映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

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『バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト』


アベルフェラーラ監督、ハーヴェイ・カイテル、フランキー・ソーン(尼僧)、ゾーイ・ルンド(ゾーイ)、ヴィクター・アルゴ、ポール・カルデロンほか出演の『バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト』。1992年作品。日本公開1994年。R15+。

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ニューヨークの警部補LT(ハーヴェイ・カイテル)は、よき家庭人としての顔も持ちながらもドラッグやセックスに溺れ、警官としても人間としてもあるまじき行為に明け暮れる男。ある日、教会の尼僧(フランキー・ソーン)が何者かに強姦されるというむごたらしい事件が起こる。LTは野球賭博の借金をカバーしようと懸賞金5万ドル目当てに躍起になるが、自分を犯した犯人を許そうとする尼僧の気高さに触れて混乱に陥る。自らの悪行と崇高な信仰心の間で揺れるLTはある選択をするが──。(公式サイトより引用)


東京では1月にリヴァイヴァル上映が開始されていたのが、こちらではようやく公開。

この映画は僕は90年代の劇場公開時に観ているんですが、それ以来一度も観返していなかったので内容は覚えてなくて、ハーヴェイ・カイテルが全裸になったり「唸り泣き」してたことぐらいしか記憶になかった。

当時、高円寺に住んでいた女性の先輩の家にお邪魔しようとして、でも彼女は夜にしか帰ってこないので、空いた時間に新宿歌舞伎町の小さな映画館で時間潰しのために観たのでした。

だから、そもそも映画を真剣に観ようとなどしていなかったし、映画よりも別のことを考えてたから、内容など覚えているはずもなかったんだけど、でもハーヴェイ・カイテルが主演していたことや悪徳刑事の話だったことは忘れていなかったから、何かそれなりに心に残るものがあったのかもしれない。

今は知らないけど、当時は歌舞伎町には小さな映画館がいくつかあって、2000年代にはたまに行くことがあった。そういう懐かしさも込みでろくに内容も覚えていない映画のリヴァイヴァル上映に足を運んだ。

先日、これもハーヴェイ・カイテルが出ている『ピアノ・レッスン』をリヴァイヴァルで観たばかりだから、これはもうカイテルをハシゴしなきゃ、と。

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僕は普段こういう裏の世界の人間を描いたような映画はほとんど観ないので、そもそも興味を持てる題材だろうか、という心配もあったんだけど、今回小さなミニシアターで観た本作品に、妙に気持ちよくハマれたのでした。

場末感がハンパない、やさぐれた気持ちがむしろ心地よくもあった。

もうね、ハーヴェイ・カイテルの裸祭りですよw

かなり前半でもう全裸でモロ出ししてます。キター!って感じ。


もちろん、下半身もバッチリ映ります。

そして、歯を食いしばるようにして見せる妙技「唸り泣き」。待ってました!!

あの当時、ハーヴェイ・カイテルは隙あらば脱いでたからな(いや、勝手に脱いでたわけじゃないだろうけど)。

90年代にハーヴェイ・カイテルはやたらと映画に出てたけど、ちょっと80年代ぐらいのロバート・デ・ニーロと似たものを感じる。デ・ニーロも『ディア・ハンター』(感想はこちら)でフルチン全力疾走してたし。

カイテルがデ・ニーロを意識してたかどうかはわからないけど、二人は初期にはよく共演してたし、メソッド演技俳優という共通点もある。

カイテルは“メソッド演技”を駆使して、『ピアノ・レッスン』ではただ主人公の肩に手を置く、というだけの一瞬のシーンの撮影にめっちゃ時間かけたそうだけど、今回もやはりメソッド演技で臨んだんだろうか。ほんとに酩酊してたのか?w

終盤での、やたらとまばたきが多くなってる様子とか、とにかく彼の演技をこそ堪能する映画でした。

主人公LT(なんの略?)は野球賭博でどんどん深みにはまっていくんだけど、なんてタイムリーなんだ(苦笑) 某有名日本人大リーガーの通訳の人の一件が脳裏によぎって、変なリアリティを感じたりもして。

