「午前十時の映画祭12」で鑑賞。

字幕翻訳は戸田奈津子御大。いや、翻訳されたのは30年前ですけど。

有名な映画だし世間の評価も高いですが、実は僕はこれまで観たことがなくて、だから初公開から30年以上経ってようやく、それも劇場で観られて嬉しかった。

監督がペニー・マーシャルだということも観るまで忘れていた。

ペニー・マーシャル監督の作品はこれまでに『ビッグ』(1988) と『プリティ・リーグ』(1992) を観ていて、特に『プリティ・リーグ』はお気に入りなんですが、この2本の間に公開された『レナードの朝』を観ていなかったのはたまたま、というのもあるし、なんとなく「難病モノ」っぽいので敬遠していた、ということもある。

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でも、ここ最近この「午前十時の映画祭」でデ・ニーロの過去作を観る機会がわりとあったし、ロビン・ウィリアムズもこの次に『フィッシャー・キング』が控えているので、せっかくの機会だからと思って。

アカデミー賞にノミネートはされたけど、受賞はしていないんですね。なんとなく『ショーシャンクの空に』(感想はこちら)への評価と似てますね。

さて、結論からいうととてもよかったし、最後はちょっと涙がこぼれるほどだったんだけど、今回が初めてということもあってどういうお話なのかまったく知らずに観ていたので、途中まで違和感があった。

治療法がわからない難病の人々にパーキンソン病のための新薬を試そうとするマルコム・セイヤー医師をジョン・ハード演じる同じ病院の医師カウフマンが嘲笑うあたりの非常にわかりやすいハリウッド映画的な展開や人物配置がいかにも80~90年代の映画っぽくて、そういえばジョン・ハードは『ビッグ』でもトム・ハンクス演じる主人公を小バカにする人物を演じていたっけ、とその辺のタイプキャスト的な配役も少々引っかかった(惜しくも2017年に亡くなったジョン・ハードさんは『ホーム・アローン』のお父さん役で有名ですが、それ以前は意地悪そうな役もやってましたね)。

そして、明らかに重症、というかそもそも治る見込みのなさそうな患者たちが、セイヤーがボールを投げつけると身体は硬直したままでしっかりと受け取ったり、互いにボールをパスし合う描写などに「そんなことあるか?」とかなりヒイてしまったのだった。

ロバート・デ・ニーロ演じる少年期に嗜眠性脳炎を発症して以来、どんどん症状が進行していって69年現在ではほとんど身体を動かすことも意思表示することもできなかったレナードが、セイヤーが新薬を大量に投与したことで突然ベッドから抜け出して歩き、話すことができるようになった場面も、そのあまりに劇的な変化にやはりいくらなんでもそんな奇跡のようなことがあるはずないだろう、とだんだん映画の内容に不安を覚えるようになったのでした。

この映画は実話をもとにした“フィクション”で主人公の名前も変えてあるし、僕は原作は読んでいないので確認はしていないですが、実在の人物をもとにしてはいても、主人公以外の患者たちもおそらくは架空の人物なのでしょう。

もともと映画化される前に舞台化されていたんですね(舞台版と映画版は別の作品だが)。

Wikipediaにも、この映画については「患者が示す症状は必ずしも科学的に正確でない」と書かれている。

で、出演者たちの演技は素晴らしいのだけれど、結構胡散臭さを感じてしまって「これがみんなが褒めている噂の感動作なんだろうか」と。

レナードが奥手なセイヤー医師と看護師のエレノア(ジュリー・カヴナー)の間を取り持つようなことをいきなり言うのが唐突な感じがしたし(だって、レナードは少年時代からまるで時間が止まっているようだったんだから、そんな彼が急に大人の男女の恋のキューピッドみたいなことをするだろうか)、父親が入院している女性ポーラ(ペネロープ・アン・ミラー)とレナードが惹かれ合うような展開も、もうあの当時のハリウッド映画の定番みたいな流れで。


ペネロープ・アン・ミラーって懐かしかったですけどね。90年代には彼女が出演した映画を何本か観た。『アーティスト』(感想はこちら)にも出てたんだっけ。

この映画には先ほどのジョン・ハードさんやマックス・フォン・シドーさん、それからロビン・ウィリアムズさんと、もはやこの世にはいない人たちが出ていて、今はなき人たちのことを想いながら今生きている自分のことを顧みる、というのはこの映画が描いていること、語っていることと重なり合う部分でもあったので、僕はこの映画を観るのは今回が初めてだけど、この30年という歳月の長さをあらためて実感したようで、じんわりときた。

