映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

『スターウォーズ エピソード4 新たなる希望』


※以下は、2012年に書いた感想に一部加筆したものです。


ジョージ・ルーカス監督、マーク・ハミルハリソン・フォードキャリー・フィッシャー出演の『スターウォーズ エピソード4 新たなる希望』。

1977年作品。日本公開1978年。

第50回アカデミー賞編集賞美術賞、衣裳デザイン賞、作曲賞、録音賞、視覚効果賞受賞。

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故郷の星オルデランへ向かっていた元老院議員のレイア姫キャリー・フィッシャー)は、帝国軍の司令官ダース・ベイダーに囚われてしまう。姫が間一髪で脱出させた2体のドロイド(ロボット)、C-3POR2-D2*1は辺境の惑星タトゥイーンに降り立ち、砂漠の町に住む若者ルーク(マーク・ハミル)が彼らのあたらしい主人になる。


「遠い昔、はるか彼方の銀河系で…」という字幕ではじまる、いわずと知れた“スペースオペラ”の金字塔。

まずおことわりしておくと、これから書く感想は『スターウォーズ』旧三部作(エピソード4~6)を観たことがある人向けですので、まったく未見のかたには意味不明な箇所が多々あると思います。

それと、文中で随所にプリクエル三部作(エピソード1~3)に対する批判がありますので、それらがお好きなかたはお読みにならない方がいいかもしれません。あらかじめご了承くださいませ。

以下、ネタバレあり。


2012年に日本で公開されたドキュメンタリー映画ピープルvsジョージ・ルーカス』(感想はこちら)を劇場で観ました。

作り手の“スターウォーズ愛”あふれる映画でした。
またDVDで観てみたいです。

ところが、おなじ時期に公開された『エピソード1 ファントム・メナス 3D』は観ていません。

なぜかといえば、『ピープルvsジョージ・ルーカス』で『エピソード1』をコキ下ろしてた人たちと同様に、僕は“アンチ・プリクエル三部作”だからです。

スターウォーズ」といえば、僕にとってはルーク・スカイウォーカーハン・ソロチューバッカ*2レイア姫、そしてダース・ベイダーが活躍する旧三部作(エピソード4~6)のこと。

ユアン・マクレガーナタリー・ポートマンが出演していたプリクエル三部作はぜんぶ劇場公開時に映画館で観たんだけど…なんというか、(悪い意味で)ため息が出るような感じでした。

だからプリクエル三部作であるエピソード1~3の3D版にはまったく興味がないので今後も観るつもりはない。


さて、現在レンタル店などに置いてあるSW旧三部作のDVDは97年に公開された「特別篇」だけど(一部CGなどでさらに修正してあるが)、僕が「これこそ本物のSW」と思うのは劇場公開時の【オリジナル版】です。

「特別篇」というのはルーカスがオリジナル版をCGで手直ししたりあらたな場面を付け加えたり音楽を差し替えたりしたもので、現在ではこちらが流通していてTVで放映されてるのもみなこの「特別篇」の方。

特別篇
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そのためすでにオリジナル版を知らない人たちもいる。

オリジナル版は何年か前にDVDが「特別篇」と2枚組で作品ごとに単品で販売されて、「特別篇」はすでにBOXで買ってたにもかかわらず、オリジナル版欲しさにまた購入したのだった。

まず、オリジナル版と「特別篇」の最大の違いは、惑星タトゥイーンに棲むギャングのボス、ジャバ・ザ・ハットの登場場面の有無。

『新たなる希望』のオリジナル版にジャバは出てこない。

オリジナル版の制作当初からこの場面は撮影されていて、生身の俳優がジャバを演じ、あとでアニメーションをかさねて完成させる予定だったが、予算の問題や当時は技術的に困難だったことから本篇からはカットされた。

ジャバ役はふつうのおっさん
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「特別篇」ではそのシーンを復活させてジャバはCGで描かれ、さらにDVD化の際に現在のヴァージョンに描き直された。


