映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

『浮雲』


※以下は、2011年に書いた感想です。


NHKBSプレミアムにて、成瀬巳喜男監督、林芙美子原作、高峰秀子森雅之主演『浮雲』(1955)。

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戦時中に仏印ヴェトナム)で関係をもった妻ある男と女が戦後別々に日本に戻り、その後もまたくっついたり離れたりを繰り返す。


2010年に高峰秀子さんが亡くなってから彼女の主演作品を目にする機会が多くなったけど、この映画は以前にもBSで観たことがありました。

で、そのときどう感じたかというと、…なんか辛気くさい映画だな、と。

成瀬監督の代表作にして名作といわれるこの作品は海外でも評価は高いようだけど、今回観返してみてあらためて同じ感想をもったのでした。

観る前は「浮雲」というタイトルから、なんとなく小津安二郎監督の映画みたいな話を想像していたんだけど、いきなり舞台が戦時中の“南方”からはじまったんでちょっと驚いた。

成瀬巳喜男が一見似ていそうな作風から「小津は二人いらない」と映画会社からいわれたというエピソードは有名だが、映画を観てみると(戦前戦中はどうだったかよく知らないが)ふたりの監督の作風はハッキリ違う。

この『浮雲』ではフラッシュバック(回想)が多用されているが、小津の映画の中で時制がいったりきたりすることはないし、温泉街の混浴風呂で男女が入浴していたり、濃厚なラヴシーンが描かれることはない。*1

この映画の冒頭の仏印シーン(ロケは伊豆らしい)は、戦時中だというのになんだかのどかで食料も豊富。

農林省の所長の「今は戦争中だが、私たちは決められたとおりの仕事をしていればいい」というような台詞もあって、今聞くと役人というのはいつの時代もこんな感じなのか、となんとも複雑な気持ちになる。

森雅之が演じる富岡は、出会ったばかりのゆき子(高峰秀子)に対して妙につっかかる。

「東京出身というが、訛りがある。千葉あたりじゃないか」とか。

ああいうイヤな絡み方をする男はよくいるので観ていて実に不快だしゆき子も気分を害するが、しかしそのあと富岡はゆき子とふたりきりになると「怒ったんですね?」と話しかけて優しく接近していく。

それでこのふたりはくっついてしまう。

ゆき子は富岡と出会った頃からすでにどこか陰があり、物憂げである。

綺麗ではあるが、22歳にしては若々しさがない。

その理由らしき出来事があとで回想シーンとして出てくる。

戦争が終わり、ゆき子は日本に引き揚げてくる。

富岡の家を訪ねると彼の妻が出てくる。

妻とは別れるといっていたのに、富岡は別れていなかった。

…それ以降は、最初に書いたとおりくっついたり離れたりの繰り返し。

やたらとこたつで酒呑んでる場面が出てきたり、何かというとふたりで温泉に出かけたりしている。

もちろんこれは何年間にもわたる物語なんだが、その間ゆき子はしょっちゅう富岡に恨み言をいっていて、最後はいつも「もうどうだっていいわ」と投げやりに言い捨てる。

実際この富岡という男は最低。

彼のせいで一組の夫婦が崩壊する。

ゆき子とともに行った伊香保温泉で知り合った飲み屋の主人(加東大介)の妻おせい(岡田茉莉子)にさっそく手を出すくだりは、そのあまりの無節操ぶりにさすがに「オイオイ!」とツッコミ入れたくなった。


それでも切れない関係。なんだこれ。

酔ったゆき子が「わたし自殺します」といって出ていった直後に戻ってきて「自殺するのやめました」という場面はちょっと笑った。デコちゃんカワイイ。

しかし観ている途中から「昔の日本映画は暗くて重い」というこちらの勝手な先入観(かならずしもそうでないのはわかっているんだが)を補強してしまいかねない、腐れ縁の男女のだらだらと一向に進展のない話がいいかげんしんどくなってきた。

こういう作品は手に余るなぁ。

この映画がもつ雰囲気を好む人も多いようだが、僕は観客としてお子チャマ過ぎるんだろう。

結核に倒れたゆき子の最期はまるで「椿姫」のごとくである。

仏印時代の白い洋服を着たゆき子が微笑むフラッシュバック。

この映画の公開当時、観客はこの彼女の姿に涙したのだろうか。

そしてダメ押しで出てくる、

花のいのちは みじかくて くるしきことのみ 多かりき

という字幕。

彼女は不幸だったのだろうか。

まだ結核が死の病いだった時代、実際にこのように若くして命を落とす人は多かったのかもしれない。富岡の妻も離婚するまでもなく、まるで物語の都合に合わせるように(病気かどうかはさだかでないが)亡くなるし。