劇中でレナードは30年間まるで眠っていたような状態だったわけだけど、それと同じぐらいの時間を僕も90年代のあの当時から過ごしてきたのだから。

もしも30年前の僕が鏡を見て、映ってるのが今の僕の顔だったら仰天するだろう。

そんなことを考えながら、いつの間にかレナードに自分を重ねて観ていた。

レナードと同様の病いで22歳の頃から40年以上も入院している女性ルーシー役のアリス・ドラモンドさんも2016年に亡くなっていますが、彼女は1984年公開の『ゴーストバスターズ』で映画の冒頭でゴーストに出くわす司書の役でした。何度も繰り返し観ている映画だからか、顔を見た瞬間にあの女優さんだとわかった。



ルーシーはとても印象に残る登場人物でしたね。

彼女は1926年に発症して、「目が覚めた」時にはおばあちゃんになっていた。

※同じ日にこの映画のあとにデイミアン・チャゼル監督の新作『バビロン』(感想はこちら)を観ました。


同じように薬の力で覚醒した他の何人もの患者たちも、変わり果てた自分の姿や家族との関係に愕然とする。

それでも、何もない世界からこちらに「帰ってきた」彼らは、その時間を大いに楽しむ。

せっかくのバスでの遠出に退屈な植物園を選んでしまうセイヤーの集団でのリーダーシップのとれなさが可笑しい。

元気になった老人たちが子どものように無邪気に振る舞う姿は微笑ましいし、このまま「奇跡」がずっと続いていれば現実味のないおとぎ話だが、魔法はやがて解けていく。

レナードの様子が次第におかしくなってきて、攻撃的な言動をするようになったり、身体が痙攣しだして再び自由が利かなくなっていく。


レナードが荒れだしたのは薬の副作用によるものだったが、まるでそれは思春期に不安定になって暴れたり問題行動を起こす若者のようで、だからこれは患者と医者の関係を描いた実録モノというよりは、ある種の寓話として見た方がいい。

とても興味深かったのが、劇中で説明される「痙攣が激しくなってそれが極限まで達すると硬直してしまう」ということ。

なるほど、止まっているように見えるけど、あれはあまりにも激しく振動、痙攣し続けているために最終的に「止まった状態」になっているということなんだな。

これも現実の病気の症状について述べているようでいて、まるで人間そのもののことを解説しているようにも思える。

止まっているように見えても、ほんとは高速で動いているのだ、と。“彼ら”は生きている。動きが遅いようで、本当はめちゃくちゃ速過ぎてゆっくりに見えるのだ、と思うと世界の見え方が変わってくる。

最初に述べたように、僕はこの映画を観る前には「難病モノ」だと思っていたんですが、そして確かにこれは実在する難病(現在もその発症の原因や治療法はみつかっていない)を描いてはいるんだけど、たとえば患者が医者と一緒に難病を克服していく、とか、あるいは病気を抱えながら強く生きていくとか、そういう姿を描いたものというよりは、彼らの姿を通して今こうしてひとまずは健康な状態で生活している自分自身、そしてこの世界に生きている多くの人々についての映画だったんだな、と思った。

「恋」も「別れ」も「死」も人生の一部。

途中まで僕が感じていた胡散臭さや違和感は消えていた。

難病に罹って気の毒、とか、頑張ってて凄い、とか、外側から“病人”を眺めるのではなくて、実はここで描かれている人々は、この映画を観ている僕たち自身なんだな。

「あちら」にいた人たちがほんの一瞬戻ってきて、また「あちら」に帰っていく。それは人の一生のことに他ならない。誰もが生まれて、やがて死んでいく。例外なく。

だからこそ、ここに今いることがどれほど素晴らしいことなのか気づいて、それを充分に味わうべきだということ。

レナードたち20名の患者がたどった旅、それは人の人生は尊いものだ、ということを伝えていた。


今この国には「老人は集団自決しろ」みたいなことを公然と口にするナチス並みの狂人たちがいますが、とんでもないって話だ。奴らこそ「治療」が必要なんではないか。

自ら動けもせず喋れもしない、彼らが何を感じているのかも外部にはわからないようなレナードたちの人生は、果たして無駄だったのか。無意味だったのか。

断じて否、だ。

健康な人々はもちろんだけど、病気の人たちにだって、老いていたって生きる権利があるし、誰からもそれを奪われるいわれはない。

驚異的な成果を上げたと思えた新薬は、患者たちに耐性が生まれたために効果が薄れ、やがてレナードと同様に彼らはまた「あちら」に戻っていく。そして二度とあのように劇的な回復を見せることはなかった。

ラストで涙を流している僕がいた。

それはレナードたちが「可哀想」だったからじゃない。

彼らは、1969年のあの夏にほんのわずかな間、こちら側に帰ってきて、僕たちがどれほど幸せなのか気づかせてくれた。

人生は険しいものだけど、それでも生きていることは素晴らしい。

彼らはそのことを身をもって示してくれたのだ。


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