ここでジャバは賞金稼ぎのボバ・フェットら手下をともなってハン・ソロの持ち船“ミレニアム・ファルコン号”が泊まっている94番格納庫に出向いてきて、ソロが彼に借金を返さないばかりか命じられていた密輸品を宇宙に捨てたことを責める。

ソロは「楽な仕事が入った。色をつけて返す」と答えて、ジャバは「逃げたら首に賞金をかける。まともな星には住めなくなるぞ」といい残して立ち去る。

オリジナル版では次の『帝国の逆襲』(感想はこちら)ではじめて登場するボバ・フェットが姿を見せたり、やはりオリジナル版では3作目の『ジェダイの復讐』(感想はこちら)でようやく登場したジャバ・ザ・ハットがこの1作目でさっそく出てくることに喜んだファンもいるだろう。

しかしこの場面は完全に蛇足である。

ルーカスはインタヴューで「ジャバの名前が出ているのに彼が登場しないのは整合性に欠ける」といっているが、じつに的外れな回答だ。

ソロの同業者であるグリードの台詞のなかにジャバの名前が出てきて、彼ら密輸業者のバックにはおそろしいギャングのボスがいるらしい、というのは観客にはじゅうぶん伝わる。

続篇の『帝国の逆襲』でもソロの「借金を返さないとジャバに殺される」という台詞があったり、ダース・ベイダーがボバ・フェットに冷凍された獲物を「ジャバ・ザ・ハットのもとへ連れてゆけ」といったりしているので、どんな奴なんだろう、と思ってたら3作目の『ジェダイの復讐』でついにその姿をあらわす、という具合で、まったくもってなんの問題もないのである。


またこの第1作目では銀河皇帝も登場しない。

ピーター・カッシング演じるターキン総督の「皇帝が元老院を永久に解散されたよ」という台詞があるのみ。


それでも物語上まったく支障はない。

どうもルーカスは、観客の想像力によってより作品の世界観が広がる「映画」の面白さが理解できていないようだ。

観客をまったく信用していない、ともいえる。

それと、この94番格納庫のシーンではミレニアム・ファルコン号が初登場するのだが、それをオリジナル公開版のように主人公のルークと観客が同時に目撃しなければ、彼の「ガラクタじゃないか!」という驚きを共有できない。


しかし現在流通している「特別篇」では、ルークよりも先に観客はファルコン号をジャバとともに見てしまうのだ。

この余計な追加場面によって作品の構成がぶち壊しになっている。

ジェームズ・キャメロンの『エイリアン2』や『ターミネーター2』(感想はこちら)などのようにもともと「ディレクターズカット版」が存在する作品と違って、ルーカスのようにすでに完成しているものにあとからあれこれと付け足すやりかたは非常に乱暴で、作品そのものを破壊する行為だ。

たとえば、円谷プロが過去のウルトラシリーズの映像にいきなりあらたに場面を付け加えたり怪獣をCGで描き変えたり音楽を差し替えたりしたらどう思います?

ファンだったら、ヲイヲイ、何やってんの!?と思うでしょ?

それとおなじことをルーカスはやってるわけです。

そして、過去のオリジナル版は「なかったこと」にして、市場から締め出している。

「作品」というものは一度世に出た時点で作り手にはその存在に責任があって、あとから「あれはなかったことに」なんていうのは創作者として言語道断だと思う。


ルーカスフィルムという会社は円谷プロウルトラシリーズとおなじく、金になるコンテンツを「スターウォーズ」以外もっていないので(あとは『ウィロー』とか『ハワード・ザ・ダック』とかかw)、なんとかこれで稼がなくては会社が維持できない、という事情は理解できる。

今回の過去作の3D化も、SWの実写TVドラマを作る資金を調達するため、という話だし(※この話はどうなったんだろう*3)。

ただ、だったらリドリー・スコットの『ブレードランナー』(感想はこちら)のように、レンタルでもこれまで作られたヴァージョンを一度にすべて観られる、というような配慮をしてくれよ、と思う。

