監督・脚本:ウェス・アンダーソン、出演:レイフ・ファインズ、トニー・レヴォロリ、F・マーレイ・エイブラハム、ジュード・ロウ、エイドリアン・ブロディ、シアーシャ・ローナン、エドワード・ノートン、ウィレム・デフォー、ジェイソン・シュワルツマン、ティルダ・スウィントン他の『グランド・ブダペスト・ホテル』。2014年作品。
第87回アカデミー賞美術賞、衣装デザイン賞、メイキャップ&ヘアスタイリング賞、作曲賞(アレクサンドル・デスプラ)受賞。
1968年、旧ズブロフカ共和国の「グランド・ブダペスト・ホテル」で作家(ジュード・ロウ)がホテルのオーナーであるゼロ・ムスタファ(F・マーレイ・エイブラハム)の語る、このホテルにまつわる話に耳を傾ける。─1932年。グランド・ブダペストの初代コンシェルジュ、グスタヴ・H(レイフ・ファインズ)はロビーボーイのゼロ(トニー・レヴォロリ)を伴って亡くなった伯爵夫人マダムD(ティルダ・スウィントン)の屋敷を訪れる。そこにはマダムDの実の息子ドミトリー(エイドリアン・ブロディ)をはじめ彼女の遺産を狙う親戚一同が雁首を揃えていた。
ストーリーの内容や結末について触れますので、未見のかたはご注意ください。
この映画の背景については、映画評論家の町山智浩さんの解説を読むととても参考になります。
…というか、映画を観ただけではわからないことばかりなので、これから観る人は時代背景などある程度予備知識を持っていた方がいいかも(何も知らずに観ても物語自体は理解できますが)。
ズブロフカというのは架空の国で、オーストリア=ハンガリー帝国がモデル。
登場人物の名前がグスタヴ・HとかマダムDとかセルジュ・Xなど、苗字がイニシャルで表わされているのがカフカっぽかったり。
軍によって兵舎にされたグランド・ブダペスト・ホテルに掲げられた旗のSが2つ並んでいるようなマークは、ナチスの親衛隊(SS)のもの。
それから宇多丸さんも仰ってたように、この映画の最後の「シュテファン・ツヴァイクの著作にインスパイアされた」という一文の日本語字幕が出ないので、町山・宇多丸両氏の解説を聴いていないとこの映画に込められた重要なテーマがまったく理解できないんだよね。
なんで3つの時代に分けて描かれているのか。
あの60年代の作家と年老いたホテルのオーナーとのやりとりはなんだったのか、1985年の作家(トム・ウィルキンソン)や冒頭と最後の記念碑の前の少女のくだりも、ツヴァイクについての知識がないと意味がよくわからない。
そりゃ劇場パンフにはそのあたりについての詳しい解説が載ってたのかもしれないけど、必要最低限の字幕も入れないなんて観客や視聴者に対して物凄く不親切ではないだろうか。*1
ウェス・アンダーソンの映画は僕は前作『ムーンライズ・キングダム』(感想はこちら)を映画館で観ているんですが、嫌いではないけれど俺は別に観なくていい種類の映画だなー、って思って、この『グランド~』はスルーしちゃいました。
だけど評判がいいのでちょっと後悔したのでした。
で、遅ればせながらDVDで観たんですが。
映画が始まるとその計算されまくった構図やキャメラワーク、ファンシーな色彩に頭がクラクラして気分が悪くなってしまった^_^;
ちょっと口でうまく説明できないんだけど、なんか絵本の中に閉じ込められてしまったような息苦しさを覚えて。
まぁ、映画に動きが加わってくると次第に慣れてきたけど。
前にも書いたけど、ウェス・アンダーソンの映画って『アメリ』(感想はこちら)のジャン=ピエール・ジュネや『トト・ザ・ヒーロー』(感想はこちら)のジャコ・ヴァン・ドルマルの作風に似てるなぁ、と思う。
誰が誰の真似とかいうことではなくて、あのカラフルな色使いとかコミックブックのような絵作りなどに共通するものを感じる。
「メンドル(アガサが働くケーキ屋)のお菓子」への偏執的なまでのこだわりとか。
