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スター・ウォーズ シークエル(エピソード7~9)三部作とはなんだったのか

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J・J・エイブラムス監督による『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』が現在公開中ですが、とりあえず個人的な劇場版SW卒業記念として何か書き留めておこうと思います。

三部作それぞれの感想は以下のリンク先へどうぞ。

エピソード7 フォースの覚醒』【ライトサイド篇】(肯定的な感想) 【ダークサイド篇】(批判的な感想)

エピソード8 最後のジェダイ』【ライトサイド篇】【ダークサイド篇

エピソード9 スカイウォーカーの夜明け』(感想はこちら

スター・ウォーズ」シリーズにおける、シークエル(エピソード7~9)三部作(以降は三部作のネタバレがありますので、ご注意ください)とはなんだったのか。

結論からいえば、すでに多くのかたがたが評されているように「一度終わった話を再び始めて、無理やり終わらせた」もの。この一言に尽きるだろう。

『フォースの覚醒』の時は魅力的に思えた新キャラクターたちは活かされず、結局は“銀河帝国の亡霊”である皇帝パルパティーンがラスボスでした、ということにしてお茶を濁しての幕引きには呆れ果てて、もはや本気で腹を立てる気すら起きなかった。じゃあ、この3作全部いらねぇじゃん、エピソード6で終わりでよかっただろ、と。

『EP6 ジェダイの帰還』でダース・ベイダーアナキン・スカイウォーカーに戻って物語は大団円だったのに。

ダース・ベイダーの不在。これがすべて。新しいクリエイターたちはベイダーのような魅力的な悪役を生み出すことができなかった。

ジェダイの地位もヒーロー性も引きずり降ろして「誰でもフォースが使える」ってことにしちゃったり、その“フォース”も「なんでもあり」で万能の力にされてしまった。

それはつまり、フォースの大暴落、無意味化を招き、そして「困った時にはなんでもフォースで解決」が可能になったSW世界には、すでにセンス・オブ・ワンダーがなくなったことを意味していた。

女性の登場人物を活躍させる、というディズニーの方法論はここでは表面的なものでしかなく、そのキャラクターはいくらでも取り替えが効くものであることは、『最後のジェダイ』のあとの『スカイウォーカーの夜明け』でのローズ(ケリー・マリー・トラン)のあまりに酷い扱いを見れば一目瞭然。

他のアニメーション作品でやってるヒロインをめぐる作劇さえもがすべて欺瞞なんではないかと疑われてくるほどに、このシークエル三部作のストーリーもキャラクター描写もデタラメだった。

デイジー・リドリーが演じる主人公レイの、自ら率先して行動し戦いに赴く颯爽とした姿はとてもかっこよかっただけに、彼女の冒険譚が中途半端なものに終わってしまったことが残念でならない。前作『最後のジェダイ』では「ただの普通の人」と知ってショックを受けてたはずが、今回の最終エピソードでは「シスのジジイの遺伝子を受け継いでるからフォースがスゴい人」だった、ってことになっちゃってて、この3作を通して俺は一体何を見せられていたのだろう、と根源的な疑問に襲われたのだった。ほぼ何も描いていなかったってことだもの。

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時々無性に見たくなるデイジー・リドリーの変顔(歯並びいいなぁ)


いっそのこと、スピンオフでBB-8とともにジャクーに戻ったレイのその後の物語を描いたらどうか。そんでレイは実はパルパティーンの孫じゃなくて…と延々彼女のアイデンティティが揺らぎまくるロードムービーにするとか。面白いアイディアはいっぱい出てくると思うんですよ。それがなぜか形にならないのが本当に不可解で。

ディズニーに関しては、まだ僕はアニメでも実写化リメイクの方でも好きな作品があるからすべてではないんだけど、このところ「ディズニー映画」のシナリオの質がかなり落ちてきてやしないだろうか。

その「質の低下」がスター・ウォーズにまで及んでしまったことが、なんとも悲しい。

そしてそれゆえに僕はこれを期にSWから離れようと決心したのでした。

まぁ、俺がSWから離れようがどうしようがどーでもいいことでしょうが。

評判がいいらしいネットドラママンダロリアン」はすごく気になるし、観る機会があるなら観たいんですが、今のところDisney+やディズニーデラックスに加入するつもりはないし、2年後から始まる予定のライアン・ジョンソン監督による劇場版のさらなる新シリーズにもまったく興味がない。

だからまぁ、事実上のSW卒業かなぁ、と。

どうでもいいけど、プリクエル(エピソード1~3)三部作のあとにもオリジナル(エピソード4~6)三部作を小バカにしてプリクエルの方をやたらとアゲるような発言を目にしたけど、今度もTwitterなどでエピソード4~6が大好きでシークエルを批判している俺みたいなおっさんをジジイ扱いして笑ってる輩がちらほらいて、同じようなことを繰り返してるなぁ、といい加減あくびが出てくる。

文句があるならエピソード4~6抜きでその他のエピソードを成立させてみなさいよ。真ん中が抜けたらまったく話が繋がらんでしょうに。その時点で相手にならんのだよ。

前にも別の記事で書いたけど、エピソード4~6というのは「機動戦士ガンダム」シリーズにおける“ファーストガンダム”と同じで、それが原点であり、またそれだけで完結した物語なんだよね。

ぶっちゃけファーストガンダムさえあればそのあとの続篇は全部不要なように(※個人の意見です)、スター・ウォーズもまたエピソード4~6だけで充分。

その事実をあらためて痛感した4年間でした。わかりきったことをわざわざ確認する作業だった。

あるいは、これは“スター・ウォーズ”そのものというよりも、そのパロディ、もしくはクリエイターたちによる「スター・ウォーズ論」だった、ということなのかも。「スター・ウォーズ」という作品、シリーズ、現象について各自が意見を述べ合い議論するための道具代わりのような。もはや「作品」ですらなく。