観客には自分にとってお気に入りのヴァージョンを選ぶ権利がある。

それを許さずに勝手に「決定版はこれだ」というヴァージョンだけを押し付ける(しかもそれを延々と更新しつづける)のは、作り手のエゴ以外のなにものでもない。

スターウォーズ」という偉大な映画を創造した張本人であるジョージ・ルーカスのことはたしかに尊敬もしてるけど、かつての彼と現在の彼はもはや同一人物ではなく、まるでダークサイドに堕ちたジェダイのようだ。

ジョージ・ルーカスという人にはこれまで「SWが好き」ということにつけこまれてずいぶんと散財してきたんで(VHS版も買ったし)、いまの僕はまさに銀河皇帝に対する反乱軍兵士のような不満でいっぱいなんですが。


僕がこの『新たなる希望』オリジナル版をはじめて観たのがいつだったのか、正確なことはおぼえていない。ただ近所の友だちの家で輸入ヴィデオで観た記憶がある。

輸入ヴィデオなので日本語の字幕がなかったんだけど、それでもなんとなくストーリーはわかって面白かった。

そして、次に観たのは多分「金曜ロードショー」の放映で。

そのときにはすでにシリーズ完結篇「エピソード6 ジェダイの復讐(帰還)」も公開されたあとだった。

なので、リアルタイムではその世界的な熱狂ぶりを知らないし、映画館で観たのは97年の特別篇のときがはじめて(続篇『帝国の逆襲』はリヴァイヴァル上映で、『ジェダイ~』は初公開時に劇場で観た)。

その後はこの「金曜ロードショー」で幾度となく観ています。

ルークの声を『燃えよデブゴン』のサモ・ハン・キンポーの声などの水島裕ハン・ソロを「インディ・ジョーンズ」シリーズでもハリソン・フォードの声を吹き替えている村井国夫レイア姫ナウシカや「めぞん一刻」の管理人さん役などの島本須美、そしてC-3POを故・野沢那智が担当している。

この「金曜ロードショー」の日本語吹替版(「特別篇」の吹き替えは別の声優)を僕はベストだと思っているんだけど、残念ながらこのヴァージョンはソフト化されていない(DVDも別の声優)。

ルーカスが許可しないからだとかで、今後TVで放映されることもないんだそうな。

スターウォーズ」はすでに日本でも独自の文化として根付いているのだが、そんなのルーカスにとってはどうでもいいことらしい。

最初にTVで放映された「水曜ロードショー」版ではルーク=渡辺徹ハン・ソロ松崎しげる、レイア=大場久美子というすさまじい配役だったようだけど、僕は未見。

どんな大惨事だったかなんとなく想像できますが(『バック・トゥ・ザ・フューチャー』→感想はこちら をWユージ=織田裕二三宅裕司が吹き替えたのを思わせる)。


スターウォーズ』という映画そのものは神話やおとぎ話の現代版焼き直しであって、物語自体に特に斬新さや前衛性があるわけではない。

むしろじつに古典的で、保守的とすらいえるようなストーリーだ。

もしこの映画を「嫌い」という人がいて、その理由が世界を「善」と「悪」に単純に二分化して善が勝つ=大団円、といったノーテンキな結末で良しとすることへの反発、であるとすれば、それは納得できる。

このSWユニヴァースでは、善=ジェダイ、悪=暗黒面(ダークサイド)という区分けがされている(新三部作ではじめて出てきた“シス”という名称は旧三部作では一切登場しない)。

当然ながらここには西洋のキリスト教的要素が色濃く組み込まれていて、ジェダイというのは神の側に属するもの(ジェダイ騎士団は十字軍のテンプル騎士団がモデル)である。

だからこの映画はやはりキリスト教の影響が強い『ナルニア国物語』と同様に、作り手がお仕着せの「正義」を観客に押し付けてくる鼻持ちならない映画だ、という人がいても不思議はないと思う。