それでも僕にはこのラストがとってつけたようなメロドラマ的な泣かせの場面に思えてならなかった。

たしかに「あなたは私が死んだってお線香のひとつもあげないんだわ」といっていたゆき子のなきがらの前で嗚咽する富岡の姿を見せることで、ようやくこの映画は完結をみることになるのかもしれないが。

彼女には生き続ける機会があった。

かつて自分を手込めにした義兄やアメリカ兵を相手にたくましく生きていく力があったのだから。

アメリカ兵との関係も、ただ体を売っている、というだけでなく、「あの人も寂しいのよ」というように、どこか情が通っている。

そのあたりも、成瀬監督は単に道徳的にどうこうといった一元的な描き方はしない。

義兄を山形勲が好演。前年に出演した『七人の侍』では野武士退治の見かえりに米のメシを食わせるといわれて「拙者の望みは、もうちょっと大きい!」と断わる頼りがいのありそうな浪人役だったが、この『浮雲』では義妹のゆき子を囲い、インチキ新興宗教を興したりする復員兵を演じている。

彼が信者からふんだくった百円札の束を見せてほくそ笑む場面は、ちょっと中沢啓治の原爆漫画「はだしのゲン」の戦後篇を思いださせる。

七人の侍』といえば、勘兵衛(志村喬)の“古女房”七郎次役で、ひとり娘を“キズモノ”にされたと騒ぐ藤原釜足に「戦さの前には城の中でもこういうことがよく起こる。若い者の気持ちにもなってやれ。無理もないのだ」といっていた加東大介が、この映画では人のいい寝取られ亭主を演じている。富岡と出会ったばかりに彼の運命は暗転する。

富岡はすべてから責任逃れして、かかわる人たちをどんどん不幸にしてゆく死神のような男だが、演じる森雅之のいかにもインテリ崩れといった風情がこの人物に惹かれてしまう女性がいることを納得させる(しかし僕にはときどき森さんが“上品なイッセー尾形”に見えてしまって困るんだが)。

この映画では登場人物の心理描写は一切ないので(フラッシュバックはあるが、それがゆき子の回想なのか富岡のものなのかは曖昧)、富岡が一体何を考えているのか観客には最後までわからない。

おせいを演じる岡田茉莉子の冷たい人形のような顔と「あたし、東京でダンサーになりたいんです」という感情がこもっていない声の魅力。

湯けむり漂う温泉街の風景も艶があって実にいい。

戦時中に家庭のある男と出会って日本に帰っても彼のことが忘れられずに関係を続け、彼のために盗みまで働き、病いをおして死出の旅に出る。

これはゆき子自身の選択であって誰に強いられたものでもない。

食うことで精一杯だった時代に、好きな男といっしょにいたいと願う。

そのために他の可能性を犠牲にする。

ゆえに僕はゆき子を「かわいそう」とは思わなかった。いや、気の毒ではあるが、それでも彼女は一生懸命生きたいように生きたのではないか。


男女関係のあれこれはよくわかんないので放棄して高峰秀子さんa.k.a.デコちゃんの魅力を書くと、特にその表情。

けっして大仰な芝居はしないのだけれど、眉や視線のかすかな動きにゆき子の感情が凝縮されていて、彼女の顔だけは観続けていて飽きることがない。

どこか投げやりでハスッパな物言いと可愛らしい顔立ちとのギャップ。

間違いなく彼女は日本映画界を代表する大女優だったし、これからもその演技は多くの女優の模範とされるべきものだ。

以前、高峰さんの著書「私の渡世日記」を読んで、これだけ多くの名作に出演していながら実は彼女が「女優の仕事が嫌でしかたがなかった」ということに驚かされた。

嫌であんな演技ができるものだろうか。

養母はステージママで、学校に行くこともままならなかったその売れっ子子役ぶりは、まさに現在活躍中の人気子役たちに通じる。

杉村春子の演技を観て本気で演技の勉強をするようになったこと。

その杉村に「杉村さんってきれい」といって、そんなことを今までいわれたことがなかった杉村が驚いたという逸話。

そんな女優業をある時期にきっぱりとやめたこと。

自分がやるべきことをすべてやりきって、身辺整理を済ませてこの世を去った高峰さんは最高にカッコイイ。

男女の話は苦手だけど、成瀬監督で彼女主演の『乱れる』の映像をネットで目にして、ちょっと観てみたいと思ったのでした。


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*1:浮草』では若尾文子川口浩がキスしてましたが。