特にウェス・アンダーソンの映画は見るからに人工的で、その砂糖菓子や昔ながらの少女漫画のような世界が好きな人が多いのはわかるんだけど、僕はこういうタイプの映画が正直苦手だということを今回あらためて実感。
というのも、『ムーンライズ~』でも思ったんですが、映像の方はともかく、物語とか描かれてるもの自体にあまり興味をそそられないことがわかったんで。
そしてさっき書いたように、町山さんや宇多丸さんの解説抜きにこの映画を観たら、『ムーンライズ~』と同様にちょっと奇妙な作品、というぐらいで僕はきっとピンとこなかっただろうな、と。
映画の最初の方と最後のあたりでグスタヴとゼロが乗る電車が軍隊によって止められる繰り返しから、この映画が云わんとしていることはなんとなくはわかるんですが。
いつも無粋で野蛮な兵士たち(戦争)が美しいものを破壊していく。
そのことへの怒りや悲しみというのはさすがに鈍い僕でも理解はできた。
町山さんが語っていたように、そこから現在の日本の姿を憂うことも可能ではある。
だけどこの作品はやはりとても脆い砂糖細工のようで、単純に大笑いすることも大泣きすることもできずに無粋な僕は映画を観終わって途方に暮れるのだ。
脚色やデフォルメはあったっていいから、どうせならツヴァイクを主人公にして彼の伝記を撮ってほしかったな。
『ムーンライズ~』から続いてティルダ・スウィントンやエドワード・ノートン、ビル・マーレイにハーヴェイ・カイテルなど、あいかわらず出演陣は無駄に豪華。
マダムDを演じるティルダ・スウィントンの特殊メイクがリアル過ぎてほんとの老女にしか見えない。
ハーヴェイ・カイテルがこれまたお馴染みの亀腹オヤジのマッチョぶりを披露してるけど(あのツルッパゲは本物だろうか。なんかヅラっぽかったんだが…)、用が済んだらさっさといなくなる。
『ムーンライズ~』でもそうだったように、ちょこっと出てくるだけの豪華キャストがもったいなく感じられてしまう。
ハエ男ジェフ・ゴールドブラムも007最新作でボンドガールを務めるレア・セドゥーも、『シャンハイ・ナイト』や『ナイト ミュージアム』のオーウェン・ウィルソンもあっという間に退場しちゃうし。
その贅沢さこそが、いかにもウェス・アンダーソン作品っぽいんでしょうけど。
彼の作品に初出演のシアーシャ・ローナンはとてもキュートでしたね。
彼女の出演作はこれまで主演した『ハンナ』(感想はこちら)を観たきりだけど、あの映画ではまだどこかあどけなさを残していたのが、本作品ではレイフ・ファインズ扮するグスタヴに口説かれそうになるほどの美しい娘さんに成長している。
もっともっと彼女を見ていたかったぐらい。
シアーシャが演じるゼロの婚約者アガサの頬の痣についても、もうちょっと何か描写が欲しかったな。
年老いたゼロが「その話はやめておこう」と言うように、あえて描かない、語らない、というのがいい、ということかもしれないけど。
まるで童話のように、ウェス・アンダーソンは登場人物たちの中に深くは入っていかないんだよね。
僕にはそこがどうも物足りないんですが。
それでも後半のドタバタ劇はなかなか愉快でした。
あんなマンガっぽい展開になると思ってなかったんで、思わず笑ってしまった。
特にウィレム・デフォー演じる私立探偵で殺し屋のジョプリングとの追っかけなんて、完全にギャグアニメだもの。
スキー滑るの速過ぎwww
あと、エンドクレジットの右下に登場するコサックダンスをするおじさんのアニメにも吹いた。カワイイw
地味に気になったのは、1960年代にホテルでジュード・ロウ演じる作家と会話する老人になったゼロ役のF・マーレイ・エイブラハムと彼の若い頃を演じるトニー・レヴォロリが全然似ていなくて、人種さえ変わっちゃったように見えたこと。