ただ、ここで描かれるのはあくまでも神話やおとぎ話のような「物語の原型」であるということ。

人を殺してはいけないし、人をだましてはいけない。

自分の欲望のために他人を犠牲にしてはいけない。

そういった最低限のルールや道徳はどんな国だろうとどこに住む人にでも共通している。

つまりそういうことを描いているのだ。

だからこのシリーズに登場する主人公たちの敵である銀河帝国軍というのは「悪の象徴」であり、銀河皇帝もその手先である突撃隊ストームトルーパーたちも、現実の世界で生きている生身の人間というより、主人公を苦しめる圧倒的な力や誘惑を擬人化したような存在である。

悪役は徹頭徹尾「悪」であって非道な悪役に徹し、最後には見事に倒されるからこそ悪役なのだ。

その悪役が途中で泣き言をいいだしたり自分の行動に迷ったり、最後に改心してイイ人になっちゃったら「悪役」としては完全に失格でしょう(まぁ、エピソード6でのベイダーはまさにこのとおりになってしまうのだが、それについてはまたいずれ)。

SWプリクエル三部作が、野望に燃えた主人公が悪の道に走りやがて転落してゆく「ピカレスク・ロマン(悪漢物)」たりえなかったのは、ひとえに作り手が“悪の魅力”を理解していなかったせいである。

ルーカスはポップカルチャーや映画史上いまやもっとも有名であるといっても過言ではない稀代の悪役ダース・ベイダーの若かりし頃を、マザコンのとても愚かな男として描いた。

これはもう、ダース・ベイダーのファンに対するおちょくりとしかいいようがない。

どうもジョージ・ルーカスという人は常人とは違うセンスの持ち主らしくて、ダース・ベイダーが悪役として世界的に有名になったことにはさほど思い入れがなかったようなのだ。

むしろベイダーが悪役としてもてはやされればもてはやされるほど、彼の違和感は募っていったようである。

だから新シリーズでは主人公を「あわれな男として描こうと思った」と語っている。


かつて僕の友人がプリクエル三部作についてこういっていた。

ダース・ベイダーというのは、俺たち観客の前にあらわれたときからあの格好で“悪の権化”だったんだよ。そのキャラクターの若い頃とか、そんなもん別に観たくない」

いまとなっては僕はこの意見に全面的に同意する。

ダース・ベイダーは間違っても「ママ、ママ」と泣いてる軟弱なマザコンなどではないし、妻以外とはセックスもしたことがないような草食系男子でもない。

誰よりも競争心が激しく上昇志向の強い自信家で、銀河を手に入れるためについに悪魔に魂を売るアンチヒーローのはずなのだ。

ダース・ベイダーは妻の死に「Nooooo!!!」と絶叫したり(エピソード3)、やはり息子が殺されそうになって「No, No!!」とうろたえたり(ブルーレイ版エピソード6)などしない。

そんなもんダース・ベイダーではない。


旧三部作での黒装束で「コーホーコーホー」いってる身長2メートルの暗黒卿は、童話の世界におけるいわゆる「悪い魔法使い」である。

この悪い魔法使いは主人公の父親を“殺した”張本人であり、帝国軍の総督ターキンの片腕としてレイア姫の故郷オルデランを究極兵器デス・スターで木っ端微塵に破壊する。

何十億という人々の命を奪ったこの所業で、彼はもはや永遠に許されることはない「悪」となったのだ。


このダース・ベイダーというキャラクターを演じているのは、デヴィッド・プラウズという巨漢のスーツアクター、そして声を務めているのは俳優のジェームズ・アール・ジョーンズ

金曜ロードショー」では、吹き替えをエピソード4では坂口芳貞(※ご冥福をお祈りいたします。20.2.13)が、エピソード5と6では鈴木瑞穂(※ご冥福をお祈りいたします。23.11.19)が担当している。

