増村保造監督、若尾文子、芦田伸介、川津祐介、赤木蘭子、千波丈太郎、喜多大八ほか出演の『赤い天使』。1966年作品。2021年に4Kデジタル修復。
原作は有馬頼義の同名小説。
日中戦争のさなか、中国の天津の野戦病院に赴任した従軍看護師の西さくら(若尾文子)は、傷病兵たちに集団で強姦される。2ヵ月後、前線に送られた西は軍医の岡部(芦田伸介)の下で働くが、そこへ以前自分を犯した男が戦闘で重傷を負って担ぎ込まれてくる。
「大映4K映画祭」で鑑賞。
90年代、若尾文子さんのファンの先輩がいて(なかなかスゴい趣味だと思ったが)、彼女が三島由紀夫と共演した同じ増村監督の『からっ風野郎』のヴィデオを借りて観たり、小津安二郎監督の『浮草』を観たら出ていたり、これまでに260本ぐらいの映画に出演されているそうだけど、僕が観たことがあるのは今挙げた作品と、リアルタイムで映画館で観た1987年の『竹取物語』のみ。
あとはNHKの大河ドラマ「武田信玄」のナレーション、それからソフトバンクのCM(いつの間にか出なくなってたけど)ぐらい。
そもそも僕は若尾さんが多く出演されていた大映の映画自体をあまり観たことがないんですよね。
そんな「若尾文子ビギナー」の僕ですが、今回ちょうど機会があったので足を運びました。
主演の若尾文子さんが白衣を着て銃を手にしているスティル写真があるけど、映画にこういう場面はありません。ヒロインが銃で敵をバッタバッタと倒していくような勇ましい映画でもない。
戦時中の野戦病院が舞台だし愉快な内容ではないことは予想がついたけど、まさか傷病兵たちによる看護師(劇中での呼び方は“看護婦”)へのレイプが描かれるとは思っていなかったので意表を突かれたのと、ここ最近ニュースにもなっている女性自衛官への男性自衛官たちの集団での性的暴行を想起させて気が滅入りそうになった。
いや、レイプそのものはけっして面白半分に描かれているわけではないのだけれど、やはり現在の目で見ると、兵隊たちが「明日の命ともしれない身なのだから」という免罪符のようなものをチラつかせて「しかたがないこと」のように流されているフシがあって、そのあたりが非常に気分が悪かった。
集団レイプに加わった男が被害者に対して言うに事欠いて「ごちそうさま。今度は俺も頼むよ」などと笑顔で抜かすところなどは、その異常さに眩暈がしたほど。
先日観た黒澤明監督の『羅生門』でもレイプが描かれていたし、同様にそれは「男というのはそういうもの」というように、あまりに軽々しく扱われていることからしても、長らくそうやって女性たちへの性暴力は見逃されてきたんだろうと想像できる。
自分たちを治療、看護してくれる看護師に対してすらああなのだから、従軍慰安婦たちや現地の女性たちにどれだけ酷いことをやっていたのかは考えるまでもないだろう。
当たり前のように前線に慰安婦を連れているのもそうだし、「俺たちは殺し合うかメシを食うか女を抱くしかない」などと言って自分たちの蛮行を正当化しているが、看護師に「あんたも男に飢えてるんだろ」などと言って性的暴行を働くような輩はとっとと死んでしまえばいいし(まぁ、わりと景気よく死んではくれるが)、兵隊なんぞというものはどいつもこいつも人間のクズばかりではないかと思ってしまう。
そういう男どもの醜さを描くことで戦争の酷さ、無意味さを訴えている、ともとれなくはないが、増村保造監督って谷崎潤一郎原作の『卍』や江戸川乱歩原作の『盲獣』も映画化しているし(って僕はどちらも未鑑賞ですが)、だからこの『赤い天使』も単に反戦とか反性暴力を訴えるために作ったというよりも、見方によっては戦争をダシにして見世物としてのエロをやってるように思えなくもないので、観ていてモヤモヤが晴れなかった。
これまで性暴力、レイプなどを描いた映画ってどこかでそれらを“娯楽”として「消費」もしていて、だから最近ではそういう題材を扱う場合は性暴力の瞬間、その現場は直接描かないことが多いんですよね。それは被害者たちのことを考えれば当然のことだと思う。
この『赤い天使』はまだそんな配慮など作り手も観る側すらも考えなかった時代の作品なので致し方ない部分はあるでしょうが、この映画が作られた当時、観客はどんな気持ちでこれを観ていたのか気になる。
今、ウクライナでの戦闘でもロシア兵によるレイプが報告されているし、ロシア兵といえば終戦間際や直後の日本人の民間人女性への行為が有名だし、残忍だったのは日本兵だけではないんだけれど、やはり「人権」というものを教育されていないと人間、あるいは“男”という生き物はケダモノ以下に成り下がるんだとよくわかる。
さて、映画の感想ですが、本当に酷い環境の中で、若尾文子演じる主人公・西さくらはけっしてヨヨヨと泣き崩れるようなか弱い存在としては描かれていなくて、常に凛としているんですね。嫌なものは「嫌です」とハッキリと言葉に出して断わるし。
そこにこそこの映画の良さがあると思いました。
さくらは「桜とは儚きもの」というイメージを覆すように強く生き抜いていく。
一方で、「赤い天使」などというタイトルからも、看護師のことを都合よく「天使」などと表現することに抵抗も覚える。
レイプしておいて、それでも逃げ出すこともなく兵士たちのために献身的に働く彼女のことを今度は「天使」だとか、結局のところ、男たちは彼女や同じ女性看護師たちのことを自分たちの思い通りになってくれる都合のいい存在と見做しているということだ。