トニー・レヴォロリは中東系っぽい顔立ちで肌が浅黒いのにエイブラハムはそうでもないし、*2なんかモヤモヤしてしまった。だって『アマデウス』(感想はこちら)のサリエリ演じてた人だからね。
F・マーレイ・エイブラハムは大ヴェテランだけど、でも少年時代のレヴォロリにもうちょっと似た人がいなかったのかな。
思うにウェス・アンダーソンという監督さんは、ストーリーの展開がどうとかいうことにはあまり興味がないのかもしれないな。
確かに映画の中にはストーリーテリングで観客の興味を惹きつけるのとは違う、映像そのものとか世界観とか、雰囲気なんかで魅了する作品というのがある。
理屈じゃなくて、なんだか好き、というものもあるでしょう。
W・アンダーソンの映画はまさしくそういうタイプの作品なんでしょうね。
グスタヴについてのどーでもいいような細かい描写などは物語の進行とは直接関係がないし、なくても構わないようなものだ。
でもそういう描写が独特のおかしみを生む、んでしょう。多分。
僕のように観終わってなんとなくボンヤリしてしまう人もいる一方で、この作品、というかウェス・アンダーソン作品全般が大好き、という人たちも結構いて、これはもう美的センスとか嗜好の違いとしかいえない。
お菓子細工やドールハウスのような作品がお好みの人にはうってつけなんでは。
映画全篇に流れる民族音楽風の劇中曲がとても耳に残って、オスカーで作曲賞を獲ったのも納得。ずっと聴いていたい気分に。*3
この監督の映画に共通していることだけど、映画全体を覆っているすっとぼけたユーモアの種類もアメリカというよりヨーロッパ映画っぽい。
黒いコートを着た殺し屋ジョプリングは『キャプテン・アメリカ』(感想はこちら)の敵レッド・スカルか吸血鬼ノスフェラトゥのようでもある(棺に寝かされた遺産相続執行代理人コヴァックスの遺体の姿が吸血鬼っぽい。あとウィレム・デフォーは過去にノスフェラトゥを演じている)。
ジェフ・ゴールドブラム演じるコヴァックスの指が鉄扉に挟まって飛んだり(ネコも墜落死)、いかにもオモチャ然とした女性の生首が出てくる残酷でブラックなユーモア。
ボ~ッと観てると、何について描いている作品なのか判然としないところも。
マダムDの遺言で高価な絵画「少年と林檎」を譲り受けることになったグスタヴだったが、ドミトリーたちによってマダムD殺しの嫌疑をかけられ投獄される。
グスタヴは拘留所で知り合った囚人仲間たちと脱獄してゼロと合流、彼の命を狙うジョプリングも退けるが、民兵警察のヘンケルス警部補(エドワード・ノートン)がそのあとを追う。
「鍵の秘密結社」の助けでグランド・ブダペスト・ホテルに舞い戻りアガサの協力で金庫に隠していた絵を持ちだすが、ドミトリーと鉢合わせ。
あわやのところで「少年と林檎」のキャンバスの裏に隠してあった、執事が残したマダムDの遺書のコピーのおかげで疑いは晴れ、グスタヴはグランド・ブダペスト・ホテルの持ち主であったマダムDの遺言によってそのすべての遺産を譲り受ける。そして彼のあとを継いでコンシェルジュとなったゼロはアガサと結婚。めでたしめでたし。
ところが、またしても戦争が…。
という話でした。
幸せは長くは続かない。甘くて美しい砂糖菓子が脆く崩れやすいように。
そういう思いは人生への諦念だが、この映画が語っているのは多分そういうことだ。
そこには深い悲しみ、消えて今や幻となったものへの感傷がある。
映画の冒頭で作家が語る「作家は何もないところから物語を作りだすと思われがちだが、むしろよく見て聞く力があれば、物語は向こうからやってくる。作家とは他人の経験を物語る者なのだ」という言葉は、確かにその通りなんだろう。
語り部によって紡がれてきた物語が私たちの心を打つのは、それが人間たちの美しく、そして悲しい歴史に基づいているからでもある。
ツヴァイクが書いた小説を読みたくなりました。