名前からもフェラーラ監督はイタリア系の人なのだろうし、だからここではイタリア系の裏社会が描かれているんだけど(ハーヴェイ・カイテル自身はユダヤ系だが)、キリスト教カトリックの精神とその対極にある肉欲と罪に溢れた世界が同居したような物語が綴られる。

そこに深さを感じる人たちがいるのだろうけれど、僕には物凄く真剣な顔して描かれたコメディに思えたのだった。

だってこれ、野球賭博で完全に依存症のようになった主人公が追いつめられていく悪夢的な展開は、もとをただせばすべてが彼自身の責任だし、途中で降りれば傷もある程度までに抑えられたのが、引っ込みがつかなくなって自滅していく、どこまでも愚かな男の話なわけで。笑うか呆れるしかないでしょ。

またこれは、「有害な男らしさ」について描いた物語でもあった。

映画の冒頭で、LTは学校に遅刻しそうな息子2人を車で送るんだけど、そこで息子たちは叔母さんが洗面所を占拠していたからバスに乗り遅れたのだ、と言い訳する。

それに対して、LTはあれは俺の家なんだから、叔母さんなどどかせろ、文句言いやがったら俺が放り出してやる、と叱咤する。男だろ、と。

でも、そんな彼は家庭では所在なさげで、酩酊から覚めると妻から「コーヒーでも飲んだら」と言われて黙って退室する。

刑事でありながら押収した麻薬をネコババして売人に捌かせたり、無免許で運転していた若い女性たちに卑猥な行為をやらせてその場で“自分磨き”をしたり、野球賭博を止められなくなって暴走していく。

マズいと思いつつも自分自身では解決の糸口を掴めず、借金はどんどん膨れ上がっていく。

ギャンブルで身を持ち崩す人間の毎日を疑似体験しているような、不安と焦燥感に襲われる90分余り。

警察仲間には「メッツに賭けろ」と言っておきながら、自分は陰でドジャースに大金を賭ける。そして見事に擦る。

メッツに賭けりゃ堅いのにもかかわらず、意固地になってドジャースに賭け続け、ドツボにハマる。あまりに滑稽だ。苦手な言葉だけど、「自業自得」という言葉がこれほど相応しい男もいない。

刑事であることで権力を笠に着て威張り散らしたり、男性器のメタファーでもある拳銃を使って人々を脅すような真似をしていながら、それがすべて彼自身の「弱さ」を隠そうとする行為だったことが、最後の最後にLT自身の「告白」によって明らかになる。


今までどこにいたんだ、俺は弱いんだ、助けてくれ、と。

十字架に磔になったイエス・キリストがそのまんまの姿で出てくるとこなんか、ギャグじゃないか。主人公は大真面目だし、事実命の危険も迫ってるんだけど、描かれていることはほんとに間抜けでバカバカしい。同情の余地もないほどに。

人間は、男は、どこまで愚かになれるのだろう。

常に懐に酒瓶を忍ばせて、暇さえあれば白い粉を吸っているLTは、どこで道を誤り、踏み違えたのだろう。何がきっかけだったのか。

妻や子どもたちがいて、家もある。帰れる場所があるはずなのに、何が不満だったのか。彼の人生の中に何が欠けていたのか。

自分をレイプした少年たちを許した尼僧に、LTはうろたえる。

彼には理解できないことだから。

被害者に成り代わって復讐しようとしてみるものの、TVの中の自分が頑なに賭け続けたドジャースの完全な負けとメッツの勝利を目にして、彼が信じてきたものは瓦解する。

そして、反対にあの尼僧がやったことと同じ行ないをすることで、せめてもの贖いをしようとする。それは自分の命を差し出すことでもあった。

彼にとってはそれが苦しみからの「救い」だったのだろうか。地獄巡りの末の救済。

イイ年コイて酒とクスリとギャンブルに溺れて最後はギャングに撃ち殺される愚かな刑事は、その愚かさと弱さにおいてもっとも小さき者としてのキリストに近づいたのかもしれない。


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