※以下は2011年に書いた感想です。
リドリー・スコット監督、ラッセル・クロウ主演の『グラディエーター』。2000年作品。
第73回アカデミー賞作品賞、主演男優賞、衣裳デザイン賞、録音賞、視覚効果賞受賞。
西暦180年。ローマ皇帝マルクス・アウレリウスの臣下マキシマス将軍(ラッセル・クロウ)はゲルマニアの闘いで勝利を収めたが、アウレリウスに忠誠を誓い皇太子コモドゥスに逆らったため妻子を殺され奴隷の身となる。奴隷商人のプロキシモのもとで剣闘士(グラディエーター)となったマキシマスは、アウレリウスの遺志を継ぐためにいまや皇帝となったコモドゥスに仲間たちとともに闘いを挑む。
以下、ネタバレあり。
劇場公開時にリアルタイムで観たリドリー・スコット作品のなかでは一番好きです。
いまも作られてるのかどうか知らないけど、一時期「グラディエーター物」が量産されるきっかけとなった作品で、またリドリー・スコットとラッセル・クロウの最初のコラボ作品でもある。
たまたまこの映画を観るちょっと前に祖母が亡くなって、この映画のラストでジャイモン・フンスー演じる剣闘士のつぶやく「いつかまた会える」という言葉に号泣した記憶あり。
いや、もちろん僕のおばあちゃんは剣闘士とはなんの関係もないですが。
新宿のミラノだったかプラザだったか忘れてしまったけど、劇場に何度か足を運びました。
エンディングのあの曲にはいつも泣いてしまう(今回もやっぱり泣きました)。
いまでもTVの歴史紀行番組などでときどき使われてたりします。
Now We Are Free
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スピルバーグの『プライベート・ライアン』で用いられたシャッター・スピードを変えた戦闘場面。
実物のセットとCGを組み合わせたコロセウムに立つマキシマスたちをキャメラがぐるっとまわりながら映すショットの迫力。
まるで『マッドマックス/サンダードーム』のような出で立ちの剣闘士たちとの闘いでの、一瞬にして腕や首が切断されるヴァイオレンス描写。
その後つづいた何本もの史劇映画でも踏襲されたが、この映画におけるそれらはいま観ても野蛮で本当にカッコ良い。
そして「燃える映画音楽ならこの人」みたいなハンス・ジマーの曲がさらに盛り上げる。
マキシマスを演じるラッセル・クロウは、その鍛え上げられた肉体、俊敏な動き、渋みのある声と表情でこの英雄に説得力をもたせている。
現実のラッセル・クロウさんは身体のいろんな部分が“暴れん坊”な人のようだが、それはともかく素晴らしい才能をもった俳優であることに疑いの余地はないだろう。
アウレリウスを演じるリチャード・ハリスは、晩年は「ハリー・ポッター」シリーズの初代ダンブルドア校長を演じていたが、2作目の『ハリー・ポッターと秘密の部屋』出演後に逝去。
ダンブルドア役はおなじイギリス人俳優マイケル・ガンボンに引き継がれた。
僕は世代的に彼の出演作をリアルタイムではそんなに観てないんだけど、クリント・イーストウッド監督・主演の『許されざる者』でジーン・ハックマンにボッコボコにされて途中退場する“イングリッシュ・ボブ”役が印象に残っています。
シェイクスピア俳優であり、多くの史劇映画にも出演している大ヴェテランである。
奴隷商人プロキシモを演じるオリヴァー・リードもまた名優だが、この映画の撮影中に惜しくも死去。
わずかな撮り残しがあったため、ちょうど主演のブランドン・リーが撮影中に事故で亡くなった『クロウ/飛翔伝説』がそうだったように、すでに撮影済みのショットからリードの映っている映像を抜き出して合成、それ以外の部分は代役を立てて撮影が続行された。
それをわかってて該当箇所を観ると、合成や編集のスタッフのポスト・プロダクションでの苦闘ぶりがうかがえてちょっと微笑ましい。
コモドゥスが近親相姦的な執着をみせる姉ルッシラ(コニー・ニールセン)の幼い息子ルシアスを演じるスペンサー・トリート・クラークは、その後M・ナイト・シャマラン監督の『アンブレイカブル』(感想はこちら)でブルース・ウィリスの息子役、イーストウッドの『ミスティック・リバー』でも重要な役を演じたりしているが、あれから10年以上経って現在では好青年に成長している。
個人的には大好きな作品だが、2010年の『ロビン・フッド』(感想はこちら)でもそうだったように、リドリー・スコットがまるで史実のように描くこの物語は完全なフィクションである。
ラッセル・クロウ演じるマキシマスは何人かの将軍をモデルにしているらしいが、架空の人物。
またこの映画のなかでマキシマスと敵対するコモドゥス帝については、実在した彼は獣の毛皮をまといみずからコロセウムに立って剣闘士として闘うこともあった腕力自慢のゴリマッチョだったようで、ホアキン・フェニックスが演じた実の姉にねじれた愛情をもつ病める若き皇帝、というキャラクターはどうやらこの映画のために創作されたものらしい。
映画ではアウレリウス帝はコモドゥスによって殺され、コモドゥスはマキシマスに殺されるが、実際にはアウレリウスは息子に殺されたわけではなく戦地で病死しており、コモドゥスも剣闘士に殺されてはいない(宮殿内で暗殺)。
これだけ時代考証を無視した話をさももっともらしく描くリドリー・スコットの手腕には喝采を送りたい。
もちろん、これこそが映画の醍醐味だからだ。
この映画で主人公マキシマスは人望厚くローマのために命を懸ける戦士であり、故郷の妻子との再会を夢みる農夫でもある。
アウレリウス帝はそんな彼を実の息子以上に愛し、帝位を譲ろうとまでする。
しかし、そんな男が「現実には存在していなかった」ということ。
そんな「存在しなかった英雄」が国のため、家族の復讐のために闘い、死んでいくこの物語に僕たちはなにを見出せばよいのだろう。
『ロビン・フッド』ではイングランド、そしてこの映画では「偉大なるローマ」が舞台となるが、それらが“アメリカ”のメタファーであることは明白である。
剣闘士をカウボーイに替えたらそのまま西部劇になる。
リドリー・スコットはこれらの作品で目指すべき「理想の世界」を示してみせた。
ルッシラはマキシマスのなきがらの前で、腐敗したこの国がよみがえることを「もう一度信じましょう」と人々に呼びかける。
だが、栄華をきわめたローマ帝国はやがて滅びた。
たなびく麦の穂にふれながら、マキシマスは愛する妻と子が待つ大地に還っていった。
はたして僕たちが生きるこの世界は、倒れていった者たちに「いつかまた会える」日を信じてもう一度立ち上がることができるだろうか。
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