※以下は、2010年の劇場鑑賞時に書いた感想です。
アレハンドロ・ホドロフスキー監督・主演、その他もろもろ担当のメキシコ映画『エル・トポ』製作40周年デジタルリマスター版。1970年作品。R15+。
どうしても劇場で観ておきたかったので、上映最終日に鑑賞。
ジョン・レノンもお気に入りだったという伝説のカルト映画。
この映画を初めて観たのはヴィデオでだったけれど、何よりもそのヴァイオレンス描写に魅せられた。
「フェリーニが西部劇を、クロサワがキリスト映画を撮ったらこうなっただろう」という謳い文句はわかったよーなわからないようなたとえだが、いわんとしてることはなんとなく伝わる。
ところで、まずいきなり文句から。
今回の上映は、なんとヴィデオ*1によるものであった。
本篇前の予告がすでにフィルムではなくヴィデオだったのでイヤな予感がしたんだけど、本篇が始まるとその画質の悪さに驚いた。
どこが“デジタルリマスター”なの?DVDをそのまま映写したのか?
シネコンでは高画質のDLP上映が普通に行なわれてる現在に、こんな商売されるとムカッ腹が立ってくる。
なかなか観る機会がない珍しい作品やヴィデオ撮影による低予算映画というのならわかる。
でも『エル・トポ』はそうじゃないし、DVDも販売されてるから観ようと思えば家でも観られる。
正規の料金とってなぜこんな安っぽい上映をする?
せっかくの作品を台無しにされた気分だ。
あと、ちっちゃな男の子のチンチンにいちいちボカシ入れるのやめてくれよ、気が散るから。映倫のオッサンたちの頭ん中はほんとに虫が湧いてるんじゃないか。
それでも好きな映画だし、精一杯楽しもうと思った。
以下、ネタバレあり。
拳銃の達人エル・トポは、旅の途中で助けた女の願いで砂漠に棲む4人の“マスター”たちにたたかいを挑む。
“エル・トポ”とは「モグラ」のこと。
映画の冒頭で、モグラは地上に出て太陽の光を見ると失明してしまう、とナレーションが入る。
それはこの映画のラストシーンをそのまま象徴している。
僕がかつてヴィデオで観たのは英語版だったけど、今回の上映はオリジナルのスペイン語版。
それで初めてわかったのが、どうも出演者の女性役の中に男性がいるらしいこと(アフレコだからハッキリとは断定できないけど)。
エル・トポにまとわりつく2人目の女は野太い男の声だし、後半に出てくる狼藉三昧のオバサンたちの中にもマツコ・デラックスみたいなオッサンが混じっている。
性倒錯の要素はそこかしこに散りばめられてるんで、これもその一環なのかもしれない。
それにしても説明するのが難儀な映画だ。
ホドロフスキーの映画の中では比較的わかりやすい方だとは思うけど。
まず、「西部劇」という形をとっているので入り込みやすい。
基本はドンパチだから。
「芸術性」とか難しいことは二の次でいいから、とにかくその残酷描写を堪能すればよい。
60年代に量産されたイタリア製の“マカロニウエスタン”は暴力描写を売りにしていたけれど、銃で人が撃たれる場面ではそのほとんどが傷口に血を塗ってるだけだったのに対して、この『エル・トポ』は“弾着”をがんばって使っていて、まるでサム・ペキンパーの映画みたいに撃たれた者の身体から血がブシュブシュ噴き出す。
また、最近の映画のように血糊がリアルな血液の色じゃなくてまるでペンキのような鮮やかな赤なので、視覚的に非常にインパクトがある。
映画版『子連れ狼』のような見世物性の高い残酷活劇。
マカロニウエスタン的な類型キャラクターたちが繰り広げる前衛劇。
僕がこの映画に魅了される要素だ。
そしてホドロフスキーの映画には動物の“犠牲”が付き物。
現在では動物愛護団体が黙ってはいないおびただしい数のホンモノの動物の死も、僕は動物虐待には反対なので許されることではないと思うけど、今では不可能なことをやってる一つの記録として目に焼き付けておくのもいいかと。*2
さらにホドロフスキーといえば、ホンモノのフリークス(あえてこう呼ばせていただきます)のみなさん。
彼らが情け容赦なく殺されるさまが描かれる。
今回、この映画を観たのは奇しくもクリスマス・イヴ。
およそクリスマスには似つかわしくない作品に思えるが、しかしこれは“救世主”を描いた物語。
「俺は神だ」と名乗り砂漠で“マスター(スペイン語だとマエストロ)”たちを倒した主人公は、やがて文字どおり生まれ変わり、今度は虐げられた人々のために自らの命を捧げる。
主人公の最期の姿は、この映画が公開された当時、ヴェトナム戦争に抗議して焼身自殺した僧侶の映像を思わせる。
もちろんご存知のように、クリスマスは救世主として世界中で崇められている口髭生やしたあの人物(サンタではない)の誕生日を祝う日である。
人々のために犠牲になる動物にたとえられた彼は、自身の復活を予告して十字架にかけられて死んだ。
かように救世主とは血塗られた存在なのだ。
そんなわけで、この『エル・トポ』は実はクリスマスにふさわしい映画といえるのかもしれない。
極めて異教的な要素が多いけれど、それでもとてもキリスト教的だと感じる部分もある。
イカサマの「ロシアンルーレット」で信者たちが熱狂するシーンに教会への皮肉が込められているのは言うまでもない。
砂漠での“マスター”たちとの問答は、実際は主人公エル・トポの一人ごっつ、いや自問自答とも考えられる。
キリストが荒野で悪魔に誘惑されるエピソードを思わせる。
「お前は奪うだけで愛さない」という相手に、エル・トポは愛する者を持った人間の弱点を衝いて勝利する。
ホドロフスキーの映画を観るたびに「この人は女嫌いなんじゃないか」と思う。ホモセクシャルな描写の多さにもそれを感じる。
最終章に登場して、生まれ変わったエル・トポと愛し合い彼の子を生む小人症の女性はホドロフスキー版聖母マリアだろうか。
ホドロフスキーには“メシア(救世主)願望”でもあるのか、『ホーリー・マウンテン』でもそういう役をやはり自ら演じている。
『ホーリー・マウンテン』(1973)
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もっとも『ホーリー・マウンテン』の方は僕にはその内容について『エル・トポ』ほど記憶がなくて、キャメラが引くと撮影スタッフが写っている、というまるで寺山修司の映画みたいなラストぐらいしか憶えていないが。
寺山がこの『エル・トポ』を絶賛した、というのも有名な話。
『エル・トポ』以降の作品はさらに祝祭的な様相を帯びてきてどんどんサイケデリックになっていくんでもはや僕には理解不能だし、さほど興味も湧かない。
やはり最低限「西部劇」という娯楽映画的体裁をとっていることが僕には重要なんである。
久々に観た『エル・トポ』はやはり面白かった。
だからこそ、ぜひとも次回はまともな画質での上映を望む。
追記:
砂漠の救世主、というとデヴィッド・リンチ監督による現在までで彼の唯一のSF大作映画『砂の惑星』(感想はこちら)を思い浮かべるけど、この映画は最初ホドロフスキーが監督する予定で準備にまで入っていた、という話は実に興味深い。
救世主に憑かれているホドロフスキーにこれほど相応しい題材もないだろう。
今からでも遅くはないから撮ってくんないかなぁ。
最新作の予定がアナウンスされてからかなり経つけど、どうなってるんだろう。
ホドロフスキーが生きている間に日本の劇場で新作を目にする日がおとずれることを願ってやまない。*3