スピンオフの『ローグ・ワン』(感想はこちら)は好きだし、巧くいかなかったけど『ハン・ソロ』(感想はこちら)の路線も嫌いじゃない(ってゆーか、「マンダロリアン」でやってることを『ハン・ソロ』でやってくれればよかったのに^_^;)。もう大きな物語は終わったんだから、局所的なスピンオフやサイドストーリーの方を観たい。

で、話を元に戻すと、J・J・エイブラムスって『SUPER 8/スーパーエイト』(感想はこちら)ではスピルバーグにオマージュを捧げていたけど、今回のトリロジーではSWの生みの親であるジョージ・ルーカスからの「卒業」を試みようとしたんでしょう。だから真っ先にハン・ソロを殺した。

そのことを怒ってる人が意外といなかったことが僕はショックで、さらに次の『最後のジェダイ』ではルークが散々コケにされた挙げ句、成仏する。

それでもうさすがに諦めがついたというか、挽回を期待した俺が馬鹿だったと悟ったのだった。

今さらこんなこと言っても詮ないことは承知のうえだけど、これはそもそも“ファースト・オーダー”などという帝国の残党なんかを強大な敵として出したことが間違いだったと思う。

帝国は滅びたんだよ、この何十年もの間に。残党がいたとしてもそれは帝国が健在だった頃とは比べ物にならないほどのごくわずかな勢力に過ぎなくて、かつての共和国もいまだ復興するまでには至らない、要するに「マンダロリアン」のような(って僕は観ていないが)不安定で群雄割拠の状態の世界で繰り広げられる冒険物語にすりゃよかったでしょう。

本来ならばルーカスが撮った作品よりも“面白い新作”を撮ればいいわけなんだけど、それがいつの間にかルーカスが創った世界を「破壊すること」が目的化してしまって、お話の方がおざなりにされてしまった。 本末転倒だ。

僕は前に同じディズニーの『シュガー・ラッシュ:オンライン』やピクサーの『トイ・ストーリー4』(それから『モンスターズ・ユニバーシティ』も)についての記事で両者が既存のルールを変えていったことを評価したんだけど、それ以前にあれらの映画はエンタメとして面白かったんだよね。笑えてハラハラして泣けた。

ei-gataro.hatenablog.jp

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新しいスター・ウォーズにはそれのどれもなかった。“映画”として面白くないから「ルールを変えること」=お約束を次々と破ってこれまでのSW世界を破壊すること、にも痛快さは感じなかった。『シュガー・ラッシュ』や『トイ・ストーリー』『モンスターズ・インク』のそれぞれの続篇たちは「ルールを変えていくこと」に劇中でちゃんと意味を持たせていたんだよね。ルールを変えることは手段であって、目的は他にある。

新しい世界に羽ばたいていくために古い価値観の殻を破ること。その大切さが切実なものとして扱われていた(それがどうしてもわからない人たちがこれらの続篇を批判しているのだが)。

だけど、SWの「スカイウォーカー・サーガ」の最終章である本作品は、“古い価値観の殻を破る”どころかすべてを古いものでコーティングして観客に「これで満足か?」と提示してみせた代物だった。

この有様は僕みたいな昔のSWの世界にこだわる「老害」のせいなのか?

そうは思いませんね。この三部作の作り手たちには最初から“ヴィジョン”がなかった。まともなシナリオを書く才能も。この映画が昔のSWのさまざまな要素のツギハギでしかないのは、古いファンの批判や抗議のせいではなくて、映画の作り手たちがかつてジョージ・ルーカスが生み出し育てたもの以上の“新たなる希望”を生み出せなかったからに過ぎない。客のせいにしないでもらいたい。

もしもシュガラ2やトイ・ストーリー4、モンスターズ・ユニバーシティみたいに面白ければ、フォースやジェダイの定義・設定が時代とともに変化していっても受け入れられただろう。変化すること自体が悪いのではなくて、その「表現」がうまくいっているかどうかが問題。

僕はうまくいっているとは思えませんでした。

「JJはよくやったよ」と労ってる人たちがいるけど、そもそもすべては彼が蒔いた種じゃないか。何言ってんの。

ルーカスによって積み上げられてきた過去のSWを一掃する、という目論見がエイブラムスから出たものなのか、それとも今回のトリロジーを仕切っていた(今後も仕切る)キャスリーン・ケネディからの指令なのかは知らないけれど(まぁ、ディズニーの方針なんでしょうな)、このレヴェルの作品についていけるかどうか、僕らは観客として試されたということなんだろう。

なんの問題もなくついてこられた人は、引き続きこれから作られるシリーズをお楽しみください。疑問を感じたり反発する者、批判してくる者はどうぞお引き取りを、ということ。

物語が繋がっていなくても、登場人物の言動や世界設定がコロコロ変わっても、構わず楽しめちゃう人だけ残ってよろしい。文句言う奴はいらん、と。

うん、もはやそれは「映画」ではないよな。二次創作のネタを提供したり、「ビックリマンチョコ」のおまけのシールみたいにグッズに設定や物語が付いてる、ってだけのことだ。

そう思うと、なんだか晴れ晴れとした気持ちで“卒業”できますよ。私が興味あるのは「映画」の方であって、オモチャじゃないんでね。

このエントリもほんとは不要なんだけど、この三部作に寄せて以前書いた記事の文章の寄せ集めで構成しました。

さぁて、おじさんは今度じっくりとDVDで旧三部作のオリジナル版(not 特別篇)を観るとしよう。

www.youtube.com


「え、そのキスシーン必要?」「血縁主義」に回帰してしまった『スター・ウォーズ』最新作への違和感│文春オンライン

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