個人的にはベイダーの吹き替えは坂口芳貞の冷徹な声が一番だと思う。

ヴィデオとDVDならびにブルーレイ版では大平透が演じていて、さすが大ヴェテランで美声なのだが、僕は大平さんは東映スーパー戦隊物のナレーションとかハクション大魔王、喪黒福造などのイメージが強すぎてシリアスな悪役というのがちょっとピンとこない。

もちろんいままでにシリアスな役だっていくつも演じてはいるが(「スパイ大作戦」のテープレコーダーの声や「ガッチャマン」の南部博士など)、大平さんはエピソード1ではグンガンの族長ボス・ナス役も兼任していて、こちらのとぼけたキャラクターの方が本来の持ち味に近い。

でも、オリジナル版や「金曜ロードショー」版を知らない世代の人たちには、この人の声のベイダーが一番しっくりくるようだ。

僕はいまだに違和感がありますが(でもCMとかでは気にならない)。*4


血はつながらないが彼を息子同然に育ててくれているおじのオーウェンから2体のドロイドの整備を命じられたルークは、はずみで照射されたR2-D2のホログラムを見る。そこには“オビ=ワン・ケノービ将軍”に助けを求めるレイア姫の姿が映っていた。


レイア姫といえば、彼女を演じるキャリー・フィッシャーのことをゴリラ呼ばわりしたり、なにかといえば「ブス」と罵る輩がいるけど…そんなにブサイクかなぁ。


まぁ、たしかにこの「エピソード4」での彼女はブチャムクレ気味なのは認めよう。ルークが彼女を見て「美人だな」というのに耳をうたがった人たちがいても、それは致し方ない。


ちなみにこのレイア・オーガナ姫役のオーディションに、あのジョディ・フォスターも参加していたのは有名な話。

で、けっきょくレイア役はキャリー・フィッシャーに決まって、ジョディは落とされた。

このことで「ルーカスには女優を見る目がない」とみなすのは勝手だが、芸能人一家に育って「人に上からものをいう態度がお姫様っぽい」という理由でキャリー・フィッシャーを選んだルーカスの眼は、この時点では正確だったと思う。

レイア姫の吹き替えの島本須美は日本人好みの可憐な声だったが、実際のキャリー・フィッシャー本人はわりと低音ヴォイスである。

でもいまでは僕は彼女のこの落ち着いた声にこそ魅力を感じる。

ハリソン・フォード演じる宇宙の密輸業者ハン・ソロと互角にやりあって物怖じせず、やがて惹かれ合う銀河のやんごとなき人レイアのキャラクターは、彼女のこの貫禄ある声あってこそだ。

キャリー・フィッシャーは『スターウォーズ』に出演後レイア姫を超える当たり役にめぐまれず、最近はSW関連のスペシャルゲスト出演以外ではほとんど見かけることがない。現在は講演活動やスクリプト・ドクターなどをしているらしい。*5

ストリーム コラムの花道 町山智浩 
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『エピソード4 新たなる希望』に出演した当時はほぼ無名だった主演のマーク・ハミルキャリー・フィッシャー、そしてハリソン・フォードの演技はじつに真実味を帯びていて、この荒唐無稽な「おとぎ話」を後世まで語り継がれる名作にしたのは、まさしく彼らの功績といえる。


なにしろ『スターウォーズ』なる大ヒット映画はそれ以前には存在していなかったわけで、俳優への意思伝達能力に難があるジョージ・ルーカス(いわゆるコミュ障)が意図していることが理解できず映画の世界観もなかなかつかめない状況のなかで、ハリソン・フォードを兄貴分とするこの3人の若手俳優たちはかなりの想像力(と若干のヤケクソ気味な特攻精神)を駆使してあの魅力的なキャラクターたちを造形していったのである。