両腕をなくした兵士・折原とさくらが寝る展開も、当然ながら看護師がそんなことをしてやる義務はないし、それよりも両腕がないというだけで内地(日本)では普通に生きていくことが許されない、そういう世界こそがおかしい。
ここから反戦的なメッセージを受け取ることはできるだろうけれど、看護師の自らの身体を差し出しての奉仕、というのは称賛されるべきことだろうか。
看護師は天使などではないし、もちろん娼婦でもない。患者たちのために働く職業人であり、ひとりの人間でもある。持ち上げたり落としたりして好き勝手にしていい相手ではない。そういう自覚が男たちにはない。
芦田伸介演じる軍医・岡部は、薬もろくな設備もないところでまともな治療もできず、助かる見込みのない者を選別しながらただ生かすために患者の腕や足を切りまくる毎日に疲弊して、モルヒネ中毒になっている。
そんな彼を「父に似ている」と慕い、やがて愛し始めるさくら。
これも、ずいぶんと都合のいい話に感じられるんだよな。
敵が迫ってきて兵士たちが撃ち合いをしている中でベッドで身体を重ねている岡部とさくらの姿には、劇中の兵士の一人でなくても「いいご身分だな」と言いたくなってしまう。
さくらは自分の意志で岡部を愛するんだけど、何かやっぱりそれは男にとって都合の良過ぎる展開に思えてしまう。
兵隊コスプレをするさくらさん。
この映画が作られた1966年は太平洋戦争が終わってからまだ20年ほどで(昭和の時代の20年は今よりももっと長かったんだろうけど)、だからこの映画にたずさわった人たちの多くは実際に戦争を経験しているし、ここで描かれている戦場での行為もリアリティがあったのだろうけれど、なるほど、日本軍には女性の兵士はいなかったが、こうやって医療の現場で兵士たちとともに「戦っていた」女性たちがいたんだな、と思ったら、本当にいたたまれない気持ちになった。
映画では終盤にさくらがピストルを手にしていたけど、看護師であっても敵と撃ち合うようなこともあったんだろうか。
モノクロ映像のために凄惨な手術の場面はよりリアルに見えるし、川津祐介演じる折原一等兵も、そのなくなった両腕の部分の特殊メイクがそれらしく、見入ってしまった。
このあたりはちょっと若松孝二監督の『キャラピラー』を思い出しましたが。
正直、キッチュすれすれのところもあるし、先ほども述べたように見世物としてグロテスクなエロ(傷痍軍人のことだけではなく、戦場で看護師を性的対象として見る気持ち悪さすべて)を描いているようにも見えるので、物凄くモヤッとするんですよ。
だって、最後に不能が治った、みたいなのってギャグなのかよ、と思ってしまうもの。大真面目にやってるんだとしたら、やっぱりあの時代の男たちは「勃つ」ことに異常にこだわっていたんだな。
アソコがちゃんと機能することで女を喜ばせてやれるんだ、と本気で考えていたんだろう。おめでた過ぎるというか、モノホンのバカだったんじゃなかろうか、昔の男って。
昔の映画って1本の映画の中にいろんな要素が入っているから、この映画は一体何を描こうとしているんだろう、と戸惑うことがあるんですが、この『赤い天使』もそうで、わかりやすい反戦メッセージでもなければ反レイプ映画でもない。
さくらが婦長や上官の前では常に自分の一人称を「西は…」みたいに言うのがなんだか面白くて、戦地では「わたし」や「わたくし」ではなくて自分の苗字で言う決まりだったのか、それともあれはさくらさん特有の話し方なのか気になった。なんか芸能人みたいでw
若尾文子さんの演技は、なんだかとても不思議だった。
真摯に演じているんだけれど、そしてそこに芯の強さも感じるのだけれど、でもその一方で、ここではないどこかにいるような、生々しさを感じさせないところもある。
さくらは劇中で裸体を見せるし影でも乳首の形がハッキリわかるんだけど、おそらく裸は代役だろうし、若尾文子さんにあまりエロさを感じなかったんですよね。
いえ、美しいかたなんですが。
さくらの淡々とした話し方やてきぱきしたその動きが、そういう劣情をもよおさせないというか独特の説得力を持っていて、いろいろとお話的に腑に落ちないところがあるものの、それでもなんともいえず入り込んで観てしまったのでした。
若尾文子さんの他の作品も観たくなりました。
岡部役の芦田伸介さんは、僕はリアルタイムでは『マルサの女』ぐらいしか観ていないんですが、でもどこで見たんだろう、その存在は昔から知ってました。
この『赤い天使』で芦田さん演じるあの軍医は、やっぱり僕にはちょっと役柄的にはおいし過ぎるんじゃないかと思うんだけど、でも劇中で岡部がさくらに語る言葉の一つ一つは結構うなずかされる部分もあったし、芦田さんは戦時中には満洲でお芝居をされていたということだから戦争を間近で見てきた世代の人でもあるし、さくらが自分の父親に似ていると感じるだけの大人っぽい魅力があって、だから中年男性と若い女性の戦場でのまぐわい、というふざけてるんだか真面目なんだかわかんないようなお話に妙な切実さを与えていたと思います。
最後には岡部の亡骸に覆いかぶさるさくらを映して、映画は余韻も何もなく「終」の文字とともに終幕する。
いやぁ、なんと言えばいいのか…。
戦争の中でのこういうタイプの映画ってこれまでほとんど観たことがなかったから、どう反応したらいいのか困ってますが。
自らの加害性というものを忘れて“戦場の天使”に萌えてるようなことではダメだと思いますが、でも「映画」というものが持つ多様な要素、その一つを見せてもらった気がします。
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