スターウォーズ」がすでにブランドと化した現在と違って、それは大変な徒労感とのたたかいでもあったと思う。

この海のものとも山のものとも知れないB級映画を世界的な大成功にみちびいたのは、まさしく彼ら(とILMのクルー)だったのだ。

だからいまだにレイア姫のことを「顔がゴリエで残念」とかホザいてるバカは、いっぺんデス・スターのレーザー砲で焼かれればいいと思う。


そりゃ僕だって、キャリー・フィッシャーナタリー・ポートマンをくらべて「どちらが美人か」と問われたら迷わずナタリー・ポートマンをえらびますよ^_^;

でも旧三部作のキャリー・フィッシャーの演技とプリクエル三部作のナタリー・ポートマンの演技、どちらがすぐれているかといったら、圧倒的にキャリー・フィッシャーの方がすぐれている。

おなじくプリクエル三部作のユアン・マクレガーの演技が、旧三部作でハン・ソロを演じたハリソン・フォードのすばらしさには遠くおよばないように。

それに旧三部作のレイアはただのクソ真面目なお姫様じゃなくて、時々ハン・ソロと交わすウィットに富んだ会話などユーモアも持ち合わせていたんだよね。

『新たなる希望』ではストームトルーパーのユニフォームを着たルークに「ずいぶんと小柄な兵隊さんね」と言ったり、チューバッカのことを「この歩く絨毯をどけて」と言ったり。

『帝国の逆襲』でも「俺に気があるくせに」と調子に乗るハンに「もう少し女心を勉強するのね」とあてつけでルークにキスしたり、お喋りなC-3POに「お黙り!」とキレたり。

旧三部作のレイアとハン・ソロのロマンスが今でもファンに支持されるのは、エピソード2のアミダラとアナキンみたいにただ美男美女がイチャついてるんじゃなくて、ユーモアも交えたふたりの愛の育み方がとても微笑ましかったからだ。真面目にやるときはやるが、一方で彼らには観客が思わず笑ってしまう愛嬌もあった。

ユーモアはキャラクターに厚みを持たせる。

そういう旧三部作にはあった主要登場人物たちのキャラの厚みが、プリクエル三部作には欠けている。

その違いがわからず、ただ一方的にレイア姫の顔の造作に文句垂れてる奴はちょっとどうかしてる。


デス・スターにもぐりこんだルークとハン・ソロ一行はレイア姫を助け出すが、牽引ビームを解除したオビ=ワンは待ち構えていたダース・ベイダーと対決し、ベイダーの一太刀で霧散してしまう。


デス・スターからは脱出できたもののオビ=ワンの死にショックをうけるルーク。

しかし帝国軍の追っ手を迎撃すると、レイアと手を取り合って喜ぶ。

ついさっき爺さんが死んだことはもう忘れている。

それはオーウェンおじさんたちについてもおなじだ。

どんなに親しい人が死んでもその直後には忘れているようなこういう登場人物たちは、ロールプレイング・ゲームのキャラクターを思わせてどこか「コマ」的でもあるのだが、神話やおとぎ話というのはだいたいそういうもので、これもまた現実的な世界を舞台にした人間ドラマではなく、一種の「たとえ話」なのだ。

同盟軍の基地から戦闘機で飛び立ち、仲間たちとともにデス・スターの側溝に舞い降りたルークは、ちょうどブルース・リーが少年にいった「考えるな、感じるんだ」という言葉のように、死んだはずのオビ=ワンの「フォースの力を信じるのだ」という声を聴く。

ハン・ソロの助太刀もあり、オビ=ワンのいうとおり自分の感覚を信じてプロトン魚雷をデス・スターの弱点に撃ちこむルーク。

魚雷は命中。同盟軍の基地がある星を破壊しようとしていた総督もろともデス・スターは爆発四散する。

最後に同盟軍の基地でルークとハン・ソロレイア姫から勲章メダルを授かる。

ソロは最後に出てきておいしいとこもってっただけじゃねーか、死んだほかのパイロットたちにも勲章やれよ、というツッコミにも、まぁいいじゃねぇか、と。

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ヴェトナム戦争で疲弊し、世のなかのツラさやままならなさに打ちひしがれていた当時のアメリカの人々が、勧善懲悪の荒唐無稽なこの物語にふたたび無邪気に映画を楽しむ喜びをとりもどして熱狂したことは、歴史的事実として知っている。

この映画はハリウッド映画の歴史を(良くも悪くも)変えたといっていい。

その後、さまざまな視覚効果を駆使した映画が作られたけれど、僕はこの『新たなる希望』で映し出される砂漠や夕陽を見ると、ほかの映画では感じられない妙な懐かしさをおぼえる。

フィルムの質感や画調、登場人物のモミアゲの形が時代を感じさせたりすることもあるだろう。

この映画では、未来的なカッコ良さと手作りの味の両方がいい具合に混ざっている。

だからこそ、あとから作品にあれこれ手を加えることでその「味」を消してほしくないのだ。

アメリカの田舎町でレーサーを夢見ていたが事故で挫折し、映画の道に進んだジョージ・ルーカスはそこで頭角をあらわし、やがて『スターウォーズ』で大成功をおさめる。

僕はそんな彼にあこがれたし、彼の評伝「スカイウォーキング」を買って読んだりもした。

ルーク・スカイウォーカーはまさにかつてのルーカスそのものだ。


ハン・ソロにはルーカスの兄貴分だったフランシス・フォード・コッポラがかさねられてもいる。

スターウォーズ』とは、田舎出の少年が巨大な帝国に打ち勝つ、やがてルーカス自身が成し遂げることになる物語だった。


そして「父と子の物語」は次の『エピソード5 帝国の逆襲』で描かれる。

いまやランド・カルリジアン男爵のように自分の会社をもって多くの社員を養っているルーカスは、その“帝国”でかつてみずから生み出した「スターウォーズ」の世界を望みどおりに作り変えつづけている。

そしてそれに付き合いつづける世界中のファンたち。


最初にいったように、僕は3D版のエピソード1~3*6を観るつもりはないし、今後過去作の改変版のソフトを買うつもりもない。

それが僕にできるせめてもの抵抗だ。

でも「特別篇」のときのように、またスクリーンで旧三部作を観られる日がきたらきっと劇場に足を運んでしまうんだろうな。


以上は2012年に書いた感想です。

その後、「スターウォーズ」シリーズの権利をもつルーカスフィルムジョージ・ルーカスによってディズニーに売却され、あらたなシリーズの製作がアナウンスされた。

また2013年に入って、2015年の公開が予定されている最新作「エピソード7」の監督がJ・J・エイブラムスに決定。

一度は創造主ルーカスによって否定されたエピソード7~9がついに実現することに。

ファンとしてはいろいろと不安はあるものの、それでもルーカスの支配から離れた(最新シリーズにルーカスがどのぐらい発言権があるのかは知らないが)「スターウォーズ」がいかなる進化を遂げるのか興味は尽きない。


あと、しつこいけど「金曜ロードショー」の旧吹替版、いつかDVD or ブルーレイで発売してくれないかなぁ。

ルーカスフィルムがどうしてかたくなにこのヴァージョンの販売を拒否するのか、理由がわからない。

もしあのヴァージョンが発売されたら、僕をふくむ多くのファンがぜったい買うのに。

ディズニーにはぜひ再考をねがいたい(あ、旧作の権利はルーカスがもってるのかな)。


レイア姫役のキャリー・フィッシャーさんのご冥福をお祈りいたします。16.12.27

ダース・ベイダー役のデヴィッド・プラウズさんのご冥福をお祈りいたします。20.11.28


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*1:R2-D2役のケニー・ベイカーさんのご冥福をお祈りいたします。16.08.13

*2:チューバッカ役のピーター・メイヒューさんのご冥福をお祈りいたします。19.4.30

*3:その後、「マンダロリアン」として実現。

*4:大平透さんのご冥福をお祈りいたします。16.4.12

*5:その後、32年ぶりの最新作『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』に再びレイア役で出演。

*6:2015年現在、最新作のエピソード7以前の過去作はエピソード1以外いまだに3D化されていない。